人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「こころ」総論(訪問者のかたへ)

そうですか。高校の時に読書会でお読みになったんですね。感想は不評でおもしろくない、わからない、わざとらしいの連発だった?ごもっともです。あんな景気の悪い自殺小説、しかも女性の描き方は曖昧だし語り手の青年の性格もつかみどころがない。物語に起伏もなければ共感できる人物もいない。およそ読者が小説に求める要素をことごとく欠いているのです。
にもかかわらず「こころ」が後期漱石の代表的名作扱いされるのは神田の老舗古書店で文芸分野で定評ある岩波書店が出版社として第一回刊行した話題性と、次作「明暗」が漱石の急死で未完となり生前最後の完成作品となったため、望遠鏡を逆さに覗くように「こころ」を頂点に漱石の作品群を位置づける慣習が批評家・研究者の間で定着化したからです。
「こころ」のつかみどころのなさは初老(当時の感覚では。漱石の没年も50歳です)の自殺願望者を平凡な青年の理解力と視点で描いているところからきています。女性の描き方が曖昧なのも青年には先生の奥さんに関心がないからです。先生の遺書で描かれる娘時代の奥さんですら曖昧なのは親友の片想いの女性としての関心しかない上に、彼女への求婚も親友を失恋させるためで、これは明らかに同性愛的な嫉妬です。
先生の自殺願望が遺書で説明される通りの動機(過去に婚約者を争って親友が自殺した罪悪感)と契機(明治天皇崩御と乃木将軍夫妻の殉死心中から受けたショック)か、従来の研究はほとんどこの第三部を中心に検討したものです。動機・契機とも十分な説得力を欠いている、と諸家の意見は一致しています。
そこで思い出されるのは前作「行人」です。これも人格障害に陥ったインテリの兄を平凡な好青年の弟の視点から描く、という実験作でした。「こころ」の次作「明暗」に見られる通り、晩年の漱石は人間関係の断絶にこそ興味と確信があったと見られます。「こころ」の手法が「行人」を継ぐものかとなるとまた厄介なのですが(「行人」の兄は自虐的に自分の妻と弟の不倫を妄想します)少なくとも私と先生の間にはたがいの人格・性格の理解がない。距離感もはっきりしない。先入観なしに読んだ読者がプラトニックなゲイ小説と思ってもおかしくありません(その点に着目し島田雅彦が後期漱石への悪意に満ちたパロディ「彼岸先生」で成功しました)。
ご質問あれば承ります。では。