人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

エッケホモー(=この人を見よ)(連作1)

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緑内障に進んでいないとは判ったがまだ遠視用眼鏡を作っていないので目がつらい。前々から釈明しているがこのブログ、リハビリ目的だからなにかとお勉強的な記事が多い。ぼくは雑学が飯の種だったからそんな知識は本物ではないことを痛感している。大学中退からすんなり雑誌編集者になり、周囲の奨めのままあっさりフリーライター(兼デザイナー)になったのもぼくが器用貧乏なだけのニセモノだったからだ。仕事を離れればぼくにはなにも残らなかった。精神疾患になって妻子を失っただけだ。

なにが言いたいかというと、目がしょぼしょぼするので今日はお勉強記事はつらい。毎回翻訳だの辞典の引用だの大学生(創作科?)の宿題みたいな作文をするのは、
(1)リハビリのため
(2)生涯学習のため
(3)趣味(作文)のため
なのだが、そうか。おれは趣味でメシ食ってたからバチが当ったんだな。
「バチが当った」というのは統合失調樣時(ぼくは双曲性障害だが混迷または錯乱時には統合失調樣状態になる)の典型的な妄想だ。加害妄想と被害妄想が同時に襲ってくる。交互でもいい。

ぼくにも経験がある。先おととしの年末に緊急入院した時に、クリニックの主任が救急車待ちの間ぼくの部屋に付き添って入院仕度をしてくれた。
「バチが当ったんだ」
とぼくは本棚の山口冨士夫自伝「村八分」(その隣には柴田和志「チャー坊遺稿集1950~1994」) さらにLPラックに飾ってある「ライヴ村八分」を指さし(図版)「あんなものがあるからバチが当ったんです」
ぼくは大真面目だった。主任は穏やかに、
「佐伯さん、そんなことないよ」
「そうなのかな?」
「そうだよ」と主任。

…救急車は快適だった。

そんなことを憶えているのもぼくの病相は躁鬱混合によるものなので一時的錯乱が過ぎれば体験の記憶は回復する(と退院後、主治医が説明してくれた)。統合失調'樣'ではなく統合失調症候群の病相では現実の体験は失われる。
ぼくは「冷静なつもりでバカ言ったなあ」と入院中に思い出したが、患者のなかでまともに話せる人は口を揃えたかのように「気がついたら入院していた」と言った。
そして今朝の記憶すらない、入院して5年~10年、20年~30年にもなる人たちがいた。それがぼくの初入院だった。

はい今回も1,000文字。