人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ポリンキーは三人組だった!

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 自宅病気療養中で一日に自炊二食(二食で約1,000kgcal)と食の細い筆者は、小腹が空いた時のために栄養補助食品やチョコレート、スナック菓子を常備していますが、特に好みもない(ただしポップコーンは苦手なので避けます)ので近所のドラッグストアでセール中の最安の品をまとめ買いしています。今週のスナック菓子のセール品は湖池屋ポリンキー、一袋68円でした。賞味期限だけ気をつけて一週間分まとめ買いしてきて、菓子棚に収めようとしてよく見ると、同じようなのに図柄が三種類、微妙に違うではありませんか。菓子袋を裏がえすと、ポリンキーたちはスリーポリンキーズでジャン、ポール、ベルの三種類あるのがわかりました。
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 なんでジャン、ポール、ベルかと言うと、もちろん昨年お亡くなりになったフランス映画・演劇界の名優、ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo, 1933年4月9日生 - 2021年9月6日没)様にかけているのでしょう。そんな具合にすぐ気づくのも、アニメ『薔薇王の葬列』のタイトルでおいおい、松本俊夫(1932-2017)監督の第一長編映画で当時16歳のピーター(池畑慎之介)さんの主演作のアート系ゲイ映画『薔薇の葬列』(ATG, 1969)のまんまじゃないかというくらいの映画好きの世界でしか通じないかもしれません。ベルモンドといえばジャン=リュック・ゴダール(1930-)の初期作品『勝手にしやがれ』1960、『女は女である』1961、『気狂いピエロ』1965で名を上げてフランスの国民的俳優になった名優ですが、当時のゴダール夫人で初期ゴダール映画のヒロイン、アンナ・カリーナ(1940-2019)の逝去はすぐに広く報じられたにもかかわらず、ベルモンドほどのお方が昨年お亡くなりになっていたとは初めて知りました。あいつぐ多くの著名人の訃報に紛れてあまり大きく報道されなかったのでしょう。映画監督ゴダールは90代になってなお現役なので、思わず遠い目になってしまいます。まさかポリンキーがきっかけでジャン=ポール・ベルモンドの逝去に気づくとは思いもよりませんでした。ベルモンド主演映画の数々を思い出としている40代~50代以上の映画好きの方も多いと思われます。ありし日のベルモンド様の面影を浮かべつつ、ジャン、ポール、ベルのポリンキーを瞑目しながらいただきたいと思います。

ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo, 1933-2021)
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かんたんソースかつ丼!

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 カツ丼というと一般的には割り下(めんつゆ)で豚カツとタマネギの細切りを煮込んだものを玉子閉じにして丼のご飯にかけたものを指します。意外ですが文献に残っているカツ丼の発祥は明治30年代後半(1900年以降)で、何となく江戸時代にも普通に庶民が食べていたような気がするほど日常的なメニューですが、考えてみれば明治開化まで仏教国(浄土真宗では妻帯・肉食を推奨し、幕府も容認しましたが)の日本では魚介類を除けば肉食の習慣は鶏肉くらいで(特に西日本以南では鶏肉一般は「かしわ」として例外的な畜肉食でした)、スキヤキや焼き肉も明治開化以降の食文化です。スキヤキなどは仮名垣魯文明治4年(1871年)のベストセラー『安愚楽鍋』でわざわざスキヤキがテーマの小説を刊行し、和洋折衷の最新食として大反響を呼んだほどで、与謝野鉄幹門下生の高村光太郎が「山盛の牛肉」を褒め称えた名篇「米久の晩餐」を発表したのが関東大震災の1年半前の大正11年(1922年)1月の「明星」ですから、大震災前の大正で駅弁に「牛鍋弁当」などあったとすれば当時でもなお最新の高級弁当だったことになります

 神聖な牛と違い豚肉は仏教では不浄なものとされていましたから、明治末になってようやく豚カツとして普及し、ステーキのようにフォークとナイフでなく、箸で食べられる和洋折衷メニューとしてカツ丼が考案され普及したのがやっと明治末~大正初頭だったというのは歴史的にも辻褄が合う話で、割り下でタマネギと煮込んで玉子閉じにしたのはおそらく親子丼からの発想でしょう。またソバ屋で普及したのはソバ用の割り下の転用ができ、さらに揚げおきの豚カツでもさっと煮こむことで熱々に出せることから、店側にとってもお客さんにとっても待たせず・待たずに済むメニューとしてちょうどよかった、というばかりか、食べやすくおいしい、やる気とパワーが湧いてくるという具合に、すっかり定番となったと思われます。

 ところが地域によっては割り下(めんつゆ)煮込みカツ丼よりも、ソースをかける、またはソースに浸した豚カツをご飯に載せるカツ丼もあり、またチキンカツを用いる、豚カツをカレー丼にするなど、いろんなヴァリエーションがあるようです。特に福井県山梨県群馬県岡山県沖縄県、長野県南部などではソースかつ丼の方が標準だそうで、串カツ文化の名古屋や大阪が含まれないのは不思議ですが、上記の地域ではソースかつ丼、略してソカ丼の方が主流を占めているとされています。串カツのようにソースに浸した豚カツを丼に盛る例もありますが、豚カツといえばキャベツの千切り添えですから、丼のご飯の上にキャベツの千切りを載せてさらに豚カツを置いてソースをかける、というのがベーシックなソースかつ丼になるようです。

 そこでスーパーの特売で2枚178円だった豚カツを買ってきて、だいたいこんなものかな、と作ってみたのがご覧の通りのソースかつ丼です。手順としてはレンジでチンした豚カツをスライスして丼ご飯に載せてさらにチンし、熱々のうちに千切りキャベツを敷きなおしてソースをかけていただく、と、玉子閉じカツ丼より手間がかからないだけ玉子閉じカツ丼よりは物足りないのですが、豚カツにご飯、キャベツの千切り、これに味噌汁を添えるだけで「やー食った食った」と十分満足感はあります。一応野菜も入っているし、週に何食もこれを食べるには不健康だとしても、あっさり目の食事のあとに間食でスナック菓子をひと袋平らげてしまうよりはずっといいでしょう。買ってきた豚カツのもう1枚は伝統的な親子丼風の玉子閉じカツ丼にするつもりでいます。ふんわり玉子閉じの感じにするのは、ソースかつ丼よりハードルが高くて面倒くさいのですが。

紫式部・シェイクスピアは実在したか?

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 今回も軽い話題でいきます。このブログはもともと12年ほど前に、当時あったヤフーブログで始めて、ヤフーブログの廃止でこちらのブログに移ってきたのですが、ヤフーブログを始めた当初に簡単なコラムにしたら大きな反響があり、書いて載せた筆者の方が面喰らったというネタです。というよりは、文中で軽く触れたら本題よりもついでに出した例の方が反響があったというものでした。

 12年前というと青年層のベストセラー小説はライトノヴェル(これを「ラノベ」と略して平気な風潮が、ヴォーカロイドを「ボカロ」、ヴォーカルを「ボーカル」と、B音とV音を混同して表記する、または何でも四文字に略す風潮の定着を促進しました。「エレベーター」や「プラットホーム」のように古くから定着した名詞と較べてもこれは問題で、その伝で言えば「ベートーヴェン」が「ベートーベン」と原綴のB音とV音の区別がつかない表記になってしまいます)にすっかり移っていましたが、筆者が話題にしたのは「ラノベ」の匿名性や集団創作性で、マルチメディア展開とマーケティング戦略で成り立つそうした創作には古典的な作者概念はもう当てはまらないのだろうけれど、創作物とは個人作者の個性の反映という作者概念自体が18世紀末~19世紀初頭のロマン主義から20世紀全般のモダニズムまでのせいぜい200年間くらいの現象で、昔々にさかのぼればヴェルゲリウスやダンテ、近松門左衛門のように個人作者の特定できるものはごく例外で、『旧約聖書』も『新約聖書』も伝承聖典のアンソロジーなら唐文学も『千夜一夜物語』も『源氏物語』も『平家物語』も中世フレスコ画シェイクスピア西鶴もほとんどロマン主義以前の文学・美術などの芸術作品は当時としては一種のマルチメディア作品か集団創作だったのだから、ラノベやアニメと『源氏物語』や『源氏物語絵巻』では成立過程こそ異なれその事情には大差ないっていうのは皮肉です、というようなことを書いたわけです。

 そうしたら主に記事を読まれた女性の方々から「『源氏物語』は紫式部の作品じゃないんですか!?」「シェイクスピアの作品はシェイクスピアが書いたんじゃないんですか!?」と大量のコメントが寄せられて、驚いたのは筆者の方でした。筆者は靖国神社の隣の大学では文学部で日本文学科(一応文学史比較文学専攻)にいましたが、ほとんど図書室ばかり利用していて教養過程までしかろくに授業を受けなかったような筆者でも、大学の入学試験を受ける前からそれなりに文学史比較文学の基礎文献は読んでいて、伝承文学の『千夜一夜物語』や『平家物語』はもちろん『源氏物語』も紫式部の初期稿が当時の王朝貴族たちの筆写稿によって次々加筆されて超大作に膨れあがったものであり(それは江戸時代に木版本で刊行されるようになった頃にはすでに定説であり、複数の筆写稿を体系化する研究が国文学者によって行われていました)、ロンドンの人気劇団団長シェイクスピアの作品もシェイクスピアが指揮を執って門下生たちの持ち寄った題材を団長シェイクスピアの監修によって個人名でまとめられたものなのは、『新約聖書』の四福音書がマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの個人執筆ではなくマタイ派学派、マルコ派学派というように宗派ごとに門下生たちがまとめ上げたものなのと同様、という事情と同じことくらい普通に知られていることと思っていました。井原西鶴の場合はまだ定説が定まっていないのですが、国文学者によっては文体検証によって処女作『好色一代男』のみが西鶴の真筆、他の西鶴作品はすべて西鶴門下生の作品と断定している極端な説すらあります。

 刊本ではなく筆写稿で伝承されてきた『源氏物語』の場合、「雲隠」までの正編40帖(光源氏の逝去を暗示する第41帖の「雲隠」はタイトルのみで本文なし)は紫式部による初期稿がベースになっており、42帖の「匂宮」と43帖「紅梅」、44帖の「竹河」は「匂宮」と内容の重複する「匂宮並びの巻」としてそれぞれ別作者による後世の追加とされ、源氏の息子の薫の半生を描いた「宇治十帖」と呼ばれる45帖「橋姫」~最終巻54帖「夢浮橋」が紫式部の没後に別作者たちによって成立し、そのイントロダクションとして「匂宮並びの巻」の3帖が追加されたと推定されています。「宇治十帖」は正編同様「光源氏の息子・薫の物語」という一定の構想が下地になっていることから紫式部に代わる別作者が初期稿を書いたというのが古来からの説で、紫式部の娘が初稿原案執筆者という説が劇的でロマンチックなので人気がありますが、信憑性は他の作者説と大差ありません。いずれにせよ当時は印刷技術の開発以前の時代で、刊本ではなく王朝貴族の間で筆写に筆写を重ねられた筆写稿によって伝えられたため、『源氏物語』を愛好して筆写するほどの王朝貴族たちですから次々と細部に二次創作を加筆していったものとされ、さらに『源氏物語絵巻』として絵巻物化や屏風絵化される際に具体的な絵画化されたものが本文の描写に逆流して混入した(または絵巻物のために本文が加筆された)とも想定され、逆に全54帖全編が紫式部個人によって創作・執筆完成された可能性の方がはるかに低いというほど多数の本文違いの写本が伝わっているのです。しかしそうした複数(多数!)作者加筆による成立事情があるからこそ『源氏物語』が一個人の作者の創造力と力量を越えた途方もない大作になったとすれば、それは千年に一度あるかないかの文学上の奇蹟ではないでしょうか。
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 また16世紀末~17世紀初頭のイギリスで、約20年間に渡りほとんど失敗作というものがない一世一代の才人、シェイクスピア活版印刷開発後の時代ですから、シェイクスピアの名前で出された37作の戯曲、数冊の詩集に『源氏物語』のようなテキスト上の問題は一応考えずに済みます。史劇、悲劇、コメディの分野に渡るシェイクスピアの作品は、商人の家に生まれて俳優になり、やがて自身の劇団を立ち上げた、シェイクスピアのビジネスでした。それはほぼ年2作ペースで必ずヒットし、スポンサーやパトロン、大勢の専属スタッフと俳優を抱えた劇団に収入をもたらせねばならず、また貴族から中産階級、平民階級まで固定ファンと新規ファンを満足させなければならないものでした。中世イギリスの戦国時代を描いた史劇はともかく、悲劇やコメディのほとんどが少し昔の外国(イタリアやデンマークなど)、または架空のヨーロッパ諸国を舞台にしているのは注意すべきことで、それは日本では江戸時代の滝沢馬琴柳亭種彦の小説が幕府の検閲から戦国時代以前の日本を時代設定としなければ武家社会を描くのを禁じられていたように、具体例な同時代のイギリス国内の貴族らへの風刺や批判となるのを避ける工夫でした。シェイクスピアは年に2作もの新作を、スポンサーやパトロンの意向、観客受けを考慮しながら、また自分の劇団で専属スタッフと専属俳優によって上演することを前提に(また自分が演出するのを前提に)、劇団内や門下生たちをブレインとして題材を集め、考証し、必ずヒット作となるべくしてまとめ上げたでしょう。シェイクスピアはほぼ30歳で劇団長になるまでそれこそ色と欲、金にまみれた猥雑な演劇人の世界を知りつくしていたでしょうし、新作ごとにブレインたちからさまざまな企画を立案させながら今季の新作として一番ヒット性のあるものを作り上げていったと思われます。シェイクスピアの戯曲は極限状態に置かれたキャラクターの造形や極端で奇抜な設定、洗練され印象的な台詞で現代文学ですらおよばないほど矛盾と葛藤に満ち、複雑な解決を鮮やかに示したものですが、これは一人の作者の創案というよりは闇鍋のようなブレインたちのアイディアをまとめ上げたシェイクスピアの才気が一個人の才能を越えたとんでもない代物を生み出したというべきで、芸術的な文学者としての劇作家というよりものちの映画監督、アニメーション監督に近い感覚でとらえた方がシェイクスピア作品の魔力を理解できます。おそらく50歳間近になって引退作として連作されたファンタジー喜劇『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』、ことに最後の劇壇引退作『テンペスト』(シェイクスピアは引退から5年後に逝去しましたから、これらは最晩年の作品と見なせます)は引退興行作としてシェイクスピアの自発的意志によって書かれ、これらの引退連作はスポンサーやブレインの依頼・発案を度外視して引退興行の話題性を見こんで書きたいことを書いた作品と思われますが、巨匠として押しも押されぬ時期の四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』(あるいはそれに先立つ『ロミオとジュリエット』を合わせて五大悲劇、いずれもブレインやスタッフのアイディア、専属俳優の力量を多く見こんだ性格の強いものです)が興行当時から大評判を呼んで早くから古典視されたのに対して、引退興行のファンタジー喜劇連作は20世紀に再評価されるまで傑作の評価が定着しませんでした。ほとんどドストエフスキー的な人間性の解体を250年以上前の近世に予見した四大悲劇に較べても、晩年のファンタジー喜劇連作はその奔放な空想性と達観した味わいで現代性を持ち得ます。

 そのように成立事情に時代的、または環境的な状況によって集団創作的な背景があったとはいえ、むしろだからこそ『源氏物語』やシェイクスピアの諸作は一個人の創造力を越えた人類史上の大文学になり得たのですが、寄せられたコメントの多くは「紫式部(またはシェイクスピア)に対する冒涜です!」「『源氏物語』は紫式部の作品、シェイクスピアの戯曲はシェイクスピアの作品です!」と、強い非難がこめられたものばかりでした。それが12年前に、これと同じ内容を書いた記事への反響です。筆者は『ジェーン・エア』を幽閉された精神障害者の夫人からの視点から描いたジーン・リースの『広い藻の海』を例に出して文学作品創作・読解の例としてそうした非難への回答としましたが、ますます非難(「シャーロット・ブロンテへの冒涜です!」)と不興を買うばかりでした。紫式部シェイクスピアも実在した歴史上の人物で、それは確かです。しかし『源氏物語』やシェイクスピアの諸作は紫式部シェイクスピア個人の創作とは言えないのです。さて、2010年と2022年では時代が一周しましたが、この記事は今でも紫式部シェイクスピアへの冒涜と読まれるのでしょうか。それともお読みくださった皆さまには、そういう文学的な神秘現象もあると楽しんでいただけたでしょうか。

紫式部・シェイクスピアは実在したか?

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 今回も軽い話題でいきます。このブログはもともと12年ほど前に、当時あったヤフーブログで始めて、ヤフーブログの廃止でこちらのブログに移ってきたのですが、ヤフーブログを始めた当初に簡単なコラムにしたら大きな反響があり、書いて載せた筆者の方が面喰らったというネタです。というよりは、文中で軽く触れたら本題よりもついでに出した例の方が反響があったというものでした。

 12年前というと青年層のベストセラー小説はライトノヴェル(これを「ラノベ」と略して平気な風潮が、ヴォーカロイドを「ボカロ」、ヴォーカルを「ボーカル」と、B音とV音を混同して表記する、または何でも四文字に略す風潮の定着を促進しました。「エレベーター」や「プラットホーム」のように古くから定着した名詞と較べてもこれは問題で、その伝で言えば「ベートーヴェン」が「ベートーベン」と原綴のB音とV音の区別がつかない表記になってしまいます)にすっかり移っていましたが、筆者が話題にしたのは「ラノベ」の匿名性や集団創作性で、マルチメディア展開とマーケティング戦略で成り立つそうした創作には古典的な作者概念はもう当てはまらないのだろうけれど、創作物とは個人作者の個性の反映という作者概念自体が18世紀末~19世紀初頭のロマン主義から20世紀全般のモダニズムまでのせいぜい200年間くらいの現象で、昔々にさかのぼればヴェルゲリウスやダンテ、近松門左衛門のように個人作者の特定できるものはごく例外で、『旧約聖書』も『新約聖書』も伝承聖典のアンソロジーなら唐文学も『千夜一夜物語』も『源氏物語』も『平家物語』も中世フレスコ画シェイクスピア西鶴もほとんどロマン主義以前の文学・美術などの芸術作品は当時としては一種のマルチメディア作品か集団創作だったのだから、ラノベやアニメと『源氏物語』や『源氏物語絵巻』では成立過程こそ異なれその事情には大差ないっていうのは皮肉です、というようなことを書いたわけです。

 そうしたら主に記事を読まれた女性の方々から「『源氏物語』は紫式部の作品じゃないんですか!?」「シェイクスピアの作品はシェイクスピアが書いたんじゃないんですか!?」と大量のコメントが寄せられて、驚いたのは筆者の方でした。筆者は靖国神社の隣の大学では文学部で日本文学科(一応文学史比較文学専攻)にいましたが、ほとんど図書室ばかり利用していて教養過程までしかろくに授業を受けなかったような筆者でも、大学の入学試験を受ける前からそれなりに文学史比較文学の基礎文献は読んでいて、伝承文学の『千夜一夜物語』や『平家物語』はもちろん『源氏物語』も紫式部の初期稿が当時の王朝貴族たちの筆写稿によって次々加筆されて超大作に膨れあがったものであり(それは江戸時代に木版本で刊行されるようになった頃にはすでに定説であり、複数の筆写稿を体系化する研究が国文学者によって行われていました)、ロンドンの人気劇団団長シェイクスピアの作品もシェイクスピアが指揮を執って門下生たちの持ち寄った題材を団長シェイクスピアの監修によって個人名でまとめられたものなのは、『新約聖書』の四福音書がマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの個人執筆ではなくマタイ派学派、マルコ派学派というように宗派ごとに門下生たちがまとめ上げたものなのと同様、という事情と同じことくらい普通に知られていることと思っていました。井原西鶴の場合はまだ定説が定まっていないのですが、国文学者によっては文体検証によって処女作『好色一代男』のみが西鶴の真筆、他の西鶴作品はすべて西鶴門下生の作品と断定している極端な説すらあります。

 刊本ではなく筆写稿で伝承されてきた『源氏物語』の場合、「雲隠」までの正編40帖(光源氏の逝去を暗示する第41帖の「雲隠」はタイトルのみで本文なし)は紫式部による初期稿がベースになっており、42帖の「匂宮」と43帖「紅梅」、44帖の「竹河」は「匂宮」と内容の重複する「匂宮並びの巻」としてそれぞれ別作者による後世の追加とされ、源氏の息子の薫の半生を描いた「宇治十帖」と呼ばれる45帖「橋姫」~最終巻54帖「夢浮橋」が紫式部の没後に別作者たちによって成立し、そのイントロダクションとして「匂宮並びの巻」の3帖が追加されたと推定されています。「宇治十帖」は正編同様「光源氏の息子・薫の物語」という一定の構想が下地になっていることから紫式部に代わる別作者が初期稿を書いたというのが古来からの説で、紫式部の娘が初稿原案執筆者という説が劇的でロマンチックなので人気がありますが、信憑性は他の作者説と大差ありません。いずれにせよ当時は印刷技術の開発以前の時代で、刊本ではなく王朝貴族の間で筆写に筆写を重ねられた筆写稿によって伝えられたため、『源氏物語』を愛好して筆写するほどの王朝貴族たちですから次々と細部に二次創作を加筆していったものとされ、さらに『源氏物語絵巻』として絵巻物化や屏風絵化される際に具体的な絵画化されたものが本文の描写に逆流して混入した(または絵巻物のために本文が加筆された)とも想定され、逆に全54帖全編が紫式部個人によって創作・執筆完成された可能性の方がはるかに低いというほど多数の本文違いの写本が伝わっているのです。しかしそうした複数(多数!)作者加筆による成立事情があるからこそ『源氏物語』が一個人の作者の創造力と力量を越えた途方もない大作になったとすれば、それは千年に一度あるかないかの文学上の奇蹟ではないでしょうか。
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 また16世紀末~17世紀初頭のイギリスで、約20年間に渡りほとんど失敗作というものがない一世一代の才人、シェイクスピア活版印刷開発後の時代ですから、シェイクスピアの名前で出された37作の戯曲、数冊の詩集に『源氏物語』のようなテキスト上の問題は一応考えずに済みます。史劇、悲劇、コメディの分野に渡るシェイクスピアの作品は、商人の家に生まれて俳優になり、やがて自身の劇団を立ち上げた、シェイクスピアのビジネスでした。それはほぼ年2作ペースで必ずヒットし、スポンサーやパトロン、大勢の専属スタッフと俳優を抱えた劇団に収入をもたらせねばならず、また貴族から中産階級、平民階級まで固定ファンと新規ファンを満足させなければならないものでした。中世イギリスの戦国時代を描いた史劇はともかく、悲劇やコメディのほとんどが少し昔の外国(イタリアやデンマークなど)、または架空のヨーロッパ諸国を舞台にしているのは注意すべきことで、それは日本では江戸時代の滝沢馬琴柳亭種彦の小説が幕府の検閲から戦国時代以前の日本を時代設定としなければ武家社会を描くのを禁じられていたように、具体例な同時代のイギリス国内の貴族らへの風刺や批判となるのを避ける工夫でした。シェイクスピアは年に2作もの新作を、スポンサーやパトロンの意向、観客受けを考慮しながら、また自分の劇団で専属スタッフと専属俳優によって上演することを前提に(また自分が演出するのを前提に)、劇団内や門下生たちをブレインとして題材を集め、考証し、必ずヒット作となるべくしてまとめ上げたでしょう。シェイクスピアはほぼ30歳で劇団長になるまでそれこそ色と欲、金にまみれた猥雑な演劇人の世界を知りつくしていたでしょうし、新作ごとにブレインたちからさまざまな企画を立案させながら今季の新作として一番ヒット性のあるものを作り上げていったと思われます。シェイクスピアの戯曲は極限状態に置かれたキャラクターの造形や極端で奇抜な設定、洗練され印象的な台詞で現代文学ですらおよばないほど矛盾と葛藤に満ち、複雑な解決を鮮やかに示したものですが、これは一人の作者の創案というよりは闇鍋のようなブレインたちのアイディアをまとめ上げたシェイクスピアの才気が一個人の才能を越えたとんでもない代物を生み出したというべきで、芸術的な文学者としての劇作家というよりものちの映画監督、アニメーション監督に近い感覚でとらえた方がシェイクスピア作品の魔力を理解できます。おそらく50歳間近になって引退作として連作されたファンタジー喜劇『ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』、ことに最後の劇壇引退作『テンペスト』(シェイクスピアは引退から5年後に逝去しましたから、これらは最晩年の作品と見なせます)は引退興行作としてシェイクスピアの自発的意志によって書かれ、これらの引退連作はスポンサーやブレインの依頼・発案を度外視して引退興行の話題性を見こんで書きたいことを書いた作品と思われますが、巨匠として押しも押されぬ時期の四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』(あるいはそれに先立つ『ロミオとジュリエット』を合わせて五大悲劇、いずれもブレインやスタッフのアイディア、専属俳優の力量を多く見こんだ性格の強いものです)が興行当時から大評判を呼んで早くから古典視されたのに対して、引退興行のファンタジー喜劇連作は20世紀に再評価されるまで傑作の評価が定着しませんでした。ほとんどドストエフスキー的な人間性の解体を250年以上前の近世に予見した四大悲劇に較べても、晩年のファンタジー喜劇連作はその奔放な空想性と達観した味わいで現代性を持ち得ます。

 そのように成立事情に時代的、または環境的な状況によって集団創作的な背景があったとはいえ、むしろだからこそ『源氏物語』やシェイクスピアの諸作は一個人の創造力を越えた人類史上の大文学になり得たのですが、寄せられたコメントの多くは「紫式部(またはシェイクスピア)に対する冒涜です!」「『源氏物語』は紫式部の作品、シェイクスピアの戯曲はシェイクスピアの作品です!」と、強い非難がこめられたものばかりでした。それが12年前に、これと同じ内容を書いた記事への反響です。筆者は『ジェーン・エア』を幽閉された精神障害者の夫人からの視点から描いたジーン・リースの『広い藻の海』を例に出して文学作品創作・読解の例としてそうした非難への回答としましたが、ますます非難(「シャーロット・ブロンテへの冒涜です!」)と不興を買うばかりでした。紫式部シェイクスピアも実在した歴史上の人物で、それは確かです。しかし『源氏物語』やシェイクスピアの諸作は紫式部シェイクスピア個人の創作とは言えないのです。さて、2010年と2022年では時代が一周しましたが、この記事は今でも紫式部シェイクスピアへの冒涜と読まれるのでしょうか。それともお読みくださった皆さまには、そういう文学的な神秘現象もあると楽しんでいただけたでしょうか。

早わかりビリー・ホリデイ(1915-1959)

Billie Holiday - Complete Masters 1933-59 (Universal Import, 15CD, 2014)
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Billie Holiday - PERFECT COMPLETE COLLECTION BOX (Sound Hills, 12CD, 1993/2016)
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 20世紀のジャズ・ヴォーカルで最高の歌手を上げればフランク・シナトラ(1915-1998)、そしてビリー・ホリデイ(1915-1959)さんになるでしょう。この同年生まれの二人は1920年代までのジャズを総合し、'30年代~'40年代のポピュラー歌曲を次々とジャズ・ヴォーカル化し、シナトラとビリーさんのレパートリーはそのまま'40年代以降のモダン・ジャズ=ビ・バップ、ハード・バップのスタンダード曲になりました。デビューは女性だけあってビリーさんの方が早く、18歳にレコード・デビューしていますが、5年遅れてデビューしたイタリア系白人歌手のシナトラが30代には国民的歌手となったのに較べ、黒人女性歌手のビリーさんは生涯ジャズ・マニア向けの歌手にとどまりました。この二人はおたがいに認めあっていたにもかかわらず一般的人気には雲泥の差があり、ビリーさんが44歳で逝去した時に生涯の録音曲はCD15枚分だったのに対し、シナトラはすでにCD46枚分ものシングル、アルバムを発表していました。またビリーさんは後輩でレコード会社がビリーのライヴァルとしてプッシュしたエラ・フィッツジェラルド(1917-1996)よりも大衆性がなかったので、ビリーさんより2年遅れでデビューしてヴァーヴ(クレフ)・レコーズがビリーの対抗馬として全力で売り出したエラは、ビリーの没年までにCD48枚分もの録音の機会に恵まれています。またサラ・ヴォーン、カーメン・マクレイ、シーラ・ジョーダンらはディジー・ガレスピーがビリーの後継者として育てた歌手で、ビリーのステージに欠かせない椿の花を楽屋でビリーにヘアメイクするのを名誉としていたビリー直系の若手女性ジャズ・ヴォーカリストたちでした。

 ビリーさんは'30年代~'40年代にまだバックバンドが2ビート感覚で演奏しても、いち早く8ビートや16ビートのリズム・アクセントで自在に歌えるとんでもないヴォーカリストでした。'40年代以降のチャーリー・パーカーディジー・ガレスピーバド・パウエルレニー・トリスターノマイルス・デイヴィスら管楽器・ピアニストからベーシスト、ドラマーまでビリーのリズム感覚に学んだのがモダン・ジャズ=ビ・バップを決定づけた功績が、シナトラのポピュラー・ヒットからのスタンダード・ジャズ化による影響を上回るのはその点です。バックバンドが'30年代~'40年代の古いビート感覚で演奏していても、ビリーのヴォーカルが古びないのは、洗練されて悠然とした(それはそれで古びない)シナトラのスタイルと好対照をなしていました。ビリーさんは18歳でデビューしてから44歳で亡くなるまで、生涯4つのレコード会社からアルバムを出しました。コロンビア、コモドア、デッカ、ヴァーヴ(クレフ)の4社ですが、レコード会社の垣根を越えて、全録音323曲(スタジオ録音の再アレンジ曲含む)は15枚組CDボックス『Complete Masters 1933-59』(Universal Import, 2014)にまとめられています。15枚組CDボックス『Complete Masters 1933-59』はコロンビア、コモドア、デッカ、ヴァーヴ(クレフ)の全時期にまたがっていたすが、いきなり全集から入るのはきついですから、各レコード社別のベスト盤から入るのが手頃でしょう。
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Lady Day : The Best of Billie Holiday (Columbia/Sonny, 2004) : https://youtube.com/playlist?list=PLqV7XxSWoH8rUSHAl2NaT1vVCbhsv9HbT
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Billie Holiday - In Commodore (Commodore, 1959) : https://youtube.com/playlist?list=PLArpKJA0hY4oTuB3_gME6HPYyVmOXJoS1
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The Best of Billie Holiday (Decca, 1995) : https://youtube.com/playlist?list=PLidwfRkMJi-0HmN4MXVmNV0YlWh3hixBo
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Billie Holiday - Lady in Autumn : The Best of The Verve Years (Polygram/Veive, 1995) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mngoS4xzZouIkUPmptklAz-5n9QMXw7M0

 コロンビア、コモドア、デッカ、ヴァーヴ(クレフ)では個別にビリー・ホリデイ全集があり、そこでは『Complete Masters 1933-59』には収められなかった別テイクや没テイクも収められています。別テイクや没テイクを加えると全録音曲はほぼ500曲になります。ビリーさんは初期(コロンビア)・中期(コモドア、デッカ)・後期(ヴァーヴ)の全部の時期がいいですが、親しみやすい選曲とアレンジでお薦めできるアルバムは、ヴァーヴ(クレフ)移籍から1952年の最初の2枚の10インチLPをカップリングした『Solitude』(Verve, 1956)40代になってビリー自選の代表曲を新アレンジで再録音した『Lady Sings the Blues』(Verve, 1956)、最晩年にコロンビアに一時戻ってシナトラ曲集に挑戦した『Lady in Satin』(Columbia, 1958)あたりでしょうか。ビリーさんは1949年に丸1年を服役して過ごし、30代後半からはカムバックの意欲とヴォーカルの衰えと常に戦いながらキャリアを過ごすことになるので、20代~30代前半が絶頂期なのですが(コロンビア、コモドア、デッカ)、当時はシングル単位の録音のため、1930年代~1940年代録音の曲はコロンビア、コモドア、デッカからのベスト盤か、各社からの全集、または完全版全集『Complete Masters 1933-59』の方が全録音曲をまとまって聴けます。それでも『Solitude』から始まる30代後半からのアルバムはいずれも力作で、バックバンドの演奏ともどもようやく時代がビリーさんの先進性に追いついた充実したアルバムを年1作ペースで制作し、ライヴァルのシナトラのレパートリーに的を絞って、シナトラの得意としていたオーケストラとの共演アルバム『Lady in Satin』はビリー畢生の壮絶な作品になりました。
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Billie Holiday - Solitude (Clef/Verve,, 1956) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_k1rTXudTOWSSLjBzqOfElk4giDVeS70Ds
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Billie Holiday - Lady Sings the Blues (Clef/Verve, 1956) : https://youtube.com/playlist?list=PLL-NbN8uTOijOnUzOLDp8hiwSH9xTR8ex
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Billie Holiday - Lady in Satin (Columbia, 1958) : https://youtube.com/playlist?list=PLowQCq3Ss89gDUf-tVxYV7g94WL0raY8M

 また、ビリーさんにはコンサートからのラジオ中継・テレビ出演の放送用録音を集めたアルバムもあり、アルバム単位でも出ていますが、こちらは12枚組CDボックス『PERFECT COMPLETE COLLECTION BOX』(Sound Hills, 1993/2016)にまとめられています。ボックスにも収録されていますが、1951年・1953年のラジオ中継用ライヴを収めた『At Storyville』と1954年のヨーロッパ公演からの『Lady Love (Billie's Blues)』、1958年の第1回ニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの出演を収録した『At Monterey』はバックがすでにモダン・ジャズ世代の若手ジャズマンなのですっきり聴け、ビリー自身はコンディションにムラが目立ってきた時期のライヴなのですが、ライヴ録音で観客を前にしたビリーの歌唱が聴けるライヴとしてスタジオ盤以上に活き活きとしたビリーの歌唱が聴ける、人気の高いアルバムになっています。また『Billie Holiday At Newport』はビリー最晩年の、エラ・フィッツジェラルドとのスプリット・アルバムで、ビリー最低のヴォーカル・パフォーマンスで悪名高いアルバムですが、それでも十分に感動的なので、2019年にリリースされたヴァーヴ(クレフ)時代のアルバム12枚をカップリング収録したReel To Reelレコーズの6枚組廉価版CD『Twelve Classic Albums』も晩年8年のビリーの録音集成としてお薦めできるコンピレーション盤です。
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Billie Holiday At Storyville (Black Lion, 1976) : https://youtu.be/yAha_-CIo8U
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Billie Holiday - Ladylove (United Artists, 1962)
Billie Holiday - Billie's Blues (aka "Ladylove", Blue Note, 1988) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_l0L3Sx3pG4nPQ-x2ADpZzbjHtVfOgrdls
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Billie Holiday At Monterey 1958 (Black Hawk, 1986) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nGkLlfRW6QWpg44N4ZuidGwM0h76ulT7I
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Billie Holiday - Twelve Classic Albums (Reel To Reel, 2019)

 ビリーは人生の辛酸から苦楽までを知りつくした女性でした。娼館経営の母から生まれ、少女時代には街娼経験もあり、ハリウッド映画の主演もし、名声の絶頂にも立てば、買春から投獄まで、最晩年(まだ44歳!)にはステージに立つこともやっとで、元カウント・ベイシー楽団の盟友レスター・ヤング(1909-1959)が3月に逝去した時には体調悪化を押して参列するも、葬送歌を歌おうとして白人のレスター未亡人に断られて泣く泣く帰ってきたと証言されています。レスターの没後4か月の7月に入院・逝去するも資産も社会的地位も保証人もない貧乏黒人患者として危篤寸前まで廊下に放置され、亡くなった時の資産は預金残高70セント、遺体検死でストッキングに750ドルを結わえつけてあったのがわかったという人です。黒人女性ジャズ歌手ということで誤解がありますが、シナトラと同じくビリーはブルース歌手ではなくバラード歌手で、ブルースのレパートリーは全録音のうち即興曲の数曲しかありません。またビリーの歌は孤独な女性像(「The Man I Love」「Lover Man」、そして「Good morning Heartache」)を歌ったものばかりでしたが、絶望のどん底から常に希望を湛えた、抱擁力に満ちた暖かみのある歌声を届けてくれるものでした。それがシナトラの楽観性や社会的野心とは違う、もっと抑圧され悲しみを知る人々に届いたのです。ジャズ・ヴォーカルの悲劇のヒロイン、才こそあれ破滅型女性の典型のようなイメージを取り払って、純粋に最後まで生きる喜びに満ちていたビリーの歌声をお聴きください。そしてビリーの後継者は、チャーリー・パーカーバド・パウエルエリック・ドルフィーら真に革新的なジャズマンにのみ現れたのです。

2022年新作冬アニメ(1月~3月)放映予定一覧(首都圏版)

鬼滅の刃 遊郭
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 2022年新作深夜アニメも放映予定が揃いましたので、首都圏での地上波局と無料BS局のみですが、一覧にまとめました。2021年秋からの「鬼滅の刃」新クールが強すぎて、新作が割を食い、第二クール作品の比率も多いのが目立ち、新作ラッシュになった2021年秋アニメからはずいぶん地味になった印象を受けます。またソフト化ディスクの売り上げも落ちる一方なのに対抗してか、有料サイトでの先行配信作品の多さもめだちます。正月三が日から放映されるのも1月2日の「鬼滅の刃」(この日は23:30からに時間変更)だけ、というのも寂しいですが、2021年秋アニメでは「月とライカと吸血鬼」がそうだったように、思いもかけず良い作品にめぐりあえるのを期待したいと思います。なおここに洩れた連続2クール作品、再放送作品については、気づく都度に追加していきますので、再度ご参照の上、お役立ていただければ幸いです。なお12月中旬から1月8日まで今年のプリキュアシリーズ「トロピカル~ジュ!プリキュア」がTVeiで全話無料視聴が行われており、年末年始ほかに面白いテレビ番組もないし、という向きには「トロピカル~ジュ!プリキュア」一気観のチャンスです。こちらもお薦めします。
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●日曜日
◎永遠の831
WOWOW:01/30(日) 20:00~
◎時光代理人-LINK CLICK-
TOKYO MX:01/09(日) 21:30~
BS11:01/09(日) 22:30~
◎錆色のアーマ-黎明-
TOKYO MX:01/09(日) 22:00~
>BSフジ:01/11(火) 24:00~
◎薔薇王の葬列
TOKYO MX:01/09(日) 22:30~
BS11:01/11(火) 24:00~
◎フットサルボーイズ!!!!!
TOKYO MX:01/09(日) 23:00~
BS11:01/11(火) 24:30~
鬼滅の刃 遊郭
>フジテレビ系:12/05(日) 23:15~
TOKYO MX:12/11(土) 23:30~
BS11:12/11(土) 23:30~
進撃の巨人 The Final Season 第2クール
NHK総合:01/09(日) 24:05~
◎佐々木と宮野
TOKYO MX:01/09(日) 24:30~
BS日テレ:01/10(月) 24:00~
◎王子の本命は悪役令嬢
TOKYO MX:01/09(日) 25:00~
BS11:01/09(日) 25:00~

●月曜日
◎トライブナイン
TOKYO MX:01/10(月) 22:30~
BS11:01/10(月) 23:00~
範馬刃牙(バキ 続編) (※Netflix配信済)
TOKYO MX:01/10(月) 23:00~
◎プリンセスコネクト!Re:Dive Season2
TOKYO MX:01/10(月) 24:00~
BS11:01/10(月) 24:00~
◎錆喰いビスコ
TOKYO MX:01/10(月) 24:30~
BS11:01/10(月) 24:30~
範馬刃牙と被ってる。
TVQ:01/10(月) 26:00~
◎幻想三國誌 天元霊心記
>BS12:01/10(月) 26:00~
◎オンエアできない!
テレビ東京:01/10(月) 26:30~

●火曜日
◎漢化日記
>CS衛星劇場:01/12(水) 20:55~ ※毎週(水)(木)に放送 ※毎週(土) 17:00~ 2話連続放送
◎アニメの神様「ドラゴンボールZ
>TOKYO-MX : 22:00~
◎アニメの神様「機動戦士ガンダムAGE
>TOKYO-MX : 22:30~
◎天才王子の赤字国家再生術
TOKYO MX:01/11(火) 23:00~
BS日テレ:01/11(火) 24:00~
異世界美少女受肉おじさんと
テレビ東京:01/11(火) 24:00~
BSテレ東:01/14(金) 24:30~
◎賢者の弟子を名乗る賢者
TOKYO MX:01/11(火) 24:30~
BS日テレ:01/11(火) 24:30~
◎イロドリミドリ (ショートアニメ)
TOKYO MX:01/04(火) 25:00~

●水曜日
◎リアデイルの大地にて
TOKYO MX:01/05(水) 23:30~
BS日テレ:01/05(水) 24:30~
◎オリエント
テレビ東京:01/05(水) 24:00~
BSテレ東:01/05(水) 24:30~
◎殺し愛
TOKYO MX:01/12(水) 24:00~
BS日テレ:01/12(水) 24:00~
◎東京24区※初回1時間SP、第2話より24:30~
TOKYO MX:01/05(水) 24:00~・01/12(水) 24:30~
BS11:01/05(水) 24:00~・01/12(水) 24:30~
平家物語 (※FODにて配信済み)
>フジテレビ:01/12(水) 24:55~
◎ハコヅメ~交番女子の逆襲
TOKYO MX:01/05(水) 25:05~
BS日テレ:01/06(木) 24:00~

●木曜日
◎ありふれた職業で世界最強 2nd season
TOKYO MX:01/13(木) 24:00~
BS11:01/13(木) 24:00~
最遊記RELOAD -ZEROIN-
TOKYO MX:01/06(木) 24:30~
BS11:01/06(木) 24:30~
◎プリコネ2期と被ってる。
BS11:01/13(木) 25:00~
◎あたしゃ川尻こだまだよ
>フジテレビ:01/--(木) 25:25~ ※ 「EXITV」内にて放送。

●金曜日
◎お昼のショッカーさん
TOKYO MX:01/21(金) 19:28~
◎スローループ
TOKYO MX:01/07(金) 22:30~
BS11:01/07(金) 23:00~
ヴァニタスの手記 第2クール
TOKYO MX:01/14(金) 24:00~
BS11:01/14(金) 24:00~
ジョジョの奇妙な冒険 ストーン・オーシャン *Netflix放映済み
TOKYO MX:01/07(金) 24:30~
BS11:01/07(金) 24:30~
◎ドールズフロントライン
TOKYO MX:01/07(金) 25:00~
BS11:01/07(金) 25:00~
からかい上手の高木さん
>TBS系:01/07(金) 25:25~
終末のハーレム
TOKYO MX:01/07(金) 25:30~
>BSフジ:01/07(金) 28:00~
◎CUE!
>TBS:01/07(金) 25:55~
BS-TBS:01/07(金) 26:30~

●土曜日
◎失格紋の最強賢者
TOKYO MX:01/08(土) 22:00
BS11:01/08(土) 22:00~
◎22/7計算中(バラエティ)
TOKYO MX : 23:00~
鬼滅の刃 遊郭
TOKYO MX:12/11(土) 23:30~
BS11:12/11(土) 23:30~
◎その着せ替え人形は恋をする
TOKYO MX:01/08(土) 24:00~
BS11:01/08(土) 24:00~
◎明日ちゃんのセーラー服
TOKYO MX:01/08(土) 24:30~
BS11:01/08(土) 24:30~
BS朝日:01/09(日) 23:00~
◎現実主義勇者の王国再建記 第2期
TOKYO MX:01/08(土) 25:30~
BS11:01/08(土) 25:30~
◎リーマンズクラブ
テレビ朝日系:01/--(土) 25:30~
BS朝日:01/--() ~
◎怪人開発部の黒井津さん
テレビ朝日系:01/08(土) 26:00~
BS11:01/09(日) 24:00~

●放映日時未定
◎テイルズ オブ ルミナリア -The Fateful Crossroad-
>各配信サイト:01/21(金)
◎地球外少年少女
Netflix:01/28(金)
◎闇芝居 十期
テレビ東京:01/--(-) ~
◎デリシャスパーティ♡プリキュア
テレビ朝日系:02/--

急報、マイク・ネスミスさん(ザ・モンキーズ)永眠、78歳

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モンキーズのギタリスト、ヴォーカリストのマイク・ネスミスが12月10日、78歳で永眠した。
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モンキーズのマイク・ネスミス、78歳で死去 : https://news.yahoo.co.jp/pickup/6412125
日曜日はモンキーズ! : https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12705853414.html
モンキーズのギタリスト、ヴォーカリストのマイク・ネスミスが12月10日、78歳で永眠した。
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モンキーズ画像
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 『Rolling Stone』誌によると、家族は「今朝、自宅で家族に囲まれる中、安らかに息を引き取った」との声明を出した。自然死だったという。

 60年代半ばから、世界中で人気を博したモンキーズの一員として活躍してきたネスミスは、「Listen To The Band」「Sunny Girlfriend」「Tapioca Tundra」など多くの曲を作り、ソングライティングでも才能を発揮し、モンキーズ解散後はソロ活動を行い、10枚以上のアルバムを発表してきた。

 この数年はモンキーズの活動を再開しており、先月11月14日、ミッキー・ドレンツと共に、モンキーズの最後のツアーと告知された<The Monkees Farewell Tour>を終えたばかりだった。

 ドレンツは「心が張り裂けている。僕は大切な友人、パートナーを失った。最後の数ヶ月、僕らが最も愛すること──歌う、笑う、おどけながら一緒に過ごせてよかった。ものすごく寂しくなる。特に僕らのおふざけに関しては。ネズ、安らかに」と、追悼の言葉をあげている。

(BARKS, Yahooニュース, 12/11(土) 8:59配信)

 モンキーズ参加以前からすでにカントリー・ロック指向のスティーヴン・スティルスとも親しく交友を持ち、ミュージシャンを活動していたマイク(マイケル)・ネスミスさん(1945-2021)はモンキーズの実質的な音楽的リーダーでした。1970年にいったん解散するまでのモンキーズの全アルバム、全シングルについては、旧記事「日曜日はモンキーズ!」につい先日まとめたばかりです。また今秋の全米ツアーの様子はリブログさせていただいたレモンパイパーさんのごブログのご記事で最新のニュースが届けられたばかりでした。

 あまりの急報に言葉もありませんが、訃報に添えてネスミスさんがもっともモンキーズに貢献した楽曲の数々から、人気絶頂期のセカンド・アルバム『アイム・ア・ビリーバー (More of The Monkees)』(全米・全英1位)への提供曲「メリー・メリー」(モンキーズ以前にポール・バタフィールド・ブルース・バンドが1966年8月のアルバム『イースト・ウエスト (East-West)』で初演していますが)、ピーター・トークさん(1942-2019)脱退後にミッキー・ドレンツさん(1945-)、デイビー・ジョーンズ(1945-2012)さん、ネスミスさんのトリオになった唯一のアルバム(次作『チェンジズ (Changes)』はネスミスさんも脱退し、ミッキーとデイビーの二人のアルバムになります)『モンキーズ・プレゼント (The Monkees Present)』収録曲の先行シングルでマイクさん自作曲にしてリード・ヴォーカルもとりA面の「サムデイ・マン」(全米92位)よりヒットしたB面曲(日本では最初からA面)「すてきなミュージック」、ネスミスさんの自作曲かつリード・ヴォーカル曲で初めてアメリカ本国でのシングルA面として発表された実質的にネスミスさんのソロ・シングル「すてきなブルーグラス」の3曲を、ネスミスさんが最後にモンキーズでやりたいことをやり尽くしたアルバム『モンキーズ・プレゼント』全編の試聴リンクとともに上げておきます。最後のツアーといってもリクエスト次第では日本公演の可能性も期待されていただけに、11月のツアーも本人の強い希望でドクターストップを押して行われていたのかもしれないと思うと胸が詰まります。今や唯一現存メンバーとなったミッキー・ドレンツさんの長命を願ってやみませんが、ニット帽のネスミスさんの逝去をもって今後モンキーズの再結成は考えられないと思うとあまりの喪失感に心にぽっかり穴が空いたようで、茫然自失とするばかりです。
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ザ・モンキーズ The Monkees - メリー・メリー Mary, Mary (Michael Nesmith) (Official MV, From the album "More of The Monkees", Colgems COM-102, 1967.1.26) - 2:23 : https://youtu.be/AMNize7s8nc
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ザ・モンキーズ The Monkees - すてきなミュージック Listen to the Band (Michael Nesmith) (Official MV, Single B-Side, Colgems, 1969.4.26) - 2:43 : https://youtu.be/AweItvbPmBQ
Originally Released by Colgems 66-5004, Single "Someday Man b/w Listen to the Band", 1969.4.26, US♯63
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ザ・モンキーズ The Monkees - すてきなブルーグラス Good Clean Fun (Michael Nesmith) (Official MV, Single A-Side, Colgems, 1969.9.6) - 2:17 : https://youtu.be/-Gmgz2tqJEU
Originally Released by Colgems 66-5005, Single "Good Clean Fun b/w Mommy and Daddy", 1969.9.6, US♯82
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Both included in the album モンキーズ・プレゼント The Monkees Present (Colgems COS-117, 1969.10.11) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kX12SMG8mgoHUuWUJgk9Jg5u9wFx_YJs4

衝撃の『ジャガー自伝 みんな元気かぁ~~い?』!

ジャガー自伝 みんな元気かぁ~~い?」の表紙
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ジャガーさん東京大空襲で火だるまに 木更津高時代、1人で自動車を自作 ”千葉の英雄”自伝出版へ 驚きの秘話続々
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ヤフーニュース「驚きのジャガー自伝」https://news.yahoo.co.jp/articles/109a3f8986f8a79dec9e062c2437fe05acfc9c17
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 空襲被害に遭い千葉に疎開、高校時代にはたった1人で自動車を自作―。「故郷のジャガー星に帰還した」と10月に突如発表し、世間を驚かせた千葉のご当地ミュージシャン、JAGUARジャガー)さんが「帰還」前に執筆した自伝が17日、出版される。自ら制作した音楽番組を千葉テレビで毎週放映するという「伝説」を残したジャガーさんだが、衣装から建物まであらゆるものを自分で作ってしまう「DIYの天才」ぶりを開陳。東京大空襲の被害者であることや、疎開で千葉にやって来たこと、木更津第一高校(現・木更津高校)で東大進学を勧められるほどの秀才だったことなど、これまで明かされなかった秘話の数々を打ち明けている。
https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12702538065.html
木更津第一高校では美術部に所属。自身の絵の隣に立つジャガーさん(「ジャガー自伝」より)
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 「世」に出る前のジャガーさんの足跡はこれまで謎に包まれていたが、自伝では、1944年生まれで戦争体験者である、という驚きの事実が明かされる。 自伝によると、45年3月、「地球での仮の姿」の1歳の頃、当時家族と住んでいた東京・北千住で東京大空襲に遭遇。焼夷(しょうい)弾の炎に巻き込まれて火だるまになったが、両親が必死に消し止め命拾いをした。その後、千葉の長浦(袖ケ浦市)に疎開・転居したのが、千葉との縁の始まりだったという。 長浦小学校に通い、米軍ラジオ放送の洋楽に熱中する一方、工作にも没頭。中学時代には蒸気の力で走るリアルな機関車模型や望遠鏡を制作し、木更津第一高時代には、エンジンを積んだ三輪自動車を鈑金も含めて全て1人で作り上げた。 洋画家だった父の影響で絵画もたしなみ、高校では美術部に所属。洋裁にも夢中になり、妹にスタジャン、姉にスーツを作って贈るなど、若い頃から創造力を”爆発”させていた。 一方で学業でも秀才ぶりを発揮。高校時代は学年400人中1位をたびたび取った。教師から東大進学を勧められたが、芸術に関心があったため写真の専門学校に進んだという。 洋服直しの店を複数展開するなど経営者の顔も持つジャガーさん。自らのド派手な衣装はもちろん、旋盤加工や溶接などの技術を駆使して店舗の内装やライブハウスもDIYで制作。極め付きは市川・本八幡の3階建てビル。従業員と力を合わせ、設計、強度計算、配管、配線など「あらゆる知識を総動員して」手作りで建設したというから驚きだ。楽曲の発信のために千葉テレビの音楽番組「ハロー・ジャガー」を自ら制作したという話は知られているが、その背景には、何でも自身で作らないと気が済まない「DIY精神」があった。

ジャガーさんが高校2年生のときに自作した三輪自動車(「ジャガー自伝」より)
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「世」に出る前のジャガーさんの足跡はこれまで謎に包まれていたが、自伝では、1944年生まれで戦争体験者である、という驚きの事実が明かされる。 自伝によると、45年3月、「地球での仮の姿」の1歳の頃、当時家族と住んでいた東京・北千住で東京大空襲に遭遇。焼夷(しょうい)弾の炎に巻き込まれて火だるまになったが、両親が必死に消し止め命拾いをした。その後、千葉の長浦(袖ケ浦市)に疎開・転居したのが、千葉との縁の始まりだったという。 長浦小学校に通い、米軍ラジオ放送の洋楽に熱中する一方、工作にも没頭。中学時代には蒸気の力で走るリアルな機関車模型や望遠鏡を制作し、木更津第一高時代には、エンジンを積んだ三輪自動車を鈑金も含めて全て1人で作り上げた。 洋画家だった父の影響で絵画もたしなみ、高校では美術部に所属。洋裁にも夢中になり、妹にスタジャン、姉にスーツを作って贈るなど、若い頃から創造力を”爆発”させていた。 一方で学業でも秀才ぶりを発揮。高校時代は学年400人中1位をたびたび取った。教師から東大進学を勧められたが、芸術に関心があったため写真の専門学校に進んだという。 洋服直しの店を複数展開するなど経営者の顔も持つジャガーさん。自らのド派手な衣装はもちろん、旋盤加工や溶接などの技術を駆使して店舗の内装やライブハウスもDIYで制作。極め付きは市川・本八幡の3階建てビル。従業員と力を合わせ、設計、強度計算、配管、配線など「あらゆる知識を総動員して」手作りで建設したというから驚きだ。楽曲の発信のために千葉テレビの音楽番組「ハロー・ジャガー」を自ら制作したという話は知られているが、その背景には、何でも自身で作らないと気が済まない「DIY精神」があった。
https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12706413914.html
 「ハロー・ジャガー」が始まった経緯や、ジャガーさんの店で働いていたX JAPANのhideさんの真面目な仕事ぶり、ジャガーさんに憧れて面接に訪れた中学時代の氣志團綾小路翔さんの様子なども、本人の口から詳しく語られている。 「星への帰還」前にはビルのエレベーターを自作する計画も立て、実現していたというジャガーさん。担当編集者は「現代の平賀源内か、エジソンか、というぐらいジャガーさんは”モノづくりの天才”だった」と話す。千葉の戦後史も交えて描かれており、千葉と歩みをともにしたジャガーさんが、なぜ千葉を愛し、愛されたのかがよく分かる一冊となっている。 「ジャガー自伝 みんな元気かぁ~~い?」(全312ページ)はイースト・プレス刊。1540円。

(「千葉日報」2021年12月6日)

新発見!ジョン・コルトレーン『至上の愛』ライヴ!

ジョン・コルトレーン - 至上の愛~ライヴ・イン・シアトル (Impulse!, 2021)
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ジョン・コルトレーン John Coltrane - 至上の愛~ライヴ・イン・シアトルA Love Supreme / Live In Seattle (Impulse!, 2021)
Recorded at The Penthouse, Seattle, US, October 2, 1965
Released by Impulse! Records / Universal Music Entertainment CD 00602438499977, October 22, 2021
Recorded by Joe Brazil
(Tracklist)
1. 至上の愛 パート1:承認 A Love Supreme, Pt. I - Acknowledgement - 21:59 : https://youtu.be/28FDmhoAV0M
2. インタールード1 Interlude 1 - 2:36
3. 至上の愛 パート2:決意 A Love Supreme, Pt. II - Resolution - 11:05
4. インタールード2 Interlude 2 - 6:26
5. 至上の愛 パート3:追求 A Love Supreme, Pt. III - Pursuance - 15:44
6. インタールード3 Interlude 3 - 6:38
7. インタールード4 Interlude 4 - 4:20
8. 至上の愛 パート4:賛美 A Love Supreme, Pt. IV - Psalm - 7:21 : https://youtu.be/CmDbJ8TrQe8
[ John Coltrane Septet ]
« The John Coltrane Quartet »
John Coltrane - tenor saxophone, percussion
Jimmy Garrison - double bass
Elvin Jones - drums
McCoy Tyner - piano
with
Carlos Ward - alto saxophone
Pharoah Sanders - tenor saxophone, percussion
Donald Garrett - double bass

(Original Impulse! "A Love Supreme / Live In Seattle" CD double Digipack Liner Cover, Inner Cover & CD Label)
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See also : https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12581228921.html

 ジョン・コルトレーンのアルバム『至上の愛 (A Love Supreme)』(Impulse!, 1965.1)はインパルス!レコーズのプロデューサー、ボブ・シールの下、ニュージャージーのヴァン・ゲルダー・スタジオで1964年12月9日と10日のセッションで録音されています。オリジナル・アルバムには9日のコルトレーン・カルテットによるマスター・テイクのみが収録され、10日に録音さセクスセット(2テナー、2ベースの6人編成)のアーチー・シェップ(テナーサックス)とアート・デイヴィス(ベース)を迎えてパート1のみを演奏見直した10日録音分は没にされ、2002年のCD2枚組、2015年のCD3枚組の没テイク増補版まで未発表になりました。また『至上の愛』全4曲はカルテットによって1965年7月26日にフランスのアンティーブ・ジャズ祭で全曲演奏され(約48分)、フランスの国営放送がラジオ中継していたその時のライヴしかライヴ・テイクが残っておらず、その時以外に全4曲がバラでも通してでも演奏された記録も証言もなかったため、それが唯一の『至上の愛』ライヴ演奏だと推定されていました(長い間ハーフ・オフィシャルのインディー盤で出回っていたこのアンティーブ・ジャズ祭でのライヴも、2002年・2015年の増補版CDに公式収録されました)。ところが昨年、コルトレーン・カルテットが1965年10月の西海岸ツアー時に、コルトレーンの弟子格だったファロア・サンダース(テナーサックス)、現地で加わったカルロス・ワード(アルトサックス)、ドナルド・ギャレット(ベース)を含むセプテット(7人編成)でのライヴ演奏が、やはりこの西海岸ツアー時にコルトレーンと共演したミュージシャンのジョー・ブラジルによって、コルトレーンの許可のもと素人録音ながらクラブの天井からぶら下げた2本のマイクで録音されたテープが残っていたのが発見され、極力全貌を捉えた編集とリマスターによりCD化され、この2021年10月22日に全世界同時発売されました。YouTubeでは予約開始の8月26日に「至上の愛 パート4:賛美 (A Love Supreme, Pt. IV - Psalm)」が公開され、また発売日の10月22日には「至上の愛 パート1:承認 (A Love Supreme, Pt. I - Acknowledgement)」もYouTube上に公開されました。

 スタジオ盤『至上の愛』ではパート1が7分47秒、パート2が7分22秒(以上旧LPではA面)、パート3とパート4(旧LPではB面)はシームレスで17分53秒(のちのCD化でパート3は10分42秒、パート4は7分05秒と分割)、全編33分02秒だったのに対して、1965年7月26日のフランスのアンティーブ・ジャズ祭ではパート1が6分12秒、パート2が11分37秒、パート3が21分30秒、パート4が8分49秒と、全編で48分と、スタジオ盤の1.5倍あまりの長さになっています。今回の1965年10月2日のライヴでは曲間のインタールード(つなぎ)部分4箇所を含めると75分以上に上り、明確に曲として演奏された部分だとパート1が21分59秒、パート2が11分05秒、パート3が15分44秒、パート4が7分21秒と、コルトレーン以外のサンダース、ワードのソロを含むパート1とパート3の長尺演奏が目立ち、全編ではスタジオ盤の2倍の長さになっていますが、ほぼコルトレーン・カルテットのみで他のサックス奏者のソロはないパート2とパート4はスタジオ盤とあまり変わらない長さになっています。しかしインパルス!側が先に試聴用にアップしたパート4こそピアノ、ベース、ドラムスが控えめのためコルトレーンのテナーサックス演奏が比較的大きく聞こえて期待を抱かせますが、アルバム発売日にアップされたパート1は録音マイクのポジションのせいかピアノとドラムスは聴こえるもベースは途切れ途切れにしか聴こえず、コルトレーンのテナーサックスにいたってはヘッドホンでもしない限りほとんど聴こえません。

 筆者は昨日初めてこの発掘ライヴの発売を知ったので、YouTubeに上がっているパート1とパート4しかまだ聴いておらず、現在通販サイトに注文した商品の到着待ちですが、2010年代以降毎年のように公式発掘されている未発表スタジオ音源、新発見発掘ライヴ音源でも今回はあまりに音質(収録バランス)に難があり、今回の精査で1965年7月26日フランス、アンティーブ・ジャズ祭、1965年10月2日シアトル、ペントハウス出演以外『至上の愛』ライヴ演奏例はないとほぼ確定したようですから、ラジオ中継音源ほどではなくてもせめてもう少し良い録音はできなかったかと、臨場感すらあまり感じられないこのライヴは期待と実物の落差が大きすぎて、CDで聴いて聴き慣れるまで愛聴盤にはなりそうもない、なんとももどかしいアルバムになりそうです。アンティーブ盤の音質・ミックスバランスが演奏の気迫と臨場感を伝える名演だっただけに、また先行公開されたパート4で期待が持ててパート1を聴いたらピアノとドラムスのやる気のまったくない四つ打ちばかりが目立ち、しかもこの曲の肝心要なリフを弾くベースばかりか、コルトレーンのテナーまで聴こえないとあっては、CDが届いて聴いてますます落胆はしないかとしばらくシュリンク・シールドも封を切る気になれないような気がします。『至上の愛』を未聴の方は、まず引用記事の方からこの名盤をご試聴ください。名演ライヴのアンティーブ・ジャズ祭版もそちらに載せています。録音状態さえ良かったらこれも第三にして最後の『至上の愛』になっただろうかと、シアトル版発掘ライヴはその後です。

裸のラリーズ・水谷孝氏追悼

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黒い悲しみのロマンセ或いはFallin' Love With b/w 永遠に今が(Now Is Forever) (Etcetera, 1996) : https://youtu.be/tlLVRmgid5E
https://youtu.be/YtCSbSYHEGU
松山晋也(音楽批評家)公式Twitterより : https://twitter.com/agostoshinya/status/1451707828113051653?t=JvivQPUESxNBO4CDwgY3ag&s=19
日本語版ウィキペディア裸のラリーズ」: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%B8%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA?wprov=sfla1
英語版ウィキペディア「Les Rallizes Dénudés」: https://en.wikipedia.org/wiki/Les_Rallizes_D%C3%A9nud%C3%A9s?wprov=sfla1
フランス語版ウィキペディア「Les Rallizes Dénudés」: https://fr.wikipedia.org/wiki/Les_Rallizes_D%C3%A9nud%C3%A9s?wprov=sfla1
ドイツ語版ウィキペディア「Les Rallizes Dénudés」: https://de.wikipedia.org/wiki/Les_Rallizes_D%C3%A9nud%C3%A9s?wprov=sfla1
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 1967年結成、公式リリースは1973年に吉祥寺のライヴハウスによる自主制作盤オムニバス・アルバムの2枚組LP『OZ DAYS LIVE』(D面のみ参加)、1991年に3作の自主制作盤CD『'67-'69 Studio Et Live』『Mizutani / Les Rallizes Dénudés』『'77 Live』、1992年にインディー・レーベルから長篇ドキュメンタリー映像集(VHS-Video)『Les Rallizes Dénudés』、1996年にアート系同人誌「Etcetera」の付録シングル「黒い悲しみのロマンセ或いはFallin' Love With b/w 永遠に今が(Now Is Forever)」1枚のみを残して1997年以降活動を休止していた日本のロックバンド、裸のラリーズ(1991年の自主制作盤リリース以降は「Les Rallizes Dénudés」名義)の水谷孝氏の逝去がこの10月21日に、公式サイトの新設に伴って初めて公表されました。公式サイトのトップページに「Takashi MIZUTANI / 1948-2019」と記され、2019年の暮れに亡くなられていたようです。今後は公式サイト運営者によってラリーズの公式リリース作品が増補版・リマスターにより再リリースされていく予定され、音楽批評家・松山晋也氏の取材によるとほぼ作業は完了とされています。
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Les Rallizes Dénudés Official Site : https://www.lesrallizesdenudes-official.com/

 裸のラリーズには従来非公式サイトがあり、公式サイトはその運営者の方の協力のもとに水谷氏の版権相続者の方が立ち上げたようですが、非公式サイトも残されており、そこでは詳細な資料と研究がまとめられています。

The Last One (Unofficiall Site) : http://rallizes.blogspot.com/?m=0
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 筆者は何度か裸のラリーズについてはアルバム紹介記事を書いていますから、水谷孝を創設者かつ唯一のオリジナル・メンバーとして30年あまり、数十人のメンバーが去来したこのバンドについては、旧記事をご覧ください。裸のラリーズは200枚以上のアルバムがリリースされていますが、オフィシャル・サイトでは冒頭に上げたリリースのみが水谷氏による公式音源とされています。追悼の意を表して非公式映像を上げるのは礼を失するかもしれませんが、ここでは代表曲「夜、暗殺者の夜」の1976年・1994年のライヴ映像と1980年の山口冨士夫(ギター, 1949-2013, ex.村八分)在籍時のライヴ音源、また公式リリース盤『'77 Live』を中心に選曲されラリーズの非公式コンピレーション盤でもっとも広く聴かれている『Heavier Than A Death in The Family』からは割愛された、ラリーズのライヴでは必ず最後に演奏された代表曲「The Last One」を含むラリーズの最高傑作と名高い公式リリース盤『'77 Live』全編を、これも山口冨士夫在籍時のライヴ音源・1994年のライヴ映像とともに引いておきましょう。それにしても、結成から25年あまりアルバムも出さずに活動を続け、亡くなってもリマスター再発売のリリースが整うまで2年近く訃報が公表されなかったのは、いかにもラリーズの水谷氏らしい気がします。
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裸のラリーズ - 夜、暗殺者の夜 (1976年8月3日「第3回・夕焼け祭り」) : https://youtu.be/BYteF-C4S_o
裸のラリーズ - 夜、暗殺者の夜 (with 山口冨士夫, 渋谷・屋根裏, 1980年8月14日, from the unofficial album "Double Heads", Univive, 2005) : https://youtu.be/fWNJJ7ElzYw
Les Rallizes Dénudés - 夜、暗殺者の夜 (1994年7月10日・京大西部講堂「首吊りの舞踏会」) : https://youtu.be/3VCDVC1gQd4
裸のラリーズ - The Last One (with 山口冨士夫, 渋谷・屋根裏, 1980年8月14日, from the unofficial album "Double Heads", Univive, 2005) : https://youtu.be/54XmJwHeNYg
Les Rallizes Dénudés - The Last One (1994年7月10日・京大西部講堂「首吊りの舞踏会」) : https://youtu.be/sbhtAejVmEg
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Les Rallizes Dénudés - '77 Live (Rivista, 1991) : https://youtu.be/xoYVEQeJ4WQ
https://youtu.be/im2f9j6lq70
Recorded 'le 12 mars 1977 a Tachikawa' [ Most Violence Version ] (立川市民教育会館).
Released as Private Press, Rivista Inc. SIXE-0400, August 15, 1991
All Songs written by Takashi Mizutani
Arranged by Les Rallizes Dénudés
(Disc One)
1-1. Enter The Mirror - 11:30
1-2. 夜、暗殺者の夜 - 12:04
1-3. 氷の炎 - 16:12
1-4. 記憶は遠い - 11:35
(Disc Two)
2-1. 夜より深く - 15:32
2-2. 夜の収穫者たち - 8:30
2-3. The Last One - 25:24
[ 裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés ]
Mizutani (水谷孝) - Lead Guitar, Vocals
Nakamura Takeshi (中村武司) - Electric Guitar
Hiroshi (楢崎裕史) - Bass
Mimaki Toshirou (三巻俊郎) - Drums

・旧記事一覧
France Demo Tapes 記事 : https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12642703801.html
Heavier Than A Death in The Family 記事 : https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12649831949.html
Blind Baby Has Its Mothers Eyes 記事 : https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12650434117.html
夜、暗殺者の夜 記事 : https://ameblo.jp/fifth-of-july/entry-12587035744.html