人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年9月21日・22日 /『フランス映画パーフェクトコレクション』の30本(11)

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 いやあ観た観た。これを書いている現在では『フランス映画パーフェクトコレクション』の『天井桟敷の人々』『巴里の屋根の下』『舞踏会の手帖』の3集・30作を全部観直し終えているのですが、『フランス映画パーフェクトコレクション~ジャン・ギャバンの世界』の既刊3集('53年度までのパブリック・ドメイン作品ですから、たぶん続刊はなし。出るとしたら助演時代の作品ばかりになります)収録作品を年代順に観てきた時は、一人の俳優の主演作品を('53年までですが)全部観る中で、趣向の違いや出来不出来もあって適度にバラつきがあるのが楽しく観続けられました。これは監督ごとに年代順に観る際でもそうです。しかし今回9月に観た3集となると『ジャン・ギャバンの世界』とは重複しない(つまりギャバン出演作品以外の)トーキー以降のパブリック・ドメイン作品、つまり'30年~'53年のフランス映画の著名作を手当たり次第に集めてあり、しかも9月末発売に『情婦マノン』、10月末に『嘆きのテレーズ』と今のところさらに続刊2セット・20作品が追加されますから、シリーズ名に謳ってあるように、個人個人の嗜好はともあれまさしくこれぞ往年のフランス映画の名作を網羅するようなセレクションがされています。はなはだ贅沢な話ですが美食ばかり続けてくると駄菓子の味も恋しくなりますし、美食というのとはちょっと違うとすれば何と言ったらいいものか。必ずしも似たような映画ばかりではないのですがうまい話が多すぎるという感じがして、いわゆる「うまい話」を破った映画でもその破り方もまたうまいので、それが文化的土壌に由来する自意識の高さでもあり限界にもなっているように思えました。文化的に不安定なアメリカやドイツ、日本のような国に突発的に鋭い映画が生まれるのもそれなりの必然があるわけです。『フランス映画パーフェクトコレクション』には10代の頃に初めて観て感激した作品も数々あり、個々の監督、映画を観れば今回30本まとめて観直してほとんどが面白かったのですが、それは別にフランス映画だからでも名作(著名作)だからでもなく、作品ごとの力から来る面白さという気がしました。なお今回も作品解説文はボックス・セットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、映画監督の生没年、フランス本国公開年月日を添えました。

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●9月21日(金)
『オルフェ』Orphee (Les Films Andre Paulve, Films du Palais Royal, 1950)*95min, B/W : 1950年9月20日フランス公開
監督:ジャン・コクトー(1889-1963)、主演:ジャン・マレー、マリア・カザレス
・詩人で音楽家オルフェウスは、死んだ妻を取り戻すため竪琴を鳴らし、死者の国へと乗り込んでいき……というギリシャ神話のオルフェウス伝説を、映像美と幻想的な世界観で現代に置き換えた作品。

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 日本公開昭和26年(1951年)4月17日、マリア・カザレスはこの年1月公開の『パルムの僧院』'47で出演作品が日本初紹介だったようです。この頃はまだ日本が戦局によって映画統制を始めた'39年~敗戦年の'45年までの外国映画の旧作と新作が入り混じって公開されていたので、カザレスが準ヒロインで出演している『天井桟敷の人々』も日本公開はようやく昭和27年('52年)2月なので、『天井桟敷の人々』より5年後のカザレスのヒロイン主演作『オルフェ』の方が話題性から先に公開され、これはコクトーの商業映画監督作第1作『美女と野獣』'46(日本公開昭和23年='48年1月、昭和23年度キネマ旬報外国映画ベストテン6位)の好評を受けたものだったでしょう。『美女と野獣』に続くコクトー映画『双頭の鷲』'48が昭和28年('53年)6月がその次の『恐るべき親達』'48(日本公開昭和24年='49年7月)、『オルフェ』より日本公開が遅れたのはやはり内容が高踏的すぎると見られたと思われるので、コクトー作品はジャン・マレーの主演もあって待望されていたでしょうから家庭悲劇『恐るべき親達』も公開されましたが『双頭の鷲』の難解さはなくとも重い現代劇だったので、ファンタジー映画の要素がある『オルフェ』はフランス公開から半年ほどで日本公開される歓迎を受けて昭和26年度キネマ旬報外国映画ベストテン第4位入りしたのでしょう。この年度は1位『イヴの総て』、2位『サンセット大通り』、3位『わが谷は緑なりき』、5位『邪魔者は殺せ!』で『わが谷~』は戦時中の旧作でなければ『イヴ~』『サンセット~』を退けて1位だったでしょうし、5位はキャロル・リードのこの頃の人気が反映しており、6位に興行成績は悪かったらしい『悪魔の美しさ』が入っているのはやはりルネ・クレールのカムバック作への歓迎がうかがえます。本作に戻ると、1889年生まれですからチャップリンと同年生まれのコクトーが、戦後のフランス映画界に商業映画監督としてデビューして、年齢的にはコクトーより10歳あまり若い'30年代監督や戦後映画の監督たちに較べてもずば抜けて吹っ切れた瑞々しい感覚の映画を専業商業映画監督も舌を巻くような出来ばえに仕上げているのは本当に驚異的で、戦前の実験映画『詩人の血』'32が文学者の余技らしい意欲的ながらアマチュア映画の観は拭えなかったのとは比較にならない飛躍を遂げています。コクトーは世代的には'20年代のサイレント時代の監督たちと同世代ですが、実際のコクトーと同世代のサイレント時代からの監督はアベル・ガンスとマルセル・レルビエ、ジャック・フェデーが'30年代までは健闘していたくらいで、コクトーのように60歳近くなって本格的な映画監督になり爆発的な創造力を見せたのは他にすぐ例を思いつきません。コクトー自身がずっと映画に関心を寄せていたのはチャップリンの『黄金狂時代』へのいち早い絶讃や、'53年にジャン・エプスタン(1897-1953)への追悼文でエプスタン初期の代表作『まごころ』'23をジャン・ヴィゴの『アタラント号』'34になぞらえているのでも高い見識を示しており、コクトーの映画はサイレント時代からいきなり'30年~'45年のトーキー時代をすっ飛ばして突如現れた観があります。つまりコクトーはその間のフランス映画と無関係にゼロからコクトー自身の考えるトーキー映画を作り出したような人なので、『双頭の鷲』や『オルフェ』は60歳でなお青年という恐ろしい映画監督の映画になっています。コクトーがまだ20~30代の青年作家だった頃から詩や戯曲、小説、エッセイに書いてきたオルフェや死の女王、アゴニース、天使ウルトビーズのイメージがジャン・マレーやマリア・カザレス、ジュリエット・グレコ、フランソワ・ペリエコクトーの理想とする容姿をそなえた息子や娘の世代の現代フランスの青年俳優に演じさせているのですから、コクトーの映画はコクトーの夢の実現だったでしょうし、これほど強烈に個人的で個性的だったコクトーの映画が他の現代フランス映画には似ていなくて、映画がもっと夢の中の産物だったようなガンスやレルビエ、デリュック、エプスタンらサイレント時代の監督の映画と地続きなのはわかるような気がします。トーキー以降にコクトーに近い感覚で映画を作っていたのは早く挫折したクレールや'30年代末には亡命を余儀なくされたルノワール、夭逝したジャン・ヴィゴくらいで、やはり40歳過ぎて監督になり孤立した存在だったブレッソンと意気投合した(すぐ袂を分かちますが)のも同じような立場だったからでしょう。『双頭の鷲』『恐るべき親達』がブレッソンに通じるストイックな作風だったのに対して『オルフェ』はメルヘン作品『美女と野獣』と空想性では通うものの今ならダーク・ファンタジーと呼ばれるような奔放な発想の作品で、着想は長年コクトーがいろいろな形式の文学作品で温めてきた内容を集大成したものですが、18世紀の古典を原作とする『美女と野獣』よりも神話の現代化としてコクトー自身が原案・脚本を書いた本作の方が各段に文芸映画色もなく、シナリオ段階の完成度も高いのでリメイクが作られても良さそうなものですが、コクトー自身がこれほどの決定版を映画にしてしまったらさすがにリメイクの余地なし、作っても絶対およばないということでしょう。公開当時のキネマ旬報近着外国映画紹介も本作のあらすじは過剰な意味づけはせず、比較的簡略に紹介しています。
[ 解説 ] ギリシャ神話のオルフォイス伝説から「恐るべき親達」のジャン・コクトーがシナリオを創造(コクトーには戯曲『オルフェ』もある)、自ら監督に当った一九五〇年度ヴェニス映画祭監督賞受賞作品。撮影は「密告」のニコラ・エイエ、音楽は「恐るべき親達」のジョルジュ・オーリックで装置はジャン・ドーボンヌ。最初装置を担当する予定で物故したクリスチアン・ベラアルに作品はデディケイトされている。主演は「恐るべき親達」のジャン・マレーパルムの僧院」のマリア・カザレス「悪魔が夜来る」のマリー・デア「バラ色の人生」のフランソワ・ペリエ。以下、エドゥアール・デルミ、ロジェ・ブラン、アンリ・クレミエ、ジュリエット・グレコらが助演する。
[ あらすじ ] 詩人オルフェ(ジャン・マレー)は、「詩人カフェ」に集る文学青年達の賞賛の的であった。或日このカフェに王女と呼ばれる女性(マリア・カザレス)が来、同行者の詩人セジェスト(エドゥアール・デルミ)がオートバイにはねられて死んだので、オルフェに手伝わせて彼女は自分のロオルス・ロイスに死体をのせた。車が着いた建物で、王女はセジェストを生返らせて鏡の中に消えた。オルフェは鏡にぶつかって気を失い、目が覚めると建物はなくなっていた。車の運転手ウルトビイズ(フランソワ・ペリエ)をゆり起してオルフェは妻のユウリディス(マリー・デア)の待つ我家へ帰ったが、彼の心は王女に飛んで、車のラジオから聞える暗号に耳を傾けるのに必死だった。王女は夜毎オルフェの夢枕に現れたが、彼はそれに気付かなかった。ユウリディスは夫の心が自分から離れたと悲観していたが、或日オートバイにはねられて死んだ。ウルトビイズからこれを聞いたオルフェは、手袋のおかげで鏡を通り抜け、死の国へ出かけた。そこでは裁判が開かれ、オルフェは二度と妻を見てはならぬという条件で、ユウリディスを連れ帰ることを許された。しかし彼女は再び夫の愛を取戻せぬことを知るとわざとオルフェを自分の方に向かせて、自ら姿を消した。その時詩人達がおしよせ、友人セジェストを奪ったと非難してオルフェを殺した。王女は死の国の入口でオルフェを待っていたが、ついに自分の恋は生ある人に返すべきことを悟ってオルフェをユウリディスの許に送り返すことにした。
 ――作品によってはくどいくらいに立ち入ったあらすじを起こすキネマ旬報近着外国映画紹介ですが、本作はそっけないくらいです。主人公オルフェと妻ユウリディスの交友関係、死の国の法廷場面と、さんざん顔を合わせないようにしていたのに妻(オルフェが見ると消えてしまう刑罰をかけられている)が車の鏡に映って偶然消え去ってしまう場面(キネマ旬報あらすじの「しかし彼女は再び夫の愛を取戻せぬことを知るとわざとオルフェを自分の方に向かせて、自ら姿を消した」ではないでしょう)や、主人公が自宅に押しかける人々に弾劾されて抵抗しピストルの暴発事故で死ぬ場面など、この映画にはブラック・コメディ演出が光る場面が数々あります。コクトーも真面目にやるほどブラックになるコメディを意識しているのが押し殺した高いテンションが続く『双頭の鷲』や陰鬱な『恐るべき親達』との違いですが、公開当時本作のブラック・コメディ的側面はフランスやイタリア(ヴェネツィア国際映画祭監督賞)、日本では伝わっていたでしょうか。本作のあとコクトーの監督作は'52年に中編『サント・ソスピール荘』があり、最後の監督作は逝去3年前の、遺作を意識した『オルフェの遺言』'60になります。そのどちらも映像エッセイ的な作品(『オルフェの遺言』は自作引用的な劇映画部分と入り混じりますが)なのは、原型となる同名戯曲は'26年にまでさかのぼる『オルフェ』でコクトーとしては劇映画はやり切った思いがあったのではないでしょうか。また、ジャン・マレーは他のコクトー映画でも印象深い名演が記憶に残りますが、マリア・カザレスの死の女王役の高飛車女ぶりは圧巻で、カザレスといえば性格のキツい美女役がはまり役ですが本作の女王様っぷりは『双頭の鷲』のエドウィジュ・フィレールと双璧で、フィレールが舞台畑らしい太い声に映画では善し悪しの観があった分カザレスの方が映画向きの声なので、歴史劇ではフィレール、現代劇ではカザレスの起用は的確です。コクトーはゲイというよりプラトニックなヘテロセクシャルのタイプだったと思いますが、それが美青年オルフェの妻に清潔感のある妻(マリー・デア)を配し、高飛車女王様のカザレスによろめかせる(本作は簡単に言えば浮気と家出の話です)のは、コクトー自身の嗜好なのかコクトーから見た(考えた)普遍的な男性像なのかちょっと悩ましいところです。

●9月22日(土)
『輪舞』 (Svanfilm, 1950)*93min, B/W : 1950年9月27日フランス公開
監督:マックス・オフュルス(1902-1957)、主演:アントン・ウォルブルックシモーヌ・シニョレジェラール・フィリップ
・A・ウォルブルック扮する恋の案内役が、メリーゴーランドに乗ってメロディを奏でる。そのリズムに乗って、まさに輪舞のように連なっていく様々な男女の恋愛模様がコメディタッチで描かれたラブロマンス。

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 日本公開昭和27年(1952年)7月25日。マックス・オフュルスはドイツ出身の監督で舞台畑から映画人になり、'29年にアナトール・リトヴァク(1902-1974)作品の脚本家から映画界でのキャリアを始めたそうですからドイツ映画の'29年はまだサイレント時代なので、リトヴァクともども意外に早くから活動していた人だったことになります。こういう所にも名前が出てくるのがウィリアム・ディターレ(オフュルスと同時期にドイツ演劇界で活動していました)やリトヴァクらドイツ出身無国籍監督の恐ろしいところで、リトヴァクはジャン・ギャバン準主演のトーキー初期の名作『リラの心』'32の頃にはフランスに移っており、'30年代後半にはハリウッドに渡りますが、オフュルスもトーキー時代になってドイツで監督デビューしますが、'33年のヒトラー政権成立以後の映画統制を避けてフランスに亡命します(戦前ドイツ映画の黄金時代が'18年~'33年とされるのは'33年が統制施行前に映画が企画製作された最後の年だったからです)。フランスを本拠にしながらもフリーの監督だったオフュルスは映画製作の機会に恵まれたとは言えず、イタリアやオランダに出向いて監督作品を残したりしていますが、この時期のフランス作品中では、ハリウッドからフランス映画界に渡ってきた早川雪洲を起用した『ヨシワラ』'37は戦後外国映画の輸入がGHQの検閲通過作品のみ許可されるようになってフランス映画では初の日本公開作品(昭和21年='46年2月)になります。これがオフュルス作品の日本初紹介で、オフュルスはドイツのフランス侵攻に伴い'41年にはハリウッドに渡りますがここでもなかなか監督依頼が取れず、ようやく戦後にダグラス・フェアバンクスJr.主演の『風雲児』'47(日本公開昭和24年='49年5月)が作られ、これが日本紹介されたオフュルスの2作目になりました。フランス映画界への復帰作である本作『輪舞』'50に続いてようやくオフュルス作品は『快楽』'52(日本公開昭和28年='53年1月)、アメリカ時代の『忘れじの面影』'48(日本公開昭和24年='49年7月)、『たそがれの女心』'53(日本公開昭和24年='49年12月)、カラー超大作の遺作『歴史は女で作られる』'56(日本公開昭和31年='56年3月)と順調に公開されるようになりますが、ジェラール・フィリップ主演作のモディリアーニの伝記映画『モンパルナスの灯』製作当初に逝去、同作はジャック・ベッケルが'58年に完成させることになります。『輪舞』はオフュルスの実り多かった晩年7年の劈頭を飾る鮮やかな成功作で、英国アカデミー賞作品賞、ヴェネツィア国際映画祭脚本賞美術賞を受賞し、米アカデミー賞脚色賞・美術賞にノミネートされる国際的な評価を受けます。日本でも高く評価されたのにオフュルス作品のキネマ旬報ベストテン入りがないのは、見事な出来ばえだし素晴らしいが、オフュルスはあまりに大時代なメロドラマばかりで現代映画と言えるだろうか、と一種の復古主義映画として見られたからのように思われます。淀川長治氏の回想録に『歴史は女で作られる』の試写会で谷崎潤一郎と顔を合わせたら谷崎は「面白くなかった」と言うので淀川氏は同作を絶讃したそうですが、谷崎は助平親父である以上に下手物趣味の新しい物好きなのでオフュルスが肌に合わなかったのは正直な意見で、親子ほどの歳の差こそあれ映画鑑賞のプロ中のプロの淀川氏に率直な感想を洩らして失笑を買った谷崎のこのエピソードは微笑ましいものです。オフュルスはドイツ時代にも最後の年にシュニッツラー原作の『恋愛三昧』'33がありますが、ナチス政権の映画統制は'33年以前のほとんどの映画を「頽廃芸術」として上映禁止にしたので、もちろん新体制の中で映画界にとどまった映画人も数多くいましたが、この年を期に戦中~敗戦後までにハリウッドに渡ったドイツ圏の映画人(スタッフ/キャスト)は1,500人あまりにおよぶそうです。オフュルス作品がすぐに映画統制に触れることになったのは想像に難くなく、ドイツ時代・ハリウッド渡米後の作品のほとんどが上映禁止指定されてドイツの市民権を剥奪されたルビッチなどはこの時期ハリウッドから一時帰国し、一族郎党をアメリカに亡命させているほどです。サイレント時代からすでにアメリカで巨匠の地位を築いていた先輩監督ルビッチと違い、オフュルスは'30年代のフランスでも'40年代のアメリカでも恵まれた境遇とは言い難かったので、ようやく認められて製作ペースが軌道に乗ったのは『輪舞』からと言えて、『輪舞』が'50年で遺作『歴史は女で作られる』が'56です。溝口健二はオフュルスより年長(1898-1956)ですし監督歴も古く('23年デビュー)基本的には生涯映画会社勤めの監督でしたので作品数も各段に多く大きなブランク期間もない監督でしたが、爆発的に大成したのが'52年の『西鶴一代女』で遺作『赤線地帯』が'56年、少し広げても戦後の復調は'50年の『雪夫人絵図』からとオフュルスと時期まで重なっており、もちろん戦後にも『夜の女たち』'48のような単発の佳作はありますし溝口は戦前にも数回ピークがある多力者の大家ですから単純な類縁は結べませんが、溝口の遺作『赤線地帯』の公開が'56年3月と『歴史は~』日本公開と同月ですからオフュルスの『輪舞』~『歴史は~』までの作品は溝口健在中に日本公開されているので、体調を崩して次回作『大阪物語』の撮入を延期し入院療養したのが5月、当時治療法のなかった白血病の末期と本人告知されず逝去したのが8月末ですから溝口がオフュルス作品を生前観ていたのかが気になります。『怒りの日』'43以降のカール・Th・ドライヤー作品は溝口生前に1作も日本公開されませんでしたし、戦後監督のウェルズやベルイマン、アントニオーニ作品の紹介も溝口沒後になりましたが、この時期溝口が戦前に始めていた長い長いワンシーン・ワンカットの撮影法を独自の発想で行っていた監督で日本に紹介されていたのはオフュルスで、ロッセリーニもそうですがロッセリーニの場合はセミ・ドキュメンタリー的な方法と解釈されていた時代でした。もっとも人生肯定的なオフュルスの映画はルノワールに通じるもので、無常観漂う非情な溝口の映画とはまるで異なるおおらかなものです。公開当時のキネマ旬報近着外国映画紹介では次のように紹介されています。「未知の女からの手紙」とあるのは当時日本未公開だった『忘れじの面影(Letter from an Unknown Woman)』のことです。
[ 解説 ] アルトゥール・シュニッツラーの戯曲『ラ・ロンド』の映画化一九五〇年作品。監督者マックス・オフュルス(在米時代「未知の女からの手紙」や「風雲児」あり)と「赤針嶽」のジャック・ナタンソンが協同脚色した。尚オフュルス監督には最近作「快楽」がある。撮影は「青髭」のクリスチャン・マトラ、音楽はオスカー・シュトラウスの担当である。登場人物が一人づつ順ぐりに組合さる題材の性質上、俳優はトップランクのスタアが揃えられている。即ち「老兵は死なず」のアントン・ウォルブルック、「宝石館」のシモーヌ・シニョレ、「処女オリヴィア」のシモーヌ・シモン、「五本の指」のダニエル・ダリュー、「乙女の星」のオデット・ジョアイユー、「鉄格子の彼方」のイザ・ミランダ、「二百万人還る」のセルジュ・レジアニ、「狂恋」のダニエル・ジェラン、「快傑ゲクラン」のフェルナン・グラヴェ、「天井桟敷の人々」のジャン・ルイ・バロー、「愛人ジュリエット」のジェラール・フィリップである。
[ あらすじ ] 一九〇〇年のウィーン。狂言まわし(アントン・ウォルブルック)の解説によって、恋の輪舞が語られる。売笑婦(シモーヌ・シニョレ)は兵隊(セルジュ・レジアニ)を恋している。彼を強引に誘惑しようとするが、逃出した兵隊は可憐な小間使い(シモーヌ・シモン)をだましてたやすく純潔をうばってしまう。小間使いの若主人(ダニエル・ジェラン)はドン・ファンを気取る小説狂で先ず彼女を恋愛術の小手試しにした上、上流の人妻(ダニエル・ダリュー)の処へ出かけ、苦心の末やっと獲得する。この人妻の夫(フェルナン・グラヴェ)は妻がめきめき美しくなって来たので有頂天だが、彼にも売子(オデット・ジョアイユー)という相手がある。このおぼこの売子にも、後を追う男は沢山いる。その中でも一番面白いのは自惚れ屋の詩人で劇作家(ジャン・ルイ・バロー)だ。しかしこの劇作家の本当に目指す相手は情熱的な女優(イザ・ミランダ)であった。彼女はすべてを知りつくしながら情にもろい。この彼女をとりまく男のうち、最も彼女をのぼせさせたのは若い金持の伯爵士官(ジェラール・フィリップ)である。彼は女優に連れられて一晩中遊びまわりそして彼が目を覚したのは、以前彼の部下が抱いた売笑婦の部屋だった。彼は彼女を純潔の天使だと思いこんだ。
 ――このキネマ旬報のあらすじは手際よくすっきりしています。こうして男女関係ごとに片方が別の相手に出会っていく場面ごとに語り手のアントン・ウォルブルックがその場に居合わせた人物(ウェイター、劇場の案内係、などなど)に扮して登場人物に暗示的な示唆をしたり、からかったり、観客に向いて状況や進行を説明したり予告したり、ベッド・シーンではフィルムをカットしてみせたり(!)します。シュニッツラーの原作戯曲はもともと読んで面白い戯曲を意図した会話体小説というべきもので、モダンな艶笑文学として大正時代から日本でも人気があったので、森鴎外も長編小説『みれん』、戯曲『恋愛三昧』他多数のシュニッツラー作品を翻訳しています。人物のグループが構成員を替えながら場面転換していくのは小説・戯曲など物語体の常套ですが『輪舞』では男女カップル単位にまで縮小し、その一方が替わるという具合に極端に機能化したのが実験的なのに娯楽性があり、それを常に男女カップルにすれば全編色事の話になる、といういかにも頽廃したウィーン文化の香り高いのがシュニッツラーの発明で、間隔近すぎるリメイクですがロジェ・ヴァディムも'64年に『輪舞』を再映画化しています。ヴァディム版もけっこう面白かったのですがオフュルス版が成功例を見せたから、とも言えそうで、著名原作なのに本作が初の映画版『輪舞』になったのはそれまで映画化困難だと思われていたからに違いないので、原作があり本作があるから上記のキネマ旬報あらすじがあるのですが、また本作の脚本は映画賞にノミネートされたり受賞したりしていますが、このあらすじを提出して企画を通す映画会社は当時も今もないでしょう。典型的な串ダンゴ構成、本作は円環を閉じて終わるのでリングドーナッツかもしれませんが、ここには一般的なプロットの起承転結はなければテーマの集中もなく、通常なら性格や状況、物事の価値が重心を変えて変化していくのを描くのが物語でありドラマ性ならば『輪舞』では映画の最初と過程と結末まで性格も状況も価値観も何も変わらないので、「読む戯曲」なり舞台劇ならばそうした人間像は一種の抽象性を持ちますが(舞台劇では初老の女優が少女を演じることもできます)、映画のリアリティとはもっと即物的なもので、俳優の肉体に表れた実年齢や容貌、身体性を忠実に反映します。つまり現実的な生臭さが生じます。少なくともトーキー以降はそうなったので、舞台劇的な抽象性が許されていたのは映画ではサイレント時代まででした。しかし見方を変えてみればサウンド・トーキー映画でサイレント的な性格の抽象化をやってみても上手くいけばそれでいいので、年齢、容貌、身体性は配役に即すとしても「俳優が役柄を演じている」のに徹した演出ならば俳優たちは抽象化された存在で、生臭さは生じない。語り手のウォルブルックがメタ映画的存在としていたる所に先回りしている変幻自在な役柄で、直接観客に語りかけもすれば作中人物になりすましもするのは徹底した虚構の証なので、映画全体は色事ばかりに満ちあふれている人生讃歌となっているのも個々の男女関係から生臭さだけはきっちり抜いてあるからです。溝口健二成瀬巳喜男の『浮雲』'55を観て「うまいことはうまいが」と認めた上で「成瀬にはキンタマはあるのですか?」と評したのは有名ですが、溝口の映画の苛烈さからするとオフュルスの映画にも「うまいことはうまいが」に続いて激越な苦言が出てきそうです。オフュルスもヒロイン映画の『忘れじの面影』や『たそがれの女心』ではもっと酷薄に男女関係を描いているのですが、ヒロインも観客も突き放すような描き方をしても成瀬よりも激しくはないので、これは映画で描きたい世界が違うとしか言えないでしょう。オフュルスは子息がドキュメンタリー監督のマルセル・オフュルスですから円満な家庭が想像できますが(実際は知りませんが)、溝口と成瀬は夫人が慢性化した統合失調症になった大変な私生活を持った人で、高村光太郎のようにそこから『智恵子抄』を生み出した詩人もいるのですが溝口や成瀬は女性や夫婦への見方に挫折感を持った映画監督になった感じもします。オフュルスの『輪舞』は相当の自信がないとできない企画を堂々とやり抜いていて、コクトーとは違った意味でまったく従来のフランス映画を問題にしていない独立不羈の作品で、これがもともと短い間しかいなかったフランス映画界復帰第1作なのですから規格外の映画と言えるでしょう。本作と続く遺作『歴史は女で作られる』までのオフュルスのフランス作品はぜんぶ傑作になりますし、溝口同様まだ50代での急逝など予期してもいなかったでしょうから本作には老境や晩年意識は微塵も感じられません。まだドイツ=オーストリア帝国への嫌厭感が残っていたかもしれない当時、ウィーンが舞台の映画だけでも大胆な企画だったかもしれませんが、『輪舞』は'21年の初演時に風俗紊乱で告訴され上演禁止処分にされた作品ですし、シュニッツラー(1862-1931)は第一次世界大戦時には作品中の軍隊批判描写から軍位を剥奪された体制批判者の作家で、『輪舞』は1900年に私家版でのみ刊行されましたが第一次大戦後まで上演できず、いわば敗戦文学として公刊されましたがそれも告訴・上演禁止処分となった因縁の作品でした。この事件をきっかけにシュニッツラーは離婚し、隠遁生活に近い余生を送ります。オフュルスが『輪舞』を第二次大戦後に引っ張り出してきたのもかつて『恋愛三昧』を映画化したシュニッツラーの復権への意図もあったでしょう。さもなければ、どんな執念ならばこそこれほどさり気ない力技がなし遂げられるでしょうか。