アラン・レネ『去年マリエンバートで』(61年・仏)の登場人物は三人、妻と夫、そして謎の男だけです。舞台となる滞在型巨大ホテルはイタリアともフランスともつかないリゾート地にあるらしく、登場人物たちも名前を持ちません。
焦点となるのは人妻と謎の男が去年このホテルで邂逅した時交した駆け落ちの約束で、男は約束の履行を迫り、人妻は約束などしていない、と否認します。
過去(去年)の回想が何度もインサートされますが、男の主張や人妻の主張という主観を通したもので客観的真実を描いた映像という保証はなく、その内容も重なる部分もあるが駆け落ちの密約、という一点では交わらないでいる。
平行して描かれるのが夫と謎の男の心理戦で、五列に並べたマッチ棒の残り一本を取ることになれば負け、というゲームに謎の男は負け続けます。
最終的に男はゲームの必勝法を見抜いて夫に勝ち、また謎の男と人妻の回想も完全な一致に達して映画は終ります。ただし映画が描いているのはそこまでです。この作品は黒澤明の『羅生門』(50年)に着想を得たという証言があります。
一方フェデリコ・フェリーニ『81/2』(63年・伊)は冒頭から主人公の映画監督の夢の情景から始まり、悪夢から醒めるまでが最初のシークエンスをなしています。それから主人公の現状は新作映画の撮影が迫っていてオリジナル脚本を書かなければならないが、苦しまぎれにロケット発射台のオープン・セットを作らせてセットから発想しようとしたけれどやはりアイディアは浮かばない。冒頭の夢は凧に磔けになって飛翔し落下する悪夢でした。
仕方ないのでアイディアを練りに湯治場に行き、湯治客と知りあっては映画の構想が浮かびかけ、半端なエピソードが悪夢として描かれるが、一貫した映画の構想にはまとまらない。
主人公の悪夢は願望や回想に期待や不安・不満が投影されたものですが、主人公一人の中で自己完結している限りは、これがたとえ精緻な識下域の分析として的を射たものであっても現実と夢の並列にしかなりません。『羅生門』も結局は矛盾する主張に合理的解決を与えていましたが、『マリエンバート』は男と人妻の一致も去年の約束の真実性は保証しない。『81/2』 はむしろ『キートンの探偵学入門』(24年・米)、『虹を掴む男』(47年・米)のような夢想家コメディの系譜に連なるものでしょう。