人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

芸術

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まだ遠視用の眼鏡が出来てこない。こういう時は文献の引用や翻訳はしんどいから気楽なエッセイなら目の負担も軽いのだが、たいした話題もない。もし失明したら公的文書以外は口述筆記ですらも何も書かないだろう、と思う。
近松秋江ジェイムズ・ジョイスはお嬢さんに口述筆記してもらった。ぼくの趣味の作文に(ブラインド・タッチで書いても校正は自分ではできない)他人の労力を煩わせる価値はない。だいたい趣味の作文は自分で書かねば意味がない。
それで結局今回は「芸術」というお題で書いてみようと思う。

「芸術」といえば余命宣告を受けた村野四郎(1901-1975)の最後の詩集が「芸術」で、いくら死期の近い詩人でもそれはないよなあ、と当時苦笑を招いた。村野はシリアスな詩人だったから、人生最後の冗談が理解されなかったのは気の毒だった。

さてぼくも「芸術」を撮影してきた(図版1)。これは近所のスーパーで撮影してきた芸術だが、オリジナルは1917年のパリでマルセル・デュシャン(1887-1968)によって発見され、リチャード・マットという架空の署名で(作品によって偽名を乱発するのはデュシャンの癖だった)「泉(噴水)」と名づけられ、美術展出品を拒否された(図版2)。当時もっとも一般的な男性用小用便器がこれらしい。

デュシャンの「レディ・メイド」(既製品芸術)というコンセプトは1913年に始まり、自転車の車輪や割れたガラス窓、ヒゲを描いたモナ・リザなどの一連の作品がある。元々はデュシャンも画家だったのだが(図版3)、ダダイズムによって絵画という発想すら解体してしまった。レディ・メイドの次はオリジナルのことわざやおみくじの制作に凝っていた。大半の芸術家の例に洩れず富裕階級の子息だったから創作はビジネスとは一切無縁だった。

オリジナルの「泉(噴水)」は美術展出品拒否の混乱で紛失したが作者公認の「泉(噴水)」は全世界に数百点存在し、2004年の美術作家500人への「もっとも世界にインパクトを与えた美術作品」アンケートではピカソ「アヴィニヨンの娘」を押さえてベスト1に選ばれた。現在では多くの美術館にモダン・アートの古典として展示されている(図版4)。

この作品は男性用小用便器ということで性的な意味を指摘されることもある。が、そう考えない方が面白いだろう。