人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年3月4日~6日/フレッド・アステア(1899-1987)のミュージカル映画(2)

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 この感想文を書いている段階ですでに10作を超えるアステア映画を年代順に観直し進めているのですが、1作ごとにそれぞれ違う趣向を凝らしてあるとは言え、アステア映画は基本がミュージカルになるわけです。アステアが性格俳優としてミュージカル以外の映画に出演するようになるのは'59年の『渚にて』以降ですので、今回観直す予定の'53年度までの27作目までのアステア映画はすべてミュージカル作品です。昨年4月にジャン・ギャバン(1904-1976、'32年デビュー・'34年初主演)の'53年までの出演作品30作('53年までの主演作品はほぼ網羅)をやはりコスミック出版の10枚組廉価版DVDボックス『ジャン・ギャバンの世界』全3集で観た時は、メロドラマ(しかも内容が幅広い)から犯罪映画、戦争映画やセミ・ミュージカル、SF映画まである具合に芸域の広さを堪能しましたが、フランスの国民的男性映画俳優がジャン・ギャバンなら、ほぼ同時期の国民的男性映画俳優でもジョン・ウェイン(1907-1979)の初主演作('30年)~'53年の作品となるとほとんど西部劇になってしまうでしょう。アステアもアメリカの国民的映画俳優でしょうが、西部劇が人情メロドラマから犯罪もの・戦争もの・ミュージカルまで西部が舞台なら何でもありに対して、ミュージカル、特にアステア主演のミュージカル映画というと作風の幅はぐっと狭くなり、メロドラマやコメディにしてもせいぜい近年の実在人物の電気ミュージカル程度になります。アステアのミュージカル西部劇など考えられないので、戦時中には休暇中の軍人役や、また架空の王国の宮廷ミュージカルなどもありますが、別に戦争映画でもファンタジーでもなく、アステア映画で最多のアステアの役柄はダンサーかミュージシャンであり、内容は恋のさやあてか商売繁盛です。60代からは性格俳優としての映画出演を始めてもアステアの役柄は渋い紳士であり、フランク・シナトラのように軍人や麻薬中毒者、殺し屋まで演じることはありませんでした。アステアは俳優である前にダンサーで歌手・ミュージシャンのアステアだったと言えるので、そうした意味でも唯一無二の存在だったと思えます。なお作品紹介はDVDケース裏の紹介文を先に掲げ、適宜日本公開時のキネマ旬報の新作紹介を引くことにしました。

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●3月4日(月)
ロバータ』Roberta (RKO'35)*105min, B/W : アメリカ公開1935年3月8日、日本公開昭和10年8月
監督 : ウィリアム・A・サイター/共演 : アイリーン・ダン、ジンジャー・ロジャーズ、ランドルフ・スコット
ジェローム・カーン作曲の同名ミュージカルを豪華キャストで映画化した作品。アステアとジンジャー・ロジャーズの息の合ったダンスはさることながら、アイリーン・ダンの歌唱力の凄さが光るミュージカル・コメディ。

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 初主演作『コンチネンタル』に続くジンジャー・ロジャースとの主演第2作は、手法としては準主演作『空中レヴュー時代』に戻して、恋愛ドラマは伯母の一流婦人服店を継ぐことになるランドルフ・スコットと伯母の助手だったアイリーン・ダンのラヴ・ロマンスが担うことになり、スコットの親友のアステアは旅巡業のビッグバンド・リーダーで今は社交界でヨーロッパ貴族令嬢になりすましている昔のメンバーのバンド歌手だったロジャースと再会し、ラヴ・ロマンスの比重はスコットとダンに大きいのですがダンが大スタンダードになった「煙が目にしみる」を歌うシーンもあり、アステア&ロジャース側もミュージカル仕立てのバックステージ・コメディの中にも再会した二人の間に愛が育っていく、と、ドロレス・デル・リオとジーン・レイモンドがラヴ・ロマンス担当、アステアとロジャースがミュージカル担当とはっきり分かれていた『空中レヴュー時代』よりロマンスも二組なら音楽シーンも二組それぞれに振り分けてある、より密度の高くハイライト・シーンの多い、巧妙な構成になっています。舞台劇由来とはいえ前作『コンチネンタル』では「夜も昼も」、本作では「煙が目にしみる」、さらに次作『トップ・ハット』では「頬寄せて(チーク・トゥ・チーク)」、次々作『艦隊を追って』では「レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス」とアステア&ロジャース映画は1作ごとに大スタンダードを世に送り出したので、当時('20年代~'40年代)はアメリカのポップス全般がジャズと呼ばれていたのですが、これらは黒人ポップスがリズム&ブルース系(その白人化がロックン・ロール)とモダン・ジャズに分かれても大スタンダードとして不朽の名曲になったので、アステア映画の功績の大きさを物語ります。またアステアのミュージカル映画がいわゆるミュージカル映画と違うのは、ミュージカル場面は独立した(ただし映画の進行との兼ね合いを図った)ハイライト・シーンとして挿入されるので、ドラマの最中に突然登場人物たちが台詞を歌に乗せて踊り出すミュージカル映画のような不自然さはないので、歌唱・ダンスのシーンはドラマの間に交差するように挟まれる具合になっています。これはアステアもロジャースも歌手である前にダンサーであり、歌いながらダンスするにしても重心はダンスを見せることにかかっているのでドラマの進行は一旦中断することになるのですが、アステアとロジャースをフィーチャーしたハイライト場面はドラマ部分の幕間にもなっていれば要約にもなっているのでムードは途切れることはありません。台詞をすべて歌にしてしまうオペラではなく、ソング&ダンスを挟んだレヴュー形式のショーがアメリカ流のミュージカルなので、もちろんミュージカルにもオペラ的に台詞を歌で歌う手法はありますが、アステア映画はそういうものではなくせいぜい心情を歌に託す、という形で使われる。本作でアイリーン・ダンが「煙が目にしみる」を歌うシーンがその典型です。アステア映画が古き良き時代のミュージカル映画という感じはしても、音楽や映画の仕上がりに古くさい感じはしないのは、ドラマ部分と音楽部分の振り分けが適切で無理がないのが成功しているからと言えそうです。製作費61万ドルの本作もまた『コンチネンタル』(製作費52万ドル)の興行収入180万ドルをしのぐ興行収入234万ドルの大ヒット作になりました。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ] 舞台で成功したオット・ハーバッハ作、ジェローム・カーン作曲の同名のミュージカル・コメディーの映画化で、「コンチネンタル」「空中レヴュー時代」のチーム、フレッド・アステアジンジャー・ロジャースに、「自由の翼」「秦西快盗伝」のアイリーン・ダンが加わって主演する。脚色は「小牧師(1934)」のジェーン・マーフィンが「紅雀」のサム・ミンツ及びアラン・スコットと協力して当たり、「世界一の金持ち娘」「七月の肌着」のウィリアム・A・サイターが監督し、「秦西快盗伝」のエドワード・クロンジェガーが撮影した。助演者は「森の男(1933)」のランドルフ・スコット、「紅雀」のヘレン・ウェストリー、「フットライト・パレード」のクレア・ドッド、無名時代のセシル・B・デミル作品に主演したヴィクター・ヴァルコニ、ルイ・アルバーニ等で、舞踏振り付けは主演者のフレッド・アステアが当たった。
[ あらすじ ] ジョン・ケント(ランドルフ・スコット)はフットボールの名選手であるが婚約者のソフィー(クレア・ドッド)に愛想を尽かされて、友達のハック(フレッド・アステア)がそのジャズ・バンドを率いてパリへ行くのに同行して来る。彼はパリ一流の夫人衣裳店ロバータの経営者の伯母ミニー(ヘレン・ウェストリー)の許に訪れる。ロバータの衣裳考案主任のステファニー(アイリーン・ダン)は亡命のロシアのプリンセスであるが、ジョンはそれとは知らず彼女の美貌と美名に心を引かれる。ハックはロバータで伯爵夫人シャーウェンカ(ジンジャー・ロジャース)という婦人に紹介されるが、それは誰あろう彼と同郷のリッチー・ガッツだった。そして彼女はハックとそのバンドを自分が勤めているキャバレーに斡旋してやり、ハックと彼女とのダンスはパリでの大評判となる。ミニー伯母さんの急死でジョンは衣裳店ロバータを譲られる。彼は衣裳のことは分からないのでステファニーにパートナーとして働いてくれるように頼む。彼がロバータを継承した事を知って、ソフィーは米国からばるばる訪ねてくる。密かにジョンに恋しているステファニーはこの婚約者の出現に落胆する。ところがソフィーがジョンとの仲違いの原因が衣裳の点にあることを知っているハックは、ステファニーとジョンが互いに口には出さぬが思い合っていることを知っているので、ジョンが淑女には向かないといった衣裳をソフィーに着せるようにステファニーに勧めたのである。するとソフィーはその衣裳がたちまち気に入り、早速それを着込んでキャバレーにジョンと同行する。オーバーを脱ぐとジョンは大嫌いな衣裳をソフィーが着ているので怒ってしまいとうとう2人の仲は完全に決裂してしまった。ジョンはその衣裳をステファニーが勧めたと聞いて、ステファニーの謀策だと勘違いし彼女をも罵倒して行方をくらます。主人が居なくなり、同時にステファニーも店を辞職したので、ロバータ衣裳店は大困り、ハックとシャーウェンカが主人代わりに新衣裳発表会の準備をする。ステファニーが居ないので新衣裳はめちゃめちゃである。ステファニーはお別れに来て、その醜態を見兼ね、ハックに衣裳考案の応援をする事となる。準備なってロバータの衣裳発表会は、ハックとそのバンドの奏楽に盛大に催された。ハックはシャーウェンカと共に得意の歌と踊りで興を添え、最後にステファニーも自ら新衣裳を着て歌を歌った。さすがに心にかかると見えて失踪していたジョンも来ていて、ステファニーの美しい歌に聞き惚れ、2人の和解はなった。そしてハックとシャーウェンカも幸福を獲た。
 ――パリの最新ファッション店をランドルフ・スコットアイリーン・ダンのロマンスの舞台にした本作は衣装やセットにも贅を凝らしてあり、全然実用的でない(社交パーティー以外では着ようがない)最新ファッションの婦人服の数々には思わず苦笑してしまいそうになりますが、映像的文化資料としてもこれは大したものでしょう。ランドルフ・スコット(1898-1987)はB級西部劇の大スターですが、アイリーン・ダン(1898-1990)とは本作のあとミュージカル要素のかけらもないスクリューボール・コメディの傑作『ママのご帰還』'40(監督ガーソン・ケニン、製作レオ・マッケリー)で再共演を果たしてスコット、ダンともに見事なコメディ演技を見せており、'30年代前半にはスコットはB級西部劇スターの地位を不動のものとしていたのを思うと、後輩のジョン・ウェインより役柄の幅は広く柔軟だった分、ウェインほど強烈なエモーションを感じさせないのが西部劇で大成したウェインに較べてアクの弱さに表れたかな、と痛感もします。本作のアステアとロジャースは、フェリーニが昔アステア&ロジャースのイタリア版物真似ダンス・コンビだった二人の引退芸人がテレビの「あの人は今」番組で再会する話をマルチェロ・マストロヤンニジュリエッタ・マシーナの共演で描いた『ジンジャーとフレッド』'85に近いムードで、昔恋愛関係の一歩手前で別れた男女のバンド仲間同士が再会して歳月が経った分(いろんな曲折もあり)しみじみと結ばれる、という、スコットとダンのロマンスもしみじみとしたものですが、本作のアステアとロジャースは水商売の芸人稼業の手前上辺は明るく軽薄なのですが、『コンチネンタル』のアステアのように軽くて明るい一方ではなく、アステア&ロジャースともに芸で世渡りしてきた気の張りだけではないふっとした人生の疲れ、哀歓を感じさせるキャラクターでもあるのがこの二人のロマンスの方もしっとりとした情感を感じさせる奥行きがあります。脇を固める俳優たちも存在感ある演技でドラマを支えており、スコットの性格の悪い婚約者役のクレア・ドッドなど容姿だけならダンやロジャースよりずっと美人なのですが、こうした登場人物を描いても辛辣にならないような演出の加減はさすがです。クレジット上も実際の内容もアイリーン・ダンがメイン・ヒロインのためアステア&ロジャースはパラレル・プロットの方の主演コンビという観もありますが、本作はこの仕上がりでこその名作とも思えます。

●3月5日(火)
『トップ・ハット』Top Hat (RKO'35)*99min, B/W : アメリカ公開1935年8月29日、日本公開昭和11年1月
監督 : マーク・サンドリッチ/共演 : ジンジャー・ロジャーズ
◎ロンドンに招かれたアメリカのダンス・スター、ジェリー。彼と彼の下の部屋に滞在しているデールとの恋を描いたミュージカル・コメディ。楽曲もダンスもずば抜けたアステア&ロジャーズの最高傑作。

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 アステア&ロジャースの共演作は全10作、うちマーク・サンドリッチ監督作品が5作あり、早逝の俊英監督というサンドリッチへの親愛もこめてサンドリッチが監督した5作が高い人気を誇ります。初主演作『コンチネンタル』'34、本作『トップ・ハット』、次作『艦隊を追って』'36、『踊らん哉(Shall We Dance)』'37、『気儘時代』'38がその5作ですが、この時期アステア&ロジャースは絶頂期なので前作『ロバータ』、『艦隊を追って』の次作『有頂天時代』'36、『踊らん哉』の次作『踊る騎士』'37の2作のジョージ・スティーヴンス監督作も、前者は「今宵の君は」、後者は「ア・フォギー・デイ」と後世に残る大スタンダードを生んだ作品としてもサンドリッチ監督作品に匹敵します。どの作品を推すかは楽曲の好み次第とも言えるほど充実した楽曲が揃っているので、本作『トップ・ハット』はアーヴィング・バーリン提供の5曲のうち「頬寄せて(チーク・トゥ・チーク)」がハイライト場面になりましたが、ハッピーなダンス・ナンバーとして名曲であり大スタンダードになったとしてもレヴュー・チューンでありダンス曲であって、バーリンの数々の名曲のように器楽ジャズでも愛奏される汎用性のある曲とは言えません。本作はアステア&ロジャースの最高傑作と目されることも多い作品ですし、ミュージカルの映画化ではなく映画オリジナル原案であることも点を稼いでいますが、物語やキャラクター設定の他愛なさや軽薄さは『コンチネンタル』をもしのいでもいますし、脇を固める俳優たちも『コンチネンタル』のエドワード・エヴァレット・ホートン、エリック・ローズ、エリック・ブローアがほとんど『コンチネンタル』と同じキャラクターで再登場します。離婚・求婚コメディだった『コンチネンタル』をすれ違い求婚コメディに置き換えてセルフ・リメイクしたような作品と言ってもいいので、同作同様アステアはアステア自身と言っていい国際的ダンサーの役柄で、今回はアステアが惚れてしまったロジャースは『コンチネンタル』のように離婚協議中の人妻ではなく独身女性ですが、ロジャースがアステアを親友の夫と誤解したことから話は揉めることになります。登場人物たちがお人好しの上にそそっかしいから成立しているようなロマンス・コメディですが、それを純粋可憐で躍動的な映画にしているのもドラマ部分とミュージカル場面の対比とバランスなのは『コンチネンタル』と同じで、初主演作らしい生硬さがみずみずしさになっていた『コンチネンタル』よりいっそう練れたものになっています。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ 解説 ]「コンチネンタル」「ロバータ」のフレッド・アステアジンジャー・ロジャースのチームが主演する音楽映画で、「コンチネンタル」と同じくドワイト・テイラーが書き下ろし、自ら「ロバータ」のアラン・スコットと協力して脚色し、「コンチネンタル」「メリケン万歳爆走の巻」のマーク・サンドリッチが監督に、デイヴィッド・エーベルが撮影に当たったもの。助演者は「コンチネンタル」同様エドワード・エヴァレット・ホートン、エリック・ローズ、エリック・ブローアと、舞台女優のヘレン・ブロデリックの面々である。作詩作曲はアーヴィング・バーリンの担任。
[ あらすじ ] アメリカのレビュー・スター、ジェリー・トラヴァース(フレッド・アステア)は、ロンドンの興行師ホレース・ハードウィック(エドワード・エヴァレット・ホートン)の召還を受けて出演することとなり、ホレースの乞うままにホテルに彼と同室する。ヴェニスに滞在しているホレースの妻のマッヂ(ヘレン・ブロデリック)からジェリーと夫のホレースに週末にぜひ来い、会わせる友人があると言って来る。ジェリーは愉快になり、歌って踊って1人で大はしゃぎをする。その部屋の真下に陣取っているアメリカ娘のデール・トリモント(ジンジャー・ロジャース)は、うるさいので憤慨してホテルの支配人に文句を言う。それでも効き目が無いので怒ったデールは寝巻き姿で飛び出して抗議にやって来る。美しいデールの抗議に恐縮したジェリーはへどもどしながら詫びる。それに好感を抱いたデールの怒りはとけ、ジェリーの踊りのリズムを口ずさみながら眠った。翌日乗馬の稽古に出掛けるデールが乗った馬車は馭者に変装したジェリーが馭して行った。稽古の途中で雨に逢いデールが音楽堂に避難すると馭者姿のジェリーが駆けつけて歌と踊りでデールと親密になる。ホテルは帰ると彼女はヴェニスのマッヂから週末に遊びにこい、との電報を受ける。そしてデールがマッヂの夫の部屋の番号を聞いて訪ねると、そこにはジェリーがいたので彼女はジェリーがマッヂの夫ホレースだと思い込み、恋心を感じていただけに悲観してしまう。ジェリーもホレースが飛行機でヴェニスへ行くと、マッヂが紹介する友人というのはほかならぬデールだった。ところがその紹介振りがぞんざいだったので、デールはジェリーがマッヂの夫だと確信し、彼を避けようとする。それにも係わらず彼女はジェリーを熱愛しているのを感じて衣装屋のアルベルト(エリック・ローズ)と結婚する。それを知ったマッヂはホレースが鈍感だからと叱りつける。それで今までの間違いが判ってジェリーはデールとゴンドラ遊びに出掛け、カーニヴァルのお祭り騒ぎにいきあわせ、2人はピッコリーノを踊り狂った。そして彼女とアルベルドの結婚は、ホレースの召使ベイツ(エリック・ブローア)が牧師に変装して司会したので無効である事が判った。かくてロンドンに帰った時デールをジュリーは舞台でのパートナーとしたばかりでなく、生涯のパートナーとした。
 ――製作費60万ドル、興行収入300万ドルを突破した本作は世評も高く驚異的大ヒットとなり、アカデミー賞の作品賞、美術賞、振付賞、主題歌賞の4部門にノミネートされました。アメリカ国立フィルム登録簿の第2回('90年)に真っ先に登録されたアステア&ロジャース映画でもあり、第1回と合わせると1980年までのアメリカ映画中のベスト50に入選した作品となります。またウディ・アレンの監督作『カイロの紫のバラ』'85のラストシーンでヒロインが映画館で観入るのも本作の「頬寄せて」のシーンが使われ、高い人気がうかがえます。アメリカ人なら子供の頃からテレビで観て、劇場で上映される機会があればまた足を運ぶような国民的作品なのでしょう。アメリカ人ではない筆者ですら10代の頃にテレビ放映で観て、学生時代にガールフレンドとデートで観に行ったくらいです。本作はアステア自身が脚本段階で『コンチネンタル』に似すぎている、と駄目出しして改稿させたそうですが、それでも双子のようによく似ている。役柄がだいぶ違うロジャースはともかく助演俳優たちがことごとく『コンチネンタル』と同じような役柄と演技なのですが、サンドリッチもこれで良しとしたのでしょう。この2作の違いはプロダクション・ナンバーの違いとドラマ部分とミュージカル場面の取り合わせの向上に尽きると言ってもいいので、本作はアーヴィング・バーリン一人の曲で統一したのがコール・ポーターの大名曲「夜も昼も」とクライマックスのタイトル曲「コンチネンタル」が目立ってしまった『コンチネンタル』よりムードの統一があり、「頬寄せて」もはっきり歌い踊るための曲としての効果を発揮しています。バーリンの作曲を先行させて楽曲に当てはめる具合に脚本が作製されたというのもストーリーの進行をなめらかにしています。着想自体はそれほど褒められたものではなく、『コンチネンタル』が人物配置だけ見ればドタバタ喜劇しか浮かばないように、本作もあまりに茶番劇めいていて前作『ロバータ』がロマンス映画とコメディを音楽場面で上手く融合させた作品だっただけに、まだアステアとロジャースのロマンスを映画の焦点にするのはドラマとしては重心が軽すぎる観もあります。30代のアステアはともかくまだ20代前半のロジャースは『コンチネンタル』の生硬さからはだいぶ女優らしくなっているのですが、ロジャースにしてもまだ素で演じられる歌手兼ダンサー役の『空中レヴュー時代』『ロバータ』の方がのびのびしていて、結局アステアとロジャースがもっとも生彩を放つのはプロダクション・ナンバー部分ということになります。しかしアンコだけではあんパンにならないようにソング&ダンス場面だけでは劇映画にならないので、最小限のストーリー性を持たせながらプロットのあちこちにプロダクション・ナンバーをはめ込む、というのが基本的なアステア映画の作りなので、前作『ロバータ』でアイリーン・ダンランドルフ・スコットにロマンス部分を振り分けたあとはまたアステアとロジャースにロマンスの主役を演らせよう、二番煎じだっていいじゃないか、という開き直りを堂々とやるのも見方によっては大胆な作りで、これ以上娯楽映画の枠内でミニマムな実験的手法による製作はない、とも言えるほどです。次作『艦隊を追って』もサンドリッチ監督作品ですが、再びランドルフ・スコットを起用して『ロバータ』同様の水兵仲間のアステアとスコットのダブル・ロマンス映画にしています。年間2作のペースの場合振付演出・監修も兼ねたアステアにはそれが手いっぱいかつやりやすかったのがわかります。

●3月6日(水)
『艦隊を追って』Follow the Fleet (RKO'36)*110min, B/W : アメリカ公開1936年2月20日、日本公開昭和11年7月
監督 : マーク・サンドリッチ/共演 : ジンジャー・ロジャーズ、ランドルフ・スコット
◎彼女とケンカ別れして海軍に入隊したダンサーのベイクだったが、サンフランシスコに寄港した際に再会し……。マーク・サンドリッチ監督が手がけたアステア&ロジャーズ作品の貴重なラインナップのひとつ。

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 製作費74万ドル、興行収入280万ドルとこれまた好調なアステア映画は、前述の通り『ロバータ』同様にランドルフ・スコットとのダブル・ロマンス作品です。スコットと水兵仲間のアステアはロジャースと軽い恋を交わし、スコットはロジャースの姉役のハリエット・ヒリヤードとドラマティックな恋に陥る、というパラレル・プロットまで『ロバータ』の路線の踏襲で、ただし今回はバディ(相棒)・ムーヴィーの要素がある水兵の短い入港中の休暇ものですから、ロマンス映画としての要素は設定からして濃厚で、しかも姉の恋を応援するロジャースは、姉が船主だった父から継いだ船を改修し、水兵から独立するスコットを船長に迎えるためにショーを開いてお金を稼がなければならなくなる。アステアとロジャースが開いたショーの大成功で二組のカップルは結ばれる、という段取りで、ハリエット・ヒリヤードは歌手ですからヒリヤード向けに「煙が目にしみる」級まではいかなくても佳曲があれば良かったのですが、トーチソング(失恋歌)タイプの線の細いヒリヤードはアイリーン・ダンほど華がないのが寡黙で一途な恋する娘役には向いていますが、ヒロインとしてはロジャースよりも地味な存在になってしまいました。スコットの方は煮え切らない男の役を演じて好演で、もともと西部劇でもスコットは優男でスコットが静観(攻撃されれば防衛しますが)しているうちに悪党たちの方が勝手に自滅する、という役柄の方が多かったくらいです。スコットとヒリヤードのロマンスが思ったほど効果を上げていないかわり、本作ではアステアとロジャースの恋愛コメディ演技に長足の進展が見られ、じれったいスコットとヒリヤードのロマンスをせっついて物語を進める役割はむしろアステアとロジャースに回ってきています。そうした意味では本作はアステアとロジャースの主演意識が著しく高まり、人物配置は『ロバータ』のヴァリエーションでありながら作風は過渡期にさしかかっている印象があります。そしてすべてをぶっ飛ばすのがクライマックスのプロダクション・ナンバー「レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス」で、本作も『トップ・ハット』同様アメリカ公開時のポスターに「作詞作曲アーヴィング・バーリン」と監督サンドリッチの名前よりでかく、ほとんどアステアやロジャースと同等の扱いで大書きしてありますが、1曲大名曲があるかないかではアステア映画のような歌と踊りの映画の場合どれだけ大きいかを思い知らされます。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ]「コンチネンタル」「トップ・ハット」と同じくフレッド・アステアジンジャー・ロジャースの共演。マーク・サンドリッチの監督という顔ぶれになるバンドロ・S・バーマン製作の映画で、ヒューバート・オズボーン作の戯曲に取材した。脚本には「コンチネンタル」「トップ・ハット」のドワイト・ティラーが「ロバータ」「トップ・ハット」のアラン・スコットと協力し、原戯曲の改作に「薔薇はなぜ紅い」のランドルフ・スコット、ラジオ等の歌手ハリエット・ヒリヤードを始めとしてアストリッド・オルウィン・オールフィン、ハリー・ベレスフォード、等の面々である。撮影は「コンチネンタル」「トップ・ハット」のデヴッド・エーベルの担当。作詞と作曲とは「トップ・ハット」と同じくアーヴィング・バーリンが書いた。
[ あらすじ ] 桑港に米国警察が入港した時に、水兵のベイク(フレッド・アステア)は、昔ウォードヴィルで彼のダンスのパートナーだったシェリー(ジンジャー・ロジャース)をダンスホールで発見した。ベイクはシェリーに結婚を申し込んで断られた経験がある。今ではシェリーも気が変わってベイクとの再会を喜んだ。一方、ベイクの同僚ビルジ(ランドルフ・スコット)はシェリーの姉のコニー(ハリエット・ヒリヤード)の美しさに魅せられる。音楽教師で今まで男の友達のなかったコニーはビルジに夢中になって結婚の話を持ち出す。ビルジには結婚は苦手だったのでさりげなく別れる。ベイクとシェリーはダンス競技で一等を取ったがベイクの失言からシェリーは踊り場から解雇される。そこでベイクは彼女を興行師ノーラン(ラッセル・ヒックス)のところへ世話しようとするが、この時艦隊は急に出動して四人は別れ別れになる。数月の後、艦隊が再び入港してきた時、コニーは父親の残した商船を新築してビルジに嫁ぐ折りの持参品にしようとして待ち構えていた程なのであるが、ビルジは彼女には目もくれず以前親しくなったマニング夫人(アストリッド・オルウィン)とばかり遊んでいる。コニーはこれを知り悲しんだ。一方シェリーは自らノーランのところへ志願したが、ベイクが彼女と知らずに妨害したので、シェリーは不採用となる。ところがコニーが船の手入れのために借財し、7百ドル払えないと船を手放さねばならなくなったと知ると、ベイクもシェリーも協力してこれを助けることになり、ベイクは船上でショウを開き金を設けることを考えた。そして、併せてベイクは一芝居打って、マニング夫人とビルジの間を割いた。ショウのある夜ベイクは苦心して艦を抜け出しシェリーと踊って大当たりをとる。そしてシェリーもここでノーランの目にとまり、契約を結び、ビルジもこの間にコニーの真情に目覚め四人ともめでたくおさまりが着く。
 ――これはこれで悪くないけれどダブル・ロマンス趣向としては『空中レヴュー時代』や『ロバータ』ほどヒロインに華がないな、ハリエット・ヒリヤードに良い曲歌わせれば寡黙を通り越して一途さが陰気な雰囲気ももうちょっと好転しただろうに。ランドルフ・スコットも煮え切らない男よりももっと好青年に描けばなあ。作劇上では主人公とメイン・ヒロインのスコットとヒリヤードをあえて引っこませて、世話焼きのアステアとロジャースを前に出した作りとしたらやや中途半端だし、水兵ものミュージカルならもっとあとにジーン・ケリーフランク・シナトラの『錨を上げて』'45にはおよばないな、というのが筆者初見の時に観進めた時の印象でした。今回観直すと、アステアとロジャースが前に出る作りは明らかに意図的で、バーリンにはヒリヤード向けの曲は気が乗らなかった(ヒリヤードがバーリンの曲のタイプの女性歌手ではなかった)のが見えてくるような気がします。ヒリヤードを引き立てると相手役のスコットの比重も上がりますが、ヒリヤードを黙って男の帰りを待つ女のタイプに設定してしまったためスコットの比重も下がった。そこでアステアとロジャースがヒリヤードとスコットの恋の縁結びに奔走するようなニュアンスが強くなったのでしょう。またアステアとロジャースも共演5作目、主演4作目ですし、前作の特大ヒットのあとですから、本作の後半はこれまでの作品より筋立てが入り組んでいる分映画俳優らしい演技が出てきています。アステアもロジャースも、演技派に転向を図った後年はともかくこの頃は歌手・ダンサーとしての絶頂期なだけに、純粋に劇映画の俳優としては軽いキャラクターにとどまってしまうのは仕方なく、そうした水準での演技としては本作のアステア&ロジャースは健闘していると思います。しかし普通の音楽アルバムが名曲1曲で名盤になるように、本作には取っておきのすごいクライマックスのプロダクション・ナンバーで映画全編が輝かしいものになっており、それが大名曲「レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス」です。歌曲としても器楽曲としても大スタンダード曲となるこの曲の寸劇仕立ての歌とダンス場面一発でアステア&ロジャース映画としては盛り上がりに欠けていまいちかな、という不満は微塵に吹き飛び、『空中レヴュー時代』の「カリオカ」、『コンチネンタル』の「夜も昼も」、『トップ・ハット』の「頬寄せて」で見せてくれたような奇跡がまた出たか、と溜飲が下がるので、もちろんプロダクション・ナンバーの振付・演出監修はアステア自身ですから、それまで映画が多少もたつく出来であろうとクライマックスの「レッツ・フェイス・ザ・ミュージック・アンド・ダンス」で全部挽回できる、と踏んでいたでしょう。アステアは脚本段階で駄目出しできる権限があったそうですし、監督のサンドリッチもアステアのクライマックスのレヴュー・シーン込みで全体を演出していたでしょうから、この映画はなかなか持って回った焦らし作戦でクライマックスに爆発的な効果を与える、という、なかなか高度なのか何も考えていなかったらそうなったのかよくわからない、バランスの悪さがかえってクライマックスを引き立てる、映画全体が流麗な構成だったらこの効果が出たかわからないような作品になっています。この曲の寸劇仕立ての構成もアステアのこれまでのプロダクション・ナンバーにはない内省的なムードから一気に爆発するドラマティックかつ激情的なものになっており、クライマックス場面だけで作中作をなしているとも言えて、ひょっとしたら本作はアステア自身がハードルを上げたとんでもない野心作だったのではないかと思えてくるのです。