人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

記憶の欠落・幻覚と妄想

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昨日朝一番から「くすりののみすぎれ…」と呂律の回らない舌で寝ぼけた電話をかけてきた友人は最初の入院の時知り合った統合失調症の男で、ぼくより病歴も長く、借金(彼が貸した)が原因で逆に脅迫で訴えられて拘置所内で発症、釈放後は生後1か月の男の子と出ていった奥さんと住んでいた3DKの団地が解約できないので治療を受けながら生活保護で暮らし、月に数回障害者作業所へ行く。結婚生活は一年に充たず、家賃は15,000円だそうだ。主治医にも「まるでだれかみたいだね」と爆笑されたが、順序や中身に相違はあるものの離婚歴ありの精神障害者で前科者、生活保護の療養暮らしと、彼とぼくではほとんど同じ生活履歴を送ってきた。ぼくも(本当はいけないのだが)彼にだけはお金を貸した。完済までに4年かかったが。

違いといえば統合失調症躁鬱病の違いか。彼は5、6回入院しているはずだが毎回「診察室にいる→気づくと入院先の病院」だそうで、これはまともに説明できる統合失調症の入院患者の人たちはみんな記憶の欠落があった点で共通する。
一方幻覚や妄想は安静時には思い出せて、彼の最初の幻覚は「独房の壁や天井から無数の手足が生えている」というグロテスクなものだった。
別の女性者(専業主婦)は「留守中に壁が塗り替えられている」「二階にだれかがいる」から始まり、ある朝パジャマのまま(ご主人とお子さんを送り出した後、少し寝直したらしい)以前勤めていたパート先に出勤(しかも電車に乗って)してしまった。ふと気がつくと病院の個室(隔離室)の中にいた。最初は看護婦がしているアクセサリーを見て「私のよ!返して!」と荒れていたという。つまり現実の方が欠落して、幻覚や妄想の記憶はあるのだ。

ぼくは考えてから書くような商売はしていなかった(そんなゆとりはなかった)から先の文に到達して自分でも驚いた。現実の記憶が欠落して、幻覚や妄想の記憶は残る?これは正しい解釈なのだろうか?
素人が精神医学を考える時は良識がいる。つまり体験談や直接の見聞、裏づけのある推定はいいが専門家の領域に立ち入ると火傷する。たとえばコミュニケーションすら取り得ない重篤の慢性化入院者とは一方的に支離滅裂(これは本来統合失調症患者の言語を指す医学用語)な話を聞かされただけだった。次回は慢性化入院者の思い出を書こう。