集成版『荒野のチャーリー・ブラウン』第一章
(1)
第一章。
ある暗い嵐の夜でした。
水皿の水にぼくのかおがうつっている。ぼくはのどが渇いているけど、この水をのみほせばぼくのかおは見られなくなる。ならぼくを見ているほうがいいや。そうナルシシストの小型ビーグル犬は考えると、そろそろおやすみの時刻かな、と犬小屋の屋根に億劫そうに上りました。彼は閉所恐怖症なのです。
空模様はまずまずで、犬小屋には実は広大で快適な地下室もあり、タイプライター(執筆に関しては、彼はアンチ・パソコン派でした)を据えたデスクの正面には不運な火災で焼失するまではゴッホの小品が飾ってあり、やむなくビュッフェに変えてからは自分の創作力も低下しているように思えるのでした。「ある暗い嵐の夜でした……」
彼は脊柱ががっちり犬小屋の屋根の峰を押さえこんでいるのを背筋の感触で確かめると、この小屋を彼に与えたくりくり坊主の少年のことを思い出し、自分ほどの知性ある犬、なにしろ少年の知人の少女には人間だと思われていたことすらあり、かつての戦線では撃墜王として勇名を轟かせ、探偵経験も弁護士資格も持ち、絶版ながら小説の著作も一冊ある(「ある暗い嵐の夜でした……」)。なのになぜあの少年はくりくり坊主としか覚えられないのだろう、と小首を傾げました。
まあそれは自分のせいではないのだろう、とこの自惚れの強い小型ビーグル犬は気持よさそうに伸びをし、自分が彼らにどう呼ばれているかを、心地良い優越感とともに思い巡らしました。くりくり坊主とその仲間たち、その誰を取っても彼の名前と結びつけずには人物像が浮かばないほど、世界は彼を中心に形成されていたのです。
ではもしあの少年の名がシルヴァーまたはゴールドだったら?あるいは陰影の深いアジュールやグレイやブラックだった?色鉛筆や草花のようにレッド、ローズ、パイン、ミント、グリーン、ヒース、プラム、ガーネットだったら?
……ですがそれはあり得ないことでした。 少年の名前はチャールズ、愛称チャーリー。そして名前はブラウン、変哲もないブラウンだったからです。彼は何の役目も持たずにこの世界に生まれ、たまたま知らないうちにチャーリー・ブラウンという個性になったのでした。それでもスヌーピーにとってはただのくりくり坊主でしかなかったのです。
(2)
スヌーピー、やっぱりここにいたね、とチャーリー・ブラウンは犬小屋まで走ってくると、スヌーピーからすれば間の抜けたあいさつとしか受け取りようのない第一声を上げました。スヌーピーはタイプライターを芝生に出して、ウッドストックに口述筆記させている最中でした。この種目不明の雑種らしき小鳥はその実、有能な秘書なのです。
(''''''''''''''''……!?)と、ダッシュと感嘆符だけでしか喋れないウッドストックはスヌーピーを見やりました。これはチャーリー・ブラウンには小鳥のキーキー声にしか聞こえませんが、スヌーピーには言語として通じるのです。そしてスヌーピーの犬語はチャーリーにはテレパシー解読できますから、スヌーピーを通訳にすれば三者会談は成立するのですが、そもそもチャーリー・ブラウンはウッドストックの意見に耳を傾ける発想がありませんでした。
わざわざ自分を探しにくるのならそれなりの用があるのだろうと、スヌーピーはくりくり坊主の次の言葉を待ちました。スヌーピーは首輪はされていませんが、理容店ブラウン家の庭住まいですからたいがいは自分の小屋にいるのが普通です。チャーリーがことさら探すまでもありません。
ルーシーがたいへんなんだよ、とくりくり坊主は荒い息で、肩を上下させながら言いました。よほど急いで来たのでしょう。スヌーピーはふーん、それで?と鼻先だけで続きを促しました。ウッドストックはいつもの冷静さで彼らのやり取りをスペルミス一つなくタイピングしています。どうたいへんかって……。
ライナスの毛布を引きちぎったかと思うとピッグペンから埃をはたき落とし、あのフランクリンに人種差別的な暴言を吐きながらペパーミント・パティとマーシーのおしゃべりに割って入って眼鏡を奪うと踏み割り、シュローダーのトイピアノを叩き壊して走り出して行ったんだ。気がつくとライナスはリランのオーバーオールを被せられ、指をしゃぶろうとすると指がなかった。
だからあと、とチャーリーは息せききって、言葉を継ぎました。ルーシーが標的に選ぶとしたらここなんだ。もちろんぼくのグローブもまっ先にこれさ、と彼はボロボロの残骸を未練惜しげにぶら下げました。チャーリーは自分のチームのピッチャー兼監督なのです。だから早く……何?
スヌーピーは無言でチャーリーの背後を指差していました。もうルーシーは来ていたのです。
(3)
チャーリーよりも早くルーシーの姿に気づいたとはいえ、スヌーピーは視力が弱く普段はコンタクトレンズを着けてました。今はたまたまレンズを着用し、またチャーリーの話から事態は予測できましたが、もしコンタクト着用でなかったら彼はルーシー以外の人影でも指差したに違いありません。もちろんビーグル犬ですから、少女と少年の区別は嗅覚で見分けることくらいできますが。
眼鏡を良しとしないほどお洒落なスヌーピーでも、ヒゲを生やさなかったことは後悔していました。彼は恋多き性格で、何度か結婚寸前まで話が進んだこともありましたがいずれも破局してきました。そのうち最大の打撃は、結婚式の直前に媒酌人を頼んだ実兄のスパイクに婚約者を奪われたことで、兄とスヌーピーの違いはヒゲの有無だったのです(もっとも彼女はすぐに兄を捨ててコヨーテに乗り替えましたが)。
そうしたいきさつもあって、スヌーピーのガールハントの対象は人間の少女になったのです。というよりは、スヌーピーは異性の気を惹かずには済まないタイプだったので、犬であろうと人間であろうと異性であれば良かったのです。スポーツ万能で、さらにさまざまなスポーツに挑戦しているのもモテるためでした。 チャーリーの野球チームでも不動のショート、冬にはアイスホッケーにいそしみ、スケートリンクの製氷車の運転もこなして製氷車メーカーから表彰もされました。さらに耳を回転させてヘリコプターのように飛行することも可能です。成犬になってからは背中に大きな黒斑がありますが、確認した者がいないのはスヌーピーが誰にも決して背を向けないからでした。
またスヌーピーはチャーリーと親しい女の子には、挨拶代わりや落ち込んでいる時等のなぐさめに、キスをすることがしばしばありました。ただし、まれにチャーリーにもキスをすることがあるので、深い意味はないのです。紳士のたしなみ、という程度のことでしょう。
ですが、チャーリー・ブラウンから聞かされた話では、これらさまざまなスキルはルーシーの襲撃に何の効果もあるとは思えませんでした。だとすればチャーリーが危険な事態を予告しに来てここに居合わせているのは、かえってルーシーを刺戟することになりかねず、スヌーピーとウッドストックにははた迷惑なことでした。
(4)
スヌーピーの住む犬小屋は、外見では想像できないほどの伝説的な広大さを誇っていました。伝説的というのは、実際に小屋の内情を知るのはスヌーピー本人と唯一小屋への出入りを許された親友にして秘書のウッドストックだけであり、小屋を建てたチャーリーは自分でさまざまに手入れをほどこしたスヌーピーから小屋の現況を聞いているだけでした。
スヌーピーやチャーリーによれば犬小屋の中には地下室に繋がる階段があり、地下室の玄関ホールにはトルコ織りの大層なカーペットが敷いてあって、観葉植物が置かれていたりスクリーンプロセッサーつきテレビやエアコン、さらには卓球台やピンボール台、ビリヤード台までもが設置してあるといいます。スヌーピーはテレビゲームもパソコンも嫌いなのです。
しかも地下室、いや地下フロアはいくつかの部屋に区切られており、図書室や美術室、視聴覚室、取り調べ室、検査室、監禁室、手術室まであります。ライナスが世界の恐怖を察知して逃げ込んできたり、することもなくテレビを見ていたりすることもあるそうですが、ライナスの証言はパインクレスト小学校では単なる夢想としか見なされていないのです。
居間には、かつてはゴッホの小品が飾られていましたが、不審火(ただし犯罪の可能性はなし)で焼失、その後はビュッフェの小品があるじには不本意ながら飾られています。これほど広大なので時々チャーリーやライナス、シュローダーが大掃除を手伝いますが、ぼんくらな彼らは掃除をしてきても何ひとつ観察してきたためしがありません。
この犬小屋は、スヌーピーが宿敵である隣家の猫WW-2をからかうたびに頻繁に破壊されますし、時には飛行機や、また空の宿敵レッド・バロンとの対決では戦闘機となり、撃たれて穴だらけになったり煙を上げて炎上したりしますが、こうしたイレギュラーな機能性が原因で受けた被害は、チャーリーやスヌーピーが修復するまでもなく自然回復しているのが常でした。
つまりこの犬小屋は単なる犬小屋ではなく、自分たちと同等の、生きている何かでした。それはすでに人格と肉体を備えたものでした。チャーリーが直感し、泡をくって駆けつけてきたのはスヌーピーの安否もありますが、むしろもっと悪い予感が的中したようでした。ルーシーはバットとシャベルを握りしめ、表情はあからさまに犬小屋の破壊を宣言していたのです。
(5)
スヌーピーはさまざまな色の皿を持っていますが、普段は赤い皿をごはん皿、黄色い皿を水皿として使用しています。かつてはスヌーピーには皿の種類を区別できていないと思われていたこともありましたが、これは犬が色盲と思われていたことが原因で、色覚的には人間と異なる熱感知で一般の犬でも色彩は区別しているのです。
皿の直径は10.25cmで、これは食器メーカーが皿を5280回廻ると1マイルということから定めた大きさでした。なぜ1マイルの5280回分かというと皿は虫達の競技大会のスタジアムとして使用されることもあるからで、これは皿に合わせて適合サイズの虫が集まったのか、虫に合わせて食器皿があつらえれたのかわかりません。どちらもでしょう。
スヌーピーとウッドストックは冬には皿に乗って、ソリ遊びのようにして楽しみます。これもごはん皿にあらかじめ併用すべく与えられた機能かもしれないので、スヌーピーという非凡なビーグル犬だけがペット用ごはん皿の思わぬ潜在用途に気づいたのでした。それほどに、ごはん皿はスヌーピーにとって重要なアイテムなのです。
彼は旅に出かける際にも、ごはん皿を帽子のように被りどこにでも持ち歩きます。しかし、食いしん坊のスヌーピーはドッグフードを食べる際に皿を嘗め回すので、すぐに皿の底に穴を開けてしまうのでその消費量はすさまじく、これ以上皿を買い換えるならチャーリー・ブラウンのお父さんの散髪屋を畳まなければならなくなると言われたほどなのでした。
パインクレストじゅうでもスヌーピーの水皿は犬小屋並みか、それ以上にミステリアスでした。この水皿では釣りをすることもできますし、さらにはホエールウォッチングをすることもできるのです。それはこの水皿が全世界の水源に通じていることで、また、水皿に頭を突っ込むことがスヌーピーには最高のリラックス法でした。ワニに襲われなければですが。
ですからスヌーピーは、今まで使用していたごはん皿、水皿はすべて写真に撮りアルバムに収め、ときどき眺めては昔を思い出していました。……それほど彼の思いのすべてが詰まったごはん皿と水皿が、今バットとシャベルをぶら下げたルーシーの足下にあったのです。スヌーピーは名状しがたい叫び声をあげました。それは彼がずっと封印していた野生の呼び声でした。
(6)
スヌーピーは知性を獲得するに従って、多くの仮装をするようになっていました。いわゆるコスプレであり、そのレパートリーは140を超えるとさえ言われています。ですが変装の多くが「世界的に有名な…」(The world famous...)という肩書きで始まるものが多いのは、この犬の虚栄と想像力の限界を表すものでした。
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・ジョー・クール(Joe Cool)……サングラスがトレードマークの大学生。キャンパスをぶらぶらしてガールハントをしている。
・第一次世界大戦の撃墜王(The World War 1 Flying Ace)……愛機「ソッピース・キャメル」を操縦し、さっそうと大空を駆け巡る操縦士。ゴーグル付き飛行帽を被りマフラーを締めた姿で「フォッカー三葉機(フォッカー Dr.I)」に乗るライバルのレッド・バロンとの空中戦を繰り広げる。夜になると戦地フランスの小さなカフェ(マーシーの家。給仕はもちろん彼女)へ行き、ルートビールを楽しむ。ウッドストックが担当整備兵やレッド・バロンの助手”ピンク・バロン”に、マーシーがフランス娘になりきることも多い(マーシーはスヌーピーを人間と思っているため)。
・小説家(Novelist)……毎回「暗い(真っ暗な)嵐の夜だった」(It was a dark and stormy night…)で始まる小説を愛用のタイプライターで書き続けていますが、出版社からは送り返され続けており、唯一出版された本もたった1部で絶版。ルーシーからアドバイスは受けていますがあまり参考にならないようです。
・法廷弁護士(Counselor)……山高帽(驚くと飛ぶ)と黒い蝶ネクタイを着用し、常に鞄を引きずって、名刺には「破産処理、財産管理、事故処理、医療問題、遺言検認、遺言書作成、そして、犬にかまれたときに」と書かれています。ピーター・ラビットや赤ずきんが顧客になったことも。公判の日に法廷の場所が分からなくなることもしばしば。
・ビーグル・スカウト(Beagle scout)……ボーイスカウト。隊員達はウッドストックをはじめとする小鳥達。ところが小鳥達は変わり者ばかりで思わぬ行動を取ってスヌーピーが困惑する事も少なくありません。
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ですが今スヌーピーが陥っている危機には、それらの文化的擬態は何の役にも立たないことでした。しかも、彼には犬族の牙がなかったのです。
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彼の好きな食べ物はドッグフードはもちろん、チョコチップクッキーやピザ、アイスクリーム、ルートビールなどでした。ただし好みは気紛れで、大好物のはずのチョコチップクッキーやアーモンドクッキーのような「食べ物が中に入った食べ物」は嫌いと言うこともあります。彼は犬歯を始めに犬の歯並びをしておらず、人間と同じ歯並び……しかもかなりきれいな歯並びをしているのが、にんまり笑うと確認できました。二足歩行の習慣といい、先天的にせよ後天的にせよ、彼は動物学的にはあり得ない犬でした。
大親友のウッドストックの言葉を理解できるばかりか、さらにウッドストックの仲間たちとコミュニケーションや区別が出来るのはスヌーピーだけでした。スヌーピーのお腹の上で寝たり、アイスホッケーで遊ぶなど彼らは仲良しコンビでした。母の日には一緒に空を眺めてそれぞれの母親を想ったりもしました。
スヌーピーは猟犬の犬種であるにも関わらずウサギが大好きで、弁護士の変装時にはピーターラビットを筆頭にウサギの弁護をしたり、ウサギ達もスヌーピーが病院に入院すると見舞いにくるほど親睦を深めていました。
苦手なのは隣家の猫のWW-2やココナッツ、ビーツなど。猫は一般に駄目で、フリーダの飼い猫・ファーロンも嫌っています。閉所恐怖症なのは先述しました。チャーリー・ブラウンとの絆は強いのですが、いつまでたってもチャーリーの名前を覚えず「くりくり坊主(round-headed boy)」と思っているようです。
誕生日は8月10日。初めは、この日か8月28日かはっきりしませんでした。
スヌーピーはチャーリーが引き取る前は、ライラという少女のもとにいました。しかし飼い犬禁止の家に越すので飼えなくなったために、生まれ故郷のデイジーヒル子犬園へと戻されていたのです。
伝説によれば、出会いはこうでした。幼いチャーリーが砂場で遊んでいると、隣にいた見知らぬ子供に頭からバケツいっぱいの砂を浴びせかけられました。彼は泣き出し、お母さんが慌てて家へ連れ帰りました。翌日チャーリーの両親は彼を車でデイジーヒル子犬園へ連れてゆき、一匹の仔犬を買い与えた、というものです。別の伝説では、新聞広告を見たチャーリーがライナスとともにでかけ、5ドルで引きとったことになっています。
それがスヌーピーのおおまかな来歴でした。
(8)
チャーリー・ブラウンの妹サリーを候補から外すなら、ルーシーことルシール・ヴァン・ペルトはパインクレスト小学校の女帝、ダーク・ヒロインというべき存在でした。いや、サリーなどはルーシーの弟ライナスに熱を上げ「私のすてきなバブーちゃん」と迫っては避けられている(自分のことは「あなたのバブエットちゃん」と呼ぶ)程度の可愛いもので、勉強嫌いでいつも宿題を兄に手伝ってもらうが成績はそれなりに良いとか、夏に行われるサマーキャンプが大嫌いとか他愛のないものです。
パインクレスト真の脅威はルーシー、本名ルシール・ヴァン・ペルト、ライナスとリランの姉でした。それはもうずっと以前からこの町の定説でした。
彼女はわがままで口うるさい性格に加えて、ライナスに対しては安心毛布や指しゃぶりをはじめ疎んじて当たり散らしますが、リランに対しては優しく接していた頃もありました。しかしリランが成長するにつれて、彼をも徐々に疎んじるようになりつつあります。それほどに、彼女の弟たちへの愛憎は自分本位で気紛れなものでした。
アメリカンフットボールのホルダーを務め、チャーリーが蹴ろうとする瞬間に反射的にボールを引っ込めてしまうのは毎年の恒例行事でした。しかしこれには例外もあり、チャーリーが短期の入院から退院した際にはしっかりと押さえていましたが、彼が間違って彼女の腕を蹴ってしまい、骨折させられたこともあります。また、まだ甘やかしていた頃に、弟のリランにボールを託したためにボールを蹴られてしまった失策もありました。
チャーリーの野球チームではライト、まれにはセンターを務めますが、守備がザルでフライを取れたためしがありません。一時ペパーミント・パティのチームにマーシーとトレードされましたが、あまりの下手さに呆れられ、結局元通りになりました。
基本料金5セント(最高50セントまで上がる)でカウンセラーをしており、チャーリーたちの悩みを独断と偏見でさらりと解決するのも趣味でした。シュローダーが好きですが関心を得られず、彼のトイピアノを破壊することもしばしば。男の子には口うるさく侮蔑的で、スヌーピーにキスされようものなら、間接であっても「黴菌もらった!消毒して!赤チン持って来て!」と大騒ぎします。
誰もが知るルーシーは、そういう女の子でした。
(9)
チャーリー・ブラウンの報告によると、ルーシーはライナスの毛布を引きちぎったかと思うとピッグペンから埃をはたき落とし、フランクリンに人種差別的な暴言を吐きながらペパーミント・パティとマーシーのおしゃべりに割って入って眼鏡を奪うと踏み割り、シュローダーのトイピアノを叩き壊して走り出して行ったのだといいます。気がつくとライナスはリランのオーバーオールを被せられ、指をしゃぶろうとすると指がなかった。これは気にかかる下げですが、今ライナスのおしゃぶり指の行方を忖度しても正確な事態はつかめないでしょう。
だからあと、とチャーリが言うには、ルーシーが標的に選ぶとしたらここなんだ。もちろんぼくのグローブもまっ先にこれさ、と彼はボロボロになった残骸を未練惜しげにぶら下げていました。いったいルーシーはどうしちゃったんだろう?ぼくたちみんなにこんなひどいことをして。
それは極めて明瞭なことではないかね、と、すかさずシャーロック・ホームズ姿に変装したスヌーピーはパイプを傾げました。ワトソン博士に扮装したウッドストックが('''''''''''……!?)と合いの手を入れます。
つまりはこういうことだよ、一般に動機のない行為、ことに犯行のように重大なリスクを背負う行為に動機の伴わないことなどめったにないとすれば、ルーシーがしでかしたという今回の大騒ぎにも彼女なりの動機があったと見るべきだろう。つまりさ……。
スヌーピーはもったいぶった間を置くと、ライナスの毛布、ピッグペンの埃、フランクリンの高潔さ、ペパーミント・パティとマーシーの友情、これらはルーシーが日頃から気に食わなかったもので、自分に関心を向けてくれないシュローダーのトイピアノをぶち壊したのもそうだ。リランのオーバーオールをライナスに着せたのも八つ当たりで、彼女が弟の指しゃぶりを嫌っていたのもみんな知っている。
きみのグローブがまっ先に引き裂かれたのも仕方ないだろう、とスヌーピーはいまだに名前の覚えられないくりくり坊主を慰めて言いました。きみは善良な少年だが、草野球に関しては少々悪目立ちがしすぎた。だが、どうして私まで危険に備えなきゃならないんだい?
きみはそのつもりはなくてもね、とチャーリーは膝をつきました。誰もがきみを、ぼくの犬だと思っているんだよ。
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スヌーピーはやれやれ、話にならんわといった仕草をすると、この際きみの言う通りだとしよう、だが今回のルーシーのターゲットはいずれも人間どうしのことだよ。それがどうして私にまで類がおよぶんだね?
チャーリーが答える前にスヌーピーは先回りしました。つまりライナスの場合なら毛布、マーシーなら眼鏡、シュローダーならトイピアノといった具合にルーシーの八つ当たりは器物損壊にも現れている。きみのピッチャーグローブもそうだ。シュローダーがグローブを携えていたらきっとそれもズタズタに引き裂いたに違いない、シュローダーはわれらのキャッチャーなのだから。グローブについて言えば、ルーシーほどひどいライトまたはセンターはいなかった。彼女は朝起きるとまっ先に自分のグローブを引き裂き、気づかれないうちにライナスのグローブも引き裂いただろう。少なくともライナスはルーシーよりは優秀なセカンドだから、八つ当たりされる資格は十分ある。
ライナスのおしゃぶり指はぞっとする事件だが、とスヌーピーは身震いすると、だがこれはすべてパインクレスト小学校で起きたことだろう?彼女が犯行現場を市内全域に広げるとしたら、それこそルーシー自身にも収拾がつくまい。一般的な犯罪心理学では、犯罪者自身が自分の把握しきれる規模以上に犯行を拡大することはめったにない、とされる。ここはきみの家の庭だろう?きみの懸念通り彼女が私をきみの飼い犬として狙うにせよ、このテリトリーには入れないよ。
そうなのかな、とチャーリーは飼い犬にあっさり説得されそうになりましたが、あのさ、きみはぼくが悪目立ちしているピッチャーだって言ったよね。
気を悪くしたかい?少しはお世辞も言いたいが、歯に衣着せない犬なんでね。
ぼくが心配しているのもそれさ、と下手に出ながらチャーリー。良かれ悪しかれきみほど目立つ犬はいない。それはぼくの飼い犬でなくても、パインクレスト小学校の外であってもわざわざ襲撃しに来るに値しないだろうか?
ルーシーには私に危害を加える動機がないよ。
それはぼくたち全員だって主張したいさ!それにスヌーピー、彼女はきみに危害を加えたいというより、きみの犬小屋をぶち壊したいんじゃないかな?
……そして現れたルーシーの形相は、チャーリー・ブラウンの予想をはるかに超えていました。
第一章完。
(五部作『偽ムーミン谷のレストラン』第二部・初出2014~15年、原題『ピーナッツ畑でつかまえて』全八章・80回完結)
(お借りした画像は本文と全然関係ありません)