人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

上田敏訳マラルメ『白鳥』

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『白鳥』
ステファンヌ・マラルメ
上田敏訳(未定稿)

純潔にして生気あり、はた美はしき「けふ」の日よ、
勢猛き鼓翼の一搏に砕き裂くべきか、
かの無慈悲なる湖水の厚氷、
飛び去りえざりける羽影の透きて見ゆるその厚氷を。

この時、白鳥は過ぎし日をおもいめぐらしぬ。
さしも栄多かりしわが世のなれる果の身は
今ここを脱れむ術も無し、まことの命ある天上のことわざを
歌はざりし咎か、実なき冬の日にも愁は照りしかど。

かつて、みそらの栄を忘じたる科によりて、
永く負されたる白妙の苦悶より白鳥の
頸は脱れつべし、地、その翼を放たじ。

徒にその清き光をここに託したる影ばかりの身よ、
已む無くて、白眼に世を見下げたる冷き夢の中に住して、
益も無き流竄の日に白鳥はただ侮蔑の衣を纏ふ。
 (「牧羊神」1916未収録遺稿より)

 お読み、または読み飛ばしいただいたのはボードレールを継ぐフランス象徴派の中でもランボーヴェルレーヌと並び賞され、しばしばそれをしのぐ評価を得ているステファヌ・マラルメ(1842-1898)の無題のソネット(押韻14行=4・4・3・3行詩)からで、他の無題作品と区別するために『白鳥(のソネット)』と通称されている。
 マラルメは生涯に80ページの詩集1冊(他に散文集1冊)しか残さず、しかも刊行直前に急逝するという実に控えめな人だった。ランボーが武器商人、ヴェルレーヌが売春窟の居候といういかした境遇の一方で、マラルメは中学校の英語教師として一生を終えた。ごく少数の文学青年しか生前にはその名を知らなかった。
 20代から作品発表はしていたが極端な寡作の上に改作に慎重で、50代半ばになってようやく定本詩集をまとめたが死後出版になった。それが師の「悪の華」1957と並ぶフランス現代詩の金字塔「ステファヌ・マラルメ詩集」1899で、マラルメ研究はフランスのどの詩人も上回り、毎年トラック1台分の論文が発表されているのではないか?フランス作家で匹敵するのは小説家のフローベールプルーストくらいだろう。
 しかもマラルメの詩は「詩による詩論」だと解明されるまで没後50年以上かかった。この詩も白鳥に託して全編が詩作の困難の隠喩となっている。正確な訳にもかかわらず上田敏が未定稿のまま残したのも、理解に自信を持てなかったからだろう。