人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

詩人論・その他エッセイ3

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○コメントと断片より

(1)春先までは携帯電話で古典映画を見ていましたが、夏ともなると集中力がないので10年くらい前のアニメを見ています。「新世紀エヴァンゲリオン」は英語かスペイン語吹替えしかなかったので英語吹替え版を見ました。「東京ミュウミュウ」と「金色のガッシュベル!」はテレビ放映版(日本語)に英語字幕をつけたものがあったので、順ぐり楽しんでいます。50話以上ありますからたっぷり楽しめます。面白いですよ。

(2)「同意・同感・共感ではなく」というのは確かに正しい。安易な感情移入ほど通俗的なことはないからね。ただしその上で「腑に落ちること」は感情移入の拒否以上に難しい。だが、そこまでわかっているのであれば十分。あえて冷たい言葉をつかえば、「同感」や「共感」のレヴェルで書かれたり読まれたりするのは、言語を通貨に換算することだから。
ただ、立中も氷見も作中に「死児」という言葉を使うのは免れないみたいだね。吉岡実「死児」1958がいかに深く浸透していたかの例証のようだ。

(3)「自由詩は音数律ではなく内在律」という常識をまず確認した上で、なにを指している(言わんとしている)コメントなのか不可解でした。もうしわけないが、完全文でないと伝わってこないこともあります。氷見敦子の詩が「節」を置き忘れているというなら、はっきり巧みな内在律がある、と言えるのですが。

(4)いや、毎日はりきって点眼してる。初日は夜で、もともと黒目が開いていたのと、急激な作用があったんだろう。翌日からはしばらくはすこしグリグリするな、ってくらいで1日1回なら楽なもんだな、と思っている。お年寄りで2本も3本もさす人なんかさぞかし大儀だろう。初日なんか携帯電話の画面も見れないくらいだった。まあ美人の膝枕でないのが不満だが、贅沢は言うまい。おれの知ってる一番の美人はおれの娘たちとの生活で精一杯だ。

(5)こんばんは。流行音楽ですからね。近代文化が確立した国家にはほとんどあります。共産圏では60年代末まで禁止されていましたが、70年代になると国家公認ミュージシャンに限りロックが解禁されるようになりました(もちろん地下活動を行っているロック・バンドもたくさんありました)。国家による取り締まり下の音楽というのも、たかだか20年前まで行われていたというのは大したものですね。