人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Happy Halloween!

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とまあ、スーパーでもハロウィンのお菓子のコーナーが枯葉色に目を惹く季節となった。まるで柿の種コーナーのようでもある。
それまでもあったかもしれないが、コーナーまでつくられるようになったのは2000年代のいわゆる0年代半ばだったのではないか。長女が4歳の時に保育園の同級生のお母さん(老舗婦人出版社の編集者で、母子家庭で、流行に目がなかった)が「ハロウィン・パーティやりましょう」と言い出したのだ。今にして思えばお母さんの職業上メイカーとメディアが仕掛ける計画がすでにあったのだと推測できる。
だいたい土日は何家族か集まって訪問しあったり催し物に行ったり生田緑地でピクニックしたりする仲だったので、同級生のうち大半が参加することになった。発案者のUくんママのうちに母子で集まり、1軒ずつ訪ねてお菓子をもらってまわり、最後の家でパーティする。うちは紙で三角帽をつくり魔法の杖を持たせた程度だったが、やはり女の子には気合が入るのか本格的な魔法使いファッションで決めた子もいて、母親だけでほぼ10人、一人っ子ばかりじゃないから子供は20人近くがこんな仮装をして長尾から宿河原まで日曜の朝をねり歩いてきたのかと思うと、

「結婚した女の人が沢山歩いていく
気の弱い人は皆驚く」
(西脇順三郎「体裁の良い風景(人間時代の遺留品)」大正15年)

を思い出す。
ぼくは強奪もしくは貢ぎ物には凝った。小分けのチョコレートやキャンディ、ゼリー、あられ菓子などを10種類くらいラッピングして'Trick Or Treat!?'に備えた。ドアの外でざわざわ騒ぎ声が近づいて、
「トリック・オア・トリート!?」
「ハッピー・ハロウィーン!」
と殺到するガキどもを片っ端からぶん殴る、じゃなくてお菓子を渡す。いつ見てもおれの妻はどのお母さんよりもひときわチビだな、と思う。
妻と娘たちがパーティから帰ってきて、「お菓子、どうだった?」と訊いたら「やりすぎ!」と言われてしまった。

離婚後も一昨年までハロウィンの贈り物をしていたが昨年はもういいだろう、と贈らなかった。もう贈ることはないだろう。
ハロウィンといえばアガサ・クリスティに「ハロウィーン・パーティ」という長篇がある。田舎町のハロウィンで、仮装パーティに乗じて小学生の少女が絞殺される。長女もそろそろクリスティなど読む年頃だ。