人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(10)

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自然主義小説の発祥国フランスでは、1865年のゴンクール兄弟『ジェルミニー・ラセルトゥー』をもっとも早い作例とすると、エミール・ゾラ「ルーゴン=マッカール双書」(1871~1893)の、特に『居酒屋』~『大地』に当る1877~87年が自然主義小説の最盛期と言えます。
一方アメリカや日本はヨーロッパの文芸思潮の輸入国でした。日本の自然主義五大家は島崎藤村田山花袋徳田秋声正宗白鳥、岩野泡鳴、近松秋江、また真山青果を加えて六大家ともされますが、初期自然主義小説の試みである小杉天外『はつ姿』『はやり唄』、花袋『重右衛門の最後』、永井荷風『地獄の花』が1900~02年、藤村『破戒』、花袋『蒲団』、青果『南小泉村』、白鳥の『何処へ』や秋声の『新世帯』が06~08年、泡鳴『耽溺』、秋江『別れたる妻へ送る手紙』が09~10年と、フランスよりも30~40年の遅れがありました。

より微細に見れば、自然主義小説からの直接的影響ではなく、自然主義思潮の紹介に触発されて1890年代に尾崎紅葉とその門下生により、悲惨な社会的テーマを扱った「深刻小説」が流行します。『心の闇』『書記官』『変目伝』『外科室』など、タイトルからも暴露的な内容を暗示するものです。代表的作家には紅葉の他広津柳浪、川上眉山小栗風葉小杉天外がおり、初期の泉鏡花も深刻小説の作家でした。
これらの作家は小説家としては後の自然主義作家よりも熟達しており、題材と資質が一致すると紅葉『三人妻』、柳浪『今戸心中』、眉山『観音岩』のような名作が生まれました。風葉の大作『青春』も本格的なヨーロッパ小説の骨法を移入して一応の成果を上げた作品と言えるでしょう。
ただし深刻小説の作家たちは自然主義的作品までが限界だったのに対し、自然主義作家たちは自然主義から始めて1920年代以降も文学的試みを続けます。

普通、アメリカの自然主義小説は夭逝した三人の先駆的作家スティーヴン・クレイン、フランク・ノリスジャック・ロンドンを初期自然主義とし、セオドア・ドライサーによって確立され、シンクレア・ルイスとシャーウッド・アンダソンが分化あるいは解体した、とされます。これは一見ドライサーを島崎藤村に置き換え、初期自然主義を深刻小説と置き換えられるようにも見えます。決定的な違いは、どのアメリカ作家も小説が絶望的に下手だったことでした。