筆者がハロウィーンを知ったのは中学生の時に読んだアガサ・クリスティの探偵小説(こう呼ぶ方がしっくりくる)「ハロウィーン・パーティ」1967で、著者は1890年生れだから77歳の作品だが相変わらず見事な佳作だった。
設定はイギリス作家らしい皮肉なもので、ハロウィーンの最中に女の子が絞殺死体で発見される、というもの。クリスティ作品常連の女流推理作家(本人がモデル)が調査に乗り出すが埒があかず、旧知の私立探偵エルキュール・ポアロが登場。ハロウィーンでは仮装した子供たちが一軒一軒どかどか上がり込んでお菓子をもらうが、殺された女の子はどれかの家で、殺人までして口封じしなければならない秘密を知ってしまったのだ。
こういうシンプルで日常的なのに雲をつかむような謎を仕組むのは、この人は本当に上手い。30歳の処女作「スタイルズ荘の怪事件」1920で既にこの作風が完成されている。クリスティ以前も以後も推理小説の主流は異常犯罪であることを考えると、その画期性がわかる。クリスティ~クロフツの流れは、アメリカではむしろハードボイルドに相当するものなのだ。
ハロウィーンを初めてやったのは10年前で、筆者の長女の保育園のクラスメイトのお母さんに言い出しっぺがいたのだ。やり方と出欠票が配られた。約20家庭が参加。兄弟のいる子はその分もあり、お菓子の準備はけっこう工夫した。個別装のチョコやキャンディ、ラムネやガムやビスケットの大袋を買ってきて、小袋に人数分に小分けしてカラーモールで閉じた。提案したお母さんの家に集合して、一軒ずつまわって最後の家でお茶会になる。
長女と次女には円錐帽子を作ってバンダナをマントにし、付き添いは妻に頼んだ。やがて子供たちのざわめきが近づき、ドアがノックされて「トリック・オア・トリート!?」という合唱が聞こえる。
「ハッピー・ハロウィーン!」と返事して子供たちを向かえ入れ、「はい、ひとりひとつずつだよ。来られなかったお兄ちゃんや妹がいる子はその分もいいよ」とお菓子の袋を盛った盆を差し出す。子供たちは大喜びで、やはりモールの色で選んでいるようだった(男の子は青、女の子は赤という具合に)。
帰宅後に妻に訊くと、うちのが一番豪華だったそうだ。子供が喜ぶ詰め合わせにしたもの。工夫が実って嬉しかった。もちろん死人は出なかった。