人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

日曜日の朝早く

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D先生はユニークで包容力のある人だった。ぼくは精神医学は医療としてきちんと受けるが、精神障害者であることに劣等感や罪悪感を抱く必要はまったくないとD先生のお話から自信を持つことができた。
たぶん本質的にはD先生の意見は正しい。精神医学はあくまでも医学としての限界がある。歴史的な限界もあれば、地域的な限界もあるだろう-でもD先生の意見はあらゆる時代のあらゆる国々に(「神さま」の定義は異なるにせよ)通用する考えだろう。
D先生は精神障害者を「障害者」として見ないで、あくまでも人間として見る立派な人だった。これは訪問看護のアベさんや福祉課のケースワーカーのHさんもそうで、精神医療に携わっている人では少数派になるのも仕方ない。

ぼくは生活保護の身の上になってから医療には恵まれていて、全部駄目になっていた歯も治せたし、歯科・内科・眼科・整形外科・耳鼻科などどこも患者を尊重して威圧感もない医院ばかりだ-メンタル・クリニックを除いては。
例えば休診日や休み時間はどこの医院もアナウンス・モードになるが、唯一メンタル・クリニックはおそらく着信履歴も残さないためかアナウンスすら流さず着信拒否で切れる。
おそらくフィジカルな病気よりもメンタルの方がトラブルが発生しやすく、他にも例をあげれば診断に関してコンプライアンス(説明義務)を患者に対して尊重しないのもメンタルだけだろう。

事情は理解できる。メンタルにとっては常に病状は経過観察だし、医療以外の個人的トラブルまで面倒は見ていられない。ぼくのように通院が生活保護法上義務になっている患者にはかなりの暴言すらある-これは場を改めたい。アベさんはぼくから聞いて絶句していたほどだった。
それでも主治医を信頼するからには、ぼくにとっては他に選択肢のない賭けだと言ってよい。

ぼくは仕事で1000人を越える人たちに話を訊き、どの人も等身大以上に魅力的に見せるようなインタビュー文にしてきた。プロのライターならばこうした仕事は当然要求されることだったが、ぼくは無理をしていたのだ。子どもを持てば、子どもを通してまた別の種類のさまざまな無理に直面していった。
再び言えば、ぼくのいちばんの美点である面が、同時に病気の根本原因となった-というのはそうした意味になる。悔やんでも仕方のないことだ。