人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

療養日記・6月4日月曜・晴れ

イメージ 1

今日は受診日だった。昼食後昼寝をして5時間眠る。楽しみにしている平日4時からの「Yes!プリキュア5」(MXテレビ)、「相棒」(テレビ朝日)の再放送-録画機器を持っていないのでその日の気分で見る-も起き出す気にならない。
ぼくは愛しあっていた頃の妻の夢を見ていた。正確にはふたたび妻との間に愛情が戻り、ふたりで復縁するための努力をしている、という夢だった。一般論でいえば別れるにはつきあうときの数倍の困難がある。ならば一度別れた夫婦がふたたび夫婦となるにはどれだけの障壁があるだろう?なにしろぼくは家庭内暴力で離婚したという触れ込みになっているのだ。

娘たちの夢は月に一度くらいは見るが、別れた妻の夢は年に一度も見ない。妻はぼくが後にも先にもない夫だったので、ぼくが精神疾患の病状に陥ったのは彼女には認めがたい現実だった。あの時1~3か月の療養入院という提案をしてくれるメンタル・クリニックがあれば。だが現実はそうはいかなかった。

主治医には年明け頃に「今年はアルバイトでもしてみたら」と奨められていたが、訪問看護のアベさんからの定期報告で考えなおしたという。週に一度は同じだが、アベさんとは自室で1時間生活状況、精神状況の問診時間があるので、主治医のK先生はアベさんの報告をクリニックでの問診と同等かそれ以上に尊重している。
「まだ早すぎたね。働くことは考えないで、のんびりしていたらいい」
アベさんの報告と主治医の所見を突きあわせると、こうなる。ほくは現在安定しているが引きこもりによって保っている状態で、本人いわく「教会や画廊、自助グループにも行けない」。この状態で社会活動しようものなら自閉的な鬱が強まるか、突然の過剰活動がきっかけで躁に転じることが考えられる。特に現状が軽鬱から寛解なので躁転の危険が大きい。大体そういうことだった。

実は主治医が生活扶助生活をよく思っていないのは言葉のはしばしにうかがえる。個々についてはともかく、総じてそう考えるのはどうかとも思う。
古くはサッチャー政権下のイギリスなどはあまりの不況と低賃金に「働くより生活保護」というのが生きる手段だった。ぼくの住む県では賃金の限度額を福利厚生の発生しない8万円以下にしている各種チェーン店が多い。生活保護より低いのだ。なにかが間違っている。