人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

氷見敦子「『宇宙から来た猿』に遭遇する日」(『氷見敦子詩集』昭和61年=1986年刊より)

(氷見敦子<昭和30年=1955年生~昭和60年=1985年没>)
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『氷見敦子全集』

思潮社・平成3年=1991年10月6日刊
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「宇宙から来た猿」に遭遇する日

氷見敦子

 四月十日/午前十一時過ぎ。急いで部屋を出る。
都営三田線で神保町へ。バスを待つ間、近くの書店へ立ち寄り、
ジョン・ケージ『小鳥たちのために』を購入。道が混んでいる。
視線の先まで、車の列が続いている。信号が変わるたびに、
列が伸びたり縮んだりする。靖国通りを流れていく。
車という車が、苛立っている。十二時十六分前、バスが来ない。
井上さんが手を上げて、タクシーを止める。

 *

(最初に、
――どちらまで?
と、タクシードライバーが尋ねた。
――半蔵門病院までお願いします
井上さんと並んで、後ろのシートに滑り込んでいる。
――病院なら、銀河の密林を通って行きましょうか……
と、言うタクシードライバーの声が、
不思議な光沢を帯びている。
――このまま、まっすぐ行って下さい
ときおり、シートから放り出されるような衝撃が走り
からだが、どこかへ、ふわり、ふわり、
ふわりと、浮き上がってしまう。
――ほら、うすももいろの星雲が見えて来たでしょう
タクシードライバーが、くるくるとハンドルをまわしながら、車を、
銀河のなかへ進めていく。
――ちょうど桜が満開でみごとですね
北の丸公園の桜に見とれている、わたしたちはまだ、
タクシードライバーが「宇宙から来た猿」であることに、少しも、
気づいていない。

 *

 十二時数分前に、半蔵門病院に着く。
三十分ほど待たされたあと、三浦先生の診察を受ける
ナースの目に促されて、二階へ。手術室の前を横切って、
青いベッドの並ぶ部屋に入る。
 あの日から、脳の奥で、手術室がしんと静まり返っている。
十二月二十五日に、そこへ、入った。わたしから潰瘍のできた胃の、
三分の二が切除されていく。胃の、三分の二が、切除されていく。
わたしから切り離された臓器が、呪いとなって、奈落へ、
吸い込まれていった。あの日を境に、手術室は、
水を打ったように静かだ。
 ナースが点滴の容器を持って現れる。血管に針を突き刺すとき、
決って、痛いかと聞く。痛いと、いつも答える。入院中は毎日、
点滴を打たれた。毎日、針を刺すので、内出血の跡が消えることはない。
日増しに、血管が固くなり、針を拒絶する。針を、見ただけで、
腕が黒ずんでいく。
 ピンク色の液体が、ゆっくりと血管のなかを流れ始めている。
目を閉じると、タクシードライバーの声が蘇ってくる。
「ほら、うすももいろの星雲が見えて来たでしょう」
 ……。
いまでは、ピンク色の液体が無数の星となって、
わたしの内なる宇宙を、駆け巡っているのだ。
 ベッドに横たわっているわたしのそばで、
井上さんが、推理小説を読む。『タクシードライバー殺人事件』が、
しだいに、クライマックスへ向かっていく。緊張が伝わって来て、
井上さんの目玉の奥に、血まみれの死体が転がっている。
だれが、タクシードライバーを殺したのか?
意識に嵐を巻き起こす猿が殺人者なのだと、井上さんが、
押し殺した声で呟く。犯罪を犯す猿。
知的な猿のシンジケート。そして、
猿を堕胎する謎の女たち。
 井上さんの、脳に、推理小説がとり憑いている。
(最初に、
猿が姿を見せたのは、一九八三年十一月三十日のことである。
――(傷を渡る)猿どもの尻がきょうにかぎって真紅に燃えている
という一行が、井上さんの脳から飛び出している。
一行が、不思議な閃光となって、
宇宙を横切っていく。

 *

 午後一時二三分。受付で薬をもらい病院を出る。
空腹。再びバスに乗って神保町へ。「ランチョン」で遅い昼食。
食後、胃が膨らみ腸が痛み出す。食物の移動にともなって、
痛みが、少しずつ下の方へ移っていく。同時に、睡魔が、
脳細胞を侵し始めている。しばらくは身動きもできず、
仮死状態のまま、夢の入江に沈んでいる。

 *

(わたしが
その猿のすみかを見つけたのは
四月十日、井上さんといっしょに半蔵門病院へ行った日ではなく、
未来から絶えまなく訪れる「四月十日」が
脳の地平から放射状に飛び散っていくところに向かって
無限に砕かれていくわたしが
とどめようもなく舞い狂っているのです
気がつくと
地下鉄に乗っている女が神保町へ近づいている
途中、光の壁に耳を押し当てて
巨大な赤ん坊の夜泣きが宇宙の井戸から落ちてくるのを聞く
わたしはもう長い間
熱病のように震えるからだで
夢の焼跡ばかりをさまよってきたのだ、そこから
水の目を茫洋と見開き
胎児の意識から生え出す景色という景色が
燃えるような光の渦に覆われていたのを見ていたことがある
わたしは脳が柔らかく崩れて行く岸辺に立ち
燃え上がる樹木、燃え上がる路上、燃え上がる建築物、
燃え上がる人骨を数千年にもわたって恍惚とながめ続けてきた
というのは
ほんとうなのだろうか (けれども
燃える猿の影を追ってきた女がひとり神保町に来ていて
神話のように笑う。わたしは
もう決して千石へ帰宅することのないわたしだから
神の目玉に見据えられたままかすんでいる
いつのまにか地下鉄を降り
階段を上っていくわたしは、午後三時二十四分ごろ
劇場のようなところから地上に出ている
すぐそばの電話ボックスに飛び込み
ダイヤルを川の聞こえる方へまわしていく、わたしは
輝く水面にとつとつと溢れ出す井上さんの声に涙を流している
半ば放心したまま
神保町古書店街を行くわたしの奥深くで
いまとなっては、歩行が大きな樹木のように揺れるばかりだ
左の目の淵を漂流する喫茶店の扉の内側には
ときおり、追憶の遠い渦がまわっていることもあるが
足を止めることもなく歩き続ける、わたしは
その先でふいに黄昏てくる脳の角を曲がり
そう感じたとき
小さくひっそりとした玩具店のなかへ吸い込まれていたのだ
ためらうこともなく店の奥へ進んでいく
わたしは死体のような人形の目に送られている、店の奥へ
奥に向かっていくにつれてしだいに深く成っていく木立
再び、巨大な赤ん坊の夜泣きが宇宙の井戸から落ちてくるのを聞く
密林に分け入っているようなわたしは
わたしのからだが無数の木の葉となって宇宙へ飛び立っていくのを
感じている、そこから
脳の地平をわたってきた店主の
影の絶えまなく吸い込まれていく洞窟があり
「宇宙から来た猿」がひっそりと遊んでいるのだろうと思う
十二月二十五日
神の笑いを聞きながら猿を堕胎した女が、週に一度
臍の緒をたぐりよせるようにして古代の病院へ通い続けている
女から堕胎された猿の恐怖が
いまでは桜の花弁となって舞い落ちているのですね
きれいね、と井上さんに言ったわたしが
タクシーのなかにいて、
九段下から坂上へ跳ねるように上がっていく

 *

(二度目に
猿が姿を現したのは、一九八四年七月二十日のことである

(「現代詩手帖」昭和60年=1985年10月発表)


 氷見敦子(昭和30年=1955年2月16日生~昭和60年=1985年10月6日没・享年30歳)の没後刊行詩集『氷見敦子詩集』(思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊)は第4詩集『柔らかい首の女』(昭和54年=1984年10月刊)の完成した1984年6月以降、1986年10月の氷見急逝までに書き継がれた14篇が制作順にまとめられた詩集で、今回のご紹介で詩集は没後発表の1篇を残すのみとなります。氷見敦子の略歴、遺稿詩集『氷見敦子詩集』の制作背景は、これまでご紹介した12篇をご紹介した際にたどってきましたので、特に詩篇内容に即して病状の推移を詳述した前回をご参照ください。今回ご紹介した、
○「宇宙から来た猿」に遭遇する日 (「現代詩手帖」昭和60年=1985年10月発表)
 は、昭和59年12月25日の胃潰瘍手術が題材とした詩集前作「半蔵門病院で肉体から霊が離れていくとき」の続編といえる内容ですが、商業誌発表を意識して前作からの引用も含み、独立性・完結感が高く、詩集の3番目の「神話としての『わたし』」から本格的に始まり、手術後に書かれた「井上さんのいなくなった部屋で、ひとり……」「井上さんと超高層ビル群を歩く」以降で最長の「井上さんといっしょに小石川植物園へ行く」と並んで詩集中もっとも優れた作品です。ジョン・ケージ『小鳥たちのために』の訳書は詩誌「ユリイカ」のジョン・ケージ特集号とともに当時詩の世界では話題の本でした。「犯罪を犯す猿。/知的な猿のシンジケート。そして、/猿を堕胎する謎の女たち。」、また唐突な「(二度目に/猿が姿を現したのは、一九八四年七月二十日のことである」の結びには吉岡実吉増剛造に肉薄するグロテスクなブラック・ユーモア感覚すらうかがえます。氷見敦子が亡くなった月でもある昭和60年10月に商業誌発表されており、また病床で書かれ没後翌月発表の絶筆となった「日原鍾乳洞の『地獄谷』へ降りていく」が昭和60年9月24日付けで同人誌に送られている(全集年譜による)ことからも、本篇は容体が急速に悪化した8月下旬より前に「現代詩手帖」用に完成され入稿されていたと推測されますが、氷見敦子本人に病名が告知されたのは逝去前月の9月に迫ってからでした(両親と「井上さん」には手術当日に告知されていました)。連作化・断片化の進んだ詩集中盤以降でも本作は前述の通り「井上さんといっしょに小石川植物園へ行く」と並んで独立性・完成度が高く、また商業誌「現代詩手帖」発表であることから本作で一気に氷見敦子への注目が高まるとともに、翌月の詩誌(当時の商業詩誌は「詩学」「ユリイカ」「現代詩手帖」に、女性詩誌「ラ・メール」がありました)では逝去が報じられるのです。当時筆者は半蔵門~九段下のすぐ隣の市ヶ谷の大学に通って靖国通り添いでアルバイトしていたので固唾を飲んで本作掲載の「現代詩手帖」を読み、翌月氷見敦子の逝去を知った衝撃は忘れられません。'70年代の立中潤・石原吉郎の自殺に続き、唯一の商業詩誌転載詩篇「遥るかする、するするながらIII」(昭和45年=1970年)のみで伝説化して人知れず亡くなっていた山本陽子(1943-1984)の『山本陽子遺稿詩集』(昭和61年=1986年5月刊)とともに、同時代の詩人の死として氷見敦子の逝去はもっとも痛ましいものでした。あと詩集からご紹介していない詩篇は絶筆となった最後の1篇「日原鍾乳洞の『地獄谷』へ降りていく」を残すのみになりました。次回ご紹介いたします。今回も詩集目次を上げておきましょう。
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『氷見敦子詩集』

思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊・目次
○消滅していくからだ (女性詩誌「ラ・メール」昭和59年=1984年10月発表)
○アパートに棲む女 (「現代詩手帖」昭和59年=1984年11月発表)
○神話としての「わたし」(同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年9月発表)
○夢見られている「わたし」(同人誌「かみもじ」昭和59年=1984年10月発表)
○井上さんと東京プリンスホテルに行く (同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年11月発表)
○千石二丁目からバスに乗って仕事に行く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年1月発表)
○井上さんのいなくなった部屋で、ひとり…… (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年3月発表)
○井上さんと超高層ビル群を歩く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年5月発表)
○一人ひとりの<内部>の風景を求めて (同人誌「漉林」昭和60年=1985年9月発表)
○井上さんといっしょに小石川植物園へ行く (同人誌「ザクロ」昭和60年=1985年8月発表)
○東京駅から横須賀線に乗るとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年9月発表)
半蔵門病院で肉体から霊が離れていくとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年7月発表)
○「宇宙から来た猿」に遭遇する日 (「現代詩手帖」昭和60年=1985年10月発表)
日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年11月発表)