人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

死と暴力(1)

ラーメン屋の戸を開けると、人が倒れていた。ぼくより少し年上の中年男性と女性店員が介抱していた。大丈夫ですか?声は聞こえますか?倒れていたのはお婆さんだった。店はお昼時で9分の客入りだったが静まりかえっていた。
「何か役にたてることはありませんか?」いえ、もう救急車呼びましたから。聞くと、食事を済ませてレジで会計したと同時に倒れたのだという。レジ横で注文待ちの男性が受け止めたから頭は打っていない。このお婆さんはツイていた。でも意識はないし、身動きひとつしない。
場所を移しませんか、とぼくは提案した。レジ前は店の中央で危ない。どこか店の隅。マットか毛布でもありませんか?
「毛布ならあります」と本当に毛布が出てきたのには驚いた。ラーメン屋には毛布もあるのか。
寝かせる場所はすぐ決まった。男性が頭側、ぼくは足側を抱えて動かそう、ということになった。
ところがお婆さんの斜め掛けバッグが邪魔になる。お婆さんはバッグをしっかり掴んでいた。ぼくはお婆さんの指をほぐそうとしたがますます指が食い込むほど握りしめる。
「大丈夫です、盗ったりしませんよ。ここじゃ危ないので運ぶだけですからね」でも離さない。女性店員が「もうすぐ救急車が来ますからね」
この言葉でお婆さんの意識は戻った。「…救急車を呼ばないでください」「もう呼びましたよ」「救急車を呼ばないでください。自分で歩いて帰れます」
お婆さんはよろけながら時間をかけて起き上がり、店員の介抱で椅子に掛けた。数分後、救急車が到着した。お婆さんは「歩いて帰れます」と救急隊員の説得も聞かず脈拍すら拒んで出て行った。
帰宅して考えた。おそらく食後すぐ血糖値が急激に上昇したのだろう。くも膜下出血になりかねない。でもお婆さんは拒んだ。助けようとする人すら拒んだ。
ぼくはお婆さんのちぐはぐな服装を思い出した。調和のまったくない組合せ。家族や友人のいる人はあんな服装はしない。
おそらくこれが最初じゃないのだろう。以前他の店で倒れた時は救急車で搬送され検査も高くついた。だから今回は拒んだ。お婆さんは命よりお金を惜しんでいるのだ。
でもやがて1年に1度が半年に1度、3ヶ月ごと、1ヶ月ごと、毎週になって、最後が来る。
ぼくはお婆さんの孤独を考えた。まったく愛を失って、大切なものを見失ってしまった。でもお婆さんにはもうそれ以外ないのだ。