○コメントと断片より
(1)別名義=別人格、という発想は芸術家から犯罪者まで多く見られる事例です。重度の精神疾患から多重人格に陥る例以外でも、芸術家が手法的・主題的に狂人や犯罪者を模倣する時、多重人格・または人格の乖離はもっとも通俗性が強い、ありふれた発想と言えるでしょう(ただし犯罪性と精神疾患はまったく別のものです)。
(2)(詩人論について)うん。「見えない」言葉の魅力は詩の本質に関わることでもあるね。でも例えばアスペルガー症候群という自閉症の特殊なやつがあり、いわゆる「自閉症」ぽくはないんだけど、認識能力に変った面があって人とずれてしまうんだ。具体的には、現実に対応物がある言葉は理解できるけど、比喩表現とか遠回しな言い方は理解できない、というのが言語面でのアスペルガー症候群の指標とされる。だからアスペルガーの人には「見えない」言葉はどこまでも「見えない」。
面白いのは、ぼくもアスペルガー症候群と診断されている、ってことかな。ぼく自身の文章は意図的に比喩を抑制している。比喩の多用は美的にも実用的にも文章の品格を下げるから。そして詩の鑑賞とアスペルガーっていう組み合わせは本来はあり得ないんだけど、ぼくは読める。言語表現と現実の区別がつく。自分で言語表現もできる。ぼくは相当矛盾の大きい症状を抱えているようだ。
(3)「お医者さんは名付けるのが仕事」そうかもしれない。しかし神さまなら知らず、人間にできるのはそういうことなんだ。
だれもが名づけられ、人をなづけているんだよ、ただの番号も含めてね。
密林の怪物も、ライオンと名づけられればただの猛獣になる。それと同じさ。
(4)(ヒクメット詩篇について)この詩に曲をつけたものは、ロック系ではザ・バーズのアルバム'霧の五次元'1965収録の'消えた少女'が嚆矢といえます。当時のザ・バーズはビートルズすら脅かす存在でした。
(5)東洋・スラブ文化圏と西洋文化圏では亡霊に対する感覚がだいぶ違うようです。西洋では亡霊はホラーなんですね。たとえばゾンビやキョンシーなどは日本や中国ではホラーではあるけれどコミカルに扱われますが、西洋文化園ではシリアスです。ともあれ、共産主義国のアメリカ批判が下地にあるにせよ、これは大切な詩だと思います。