人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

まだ鬱が

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 まだかなり嫌な鬱気分が晴れない。夜は寝ても熟睡できないし、昼間は気力がまったく起きない。生活リズムも整わず、今朝は月曜朝毎週の受診を寝過ごしてしまった。起きている時間が調整できないのだ。いつも眠いし、かといって十分な眠気は足りないような感じで、全体的には厭世的な倦怠感、それも自業自得な気分が続いている。
 これははっきりと病的なものなのだが、服薬で改善してもここまでが限度でもある。躁鬱の消長には循環気質も大きく関係していて、今は精神疾患としては陰性症状期にある(陽性症状を躁とすれば)にあるとも考えられる。
 食生活では一日一麺、ブログでは一日一文を日課にしているから仕方なく書いているが、鬱ほど面白くもない、詰まらない状態はない。これでも以前よりはマシになったのは、食事と睡眠は意欲がなくても取るようにしていて、入退院を繰り返していた時には絶食・不眠で毎回ボロボロになって入院していた。あれは遠まわしで消極的なやり方でだが、もう生きる気力がなくなっていたのだと思う。いわゆる緩慢な自殺というやつだろう。純粋な鬱は完全に積極性を喪失する、というのはなかなかわかってもらえないが、自殺する鬱病者は活動するその時は鬱とは言えないので、衰弱傾向に気力・体力を低下するに委せるのは鬱病者には、ことに同居家族のいない単身者には簡単に陥りやすいことなのだ。
(ここまでで約600字、あと400字書けば1000文字になる。がんばろう)
 鬱に限らず精神疾患には人間関係が相当に左右するのが普通だし、家族となると病状とも深く、密接に関わってくる。同居家族どころか普通の意味での親戚すらいないと、社会的にはいろいろ困ることもあるが、闘病生活に徹して公共福祉より他に頼りはないと思えば、文句や説教してくる家族が最初からいないのは一面ラッキーでもあった。入院してみると、家族に関する愚痴をこぼす患者がけっこう多いのだ。こういう人は家族と別れて生きてみればいい、と言いたくなる。
 好んで一人になったわけではないが、社会的には最小限の存在でいられるのが今みたいな鬱の時にはありがたい。両親とは死別しているし、娘たちとも法的には赤の他人になっている。鬱の時は消え失せてしまいたいような気分になるが、すでにほとんどこの世から消えているようなものなのだ。