人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

二たび曼珠沙華に語ったこと

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ぼくの住んでいる老朽マンションもかなりのものだが、中庭を垂直に囲んで隣接するS荘もかなりのもので、こちらが外国人と無職とヤクザが多ければあちらは水商売と無職とヤクザが多い。どの部屋もほとんど家具らしきものが見えない。
無職の人たちは老齢か身体・精神障害で、よく市の福祉課職員や訪問看護士が出入りしているのを見る。この2棟、年に2~3部屋は空き部屋になり、またすぐに前述のいずれかに属する住人が入居してくる。
ぼくも即日入居したクチだが、この不動産屋は家賃の支払いがきちんとしていれば住人がワケありであろうと意に介さないのは知っていた。ぼくは実家を出された時「3日以内、長くて1週間」他所では3日ではきまらなかったが、この不動産屋では即日入居可能なお手頃家賃の貧乏アパートをみつくろってくれた。だからぼくの一人暮らしの始まりは今住んでいる場所とそう遠くない。

それで離婚してこの町に戻ってきた時は「あの不動産屋に当たろう」と目算をつけていたのだが、幾分リスキーだったのは25年前の強制退去だった。
ぼくは私生活に問題を抱えた親しい仕事仲間に空き部屋を紹介して、彼の復帰を助けようとした。自殺未遂も助けた(窓には施錠していなかった。飲みきれなかった睡眠薬が散らばっていた。こんなに冷たくなってしまうんだな、と思った)。
それから2~3か月たった。彼の様子は落ち着いているように見えた。彼がぼくの過干渉にいらだっているのには気づいていた。だが放っておくとまたどうなるかわからない。
話をはしょろう。彼は編集者だったが、ぼくは依頼された仕事を彼の面前でしくじった。渋谷の素人女子高生は面白い話どころか侮蔑的な態度までとった。
翌日別会社の仕事から帰宅すると、ドアの横の窓ガラスにガムテープを貼って、ハンマーと包丁を持った彼がいた。「お前を刺しておれも死ぬ」
その晩は実家に逃げ、警察は相手にしてくれず、部屋の中は滅茶苦茶にされて、灯油まで撒かれていた。
不動産屋は両者ともに退去を言い渡した。当時の恋人が向ヶ丘遊園に住んでいたので、早速翌日引っ越した-と、そんないきさつがあった。
普通そんな来歴があると同じ不動産屋は当らないだろう。だが即日入居・ワケあり不問となるとやはりここだ。すんなり入居できた。忘れているのか、とぼけているのか?