人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン・改(5)

 いつの世でももっともよくわからない相手は母親です。誰もが自伝を書くならば「私の母は変な人だった」というエピソードを挟まずにはいられないでしょう。かくかくに男性女性問わず母親とは理解不可能な面があり、父親の場合は同感できるかはともかく一定のエゴイズムで解釈すれば割り切れるのに対し、母親とは渾然とした矛盾が同居した存在であると言えます。その母親ですらまた母親から生まれてきたのであって、この連鎖には頭を抱えるしかありませんが、ここムーミン谷は生殖による人口動態とはまったく無縁ですから、いつの間にかいなくなる住民がいるのと同じだけいつの間にか新入りの住民がおり、早い話が母親とは学芸会の役割のようなものでした。ですが谷の恐怖の中心はムーミンママが担っていたと言っても過言ではありません。なぜならここはムーミン谷であり、谷を形づくる住民構成はムーミンよりも立場上上位にあるムーミンママの腹づもりひとつで忽然と跡形もなく抹消できもすれば、あたかも旧知のように補填される新参者がのさばりもしたのです。その基準は千差万別としか思えず、時には谷でもとりわけ穏健で親しまれた住民が突如として消え、明らかに治安を乱す無礼者たちが我が物顔で闊歩するような不快な事態が生起することもありました。住民たちの間に不安が広がり、どうしてこんなことをとムーミンママに直談判しようではないか、という機運が高まることもありました。どうして?それはもちろん、平穏無事なムーミン谷にも時には波乱があった方が面白いからに決まっています。しかしムーミンママを刺激してしまってはかえってまずい、いくら何でもこんな不穏な状況がそうそう長く続くのを本人も望んではいないだろう、と谷の住民は日々くり返される強奪、暴行、殺戮に指のある者は指をくわえ、指のないものは床を舐めて耐えしのんでいました。さて問題は、ムーミンママにとってこれは母性の表れだったことです。すなわち谷の問題は谷の住民で解決しろということですが、本人がトラブルの種を撒いておいて高みの見物とはどういうことだ、と当然平和に暮らしていた谷の住民たちはムーミンママを吊し上げたい思いでした。それができなかったのは、ムーミンママを欠いてしまえばムーミン谷の住民はもはや自分が何者でもなくなることを知っていたからです。そしてムーミンママは言いました、これはあなたたちが望んでいたことなのよ。