人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

虫垂炎入院日記(1)

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この歳になってかかったことがないのなら、虫垂炎なんてぼくとは一生無縁だと思っていた。小学校の低学年で済ますか、でなければそのままずっとかからずに済むか。まるで性質は違うが、幼児期を過ぎれば耐性がつく小児性の気管支炎みたいなものだと思っていたわけだ。もっとも気管ではなく消化器だが。
ぼくのこの誤解には由来がある。ぼくの育った町には中央病院という偉そうな名前の総合病院があって、小児科の入院病棟はいつも満床だった。腹痛を訴えた子供はみんな盲腸を切られてしまうのだ。あっても邪魔なものだから切ってしまう。それで入院安静させればたとえ盲腸でなくても治る。おそろしい話だが、ぼくの通った小学校では八割以上の児童が中央病院で盲腸を切られていたと思う。全校生徒1800名(ぼくは最後のベビーブーマー世代だ)その八割が虫垂炎だったとはとても思えない。幸いにしてこの中央病院は今はない。20年前に隣町の新設の大病院に合併吸収された(だからこうして堂々と実名で書ける)。
この問答無用の盲腸手術はさすがに小学生でも高学年になると使えないから4~5年生を境にガクッと減り、おそらく正真正銘の虫垂炎でなければ中央病院といえども切れない。ぼくは二割弱の盲腸生き残り組だったから、あーおれって盲腸手術しないで済んだんだな、と思った。今考えればとんでもない話だ。常にクラスのうち1~2人が盲腸手術で入院中なんて。学年で20人近く?親も教師も行政もそれで納得していたのだから(本当か?ブラック・マネーの臭いがしないか?)子供がそれを疑うわけはない。こうして書いていても唖然とする。ぼくはいったいどこの国の、どんな時代のことを書いているんだろう?

だいたい盲腸の話なんか大人になれば本人や家族がならないかぎり他人とは話題にしないものだ。ぼくも高校時代から先に知り合った人と盲腸の話などしたことはない。男同士の話ならむしろ髪や痔や性病の話題の方が身近だ。
ぼくの虫垂炎の知識は中学校の保健の授業と父の独身時代の同僚の話しかない。父の同僚は痛みをこらえているうちに盲腸周辺まで壊死して大手術になったそうだ。保健の授業は謎が解けた思いだった。盲腸は消化器官として何の役割も果していない。だが何かの拍子に消化物が詰まると炎症を起こし激烈な痛みと腸炎に拡大する。なるほど。一種の芸術みたいなものだ。