塚本邦雄(1920-2005)の第一歌集「水葬物語」(昭和26年8月)から始まった戦後の前衛短歌運動は優れた新人の登場を次々と促し、特に塚本が寵愛したのが寺山修司(1935-1983)と春日井建(1938-2004)だった。だが寺山は20代のうちに短歌から離れ、春日井は第一歌集「未青年」(昭和35年)のみが塚本や三島由紀夫の激賞により現代短歌の金字塔となる。
大空の斬首ののちの静もりか没ちし日輪がのこすむらさき
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
白球を追ふ少年がのめり込むつめたき空のはてに風鳴る
炎の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ
若き手を大地につきて喘ぐとき弑逆の暗き目は育ちたり
流木のぶつかる運河いたましく傷負ひし夜を無頼は言はず
男囚のつめたき胸に抱かれて鳩はしたたる泥汗を吸ふ
火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔をもてり
いらいらとふる雪かぶり白髪となれば久遠に子を生むなかれ
春潮の底にわが影かがやくと白き波頭をくぐりて泳ぐ
(歌集「未青年」より)
だが真に塚本と並ぶ戦後短歌の革新者となったのは、岡井隆(1928-)だった。
灰黄の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ
一時期を党に近づきゆきしかな処女に寄るがごとく息づき
警官に撃たれる若き死をめぐり一瞬にして党と距たる
コミュニズムのための童話の国恋いて稚けり共鳴の日々
(歌集「斉唱」昭和31年より)
渤海のかなた瀕死の白鳥を呼び出しており電話口まで
通用門いでて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるい
じりじりとデモ隊のなか遡行するバスに居りたり酸き孤独噛み
(歌集「土地よ、痛みを負え」昭和35年より)
右翼の木そそり立つ見ゆたまきはるわがうちにこそ茂りたつ見ゆ
おれは狩るおれの理由を かの夏に悔しく不意に見うしないたる
(歌集「朝狩」昭和39年より)
おびただしき無言のifにおびえては春寒の夜の過ぎむとすらむ
掌のなかへ降る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に
(歌集「眼底紀行」昭和42年より)