さっき近所のスーパーに行って帰ろうとしたら(一句「買い物はトイレの洗剤ひとつのみ」)3歳くらいの女の子が泣き叫んでいた。「いないよー!アキちゃんのママがいないよー!」おやおや。出入り口付近だから放っておくのはあぶない。サービスカウンターに連れていくかとタイミングをはかっていると、乳児をおんぶした若い母親がずんずん歩いてきてアキちゃんの手を引っ張り、「ママから離れるからいけないんじゃないの!」「うっうっう…」「いつまでも泣いてんじゃないの!」(女の人はどうしてあんなにキツく子供を叱れるのだろう?)
まあとりあえずよかったなあアキちゃん、とスーパーを出ると、おあつらえ向きのように急なにわか雨が降りだしたところだった。
ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)の映画「情事」(1960)では行きががりの工事の邪魔をしたあと、道を横切ろうとした建築士の主人公を僧侶の行列がさえぎる。
ボリス・ヴィアン(1920-1959)の「日々の泡(うたかたの日々)」(1947)では親友の猫に頭をくわえてもらって自殺を待つ鼠に、盲人学校の女生徒たちが下校してくる。
ぼくの場合はいらぬ親切をためらったのちに急な雨に打たれたわけだ(といっても徒歩1分だが)。
おまけにまた入院とは関係ない話題から始めることになってしまった。ぼくはすぐ書かずにはいられないのだ。いっそ「虫垂炎退院日記」とすればいいのだが、それではただの日記だ。
そろそろ麻酔も抜きになってきたんだな、と今思えば心当りなのは、看護師に「昼間から寝てると夜眠れなくなっちゃうでしょ?体もなまっちゃうから廊下でも談話室でもぶらぶらしてなさい!」と叱りつけられて腹を立てた記憶があるからだ。意識が朦朧としていて動けないのだ、と抗弁したが、ぼくには挑発されるとすぐに受けて立つ広島県人の血も流れている。トイレに立ったついでに点滴の吊し台をゴロゴロ引きずりながら、静まりかえった廊下をよたよたと歩いた。精神病棟との違いをまざまざと感じた。あちらでは喧騒か絶えることがなかった。もう社会生活不可能なんだな、という人たちが思い思いにふるまっていた。
夕方の主治医の問診でまた叱られた。「駄目じゃないですか歩きまわっちゃ。点滴が逆流してる。許可するまでトイレ以外は安静にしていてください」
言っても無駄なので「はい」とだけ答えた。