人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

乾直惠詩集「肋骨と蝶」1932(3)

今回の2篇のうち『菊』は昭和5年(1930年)「文芸レビュー」11月発表、のち大舞台「詩と詩論」に転載された。習作期の投稿詩人から乾を一人前に認めさせた作品といえる(後出『音』も同時発表)。また『菊』が一種のオフェリア(死んだヒロイン)・コンプレックス詩篇であり、『丘の上』が『地獄の季節(「季節よ、城よ…」)』の翻案に近い内容であることで、意外にも乾直惠もランボー影響下だった可能性が浮かぶ。昭和5年の日本のランボー受容といえば小林秀雄であり中原中也であって、乾の資質とは異なる。さらに末尾にはボードレール信天翁』、マラルメ『海の微風』の反映がある。
だが『丘の上』末尾の諦念はボードレールマラルメ的イロニー(皮肉)でもランボー的バーバリズム(野蛮志向)でもない。日本固有の風土に根差すものだ。それは巻を追い濃厚になる。折を見て解説したい。

5.『菊』

彼女が久しく寝ていた部屋を閉め切った。僅かに障子に穴を開け、そこから導管を差し込んだ。私は消毒器に火を点じてから戸外に出た。
私は沼の辺を歩き出した。野霧が籠めていた。月--月の中の蒼白い彼女の顏。彼女は絶えず痙攣する口腔から、ぺっぺっ血を吐きかける。夜更けが巻き煙草を湿らした。
遠くで鶉(うずら)が鳴いていた。

翌朝。私は部屋の目張をすっかり剥がした。さっと開け放した障子。闖入する秋冷。私は強烈なフォルマリンの臭気の中に立っていた。刺戟の針の鋭い襲撃。充血した私の眼鼻がひりひり痛む。逝った彼女の駄々が私を擲(う)つのだ。私はもう一度、彼女を口の中で呼んでみた。
すると、小川のせせらぎと菊の香が、涕泣する愛撫のように流れて来た。

6.『丘の上』

雲が、季節が、僕を誘う。
僕を促す、
翻々と旅行服を靡かせて。

僕は青草の上で、出発の祈祷をする。
僕の手の十字架植物!
葩(はなびら)の中のエルサレム

小さな昆虫の翅音にさえ、僕は愕く。
僕は孤りだ。
僕は誰にも「さようなら」をしないだろう。

風は花粉を、
花粉は空間を、
僕は飄々と旅空を流れるだろう。

だが僕の洋傘、僕のトランク。
僕はあまり軽装(みがる)でない、
根幹のように、根毛のように。

ああ雲が、季節が、出発する。
僕を残して。
僕を置きざりにして。

(隔日掲載)