人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

クロード・シモン「フランドルへの道」1960

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 クロード・シモン(1913-2005)は第二次大戦後のフランス小説家で、85年にノーベル文学賞受賞。裕福な軍人家系に育つも父は第一大戦で戦死、作者自身も第二次大戦で捕虜から脱走兵となり地下活動参加の過酷な戦争体験を経て、戦時中完成した処女作「ぺてん師」を終戦直後の45年に刊行。長編小説第五作「フランドルへの道」でヌーヴォー・ロマンと称される実験小説運動でも際立った達成を見せる。
 実物をご覧いただいた方が早いだろう。日本語訳書から1ページ(平岡篤頼訳・白水社66年)を引用する。この68ページは1ページに2センテンスしかない。訳文は副詞節に意図的に原文に由来する重複表現を残しており、少々割愛した。
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だが哲学することがジョルジュの意図でもなければ、思考が到達できないあるいは知ることのできない物事を考えようと頭を悩ますのも彼の意図ではなく、問題はもっと簡単で、どうやって自分の脚を引っ張りだすかということだけなのだった。そしてブルムが尋ねないうちから彼は今は一体何時頃だろうと考え、ブルムにそれがどうしたという返事をしないうちから既に自分に向かってそう答えていて、いずれにしろ今は自分たちには時間など何の役にも立ちはしないのだ、とにかく一定の距離まで行かなければこの貨車から抜け出せはしないのだと考え、彼らの進度を調節している連中にとってそれは時間の問題ではなくダイヤ編成の問題で、折り返し便で空っぽのケースや傷んだ資材を輸送するのと変らず、戦時にはそんな物はあらゆる他の優先貨物より後回しになるに決っていたから、ブルムに説明しても時間などは自分の影の位置に応じて方向を決めるだけの目安に過ぎず、食事や睡眠(と決められている)時間かどうかを知る手段にはならない、と言ったが、というのも彼らはいつ眠ってもよく、眠るより他何もすることはないのだが、それも絡まり重なりあった他人の手足が感覚が麻痺していても自分の手足だと判ればの話で、また食事の時間も容易にわかる―決定する―のだがそれも正午とか午後七時に自然に空腹になるのではなく、精神が(肉体は精神より耐久力があるから)次の食事はあるのだろうかという考え―拷問―に耐えられなくなる危機的瞬間に達した時なのだった。
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 改行なし、直接話法なし、作品の後半は複数視点が入り乱れて300ページこれが続く。堪能できます。