人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

補遺「こころ」総論

はい。ご質問承りました。まずは転載させてください。
「自殺の起因となったのは「(女にうつつをぬかして)向上心のない者は馬鹿だ」」という言葉ですよね。当時のインテリには馬鹿という言葉はそれほど屈辱的だったのでしょうか?それとも他に何かの要素があったのでしょうか?」
これは先生の親友の自殺を指しているのですね。「他の要素」は親友の片想いを知りながら突然下宿のお嬢さんとの婚約を出し抜いた先生の裏切りで、決定的な打撃になったのはこちらの方だと見るのが妥当でしょう。親友は生い立ちから孤児的性格で、先生との友情にも依存的性格が現れています。女性への関心もなく、親友の片想いの対象だというだけで彼女に求婚する先生の行為は同性愛者的嫉妬でもあり、親友への精神的サディズムでもあります。この友情は両者共に破綻を求めていた、といっていいでしょう。

「馬鹿」という言葉自体も使い方次第で重みが違ってきます。どういうタイミングで使われているかを見ると、まず親友が先生との旅行の時に言い、その後親友の片想いを知って先生が前半をわざと省いて「精神的に~馬鹿だ」とあてこする、というかたちになっています。
インテリと限定せず、当時の東京圏の「馬鹿」はそうとう強い罵倒語です。ただし罵倒語は家族や友人の間では愛情や信頼の表現として使われることも多い。先生は下宿のお嬢さんからの好意を薄々勘づいていました。親友からの言葉はそれに対する戒めですが、先生はお嬢さんには関心がないので侮辱と受け取れたわけです。だから親友からお嬢さんへの片想いを打ち明けられて、親友の言葉をそのまま報復として用いた、ということになります。
親友の片想いによって初めてお嬢さんは先生にとって重要な存在になります。つまり、先生にとって重要なことはすべてが親友を尺度にしています。天皇崩御・乃木将軍夫妻の自刃を契機に「明治の精神に殉ずる」と自殺したことも親友ならば、と思えばこその行為でしょう。先生は計画的自殺者として依存的に青年と交遊を結んだ、とまではいってもいいかと思います。
・追伸/「こころ」の次作は「明暗」とうっかり間違えてしまいました。ただしくは漱石唯一の自伝的小説「道草」です。あながち的はずれではない勘違いなのは「道草」が漱石の諸作の中でもかなり特異な位置に置かれているからです。