人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(7)

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前回はアメリカ文学史研究書の紹介で終りましたが、ヨーロッパ文学の表現方法の変遷を論じた大著『ミメーシス』からこの連載は始まっており、同書にはアメリカ文学の項目は含まれていないのも前回の末尾で強調した通りです。ではなぜアメリカ文学という脇道に逸れるかといえば、日本文学はアメリカ文学と似た成立過程を経ている。すなわち国家が成立してから文学が発生するのが本来の順序で、ヨーロッパ文学も中国文学も自然に発生したものだったのに対し、日本文学やアメリカ文学は国家の成立よりも先に文学が存在していた。日本文学の場合は中国文学でありアメリカ文学ではイギリス文学とフランス文学でした。日本の文学風土からは、アメリカ文学におけるヨーロッパ文学の導入過程から見た方が理解しやすいのです。

国家創始期のアメリカ人が当時のイギリス文学を指標にした例ではケンブリッジ派があり、ロングフェローエヴァンジェリン』は19世紀中葉の大ベストセラーですが、今日ケンブリッジ派は作品的にも思想的にも顧みられません。
ケンブリッジ派と同時期、対照的にアメリカ独自の文学思潮を生み出したのは、エマソンが提唱した超越主義(transcendentalism)に共鳴したソロー、ホイットマンらのグループであり、エマソンの影響を経て独自の立場を確立したホーソーンと、その弟子メルヴィルです。ポーは南北統一以前の南部人で完全に孤立した人でした。アメリカには居場所がないがヨーロッパにも居場所がない、という文学的立場で、やはりケンブリッジ派とは違います。
今日でも評価が高いのは後者のグループです。ポーはボードレールによって19世紀後半のヨーロッパ文学の祖となりました。

また、アメリカは南北戦争終結の1865年、日本は1868年の明治維新まで国家の統一がなされておらず、国家統一から19世紀末までは文学思潮は非常に混乱したものになりました。この時期日本では西洋小説派と旧派の競合や折衷があり、『浮雲』『舞姫』『金色夜叉』の時代、と称してもいいでしょう。アメリカではイギリス文学のアメリカ文学化がより柔軟に実現します。W.D.ハウエルズ、ヘンリー・ジェイムズマーク・トウェインらがそうです。
そしてアメリカと日本では同時に自然主義文学が輸入されました。ですが両国で自然主義はまったく異なる様相を呈します。