人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年2月9日・10日/小林正樹(1916-1996)監督作品(5)

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 昭和31年(1956年)は小林正樹が監督デビューから5年目にしてようやく第一線監督と認知された年と言ってよく、2月に通算第8作・長編7作目の『泉』が公開され、10月にはずっと公開無期延期されていた第2長編『壁あつき部屋』'53が一般公開され、11月には初めてキネマ旬報ベストテン入り(第9位)した話題作『あなた買います』が封切られます。翌昭和32年('57年)10月に公開された次作『黒い河』の紹介でキネマ旬報の解説が「『あなた買います』以来久々に小林正樹が監督した異色作」と書いているように、テレビ普及以前の当時は中堅までの映画監督は年間2~3作、4作の監督作を送り出すのが映画会社の製作体制としては一般的でしたから、ようやく中堅に手が届いた小林正樹が次作までにほぼ1年かけたのは一味飛びに木下惠介黒澤明並みに戦後のエース級大家に並ぶような姿勢を取り始めたことでもあり、『黒い河』自体も当時成人映画指定を受けていますが、扇情的なポスターからは日活を始めとする他社が『太陽の季節』『狂った果実』『処刑の部屋』(いずれも'56年)で業績を上げた「太陽族映画」に対抗するものを、と太陽族映画からはもっとも遠かった松竹苦心の企画を感じずにはいられません。しかし当初純情な主人公の青年大学生にキャスティングされていた仲代達矢をネガティヴな裏の主人公・人斬りジョーに替えた(大学生役には『泉』で唯一ヒロインの誘惑を跳ねのけた自然人の青年猟師役だった渡辺文雄が当たりました)ことで、『黒い河』は小林正樹版『醉ひどれ天使』'48と言うべき作品となり、『醉ひどれ天使』で黒澤明の主演俳優に三船敏郎が欠かせない存在となったように小林正樹監督作品には仲代達矢がレギュラー主演俳優になりました。文句なく観客を引きこみ一気に結末までハラハラさせながら観せる点で『あなた買います』は会心作であり、続く『黒い河』とともに後世に小林正樹の監督作品の作風にイメージされる作品の始まりになりますが、一気に面白く観て振り返った時に観客が抱く感想、印象はかなり好悪を分ける面があり、成功作とした上でもどこか問題作を狙って作られた作品なりの作為性を抱えているように見える感じがし、この2作の成功が小林作品をこの後の路線に導いたならかなり意志的な製作態度の変化を感じずにはいられません。なお戦後監督である小林正樹監督作品はキネマ旬報に公開当時の新作日本映画紹介がありますので、時代相を反映した歴史的文献として、今回もまた感想文中に引用紹介させていただくことにします。

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●2月9日(土)
『あなた買います』(松竹大船'56)*112min, B/W・昭和31年11月21日公開

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 プロ野球の新人採用にドラフト制度が導入されるきっかけになったのは、かつて国民的人気スポーツでビッグ・ビジネスと化していたプロ野球界で有望な即戦力となり得る高校野球大学野球、実業団選手に多額な現金や強大な権力を行使した熾烈なスカウト合戦が大企業の贈収賄取引並みの規模で行われるようになり社会的スキャンダルとなったため、とされますが、本作はまさにそうした問題が世間を賑わせていた頃に実在の球団と実在の選手に起こったスカウト合戦に取材した原作を映画化したものだそうです。ちなみにその選手はプロ入り後ごく平均的な活躍にとどまるも選手引退後も長くコーチの職に就いていたそうで、現実の後日談まで結果的に本作のサゲになっているあたりに皮肉があります。それは映画外のことであれ本作はそういう時代の「プロ野球のスカウト合戦」の裏話を佐田啓二演じるプロ野球球団のスカウトマンを主人公にあえて通俗的な表現をすれば「赤裸々に」描いたもので、これまでの小林正樹の映画がごく日常的な次元であれ異常な極限的次元であれ登場人物が理想化されているか、または登場人物自身が理想主義的であるかしていたのとはまったく異なり、良く言っても計算高いか、腹黒いか、他人を陥れてでも出し抜こうとする人物ばかりか、ヒロインですら非常に利己的でしかないという徹底して嫌な人間しか出てこない映画で、コメディすれすれの欲望まみれの人間ばかりの策謀劇としてエンタテインメント性は各段に非常に高い映画になっています。社会派世相映画としても実録映画的な興味でもの珍しい世界を見せてくれる面白さがあり、これは小林正樹というよりスキャンダラスな題材を強調した松竹の意向でしょうが、タイトルの露悪性といい、公開のタイミングが本作の前月の昭和31年10月になったお蔵入りにされていた長編第2作『壁あつき部屋』(昭和28年製作・完成)は映画ジャーナリストのみ試写会で完成時に観ていた旧作ですが一般の観客には2か月連続の小林正樹作品の新作封切りになったのですから、『壁あつき部屋』もあれはあれで息苦しい映画でしたが人間悪・社会悪の本質に迫ろうという態度がありました。本作も終盤にさしかかって主人公である佐田啓二、中心人物と言える有望選手の恩師で周囲を翻弄し続けていた人物を演じる伊藤雄之助の間に人間的な関係が芽生え始め、腹黒い伊藤雄之助のキャラクターに本質的な人間の尊厳や悲哀すらもたげてくる、それを理解し信じようとする佐田啓二が逆に伊藤ともども有望選手の実家の家族たちへの買収へと焦点が移っていたスカウト合戦からははじけ出されつつある、というあたりはスキャンダル映画からいきなりドストエフスキー的な問題へと映画が奥行きを増し、見事なものです。しかしこの映画も小林作品の例に洩れず長く、そこまでの社会世相問題劇の展開が延々と描かれ、そちらの方も納得のいく収拾をつけないわけにはいかないため中盤までは視点人物だった佐田啓二の行動に映画が沿っていたのに、後半どんどん佐田啓二の知らないところで進む視点からの叙述(事件としては同一なのでパラレル・プロットというほどではなく、本来は多元視点と言うべき次元)が増えてきて、これはスカウト合戦とは枝分かれして佐田啓二伊藤雄之助の信頼関係のドラマが発展してしまっている、という印象もあるのです。概要もご紹介する前に前説で映画の感想に踏みこんでしまいましたが、本作も公開当時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚色 : 松山善三 / 原作 : 小野稔 / 企画 : 小梶正治 / 撮影 : 厚田雄春 / 美術 : 平高主計 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 大村三郎 / 照明 : 須藤清治
[ 解説 ] ストーブ・リーグと呼ばれる野球界の裏話――小野稔の原作を「忘れえぬ慕情 Printemps_a_Nagasaki」の松山善三が脚色、「壁あつき部屋」の小林正樹が監督する。撮影は「晴れた日に」の厚田雄春。主な出演者は「涙」の佐田啓二、「壁あつき部屋」の岸恵子、「ここは静かなり」の大木実、「壁あつき部屋」の伊藤雄之助、「午後8時13分」の水戸光子、他に三井弘次、東野英治郎山茶花究多々良純、須賀不二夫、十朱久雄、石黒達也、花澤徳衛、織本順吉のヴェテラン陣。
[ 配役 ] 佐田啓二 : 岸本大介 / 伊藤雄之助 : 球気一平 / 水戸光子 : 谷口凉子 / 岸恵子 : 谷口笛子 / 大木実 : 栗田五郎 / 谷崎純 : 父 / 三井弘次 : 栗田為吉 / 花澤徳衛 : 栗田米次 / 磯野秋雄 : 栗田三郎 / 水上令子 : 嫁里子 / 織本順吉 : 四郎 / 泉京子 : 誕生祝の令嬢 / 佐々木孝丸 : 白石梅之助 / 須賀不二夫 : 宮沢監督 / 十朱久雄 : 坂田豪助 / 山茶花究 : 古川太郎 / 石黒達也 : 六甲忠助 / 多々良純 : 島悠助 / 小林十九二 : 夏目詮三 / 長島豊次郎 : 川尻監督 / 東野英治郎 : 大串 / 内田良平 : 新聞記者A / 末永功 : 新聞記者B / 大杉莞児 : 運転手 / 稲川善一 : 事務員 / 草香田鶴子 : 高山の母親 / 春日千里 : 待合の女将
[ あらすじ ] 東洋フラワーズのスカウト岸本は、重役から、大学選手の強打者栗田五郎をスカウトしろと命じられていた。だが栗田には、彼を大学へあげ優秀な野球選手に迄育て上げた球気一平という得体の知れぬ男がついていた。球気は岡山に妻子がいるのに東京で旅館を経営する谷口涼子と関係し、貿易会社に勤めつつも、栗田で一儲けを狙っていた。栗田を引抜くには先ず球気を落すのが必要と知った岸本は、早速、工作を開始。無口な栗田は球気には従順だった。そして涼子の旅館に出入りする中彼女の妹笛子と愛し合うようになった。栗田を二重に縛ったとホクソ笑む球気に比べ、笛子は世間にチヤホヤされ栗田の性格が変って行くのを心配し、プロ入りには反対だった。岸本が動き出すと、他の球団も策動を開始。とくに大阪ソックスの古川や阪電リリーズの島が目立った。球気は各球団を操り、栗田の値と同時に自分の報酬も上げようとの魂胆で、契約を迫られると、いつも秋のリーグ戦までと逃げていた。リーグ戦は栗田の活躍裡に終了。かつて栗田を大学へあげ得ず、誓約書を入れて球気に一身を任した高知の実家も、欲につかれて球気に絶縁状を送って来た。栗田はリーグ戦終幕と共に帰郷し、球気は岸本の条件に大体の腹を決めていた。大金を持った岸本始め、スカウト達は争って高知へ。家族と各球団のかけ引の末には兄弟の間で刃傷沙汰まで起きた。栗田は、胆石で死の床にある球気を尻目に、笛子とも縁を切り大阪ソックスに入った。球気の亡骸を前に、岸本は「今度は栗田をデッド・ボールで殺すようなピッチャーを探し出す」と、決意をこめて誓うのだった。
 ――このあらすじはちょっと違っていて、球気(伊藤雄之助)の死期を看取ったのは最後まで恩師・球気による有望選手(大木実)の説得に賭けていた岸本(佐田啓二)ですが、球気の死を看取ったあと岸本が有望選手の実家に押しかけたスカウトたちのところに駆けつけると、有望選手は逆指名ですでに大阪ソックスと契約してしまっている。有望選手は農家の五男なので上の四人の兄たちは別々の球団から買収され、刃傷沙汰まで起きている。実は周囲を手玉に取っていたのは純粋な野球青年のように振る舞っていた大学野球の有望選手自身だった、というのがわかり、恋人の岸恵子も失望して有望選手に別れを告げる(野心家の大木実も未練はまったくない)のですが、そうしたところに遅れて到着した岸本は長男が三男を刺して逮捕されたニュースを持ってきて、農家の庭先で憮然とするスカウトたちの中で「俺たちは仕事で負けたんだ。来年は栗田をデッド・ボールで殺すようなピッチャーを探し出してやる」と吐き捨てるように言うのは岸本ではなく阪電リリーズのスカウトマンの島(多々良純)です。岸本の球団に大木を、と決めたあとの球気(このネーミングや、各球団名を実在球団とダブらないようにとはいえ花で統一するセンスにも風刺映画として見せようとする狙いが見えます)が愛人(水戸光子)に「あの人は仮病よ」と言われながら実は余命いくばくもなく、大学進学に尽力した際の誓約書を持って絶縁状を送りつけてきた高知の大木の実家に岸本ともども乗りこもうとするも、高知まで来た無理がたたって急激に病状が悪化する。そこで初めて球気という人を食ってぬけぬけとした強欲な俗人の中にある希望や純粋さ、悲惨や尊厳、悲哀と岸本および観客は初めて直視することになるので、死という絶対的な運命に直面した人間が矛盾しあっていても絶体絶命にあっては一切虚飾がなくなるさまを描いていて意外な展開です。しかし映画としては社会世相問題劇と人間ドラマにテーマが割れているのではないか。水戸光子の愛人役が、これは球気が妻子と正式に離縁しない伏線にもなっているのでしょうが、離婚しないで愛人関係を持っているのは双方とも打算としても女性像としてはっきりしなければ、岸恵子の性格も映画に描かれている限りではドラマの進行上設けられた役柄にとどまる気味がある。それで映画後半に佐田啓二とデートするシークエンスに情感を凝らしていても映画の焦点とは結びあわないのです。意欲作である本作が問題作として好評だったとしても、映画の成り立ちや仕上がり自体はずいぶん微妙な感じがします。

●2月10日(日)
『黒い河』(にんじんくらぶ=松竹大船'57)*110min, B/W・昭和32年10月23日公開

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 この映画の舞台は立川をモデルにしたとおぼしいアメリカ駐留軍基地のある町で、冒頭は街灯もない暗闇にトラックがヘッドライトのみ見えて走り去る映像から始まっています。アパートとは名ばかりのボロ長家に住む住人たちの様子が次々と映り、それなりに極端な状況よりは復興しているとは言え、雰囲気は昭和32年の映画というよりもっと敗戦後間もない溝口健二の『夜の女たち』'48、小津安二郎の『風の中の牝鶏』'48、黒澤明の『醉ひどれ天使』'48あたりの頃の戦後世相映画のムードに近い感じがしてきます。昭和27年に駐留軍の占領から解放されても各地に駐留軍基地は残っており、特にアメリカの朝鮮戦争への介入によって日本も自衛隊が公認されるなど日本はアジアへの都合の良い軍事拠点としてアメリカに利用されており、日本の中小企業もアメリカ軍の需要による軍需景気によって好況を取り戻したのが戦時中に未成年学生だった世代から児童だった世代、戦後生まれのベビーブーム世代の青年期まで消費拡大に伴う高度成長期まで続くので、太陽族映画はその端緒とも言えるものでした。大映画社が支配的だった当時、太陽族映画のテーマである戦後世代の青春、反抗、暴力、犯罪、なかんずく性に関してはもっとも距離をとってもいたのがホームドラマとメロドラマの松竹で、溝口の『夜の女たち』は戦争未亡人たちの、小津の『風の中の牝鶏』は夫の復員を待つ貧困母子家庭の売春を題材にしていますが、社会問題劇の体裁を取っていて太陽族的なスタンスの暴発的な性を描く態度からはまったく異なるものです。黒澤明の『醉ひどれ天使』はヒューマニストの中年医師・志村喬を主人公にぎらぎらしたヤクザの三船敏郎を配したものですが、病身で組織の中で中堅幹部から失墜していき必死の抵抗を試みる三船に世間の酸いも甘いも噛み分けて強固な意志を貫く志村を対峙させて、三船の存在によって志村も輝けば、志村の存在によって打算と刹那的な衝動の両方に引き裂かれながら自滅していく三船の魅力もまた真実性を持って輝く具合に戦後映画であればこそ描けた世界を描いて最高の成功を収めた画期的傑作でした。ネガティヴな人間が死期に瀕して全人的な威厳と悲惨、純心や哀歓を痛切に輝かせるのはドストエフスキー的でもあればトルストイの『イヴァン・イリッチの死』のような19世紀末のロシア文学が見い出していたテーマでもあり、ヨーロッパ文学がロシア文学に発見するよりも早く日本文学がロシア文学から見つけ出していた近代的な即物的・実存的死生観です。小林正樹にもその心得があったのは前作『あなた買います』が一種のゴーゴリの『死せる魂』の現代版であること、伊藤雄之助演じる強欲な打算家・球気の運命の描き方でも鮮烈に表現されていました。ただし映画は中心をなすプロットから球気と、死期を悟った球気に初めて確かな人間的信頼を寄せようとするスカウトマンの佐田啓二をはじき出しすことでそうした極限の人間性にようやく迫るので、そこでスカウト合戦という中心プロットと人間ドラマが分岐する仕組みにならざるを得ない。そこに課題があったとすれば、基地の町のボロ長家の住人たちの生活の中で、生一本な大学生の渡辺文雄をレストランの女給の有馬稲子をめぐって町を仕切る愚連隊の親分・人斬りジョー(仲代達矢)と対峙させた本作ではどのようなテーマの進展があるかが注目されます。本作も公開当時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚色 : 松山善三 / 原作 : 富島健夫 / 企画 : にんじんくらぶ / 製作 : 桑田良太郎 / 撮影 : 厚田雄春 / 美術 : 平高主計 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 西崎英雄 / 照明 : 須藤清治 / 編集 : 浜村義康
[ 解説 ] 新進作家富島健夫の同名小説(角川新書版)を「悪魔の顔」の共同脚色者の一人、松山善三が脚色、「あなた買います」以来久々に小林正樹が監督した異色作。撮影は「東京暮色」の厚田雄春。主演は「大忠臣蔵」の有馬稲子山田五十鈴、「挽歌(1957)」の渡辺文雄、「喜びも悲しみも幾歳月」の桂木洋子、「月と接吻」の淡路恵子、「続大番 (風雲篇)」の仲代達矢
[ 出演 ] 渡辺文雄 : 西田 / 有馬稲子 : 静子 / 仲代達矢 : 人斬りジョー / 永井智雄 : 岡田 / 淡路恵子 : 妻康子 / 佐野浅夫 : 坂崎 / 宮口精二 : 金賢順 / 三戸部スエ : 妻美秀 / 東野英治郎 : 栗原 / 高橋とよ : 妻 / 山田五十鈴 : 家主幹子 / 桂木洋子 : 幸子 / 富田仲次郎 : 山口 / 春日千里 : 妻綾子 / 小笠原章二郎 : パアの夫 / 菅井きん : パアのかあちゃん / 大杉莞児 : 安井 / 賀原夏子 : 安井の女房 / 清水将夫 : 黒木 / 織田正雄 : 課長 / 中村是好 : 肥料汲取りの老爺 / 永田靖 : 医者 / 三好栄子 : 遣手婆さん / 水上令子 : 看護婦 / 田村保 : ジョーの乾分A / 北里治一 : ジョーの乾分B / 藤田貢 : ジョーの乾分C / 桜井研一 : ジョーの乾分D / 小林和雄 : ジョーの乾分E / 池月秋雄 : ジョーの乾分F / 浅川真 : ジョーの乾分G / 南進一郎 : ポン引A / 南大治郎 : ポン引B / 大友純 : ポン引C / 千村洋子 : プルニエのウェイトレスA / 伊久美愛子 : プルニエのウェイトレスB / 秩父晴子 : キャバレーの女A / 戸川美子 : キャバレーの女B / ポール聖名子 : キャバレーの女C / 佐々木恒子 : バアの女
[ あらすじ ] アパートとは名ばかりの朽ちはてた長屋「月光荘」――内妻をパーマネント屋に勤めさせているグウタラ者の岡田、愚連隊の親分・人斬りジョーの手下の坂崎と山口、朝鮮人共産党員の金、ポン引の栗原など余り柄がよくない連中が住んでいる。ある日、ここへ大学生の西田が引越してきた。彼は引越すときに道を訊ねた静子というレストランのウェイトレスと親しくなった。その頃、月光荘の家主幹子は、人斬りジョーを通じて二百四十万円でアパートを買取りたいとの相談をうけていた。買手は黒木という男で、近くの米軍基地を目当てにキャバレーを開くらしい。ジョーは坂崎らを使って三千円を餌に住人たちに立退きを迫った。西田や金は頑としてはねつけた。坂崎らは住人の個個に買収を始めたが、その手始めに一夜アパートで酒盛りをした。その翌朝、、西田は静子がジョーと一緒に泊っていたのを知ってギクリとした。翌日、彼は静子に会い、その告白を聞いた。あの夜、静子は西田のもとへ行く筈だったが途中でジョーの奸計にあって体を自由にされたというのだ。語り終えた静子は西田への愛情に、ジョーを殺して自分を取戻すのだと誓った。翌日、新川組という土建屋の若い衆が突然アパートを取壊しにきた。西田が村役場へ訴えに行くと意外にも自分の印鑑が立退同意書に押されてあった。ジョーのインチキと知って戻るがアパートは半分近く壊されていた。しかもジョーは、あくまで立退きに応ぜぬ西田に、今日は自分の誕生日だから祝いに来てくれと呼出しをかけた。その使いに来た坂崎を締上げて西田は、アパート跡に温泉マークが建つことを白状させた後、ジョーのいる新川組の一家を訪れた。酒盛りの最中、果して立退きのことで不穏な空気が流れたが、同席した静子の取りなしで収まった。その後、ジョーと彼の情婦幸子、それに静子と四人連立って西田は表へ出た。折からの雨。そのとき静子は、ジョーに接吻すると見せかけ、彼を走ってきたトラックめがけて突きとばした。ジョーは轢かれて死んだ。西田の胸に静子は涙の顔を埋めた。
 ――本作も前作同様、小津安二郎作品のレギュラー・カメラマンの厚田雄春が撮影しているのが不思議に思えるようなダイナミックなショットも多く、小津作品の厳格なカット割りを澄明に撮る一方こうした作品も担当するのは会社専属カメラマンだからこその仕事とは言え変化があって面白い現場だったのではないかと思われます。本作は長家の住人たちの多彩な人間模様もブラック・コメディ的と言ってもいい描かれ方で、意地の悪い世相ドラマとしての面白さで観客を引きこむ面白さがあり、家主の婆さんを演じる山田五十鈴などは本作のために本当に歯を抜いて金歯にして調子の良い強欲婆さんを嬉々として怪演しており、『七人の侍』の無口でかっこいい剣の達人だった宮口精二が真面目な共産党員の子だくさんの在日朝鮮人で唯一長家の住環境の改善を住人たちに熱心に呼びかけるもまるで実を結ばない情けない役なのには泣けてきます。妻(淡路恵子)を美容院勤めに出して髪結いの亭主の座に満足しながら浮気症ばかりか隠れて売春していても気づかないお人好しの夫(永井智雄)始め長家の人間模様はよく描けており、それがアパートをつぶして当初キャバレー、のち連れこみ旅館を建てようとする清水将夫山田五十鈴から気前良く土地を買収し、アパートの住人追い出しに町の愚連隊の親分の人斬りジョーを雇い、ジョーは仕事料に30万円で請け負って、子分たちに所帯ごとに3,000円を立ち退き料に受け取らせて、拒否する渡辺文雄宮口精二らの分は同意書に三文判を買ってきて同意書を揃え、それまでもジョーの立ち会いで「水道管を引くための測量」(つまりこの長家には水道もありません)が来たりもしていましたが突然ブルドーザーが長家をぶち壊しにやって来て住人たちがおろおろする前であっという間に問答無用で長家をぶちこわしてしまう。一方このブラック・コメディのプロットと冒頭引っ越してきた大学生の渡辺文雄が大八車から落ちた本を拾ってくれた近所のレストランの女給の有馬稲子と知りあい親しくなるが、有馬稲子はかねてから目をつけられていたジョーの子分たちに夜道で拘束されて、助けに入ったふりをしたジョーに強姦され、それ以来関係を強要されてしまう。映画後半夜道で襲ってきた男たちもジョーの子分で助けたように見せたのは自作自演だったとジョーに嘲られて、ようやく有馬稲子渡辺文雄にジョーを殺して自由になる、と決意をのべますが、有馬稲子が強姦された翌日仲代達矢に「責任を取って結婚して頂戴!」と言うのも現在でもレイプ被害者が被害届けをするのは大変でしょうが、時代が時代とは言え強姦した男、それも明らかに裏稼業の男に結婚してくれと請うのは錯乱しているとしか思えず、長家の住人たちは細かいエピソードに散りばめて一筆描きながら十分に人間像が描けているのに全編を通して渡辺文雄有馬稲子仲代達矢のキャラクターに深みがなく、ドラマに連れて進展していくはずの性格の変化も思わせぶりなまま何ら映画の当初と変わらないまま進むので、結末のカタストロフのあと有馬稲子が夜道を駆け足でスクリーン奥底へ去って行くエンドシーンまで強姦暴力メロドラマとしてはまるで成功していない、と言わざるを得ません。最初大学生役にキャスティングしていた仲代達矢を人斬りジョーに替え、渡辺文雄を大学生に据えた時点で小林正樹太陽族映画より『醉ひどれ天使』の三船敏郎仲代達矢にイメージしていたに違いなく、脚本や演出次第ではそうした作品になった可能性もあり得る。小林正樹が一見類型的な悪党に見えた人物が意外な人間的真実を持って浮き上がってくる、という描き方ができる監督なのは前作『あなた買います』で確かめることができました。しかし本作の人斬りジョーはニヤニヤ笑いの類型的な悪党として出てきてそのまま最期を迎えるだけで、主人公たる渡辺文雄もヒロインである有馬稲子もまったく説得力のない、魅力のないキャラクターのままです。有馬稲子は本作の前に小津安二郎の『東京暮色』'57でやはり陰気なヒロイン役を演じていましたが、どうも『泉』(こちらは美貌で世渡りする傲慢な美女役で、まだしも嫌な女の役にドラマ性がありましたが)にしても『黒い河』にしても有馬稲子が良くない、という印象があり、長家の立ち退き話に人斬りジョーというキャラクターが必要だったとしても渡辺文雄有馬稲子のロマンスは不要、または人斬りジョーと有馬稲子の強姦強制愛人関係が不要と思われてくるのです。明らかにそのあたりに計算違いのある映画と思わずにはいられず、それが意欲的な作風拡張の意図がうかがえるだけに、単に失敗作というよりさらに困った感じがしてくるのです。