マルセル・カルネの戦時下の作品『悪魔が夜来る』'42には今回散々な感想文を書いてしまったくらい観直して面白くなかったのですが、あれは自分でも不本意で感想文を書くくらいなら映画の場合に限らず良いところを見つけてこそで、『悪魔が夜来る』の場合はそれがまったく見つからない、しんどい作品でした。実はそれに続くカルネの『天井桟敷の人々』もあまり良い印象のない映画で、筆者は学生時代にリヴァイヴァル上映の有楽町の映画館の大スクリーンで初めて観ましたが、その頃バイト先の同僚だった女性から「人生の喜怒哀楽が全部入っている名作」と聞き、この人は雑誌の受け売りばかりしか話題がないような人で、取引先のサンプル商品を盗んでかけもちしていた同業種のバイト先に流すような人だったのもあって、そういう人が褒めるこの映画のどこが名作?という感想しかありませんでした。3時間級の古典映画でも学生時代に何度も観た『国民の創生』や『イントレランス』や、通俗歴史メロドラマとしてもハリウッドの大釜から生まれた4時間級のごった煮的大作『風と共に去りぬ』よりずっと貧弱な映画にしか思えませんでした。しかしその後映像ソフトで数回観直すうち、それなりに見所も見えてくるようになり、今ではやはりそれほどの名作とは思えませんがテレビ用映画のスペシャル番組程度に物語の面白さで一気に楽しめる作品という程度には観ていられるようになりました。『フランス映画パーフェクトコレクション』3セット30本もこの『天井桟敷の人々』からは戦後映画になり、ちょうど公開順からロベール・ブレッソンの第2作『ブローニュの森の貴婦人たち』が続くことになったのは、戦前フランス映画の伝統から出たカルネと、カルネより年長ながら監督デビューが遅く戦後フランス映画の革新者となったブレッソンの対照の意味でも感想文が書きやすそうな気がします。なお今回も作品解説文はボックス・セットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、映画監督の生没年、フランス本国公開年月日を添えました。
●9月15日(土)
『天井桟敷の人々』Les enfants du paradis (Pathe Cinema, 1945)*188min, B/W : 1945年3月9日フランス公開
監督:マルセル・カルネ(1906-1996)、主演:アルレッティ、ジャン=ルイ・バロー
・フランス映画界の巨匠マルセル・カルネが、パントマイム芸人バチストの恋愛模様を描いた映画史に残る傑作。下町の住民の人情も折り込んで、フランス映画の頂点に君臨し続けてきた傑作人間ドラマ。
日本公開昭和27年(1952年)2月20日、昭和27年度キネマ旬報外国映画ベストテン第3位。ちなみにこの年の外国映画ベストテンの5位までを上げると1位『チャップリンの殺人狂時代』'47、2位『第三の男』'49(キャロル・リード)、第4位『河』'51(ジャン・ルノワール)、第5位『ミラノの奇蹟』'51(ヴィットリオ・デ・シーカ)でした。敗戦7年目と思うとまずまず妥当な順位でしょう。『殺人狂時代』の1位、『河』(これはカラー作品なのも点を稼いだでしょうが)の4位はこのベストテンの見識を示すもので、『第三の男』『ミラノの奇蹟』の高評価は時代を反映しているので日本公開当時の好評も順当かな、と思えます。そこでこの『天井桟敷の人々』ですが、ドイツ占領下から解放されたフランス映画界の総力結集の大作としてフランス映画文化復興の旗印のような記念碑的作品のように観られたので、戦後の映画観客に大きな感動を呼び起こした映画と大島渚もエッセイに書いていました。しかしドイツと同盟国だった日本人がフランス人の反独抵抗運動を賛美するのが敗戦後の倒錯した思潮だったので、『悪魔が夜来る』や『天井桟敷の人々』への日本の映画批評での讃辞は日本がドイツ同様侵略戦争国だったことから目を逸らさせる欺瞞性があり、現に敗戦国日本は戦勝国アメリカ占領下が昭和27年まで続いていたような状況でした。それを思えば『天井桟敷の人々』に日本人が憧憬したのは敗戦状況下からの完全な解放だったとも取れるのですが、本作の「映画史上もっとも偉大な作品(の一つ)」という評価は西洋文化圏ではほとんど不動の評価となっており、カルネの場合全キャリアにまとわりつくのが'30年代フランス映画の「詩的リアリズム」出身映画監督という見方ですが、歴史メロドラマ大作の本作は史劇という点でもメロドラマという点でも大作という点でも「詩的リアリズム」にとどまらない巨大な叙事詩的作品と見られているようです。資料を引用するときりがありませんが、今回も公開当時のキネマ旬報の近着外国映画紹介を引いておきましょう。意外と言っては何ですが、実質的に長編映画2本分(第1部「犯罪大通り」110分、第2部「白い男」90分)の作品だけに、当時のキネマ旬報近着外国映画紹介には珍しいほど詠嘆調を入れない、必要最低限に簡略なあらすじにまとめています。
[ 解説 ]「港のマリイ」のマルセル・カルネが、「悪魔が夜来る」に引つづき三年三ケ月の歳月を要して完成した一九四四年度作品で前後篇三時間半に及ぶ長大作。「北ホテル」を除いて当時までのカルネ全作品に協力して来たジャック・プレヴェールがオリジナル・シナリオを担当、台詞を執筆している。撮影は「しのび泣き」のロジェ・ユベールと「みどりの学園」のマルク・フォサール、音楽は「港のマリイ」のジョゼフ・コスマと「めぐりあい」のモーリス・ティリエで、パントマイム場面の音楽はジョルジュ・ムウクの担当。音楽監督はコンセルヴァトワアルのシャルル・ミュンク(現在ボストン交響楽団の常任指揮者)である。美術はアレクサンドル・トローネ、装置)はリュシアン・バルザックとレイモン・ガビュッティが受持っている。出演者は「しのび泣き」のジャン・ルイ・バロー、「悪魔が夜来る」のアルレッティ、「火の接吻」のピエール・ブラッスール、「オルフェ」のマリア・カザレスを中心に、「バラ色の人生」のルイ・サルー、「悪魔が夜来る」のマルセル・エラン、「パリの醜聞」のピエール・ルノワール、以下ガストン・モド、ジャーヌ・マルカンらが大挙出演する。一八四〇年代、ルイ・フィリップ治下のパリ繁華街を舞台に、とりどりの人間群が織りなす人生の色模様をバルザック的な壮麗さで描いたカルネ・プレヴェルの代表作。劇の中心をなすバチスト・ドビュロオとフレデリック・ルメートルは共に実在の人物で、前者は本名シャルル、パントマイムのピエロ役の近代的創造者として知られている。
[ あらすじ ]第1部「犯罪大通り」1800年代のパリ。タンプル大通り、通称犯罪大通りで裸を売りものにしている女芸人ガランス(アルレッティ)はパントマイム役者バティスト(ジャン・ルイ・パロー)と知り合いになった。パティストは彼女を恋するようになった。無頼漢ラスネール(マルセル・エラン)や俳優ルメートル(ピエール・ブラッスール)もガランスを恋していた。パティストの出ている芝居小屋「フュナンピュール」座の座長の娘ナタリー(マリア・カザレス)はバティストを恋していた。ガランスにいい寄るにしてはバティストの愛はあまりに純粋であった。ラスネールといざこざを起したガランスは「フュナンビュール」に出演するようになった。ガランスの美貌にモントレ-伯(ルイ・サルー)が熱をあげた。 第2部「白い男」5年後、バティストはナタリーと結婚、一子をもうけていた。ガランスは伯爵と結婚していた。人気俳優になったルメートルのはからいでバティストはガランスに劇場のバルコニーで会うことが出来た。一方、劇場で伯爵に侮辱されたラスネールは風呂屋に伯爵を襲って殺した。バティストはガランスと一夜を過ごした。翌朝、バティストの前に現れたナタリーと子供の姿を見たガランスは、別れる決心をした。カーニバルで雑踏する街を去るガランスを追ってバティストは彼女の名を呼び続けた。
――第2部がヒロインが伯爵夫人となっているのは、第1部の結末でラスネールが起こした強盗事件にヒロインの関与が疑われて警察に「この方を呼んで」と伯爵の名刺を渡した幕引きからです。また偽盲人の乞食を演じるガストン・モド、劇団に衣装や小道具の用立てで出入りする故買屋を演じるピエール・ルノワールなど主人公たちの恋愛ドラマには直接関わらず映画のムードに厚みを与える人物はあらすじからは省かれていますが、『悪魔が夜来る』ではどうしちゃったのというくらい冴えのなかったプレヴェール脚本が本作では適度に緊密で適度に緩い人間ドラマを上手く作り上げています。昔「ネオ歌舞伎」などという売り文句で歌舞伎の現代劇的演出上演が流行った時期がありましたが、この映画は良かれ悪しかれそういうもので、娯楽性第一に観て楽しむものでしょう。チャップリンやロイド、キートン、ロン・チェイニーなどサイレント時代の真の名優の映画を観てしまうと、本作のジャン=ルイ・バローのパントマイム劇は演劇として舞台を観れば素晴らしいのでしょうが、映画で延々映されてもまったく面白みのないもので、舞台劇シーンをまるごと挿入しているのをカットすれば本作は前後編合わせて2時間程度で済んだはずですが、すし詰めの円筒形劇場の雰囲気込みのムード演出としてはこれも手なので、贅肉の多い映画ですがバスト自慢の女性みたいなものでしょう。胸の谷間や肩や背中の露出を強調する服飾趣味はフランスの民族衣装みたいなもので、それに文化的に高い美を感じる人は本作はもっと精神的な高さも感じるのかもしれませんが、手のこんで構えがでかい割には年齢相応・境遇性格相応の登場人物たちの説得力(アルレッティが包容力のある年増なのでもてるのも、マリア・カザレスがけっこうきつい性格が仇になっているのもわかります)はそれなりにあるものの案外普通のメロドラマ、観直し終えてみると意外と大作感の稀薄な娯楽作という感じで、これだったらヒロインも男も悲惨な運命に翻弄されながら徹底して傲慢な意地を貫きすれ違う『風と共に去りぬ』の方が上かな、とも思えますが、あれも『天井桟敷の人々』も意図するところはナショナリズムの鼓舞に役立つ大娯楽大作だったでしょうから、彼此はお国柄の違いの次元の話でしょうか。なお音楽監督シャルル・ミュンクはのちの大指揮者シャルル・ミンシュです。
●9月16日(日)
『ブローニュの森の貴婦人たち』Les Dames du Bois de Boulogne (Les Films Raoul Ploquin, 1945)*85min, B/W : 1945年9月21日フランス公開
監督:ロベール・ブレッソン(1901-1999)、主演:ポール・ベルナール、マリア・カザレス
・恋人に本意ではない別れの言葉を告げた女。しかし、男も同じ気持ちだったと返され、去られてしまう。女は男へ復讐を果たそうと、娼婦の過去をもつ女を紹介するが……。演出は「罪の天使たち」のR・ブレッソン。
日本劇場未公開、DVD発売平成15年(2003年)8月。ロベール・ブレッソンは年齢はヒッチコックより2歳下、ブニュエルより1歳下なだけでワイラーよりも2歳年上なくらいですが、長編監督デビューは'43年の『罪の天使たち』と遅く、82歳の監督作『ラルジャン』'83が遺作となるまで40年間(沒年まで新作企画を温めていたそうですから沒年までなら56年間)に長編13作しか残さなかった寡作の映画監督で、寡作の映画監督としてはエイゼンシュテイン、ドライヤー、アントニオーニ、キューブリック、タルコフスキーといった監督たちに並びます。一部の映画マニアの間でのブレッソン崇拝はたいへんなもので、ほとんど神格化された映画監督と言ってよく、反商業主義的な作品づくりを続けてきたこともありブニュエルを賞賛する批評家やマニアのブレッソン評はさながら聖者を崇めるがごとくで、戦後ヨーロッパ映画の原点を戦後ヨーロッパ映画の潮流全体からロベルト・ロッセリーニとロベール・ブレッソンの二人と考察したのは佐藤忠男氏(『ヌーベルバーグ以後』中公新書、昭和46年)でしたが、ブレッソンに対してニュートラルなのは『抵抗』'56や『スリ』'59を普通に新作映画として観ていた佐藤氏までの世代で、『スリ』の頃にすでにフランス本国でブレッソンの神格化が始まっていた以降にそれに乗っかって語られるようになってからはいけません。普通に他の映画監督同様に作品を追っていくと、長編デビュー作『罪の天使たち』はカトリックの尼僧院を舞台にした、レズビアン的というよりモノセックス的な閉鎖的なムードで描かれた若い尼僧たちのドロドロの愛憎劇で、これは女性だけで厳しい規律と上下関係を形成している集団でしたら相当普遍性のある内容ですから今観ても面白く、またブレッソンの映画がスタイルの確立を見たのは第3長編『田舎司祭の日記』'50以降というのが定評ですが『田舎司祭の日記』『抵抗』『スリ』では会話は最小限に切り詰められている替わりに字幕が多用され、全編に主人公のモノローグ(ナレーション)が流れるし音楽もまだ使われている。モノローグも音楽もなくなるのは『ジャンヌ・ダルク裁判』'62からで(ただし同作にともなってドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』を批判しているのは観客にしてみれば岡目八目ですが)、それ以前のモノローグ作品は『田舎司祭の日記』では成功しているが『抵抗』と『スリ』では不要な饒舌に陥っていると思います。ストイックな映像スタイルなら『罪の天使たち』でも始まっていて、またブレッソン映画の登場人物たちは孤独な人間ばかりですが、『罪の天使たち』のような閉鎖的人間関係を描いたものは以降はないので、この第2長編『ブローニュの森の貴婦人たち』も『罪の天使たち』とも『田舎司祭の日記』以降とも切れた位置にある作品です。本作は劇場未公開、DVD発売のみ(それ以前はシネクラブ等の特殊上映のみ)の作品なので、キネマ旬報映画データベースでの解説紹介文と、通販サイトAmazonでの作品説明文をご紹介しておきます。
[ 解説 ] 哲学者ディドロの原作を、詩人、ジャン・コクトーが台詞を担当し、ロベール・ブレッソン監督が映画化。恋人・ジャンを試すために別れを告げたエレーヌだが、期待と裏腹に別れを承諾されてしまう。裏切られたと感じたエレーヌは復讐を画策する。【スタッフ&キャスト】監督・脚本:ロベール・ブレッソン 原作:ドニ・ディドロ 台詞:ジャン・コクトー 撮影:フィリップ・アゴスティーニ 出演:ポール・ベルナール/マリア・カザレス/エリナ・ラブルデット/リュシエンヌ・ボゲール
[ 説明 ](Amazonレビュー) ロベール・ブレッソン監督作『ブローニュの森の貴婦人たち』は、愛と嫉妬が渦巻き、復しゅうとつぐないが交錯するメロドラマだ。ブレッソンの野心と、監督としての妥協案とのあいだに、心もとない緊張感が見え隠れしている。 美しいが嫉妬深い上流階級の貴婦人エレーヌ(マリア・カザレス)は、長年の恋人ジャン(ポール・ベルナールがいささか弱々しい役柄を演じている)の愛情をかきたてようと、心にもない別れ話を切り出す。しかし、あろうことか、あっさりと同意されてしまった。恨みをつのらせたエレーヌは、入念な復しゅうを企む。ひどく貧しい家計を助けるため、男たちを「楽しませること」までしている若いダンサー、アニエス(エリナ・ラブルデット)――彼女は母親(リュシエンヌ・ボゲール)に「私なんて売春婦も同然よ!」と叫んでいる――に、ジャンが恋をするよう仕向けた。そしてエレーヌはついに、公衆の面前でジャンに恥をかかせたのだった――。 身振りは大袈裟で芝居がかっているが、台詞の口調は実に控えめだ。芸達者な俳優をそろえ、ジャン・コクトーが台詞を磨き上げた(脚本は哲学者ドニ・ディドロの小説『運命論者ジャックとその主人』からの翻案)この作品は、古典フランス映画らしく様式化された台詞と、心理劇的な色合いをもつ演技によって、はっきりと特徴づけられている。こうした特徴は、ブレッソンの後期の作品にはまったく見られないものだ。簡素なセットと筋立て、ツボにはまった演技、そして感動的で心温まる結末からも、監督の手腕がうかがえる。ブレッソン監督みずからが認めた代表作ではないが、ここでストーリーを淡々とつづっていった彼の厳格な姿勢は、第3作『田舎司祭の日記』において大輪の花を咲かせている。(Sean Axmaker, Amazon.com)
――ブレッソンは基本的に自作脚本でのみ映画を製作した監督ですが、本作は例外的にジャン・コクトー(1889-1963)にブレッソンによるディドロの小説の小エピソードからの現代版の脚色台本の台詞監修を依頼しています。詩、小説、批評、戯曲、イラストと何でもこなして'32年には監督作の実験映画『詩人の血』、本作前年に『悲恋』'43の原作・脚本があり、'46年の『美女と野獣』から本格的に劇映画の監督に乗り出すコクトーですが、のちにジャック・リヴェットの短編映画『王手飛車取り』'56が「コクトーよりコクトー的」と言われたくらい本作も初めて観るとまるでコクトーが本格的な映画監督進出後に作った『双頭の鷲』'48や、ロッセリーニのコクトー原作の『アモーレ』'48みたいにコクトー的に見えるのですが、今回たまたまマリア・カザレスが準ヒロイン役の『天井桟敷の人々』と続けて観たせいか、またポール・ベルナールが情けない不良息子役だったのはフェデーの『ミモザ館』'35でしたが、マリア・カザレスが高飛車な役ですごいのがコクトーの『オルフェ』'50ですが、年齢差で置き換えれば『ブローニュの森の貴婦人たち』のマリア・カザレスと貧しい母子家庭の娘アニエス(エリナ・ラブルデット)を『天井桟敷の人々』のようにアルレッティ(『悪魔が夜来る』では悪魔の使いの女役でした)を貴婦人、カザレスをアニエス役という具合にもできるので、本作のカザレスは実に嫌な女の役を演じてはまり役ですが、映画の結末をかりそめの苦いハッピーエンドとしてもカザレスの役は一時的な復讐心の満足でしかないのでアニエス母子のパトロネアにまでなって経済的にも労力と時間も費やしてここまでする有閑婦人の執念と倦怠が気の毒になってくる、とも見えるのです。『天井桟敷の人々』のナタリー役も恋人一途なのが現実にはかえってうとましがられるような性格で、あまり褒めなかった割にはそこらへんはプレヴェール脚本とカルネ演出はきちっと押さえているので感心しましたし、カザレスの演技も十分に役柄を理解したものでした。本作のカザレスは結果が実れば自分自身には何も残らないような徒労に向かって一途に邁進するキャラクターなので、その原動力は破滅的衝動で、別れた恋人のベルナールは完全に手玉に取られてしまうのですが、ベルナールの中途半端な性格もカザレスの計算通りならば結末も中途半端なベルナールの性格が受け入れたハッピーエンドということになり、実際観ていてこいつはそういうやつなんだよな、とこの結末を不自然には感じません。台詞監修はコクトーでも映画自体の構想はそれほどコクトー的ではないと感じるのはそうした仕上がりになっているからで、この手練れた路線の映画監督にブレッソンが進まなかったのは愛憎メロドラマはこの1作でやり切った気持だったのかもしれません。