人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アル中病棟の思い出31

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・3月19日(金)晴れ
(前回から続く)
「Yくんが退院申請の相談してきたのは午後に受診の予定があったからだった。アルコール科は午後はプログラムはなく、みんな部屋で休んで、デイルームには数人しかいない。図書室でウォルター・ブロック『不道徳教育』(原題『擁護できない物を擁護する』76年/橘玲訳/講談社06年)というなかなか面白そうな屁理屈社会学エッセイ集を見つけて借り出し、喫煙室で一服しているとちょうど正面のナースステーションでYくんが受診中だった。喫い終えて出るとYくんも終ったところで、どうだった?Yくん指でOKサインを作りバッチリです。明日退院です。良かったねえ。彼はインスタントコーヒーを淹れて、残りは瓶ごと差し出してきて、相談のお礼と言っちゃ何ですが、どうぞ。そういえば昨夜彼の煙草が切れて煙草とコーヒーをバーターしたなあ、と思う」

「Yくんは素直な青年で、あともう少し貯金が貯まれば寿町を出られるそうだ。彼なら真面目に貯金するだろう(注1)。これまでも彼には他の患者の奇行についていろいろ尋ねられたり入院生活の相談相手をしてきたが、退院の決定までアドヴァイスが奏功(しかも翌日!)するとは思わなかった。Yくんはさっそく公衆電話からお父さんか友人に明日の退院決定を報告していた」

「部屋に戻ってこの数行前までの日記をつけていると同室のAtさんがさえきさーん、さえきさーん、日直、日直…(今日の日直はAtさんなのだが)と手招きするのでついて行くと、流しの下の洗濯済みタオル置き場を教えてくれた。それからホワイトボードに向かうがAtさんにはそれ以上説明できないらしく(注2)、明日のプログラム次第ですね?うんうん。タオルの場所を教えてくださってありがとうございます。この病院は申し送りまで患者にやらせるわけか。そのくせ横の伝達も縦の伝達もなく、壁に貼ってある各種マニュアルは4~5年前のものばかりで現行の手順への改訂箇所だらけ。一読しただけでは理解できないメモ書きみたいな代物で、先に入院した人に訊かなければわからない用語だらけだ(注3)」

(注1)ドヤ街・寿町の住人を軽蔑して止まないKくんも、真面目なYくんには理解を示した。
(注2)脳溢血の後遺症で滑舌不自由になると、伝達の言語化能力も困難になるのをAtさんの様子で知った。
(注3)こんな病院は他に知らない。