人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

虫垂炎入院日記(4)

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今までぼくは入院5回拘置所1回と書き、自分でもそう思い込んでいた。初入院は2008年12月中旬、それまで病気やケガで入院したことはないのだから、精神疾患を除けばぼくはすこぶる健康体で過ごしてきたことになる。結局盲腸も切らなかったし。
だが夕食の冷し中華を食べていて気づいた。確かに44歳から三年間で5回も入院した。虫歯と風邪くらいしか医者にかからなかった。それが盲点だった。健康体を誇る(ただし精神病は別)ぼくだが、生後1週間は入院生活を送っているのだ。
証拠写真があったはずだぞ、と探してみた。ありましたね。母親に抱かれている写真には「生後4日」と手書きで書いてある。膝に抱かれている写真には「生後1か月」。昭和39年7月。25歳の母は母親になった喜びと誇りでなかなか若くて美しい。このあと母の人生は20年もない。赤ちゃんは40数年を過ぎて精神障害者になる。そんな母子がカメラの前で機嫌よくくつろいでいる。
今では母の急逝から30年近くたって命日ですらほとんど意識することがない。どうせ親不孝なら順送りに母の死が早かったのも好運だったかもしれない。ぼくの恋人たちはすでにこの世の人ではない母にまちまちな感情を持っていて、ぼく自身よりも彼女たちの方が生前の姿を知らない母について気持の上でのこだわりがあったようだ。
ただしこれはエッセイを超えて小説の領域だろう。亡霊を呼び出すのは想像力の力だ。ぼくをマザコン呼ばわりする恋人もいれば母の急逝を悲しんでくれる恋人もいた。一番どうでもいい態度だったのは結婚した(そして離婚した)女性だった。さすがなものだ。

またしても盲腸炎入院体験記には手遅れな分量にまで達してしまったが、実家に帰って病院で出産するいわゆる「里帰り出産」はぼくの世代(正確にはぼくの両親の世代)から一般的になったのではないかと思う。それまでは都市部への就職と結婚はそれほど多くはなくて、夫婦どちらかの実家近くに新居を構えるか同居するかで、出産も自宅に産婆さんを呼んだ。わっ、産婆って死語なのか?携帯で打ったら変換されませんでしたよ。
ぼくの産まれた当時の雰囲気は市川崑の映画「私は二歳」でわかる。松田道夫のベストセラー育児書を原作にした育児映画だが、日本の市民生活は転換期にあった。今見ると幼稚で噴飯ものの内容なのだが、当時は高い評価を受けたのだ。