人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「スカンクの時間」解説

ご意見ありがとうございます。ぼくもそうしたかったのですが、まず全訳してから冒頭に解説を書くとあれだけで制限文字数に達してしまいました。訳詩の方を抄録するにはあの詩は厄介な構造を持っています。改めて追補しましょう。
アメリカの詩はエミリー・ディキンスンやウォルト・ホイットマンら少数を例外として個人的な感情を抑圧してきました。ステイトメント、もしくは言葉による工芸品。それがアメリカ詩の美意識だったのです。ポオからエリオットまでそうです。そこには新興国としての見栄が感じられないでもありません。
メイフラワー号で最初に入植したボストンの名門家系でエリート中のエリートだったロウエルも、初期はT・S・エリオットの影響が強い難解でアカデミックな詩で名声を得ました。それが詩集「人生研究」で一変したのは、ビート・ジェネレーションの詩人たちの奔放な作風に刺激されたのと、ロウエル自身の内面的欲求(女性問題、家庭・親族不和、躁鬱病の発症による入退院の繰り返し)によるものとされています。
「スカンクの時間」は詩集のエピローグ的な作品のためにそれほど私的な印象を与えませんが、収録詩のほとんどが自伝的・告白的なものです。
東海岸のボストンの保守性とは対照的な西海岸のサン・フランシスコのビートの反逆性とは別に、保守派の中の異端児ロウエルの作風の転換は同時代や後続の詩人たちに大きな影響を与え「告白詩」という流派ができました。ジョン・ベリマン、シオドア・レトキら同世代の転向組、告白詩からスタートしたアン・セクストンやシルヴィア・プラスらが挙げられます(精神疾患者、自殺者が多いのも特徴です)。
ロウエルの功罪はひとまず置くとして、同時代現象として興味深いのは日本では吉岡実が詩集「僧侶」で日本の詩では初めて日常性とも告白性とも離れた詩を成立させたことで、戦勝国と敗戦国でほぼ同時に逆転現象が起きたわけです。それひとつ取っても「スカンクの時間」の示唆するところは大きい、と思います。
ちなみにロウエルは太平洋戦争では徴兵忌避で入獄しており、大統領への直訴状で「インディアンを殺戮した家系の子孫にこの上日本人まで殺せと言うのか」と主張したそうです。ロウエルはカトリックで厳しい罪障感の持ち主でした。
なお訳詩の底本にはFaber社の著者自選'Selected Poems'を用いました。