人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記3月30日・31日/最後の民族地方主義ソヴィエト映画監督セルゲイ・パラジャーノフ(1924-1990)作品(後)

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 アメリカの古典映画復刻会社Kino Video社のセルゲイ・パラジャーノフ(Sergei Parajanov, 1924-1990)作品4作品を収めたボックス・セット『The Films of Sergei Parajanov』の外箱には一文がパラジャーノフへの讃辞として印刷されています。"In The Temple of Cinema, There are Images, Light and Reality. Sergei Parajanov was The Master of that Temple." Jean-Luc Godard……「映画の神殿の中には、イメージ、光そしてリアリティがある。セルゲイ・パラジャーノフはその神殿の主だった」ジャン=リュック・ゴダール、と、ゴダールは昔から惚れこんだ映画監督は最上の讃辞で褒め上げる、そうでなければばっさりと斬り捨てる人でしたが(まだ20代の映画批評同人誌寄稿家時代に「溝口健二はグリフィス、ルノワールロッセリーニに匹敵する世界最大の映画作家だ。黒澤明などどこにでもいる二流の娯楽映画監督だ」と書いています)、今回『火の馬』以降の長編4作を観直して、初めて初期長編3作を観ると、初期3長編は万全な視聴ができなかったので映像ソフト化されたらしっかり観直して感想を書きたいと思いますが、どうもパラジャーノフはファンタジー作品の長編第1作『アンドリエーシ』'55(ヤーコフ・パゼリャンと共同監督)と現代劇の第2作『ウクライナのラプソディー』'61(単独監督)、やはり現代劇の第3作『石の上の花』'62(アナトリー・スラサレンコと共同監督)とオーソドックスながら堅実で感じの良い作品のあと第4長編『火の馬』'64で野心作を成功させ、そこまでが良かったんじゃないかという気がしてきます。『ざくろの色』'69で妙な方に行ってしまい、今回ご紹介するカムバック後の2作『スラム砦の伝説』'85、『アシク・ケリブ』'88(ともにダヴィッド・アバシーゼと共同監督)では本職は俳優であるアバシーゼに俳優の演出を任せているのではないか。その分『火の馬』までの劇映画らしさはかなり戻りましたが、映画全編のムードの統一や一定の均質感、めりはりといった要素では一旦極端な絵画的作品『ざくろの色』でもまだやり残した感があったらしく、どこか方向性を模索中に未完成のまま放り出したような仕上がりになってします。パラジャーノフが弾圧を受けて映画を撮れなかった15年の期間は年齢では45歳~60歳ともっとも充実した仕事ができたはずの時期に当たるので、逝去時に準備中だったという『告白』も自伝的作品だったそうですから弾圧期間の空白を埋める作品を意図していたと思われ、『アシク・ケリブ』を捧げた4歳年少のアンドレイ・タルコフスキイ(1932-1986)がもっと早逝ながら生前の名声と完結感の高いキャリアを築いたのに較べると、同時代の同国の映画監督ながらパラジャーノフの境遇の不遇には判官贔屓したい気持にもさせられます。『ざくろの色』も続く作品に良い成果を見せればまた見方も変わってくる面があり、15年の空白が生じたせいで単発の試みになってしまったのが『ざくろの色』を特殊な映画にしてしまったとも思え、また『スラム砦の伝説』『アシク・ケリブ』は明快なドラマ性では『火の馬』のフォークロア性を継いでいますが映像文体は『ざくろの色』の手法を持ちこもうとしてどっちつかずな結果になっているのも前述の通りで、1作ごとの完結感が薄いとまでは言いませんが、パラジャーノフの4作は1作だけ観ても力量の全容が見えない、他の作品も観ないと感想を保留したい作品ばかりで、初期3長編も一応観たので長編7作はすべて観たのですが、むしろまだパラジャーノフらしい特色の発揮されていない初期3長編の方が狙いと仕上がりに無理のない均衡のとれた映画です。『火の馬』以降の4長編について言えば『火の馬』から『スラム砦の伝説』『アシク・ケリブ』『ざくろの色』と発展していった方が自然で、一足飛びに『ざくろの色』に向かってしまったのがパラジャーノフの鬼才たるゆえんでもあるのですが、不幸にもパラジャーノフ自身の創作力からではなく外部からの圧力によってキャリアに空白が生じることになった。地方民族伝承土着文化への着目とその映像化にパラジャーノフのオリジナリティが『火の馬』で尖鋭的に現れ、その資質を以降極端に圧縮・分断されたかたちでしか展開できなかったのが惜しまれ、ゴダールパラジャーノフ讃美も実現されなかったパラジャーノフの可能性全体へのはなむけと思えるのです。幸いパラジャーノフの『火の馬』からの長編劇映画全4作は内外の映像ソフトで入手が比較的容易であり、また日本劇場公開もされていますのでキネマ旬報の紹介記事も参照して感想文を書いてみます。なお文字ソフトの都合上ロシア語・ウクライナ語他の原綴はローマ字表記に代えました。ご了承ください。

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●3月30日(土)
『スラム砦の伝説』Ambavi Suramis tsikhisa (共同監督=ダヴィッド・アバシーゼ、Kartuli Pilmi Tbilissi, Georgia'85)*83min, Color : 日本公開平成3年7月20日 : https://youtu.be/wk56xsHKtSM (Full Movie, English Subtitle)

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 前作『サヤト・ノヴァ』'69が『ざくろの色』と改題(以後定着します)・改訂し'71年に公開されたあとパラジャーノフへのソヴィエト映画界の冷遇・弾圧は露骨になり、作品内容や検挙された反体制派知識人との交友によりパラジャーノフ自身が危険人物と見なされるようになったのが原因のようですが、10本以上の新作企画が次々却下された挙げ句ようやくアンデルセン童話からのテレビ用作品の企画が通り、準備のためにモスクワに赴きウクライナに戻ったところ政治活動の疑いで逮捕されてしまいます。国内でも不当逮捕との声が上がりましたが判決は有罪でパラジャーノフは収監され強制労働に課せられましたが、『ざくろの色』の欧米諸国での評価の高まりでゴダールを筆頭としたヨーロッパの映画監督たちの抗議運動が起こり、5年間の強制労働を経て'77年末にようやくパラジャーノフは釈放されました。しかし国内での冷遇・弾圧は続き、'82年初頭には家宅捜索を受けて逮捕され同年末まで収監される、と依然新作の作れない状況が続きます。パラジャーノフに新作の製作許可が降りたのはグルジアの書記長の文化改革案が通った'83年になってからで、翌年に製作を始めた新作は'84年内に完成し、ソヴィエト政府のペレストロイカとほぼ同時に'85年に一般公開されました。前作『ざくろの色(サヤト・ノヴァ)』完成時に45歳だったパラジャーノフは60歳でやっと新作を完成することができたので、この間に世界的名声を高め亡命監督となって次々と話題作を送り出していたタルコフスキイとはソヴィエト政府との反目では共通していても境遇は対照的だったと言えます。またカムバック後の長編劇映画監督作2作はどちらもダビッド(ドド)・アバシーゼ(1924-1990)との共同監督作になりますが、パラジャーノフと同年・同郷生まれのアバシーゼは幼なじみであり人民芸術家の地位を得た俳優で、カムバック後のパラジャーノフは他には短編ドキュメンタリー「ピロスマニのアラベスク」'85が単独監督作としてありますが、長い空白期間のあとの長編劇映画では俳優の演出にヴェテラン俳優で自分の理解者であるアバシーゼの助力を仰ぎたかったとも、国家公認芸術家として地位の高いアバシーゼとの共同監督が条件だったとも考えられます。『ざくろの色』の演出スタイルがほとんど絵画的なものだったのを思えば今回はパラジャーノフが俳優の演出にアバシーゼの助力を仰ぎたかった必要性も感じますし、アバシーゼは主人公を導く重要な年長者役で2役で出演もしています。監督クレジットもドド・アバシーゼがセルゲイ・パラジャーノフの上に来ます。本作も12のシークエンスに分かれていた『火の馬』、8シークエンスに分かれていた『ざくろの色』からさらに細かく、全編は21のシークエンスに分かれ、「プロローグ」「トビリシの南門」「放浪の始まり」「隊商」「告白」「運命の道」「グランシャロ」「結婚式と黒い酩酊」「祈りを捧げる者」「占い師」「おどけた笛吹き」「赦罪」「聖父と第二の洗礼」「契約」「夢と死の予兆」「愛の始まり」「皇帝といつものゲーム」「ズラブの目撃した侵略」「時は流れる」「罪のくり返し」「エピローグ」と章題の字幕タイトルがその都度入ります。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ] 予言に従い、生きたまま砦に埋め込められた中世グルジアの伝説に基づくこの映画は、彩色写本や中世のイコンから現実に踊り出たような謎めいたシークエンスで綴られる不思議なパノラマ。監督は、「火の馬」「ざくろの色」「アシク・ケリブ」のセルゲイ・パラジャーノフ。共同監督のダヴィッド・アバシーゼは、パラジャーノフの幼な友達であり、グリジア共和国人民芸術家の称号を持つ俳優でもある。また、ペレストロイカによってパラジャーノフの生涯初めての公式プレミアが1985年のモスクワで行われた作品としても記憶される。
[ あらすじ ] 度重なる敵の侵入のため多大な戦死者を出していた頃のグリジア。皇帝は民との平等を宣言し、祖国を護る砦の建設に立ち上がった。だがトビリシの南門のスラム砦だけは、何度建造してもすぐに破壊されてしまう。スラム砦建設はグリジア民族の宿願となっていた。奴隷から解放されたドゥルミシハン(ズラブ・キプシーゼ)には、ヴァルドー(レリーア・アリベガシヴィリ)という恋人がいた。しかし、公爵に騙されたことを知るとドゥルミシハンはすべてを捨て、放浪の旅に出る。彼は隊商を率いるノダール・ザリカシヴィリ(ダヴィッド・アバシーゼ)と出会い、彼の懴悔を聞かされたことをきっかけに、隊に加わり、成功して妻を娶った。一方、恋人に捨てられたヴァルドー(ソフィコ・チアウレリ)は悲嘆に暮れ、占い師の老婆(ヴェリコ・アンジャパリッゼ)のもとへ行き、みずから跡を継いで占い師になっていた。そこへドゥルミシハンの妻が、生まれる子供の性別を占いに来た。ヴァルドーは男児であると予言した。運命の悪戯なのか、その時に生まれたズラブ(レヴァン・ウシャネイシュヴィリ)が、時を経て彼女のもとへ来て、砦再建の方法をたずねた。彼女の予言は、青い眼の美しい若者の人柱を砦の壁に埋めろというものだった……。
 ――本作はパラジャーノフが再び『火の馬』の地方民族伝承文化への着目からドラマ作品に戻った意図が感じられ、引き裂かれた恋人たちのうち男は流浪の末にある程度の地位を得て結婚し、女は占い師の後継者となっていますが、民族の願いである砦のうちスラム砦だけがいつまでも完成しない。この完成しないスラム砦がもともと恋人たちの別離の原因でもあったのですが、占い師の老女となった女は若い男の人柱が砦の完成に不可欠と預言する。男の息子の青年が自ら志願して人柱となり、老女の占い師はこれは運命か復讐なのかと砦の完成を祝う人々の中で嘆く、という物語です。シークエンスの数が『火の馬』『ざくろの色』から倍増していますがほんの数ショット~1ショットの極端に短いシークエンスも章題をつけて割ってあるため増えているので、青年が人柱になるシークエンスなどは長い「エピローグ」でまとめている。ただし本作が『火の馬』の着想を『ざくろの色』の技法に折衷した作品と見えるのはシークエンス分割による各シークエンスの断章形式と厳密に守られたフィックス・ショットで、『火の馬』の躍動的なカメラ・ワークやモンタージュではなく『ざくろの色』のタブロー的ショットによるフォルマリズムを踏襲している作品になっています。もともとグルジア出身のパラジャーノフにとっても本格的な歴史映画の本作は舞台・主題ともにもっとも切実なものだったに違いなく、荒野のようなグルジアの風土性やまったく近代的概念の戦争とは違う中世の戦争の様子がリアリティを持って描かれている。しかし全体的には能楽浄瑠璃、歌舞伎のような様式感を与えるのも『ざくろの色』の手法の踏襲からで、『ざくろの色』の主演女優だったソフィコ・チアウレリが本作では中年~老女時代の占い師となったヒロインを演じていますが、男女両性年齢不詳で6役を演じた『ざくろの色』から15年経ったと思えない美貌に驚嘆しますし、主人公を導き見守る隊商の長と盲目の乞食の2役を演じたアバシーゼとともに名演を堪能できるものの、登場人物たちの誰に共感しながら観るには映画の焦点が散らばりすぎていて全体を引いて見るような仕上がりになっている。『火の馬』では悲運の恋人たちに焦点が絞られていて、恋人と死別した男の運命を最期までたどって地方ウクライナのカルパチア山地民族の死生観が大きく浮かび上がってくる仕組みがありました。本作では十分にドラマ性があるのにドラマ性への集中が稀薄で、生身の俳優が演じているのにタブロー的な伝承譚の再話という様式性が強い。『火の馬』の伝承文化への着目を『ざくろの色』の手法で折衷した、という印象はそこから来るので、これが基本的には次作『アシク・ケリブ』でも続くので、カムバック後の作品で新たな境地を開拓する前にパラジャーノフの映画は終わってしまった観が強いのです。本作が本作なりに感動のある作品であってもその点にまだ『火の馬』『ざくろの色』を越えていない不満が残ります。

●3月31日(日)
『アシク・ケリブ』Ashiki Keribi (共同監督=ダヴィッド・アバシーゼ、Kartuli Pilmi Tbilissi, Georgia-Azerbaycan'88)*74min, Color : 日本公開平成3年6月15日 : https://youtu.be/j5cDtlL6oUo (Full Movie, Russian Voiceover, No Subtitle)

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 本作はロシア文学の父プーシュキン(1799-1837)の愛弟子の詩人ミハイル・レールモントフ(1814-1841)の同名短編小説の映画化で、共同監督にダヴィッド・アバシーゼ、前作も脚本は監督本人ではなくラジャ・ギガシヴィリが手がけていましたが、本作も脚本はギーヤ・バドリッゼと脚本家を立てており、パラジャーノフ作品のような様式性の高い映画で『火の馬』『ざくろの色』がパラジャーノフ自身の脚本だったのを思うと脚本家の役割はどのようなものだったかを考えさせられます。タイトルの「アシク」はアルメニア語での吟遊詩人ですから「吟遊詩人ケリブ」とする方がわかりやすく、欧米諸国では原題のまま公開している国と『吟遊詩人ケリブ』としている国がさまざまで、また本作は近世アルメニアが舞台で主人公の放浪の旅はグルジアにおよぶので台詞はアルメニア語とグルジア語が混じるため、ソヴィエトでは全編に標準ロシア語のナレーション(ヴォイスオーヴァー)をかぶせた版も流布しており、かえって国外公開版の方がナレーションなしのオリジナル版(もっともロシア語圏外の観客にはアルメニア語もグルジア語も標準ロシア語も区別がつきませんが)で観られている、という作品です。アルメニアは中近東にもっとも近い地域であり、本作もイスラム圏色の強い風土性が描かれた作品となっており、これはペレストロイカ以降でないとソヴィエト映画では実現できなかった企画でしょう。本作もタブロー形式にシークエンスは21の断章に分割されており、「愛している、愛していない」「婚約の儀式」「詩人の苦悩」「青いチャペルでの誓い」「金を稼ぐための旅」「わずらわしい道連れ」「馬で行く者は友人ではない」「詩人の死を嘆くひとびと」「善良なひとびと」「隊商の道」「詩人の擁護者」「アリズとヴァリ」「ナディル将軍の領地」「隊商宿(ハーレム)」「ナディル将軍の復讐」「好戦的なスルタン」「汚された修道院」「唯一の神」「アシクの祈り」「白馬の聖者」「花嫁の父への挨拶」と細かいものですが、映像文体は『スラム砦の伝説』よりもかなり自由になっている。まず『ざくろの色』以来のフィックス・ショットに固執しなくなり、『火の馬』ほど大胆ではありませんが適度に移動ショットを交えるようになりました。また1ショットでのピント変化は前作にも見られましたが、本作ではかなり大胆に用いられており、'80年代の映画としてはやや時代ずれしているのではないかと感じる映像になっている。主人公の吟遊詩人がいかにもイスラム風のサルタンのハーレムに招待されるシーンではサルタンの愛人の女たちがイスラム衣装で全員マシンガンを持ち、サルタンが気勢を上げるごとに天井に向けて空砲を一斉にぶっ放すというポップ・アート的なコミカルな演出があり、これもエキストラ女優たちの演技といいあからさまなダビング音声のわざとらしいマシンガンの一斉射撃音といい、ゴダールの『カラビニエ』'63の頃ならともかく'80年代後半の映画でこのセンスはまずいんじゃないかと思える。しかし大真面目な『ざくろの色』と較べると本作のパラジャーノフは自己パロディすら交える余裕を感じさせるので、本作はユーモラスな時代メルヘン映画として観るのがもっとも真っ当な見方で、こうした志向は第1長編『アンドリエーシ』以来、適度な(と言えるかどうかはちょっと疑問もありますが)ユーモア感では第2長編『ウクライナのラプソディー』までに見られて『石の上の花』『火の馬』『ざくろの色』『スラム砦の伝説』ではあえて排除されていたもので、『火の馬』以降の作品ではハッピーエンドに終わる作品は本作だけです。60代前半ですがパラジャーノフには老境の意識があり、本作はエンドマークのあとに'86年に亡くなった「アンドレイ・タルコフスキイに捧げる」と献辞が出る。このあと'89年から製作開始された自伝的作品『告白』はごく一部の撮影まででパラジャーノフの逝去によって未完になっていますから『アシク・ケリブ』に遺作の意識はなかったでしょうが、演出センスの当否はともかくとして本作は老境の作者のとぼけた時代メルヘンの語り口を楽しむ作品とすれば技巧やギャグのセンスの古さも味になってくるので、『告白』が未完(未完成作品としてまとめるほども進まず、パラジャーノフについてのドキュメンタリーで断片が観られる程度のようです)に終わったのは残念ですがほのぼのとするメルヘン作品『アシク・ケリブ』が遺作になったのもこれはこれで良しと思えるので、出来不出来とは別に遺作らしい遺作というのもあるものです。本作も日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ 解説 ] 吟遊詩人と富豪の娘の恋物語を耽美的に描く映像絵巻。「火の馬」のセルゲイ・パラジャーノフ監督のこれが遺作となった。共同監督はダヴィッド・アバシーゼ。ミハイル・レールモントフの原作を基に脚本はギーヤ・バドリッゼ、撮影はアルベルト・ヤブリヤン、音楽をジャヴァンシル・クリエフが担当。出演はユーリー・ムゴヤン、ヴェロニカ・メトニッゼほか。
[ あらすじ ] 心優しき吟遊詩人、アシク・ケリブ(ユーリー・ムゴヤン)は、領主の娘マグリ・メヘル(ヴェロニカ・メトニッゼ)と恋に落ちる。しかし彼女の父が結婚を許さなかったため、詩人は身を立てることを誓い、旅に出る。幾多の苦難を乗り越えながら冒険を続ける彼の前にある時、白馬に乗った聖人が現れ、故郷で待つ恋人の身に危機が迫っていることを告げる。詩人は一日に千里を走る聖人の白馬を駆って舞い戻り、恋人を抱き止める。
 ――本作はポスターの主人公俳優の強烈な風貌、パラジャーノフ作品に特徴的な赤の色彩効果がインパクト抜群なのでどれだけすごい映画かと期待させられますし、ヴィジュアル効果だけで十分満足できる映画でもあります。ただスタイルの徹底で言えば『ざくろの色』が本作よりはるかに強い作品ですし、『ざくろの色』はスタイルの徹底によってエキゾチシズムの中で完結してしまった観があり、パラジャーノフと同時期に酷似したスタイルを打ち出していたアンディ・ウォホールの『チェルシー・ガールズ』'66やヴェルナー・シュレーターの『アイカ・カタパ』'69、『マリア・マリブランの死』'71(タルコフスキイはこれらの作品も観ていたようですが、パラジャーノフは知らなかったと思われます)が強い様式化によって開けた感覚の映画を作り出したのとは逆の、非常に閉ざされた内容を感じさせる映画になってしまった。現在パラジャーノフの不朽の傑作と見なされているのは『ざくろの色』ですが、これはヨーロッパ文化圏のロシア地方文化に対するエキゾチシズム的憧憬が背景にある評価としか思えない。アンダーグラウンド映画のウォホール作品やシュレーター作品が映画の可能性を切り開いたようには『ざくろの色』は可能性を秘めた作品ではなく、ポテンシャルは高いとしても1作きりで完結しており到達点ではあっても『ざくろの色』から生まれてくる映画の可能性は考えられない、と思われるのです。『スラム砦の伝説』『アシク・ケリブ』が『火の馬』のテーマを『ざくろの色』の手法で行って、どちらも映画の完成度は『火の馬』『ざくろの色』より崩れているのも『ざくろの色』自体に発展の余地のない作品だからで、崩れた部分は『火の馬』から引き継いだドラマ性を伴った地方文化への着目にあり、『スラム砦の伝説』も『アシク・ケリブ』も皮肉な見方をすれば『ざくろの色』のポテンシャルを保てなかったのが作品に映画らしい生き生きとした感動を取り戻させている、とも言えます。『アシク・ケリブ』では『火の馬』以来の悲劇性もやめてハッピーエンドのメルヘン作品に仕上げてあり、ここでのエキゾチシズムや審美性・耽美性は自己パロディすれすれになっているどころかそのものずばりのとぼけたはぐらかしにもなっている。そういう意味では従来のパラジャーノフ作品を期待した観客を煙にまくような映画ですが、パラジャーノフは寡作なだけに1作ごとに断絶があって『スラム砦の伝説』が『火の馬』に近い悲劇作品とすれば本作は登場人物が人間というより舞台装置に近いようにフォルマリズムを極めた『ざくろの色』に近く、『ざくろの色』がたまたま悲劇的生涯を送った宮廷詩人の肖像だったように本作はたまたまメルヘン化された吟遊詩人の恋愛成就譚にすぎない、と言えるものです。しかしパラジャーノフ作品はまだまだ観返すと印象ががらりと代わって見える気にさせるので、筆者は『ざくろの色』に対して否定的な見方から抜け出せませんが『ざくろの色』をパラジャーノフの核心的作品とするとまだ観るたびに変わってくる可能性もある。たとえばタルコフスキイ作品を観直したあとで、といった具合に他の同時代のソヴィエト映画監督の作品を観て改めて気づくこともあるかもしれません。またパラジャーノフ作品については十分に鑑賞力があったかという自信も心もとなく、この感想文をお読みいただいた方が実際の作品を観られるように試聴リンクを一通りつけておいたのはそうした意味もあります。パラジャーノフ作品に限らず、星印採点など躊躇されるゆえんです。