人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン(62)

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それにしても、と(偽)ムーミンは思いました、いったいどのくらい時間が経ったんだろうか。それはたぶん全員共通の困惑だ。スナフキンもスニフもフローレンも、スノークもヘムレンさんもジャコウネズミ博士もヘムル署長も、スティンキーもトゥーティッキもモランもフィリフヨンカも、トフスランとビフスランもミムラもミイも、たぶん全員が困惑しているはずだ。ムーミンパパとムーミンママについては、実のところよくわからない。だがそれを言えばわからない連中ばかりだともいえる。ムーミン谷には明確な時間の概念がないからだ。
お陽さまが登りまた沈む、だから一日という単位や朝昼晩くらいの区分は一応ある。だがそれを等分して時刻を定める習慣はムーミン谷の外の世界では当り前らしい―おれも図書館の本で知っただけだし、外の世界からラジオやテレビ放送を傍受するとどうやらかなり細分化された単位で時間経過は重要な概念らしい。
この谷にも学者はいる。外の世界の研究は乏しい材料からそれなりに進んでいるようだ。だが学者たちが時間の概念についてあえて研究の成果を示さないのは、時間について語るのは谷のタブーに抵触するからだとしか思えない。
それは学者たちが法と権力の立場、谷の住民を管理する立場にあるからかもしれない。今までムーミン谷は夜が明ける、陽が登る、陽が沈む、おやすみなさいというだけの時間把握だけで円満にやってきた。昨日、今日、明日より長い日付も必要ない。時間の細分化と単位化をムーミン谷に導入したらどうなるか?
まず時間把握の順応性の差が世代や種族の間で現れるだろうから、あらゆる生活環境に渡って時間概念の適用の是非をめぐって争いが生じるだろう。今ここでこれといった暴発的不満が生じないのも、具体的な時間経過を谷の住民は測れないので漠然とした不安以上には進まないからだ。
だがおれ、こうして尻尾を捕まれまいとしてびくびくしているおれは、何のためにムーミンを演じているのか。もちろん楽しみのために。だがおれは今この状況を楽しんでいるといえるだろうか?
その頃ムーミンはたまの拉致監禁も悪くないな、とくつろいだ気分でした。自由ではないけれど、普段、ムーミンが孤独になれる機会は、こんな時しかないからです。替え玉がいるのも悪くないな、とムーミンは王子様のように思いました。