人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

氷見敦子「東京駅から横須賀線に乗るとき」(『氷見敦子詩集』昭和61年=1986年より)

(氷見敦子<昭和30年=1955年生~昭和60年=1985年没>)
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『氷見敦子全集』

思潮社・平成3年=1991年10月6日刊
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東京駅から横須賀線に乗るとき」

氷見敦子

 六月九日/曇り空の下を歩き、東京駅から横須賀線に乗る。
電車の箱が揺れ始めています。(夢ではなく、
箱に入る、わたしの脳にとり憑く声、声の、
激しい滝に打たれながら、箱に入る。

 (……電車の、箱が、カラ、に、成る、とき、
 電車は、その、カラ、の、箱を、振って、
 揺れて、いた、幽かに。この、とき、電車は、
 電車の、箱は、確実、に、一個の、霊魂で、
 ある……)

 プラットホームに立つ「吉増剛造」を見たと思った。
 わたしの、
魂が、電車の箱のなかへ入ってゆき、揺れながら運ばれていく。
わたしが、(ああ)刻々と離れて、東京から離れていくのです。
 そのとき、わたしはひとりだった。
 横須賀線の箱。
箱のなかは、見知らぬ人たちの息づかいで充満している。
濃霧のように、立ち籠める息。ときおり、
見知らぬ人たちの咳払いが、稲妻となって光り、ばらばらと、
瞬きが、瞬きもいくつか、降ってくるようだ。
 どの電車にも、見知らぬ人たちが肩を並べて茂り合っている。
当然「見知らぬ人」とは樹木であり、秋には紅葉する。
紅葉する男の、紅葉する女の、これは深い匂いだ。彼ら、
紅葉となって、乱暴するのです。再び、はらはらと、
わたしの内部へ降り込んで来るのだ。紅葉する彼らの姿が、
千年も先まで、続いている。
 そのとき、わたしはひとりだった。

 *

 千石二丁目に、井上さんが残されている。
千石2ノ27ノ6ノ303では、取り残された井上さんが、四畳半の、
机の前でひとり、わたしの「面影」を呼吸するので、「面影」が、
井上さんの脳を、出たり入ったりしている。
 台所に立つ「面影」を、漠然と意識しながら、
井上さんが、便器に腰掛けている。あるいは、六畳から、
ベランダに出ていく「面影」を、感じながら、井上さんが、
扇風機とテレビのスイッチを入れる。そこでは、日常が、
魚の鱗のように続いているのだ。
 千石の奥深く響きわたる声。今夜も、その男が、
夢の扉を開けて、出て来る。今夜も、その男が夢の閂をはずし、
扉を開く。男の視界に湧き出す女がいて、光のように点々と、
移動していく。後を追って、男の声だけが繁殖する。
男の声だけが繁殖する。

沼をめぐり
女の勤めていたガソリンスタンドを越えたあたりから
その家に続く道に入り込んでいる
蛇行の果て
錆びついたような釘のようなもので門を開ける
窓硝子が打ち砕かれていて
声の粉々に飛び散ったあとが見える
目の底に
女の影が素足で降り立ち
気配だけが玉砂利を踏んで庭を横切っていく
名前を思い出そうとして
記憶が激しく刈り込まれていることに気づいた
血の滲んだ肉片に触れたときの感触が
まだ生き生きとあたりに漂っているみたいだ
巨大な静寂に見据えられたまま
壁を押し
家のなかへ入っていく
最後の壁の向こうには
銀河が滝となって流れ落ちている

 *

 東京駅から横須賀線に乗ったわたしが、六月九日、午後、
神奈川県に入っていく。電車の箱が、神奈川県に、
入っていく。記憶が、そこから、川のように流れ出ていた。

(小学六年生から中学一年生にかけて、
わたしは、北鎌倉に住んでいたことがある。

(夏の終わり、借家だった家の前の小さな山が神がかり、
山全体、深いひぐらしの鳴き声に洗われていく。

(宇宙の簾から吹き込む風。
銀河に棲む蠅が、風のなかで羽を震わせている。

(高校二年生から二十八歳になるまで、
わたしは逗子の街で暮らしていた。

(新しい家に引っ越した当初、まばらだった人家のすきまに、
海が巨大な円盤のように輝くのが見えた。

(明け方、波の音が銀河の入江から聞こえてくる。
小人のような神が、きっと巻き貝に棲んでいるのだ。

 記憶が、そこから、川のように流れ出ているのでした。
わたしは、一艘のカヌーを脳のなかに運び込み、川を昇る。
わたしは、川を昇る女だ。

 *

 鎌倉駅前の風景。
その風景のなかへ歩いていくわたしは、歩いていくとき、
わたしが、たちどころに複数のわたしとなって、それぞれの風景を、
歩いている。鎌倉駅前の風景が時を飽食する。飽食しながら、
限りなく肥大していくのを、感じる。

光明寺行きのバスがでるまで、十五分以上も待たなければならない、急いでいるわけではないが、あなたはいらいらしながらバス停をはなれて駅前広場を横切る。右側に西部百貨店、左側にあなたとかれがよくバヴァロアやエクレアを食べたことのある風月堂、そして観光都市らしく土産物を並べた店……あなたにとってはまったく見慣れた鎌倉の駅前だ。しかしいま鎌倉は二月の埃っぽい寒気のなかであなたによそよそしい顔をみせている」

 一九七二年、倉橋由美子の『暗い旅』に夢中になる。
十七歳のわたしが、鎌倉駅前を横切っていく。横切っていく、
わたしが、制服を着たまま、ジャズ喫茶の階段を上がっていく。
あるいは、私服で「材木座に住む彼といっしょに、
駅の正面にある<扉>へ入ったことがあった」
「 」の部分が、『暗い旅』と同じである。

 西部百貨店は、ずいぶん前に取り壊され、そのあとに、
東急ストアーが建った。駅前周辺2は、新しい喫茶店、新しい
レストランが次々とでき、風月堂は、急速に衰退していった。

 東京から横須賀線に乗り、改築された鎌倉駅を見る。
 そこから、
記憶の川を昇る。わたしは、川を昇る女だ。飛沫が、
魂の粒子となって、降りかかってくる。

 わたしが初めて、鎌倉のバスターミナルに立ったのは、
音楽教室に通い始めた、小学六年生のときだった。

 *

小学生のまま改札を抜けると、
バスが闇の底にとまっている
陽が落ちてからは時間が龍巻をつくり
数百月が瞬くまに過ぎていくみたいだ
うっそうと生い茂った樹間を
ショッピングバッグを持って行き通う人たちまで
獣の匂いを漂わせている
銀行から走り出て来た女が
腕のなかの赤ん坊の声を振り払うようにして消えてしまう
わたしは今でも
赤ん坊だった男の夢を忘れることができない
車体の震えが伝わって来るころには
からだごと男の影に挑みかかっていく
海へ突き出た道の果てでバスを乗り捨てたあとは
夢を剥ぐようにして
小学生のまま女にもどっている
星の光で貫かれた記憶にゆさぶられる
遠い昔、銀河をわたっていった男の悲鳴を
聞いたような気がする

 *

 井上さんが、鎌倉の風景のなかに入って来る。入って来たのは、
一九八三年、十月のことである。
 わたしたち、不思議な距離をとりながら、海へ、海の方へ、
降りていく。秋の入口に走る波が、ふいに、記憶を洗うようだ。
波の、なだれ落ちる水の壁へ入っていく。わたしたちの声が、
しぶきをあげ、海のどこかで呼び合っているみたいだ

 吉増剛造『絵馬』・倉橋由美子『暗い旅』より引用箇所あり

(同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年9月発表)


 氷見敦子(昭和30年=1955年2月16日生~昭和60年=1985年10月6日没・享年30歳)の没後刊行詩集『氷見敦子詩集』(思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊)は第4詩集『柔らかい首の女』(昭和54年=1984年10月刊)の完成した1984年6月以降、1986年10月の氷見急逝までに書き継がれた14篇を制作順にまとめられた詩集で、今回の作品で詩集冒頭から11篇までをご紹介したことになります。氷見敦子の略歴、遺稿詩集『氷見敦子詩集』の制作背景は、これまでの10篇をご紹介した際にたどってきました。

 氷見敦子は昭和59年12月25日に胃の2/3を切除した胃潰瘍の手術で末期胃癌の進行と移転の判明が両親と恋人で事実婚にあった「井上さん」に宣告されていましたが、氷見敦子本人に病名が明かされたのは昭和60年9月、逝去の前月になってからでした。病名の告知が言及されるのは逝去の月に発表された詩集の終わりから二番目の商業誌発表作品「『宇宙から来た猿』に遭遇する日 」であり、詩集最後の作品は逝去翌月の同人誌に発表されます。

 詩集11篇目になる今回の、
○東京駅から横須賀線に乗るとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年9月発表)
 は昭和60年6月、小康状態を得た氷見敦子による一種の望郷詩篇です。氷見淳子は前年末の手術以来3月まで逗子市の実家に帰って通院生活をしていましたが、3月下旬には昭和59年1月以来事実婚生活をしていた「井上さん」との東京都文京区千石のマンションに戻ります。この詩では日帰りの帰郷から少女時代からの生い立ちの回想が語られており、息詰まるような壮絶な作品が並ぶ詩集中盤以降にあってわずかに安らいだ気分が漂っていますが、これもほとんど末期の無我の視点から描かれているには違いないので、望郷詩らしい甘さだけでは成り立っていない詩篇です。いよいよ詩集はいずれも200行近い生前発表作品2篇、途中で途切れているような没後発表の(おそらく)未完の絶筆作品1篇の残り3篇になりました。詩集目次(○はご紹介済み、●は以降ご紹介予定)を上げておきます。
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『氷見敦子詩集』

思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊・目次
○消滅していくからだ (女性詩誌「ラ・メール」昭和59年=1984年10月発表)
○アパートに棲む女 (「現代詩手帖」昭和59年=1984年11月発表)
○神話としての「わたし」(同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年9月発表)
○夢見られている「わたし」(同人誌「かみもじ」昭和59年=1984年10月発表)
○井上さんと東京プリンスホテルに行く (同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年11月発表)
○千石二丁目からバスに乗って仕事に行く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年1月発表)
○井上さんのいなくなった部屋で、ひとり…… (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年3月発表)
○井上さんと超高層ビル群を歩く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年5月発表)
○一人ひとりの<内部>の風景を求めて (同人誌「漉林」昭和60年=1985年9月発表)
○井上さんといっしょに小石川植物園へ行く (同人誌「ザクロ」昭和60年=1985年8月発表)
○東京駅から横須賀線に乗るとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年9月発表)
半蔵門病院で肉体から霊が離れていくとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年7月発表)
●「宇宙から来た猿」に遭遇する日 (「現代詩手帖」昭和60年=1985年10月発表)
日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年11月発表)