人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「こころ」の真相( 下)

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リリーちゃんはどこへ行ってしまったのだろう?ぼくも半ノラの猫に屋根を貸してきたが死なれた経験も失踪された経験も多い。
ノラ猫の平均寿命はせいぜい2年という。帰るとアパートの隣の空き地で外傷もなく死んでいたり台所の床で嘔吐して死んでいたりした。迷い猫の時は町内にビラを貼ったがだめだった。せめて生死はと保健所に訊くと行き倒れの死骸は生ゴミとして回収処理し、特に記録は残さない、と申し訳なさそうに言われた。

結婚した時飼っていた2匹は長女の保育園入園で引っ越した時に妻の友人の家に養女に出した。茨城県、ご主人は大学教授。やはり大学教授の家には猫と漱石の時代から決っているのだ。うちでは仔猫の時から部屋飼いだったが大学教授の家は旧家で敷地は公立高校くらい広い。その上敷地の周りは教授の家の畑で今は小作人に任せている。すぐに新しい家に馴染んで昼間は外で遊んで夕方には戻り、家族みんなに甘えてくる、と電話をもらった。よかったね、と妻と話した。うちよりも今の方が楽しくやってるよ。
年賀状でも毎年、猫たちのことに触れてあった。帰宅するご主人の門から玄関までの石畳を踏む足音で、その時何をしていても走ってきて姉妹そろって玄関のたたきにちょこんとお出迎えしています。様子が目に浮かんだ。心配はなにもないように思えた。

だが約5年後奥さんから妙に半端な晩に電話がかかってきた。妻はもう帰宅していた。ぼくは夕食後の片付けと娘たちの相手を同時にこなしていた(と思う)。妻は少し話して「じゃあ主人に代わるわね」「どうしたの?」「死んじゃったんだって」「えっ、どうして?」「農薬散布だって」
急な知らせにぼくも動揺したが「もともとおれの猫だしな。こっちを頼む」
奥さんは涙声でしきりに「申しわけありません」を繰り返した。ぼくはいえ、そちらで愛情に恵まれた楽しい毎日を過ごせて幸せだったでしょう、いくら感謝しても足りないくらいです、ありがとうございました、と気持を込めて答えた。ご主人は帰宅するなり「あいつらは?何かあったのか?」夕食後の今は玄関に座って悲しみにくれているという。ご主人様にもよろしくお伝えください。
そんな記憶が迷い猫の貼り紙でよみがえり、猫→漱石→「こころ」と安易な連想でこれを書いた。

K氏説は漱石研究史上最大のお笑いになった。おしまい。