『ましろの月』
ポオル・ヴェルレエン
永井荷風訳
ましろの月は
森にかがやく。
枝々のささやく声は
繁みのかげに
ああ愛するものよといふ。
底なき鏡の
池水に
影いと暗き水柳。
その柳には風が吹く。
いざや夢見ん、二人して。
やさしくも、果し知られぬ
しずけさは、
月の光の色に浸む
夜の窓より落ちかかる。
ああ、うつくしの夜や。
『道行』同
寒くさびしい古庭に
二人の恋人通りけり。
眼おとろえ唇ゆるみ、
ささやく話もとぎれとぎれ。
恋人去りし古庭に怪しや
昔をかたるもののかげ。
-お前は楽しい昔の事を覚えておいでか。
-なぜ覚えてゐろと仰有るのです。
-お前の胸は私の名を呼ぶ時いつも顫えて、
お前の心はいつも私を夢に見るか。-いいえ。
-ああ私等二人唇と唇とを合した昔
危い幸福の美しいその日。-さうでしたねえ。
-昔の空は青かった。昔の望みは大きかった。
-けれども其の望みは敗れて暗い空に消えました。
烏麦繁つた間の立ちばなし、
夜より外に聞くものはなし。
(訳詩集「珊瑚集」1913より)
荷風の好みは19世紀フランス象徴派、小説では自然主義、美術では印象主義だった。それが当時の最新の芸術思潮だったのもあるし、また、開国のタイミングが西欧にとっても近代から現代への転換期だったこともある。荷風は最初から生粋の現代作家の感性を持っていた。
最愛の詩人はボードレールとして、その3人の弟子ではマラルメやランボーより放蕩の詩人ヴェルレーヌ(1844-1896)を愛した、というのがいかにも荷風好みでいい。
荷風の弟子、堀口大學もまたヴェルレーヌ研究者で、新潮文庫版「ヴェルレーヌ詩集」では『道行』は詩集「艶かしきうたげ」1869に『わびしい会話』、『ましろの月』は詩集「やさしい歌」1870に『白き月かげ』として、それぞれ訳載されている。フランス象徴詩は岩波文庫では鈴木信太郎、新潮文庫では堀口大學が独占していて、ランボーは各社から新訳が出ているがマラルメとヴェルレーヌは難物で、なかなか新訳が出ない。
象徴派の詩は印象派の純水絵画と同様意味はほとんど稀薄になっている。それを楽しめるかどうか、だ。