人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

市島三千雄・千田光全詩集前書き

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 予告していた「ダダイスト辻潤」が中断しているのに大手拓次山村暮鳥の再読を始めてしまったこのブログだがそうなる必然はあって、プレ・ダダイズム、プレ・シュルレアリスムの線上にはまずこのふたりの詩人が上がる。だが不遇詩人となると上には上があり、市島三千雄(1907-1948・新潟生れ)や千田光(1908-1935・東京生れ)となると誰も知らない。市島の全作品は13篇、千田は14篇しか残されていない。そこでいっそこのブログで「市島三千雄全詩集」と「千田光全詩集」をやってしまおう、たぶんどのサイトでもそんなの見つからないぞ(ニーズもないが)という企画を考えた。
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 萩原・室生の陰とはいえ大手・山村はなんといっても大詩人で、大部な全集に質の高い作品がざくざく埋っている。生前まるで埋もれていたわけでもないし、戦後の詩人全集では必ず、一般の文学全集でも忘れ去られるということはない。再評価どころか本格的な評価もまだまだだが、上毛カルタを知っている人ならいつか大手・山村に決定的な評価をくだす世代を送り出してくれるだろう。
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 ところが市島三千雄・千田光となると再評価どころか評価すら身内しかない。没後刊行詩集で一躍評価を得た寡作の詩人といえば富永太郎(1901-1925)がいるが、寡作とはいえ35篇、訳詩10篇、日記・書簡を残している。交遊も広い。市島・千田には作品以外の周辺資料がなにもない。
 「現代詩人全集第二巻・近代2」(角川文庫1963)の市島三千雄詩集は11篇15ページ(他に2篇)でこれが全詩集。「現代詩手帖」1971年1月号「千田光詩集」は11篇12ページ(改作を除いた)でやはり全詩集。市島は萩原朔太郎が発見、千田は北川冬彦の詩誌に依ったので北川の友人・梶井基次郎は毎号の感想を北川に送り、千田の作品を絶讚している。最初に千田光の名を知ったのはそれだ。
 市島のほうは1963年の角川文庫「現代詩人全集」全10巻を買ったら河出書房「日本現代詩体系」全13巻にも創元社「全詩集大成・現代日本詩人全集」全15巻(河出・創元とも現社詩研究家必携)にも載っていない唯一の詩人だったからだ。
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 萩原たちは過去の詩がすべて流れ込み、未来の詩を生み出す漏斗みたいな存在だった。市島・千田はその細い流れの一滴だ。おそらく乏しい読書と見聞からほとんど独学で詩を書いた。そこを買う。