アラン・レネの『去年マリエンバートで』(61年・仏)とフェデリコ・フェリーニ『81/2』(63年・伊)の比較からさらに浮かぶのは、「悪意」の介在です。『マリエンバート』はおそらくレネ自身の資質ではありませんが、脚本のロブ=グリエが映画に非常に挑発的な悪意を潜ませているのが感じられます。この悪意が映画を引き締まったものにしており、レネの前後作で、やはり小説家の書き下ろし脚本を用いた『二十四時間の情事』(59年・仏)『ミュリエル』(63年・仏)とも異なる特色です。
『81/2』のラストシーンは演劇のカーテンロール仕立てで、主人公の「人生は祭りだ。共に楽しもう」という台詞とともに虚実取り混ぜたこの映画の全登場人物が踊りながら行進していくというものでした。フェリーニが33歳、34歳で巨匠たる地位を確立したモラトリアム青年の『青春群像』(53年・伊)にしろ、旅芸人の悲話『道』(54年・伊)にしろ、悲痛な題材を扱いながらも暖かい視点が光り、後者などはほとんど神話的な域に達しています。次の『カビリアの夜』(57年)も佳作でした。フェリーニの大胆な転換は大作『甘い生活』(59年)で起ります。
『甘い生活』で行われたのは描写は従来のリアリズムながら、直進的な物語性の排除と明確なプロットの廃棄という実験でした。フェリーニがこの手法に至ったのは、八歳上の同輩ミケランジェロ・アントニオーニの影響が考えられます。
アントニオーニはフェリーニと較べれば晩熟で、国際的な評価も『女ともだち』(55年・伊)からでした。地味で手堅い作風の映画作家と見なされていましたが、映画監督・批評家たちに衝撃を与えた問題作が57年の『さすらい』でした。発端と結末はあるが主眼はそこにはなく、不連続なエピソードが緊密に絡みあいながらもプロットを形成する中心も目的も欠いた「さすらい」だけが描かれる。
だから『甘い生活』は真に実力を発揮してきた年長の同輩監督への挑戦だったでしょう。ただしフェリーニ作品は不連続なエピソードというより、オムニバス映画風に各エピソードに起承転結を持つオムニバス映画の発想の残滓があります。フェリーニには映画を派手にする癖があり、大衆性もそこに由来します。
しかしアントニオーニ60年の『情事』は『甘い生活』を一蹴する、徹底的に人間性の悪を見つめた恐るべき作品でした。