先立って『動物の受難』をご紹介した北海道生まれの詩人・岩田宏(1932-)は言葉の手品師ともいえる人で、端正な翻訳を手掛ける一方、詩作では発想も表現も自由奔放を極めることもできた。『動物の受難』では形式化によるグロテスクなユーモアを醸し出していたが、今回ご紹介する一篇はほとんど連想のなすがままに、その実冷静で入念な計算のもとに作品を構成している。おそらくこれは翻訳不可能だろう。
『感情的な唄』 岩田 宏
学生がきらいだ
糊やポリエチレンや酒やバックル
かれらの為替や現金封筒がきらいだ
備えつけのペンや
大理石に埋ったインクは好きだ
鳩
極端な曲線
三輪車にまたがった頬の赤い子供はきらいだ
痔の特効薬が
こたつやぐらが
井戸が旗が会議がきらいだ
邦文タイプとワニスと鉄筆
ホチキスとホステスとホールダー
楷書と会社と掃除と草書みんなきらいだ
脱糞と脱税と駝鳥と駄菓子と打楽器
背の低い煙草屋の主人とその妻みんな好きだ
バス停留場が好きだ好きだ好きだ
元特高の
古本屋が好きだ着流しの批評家はきらいだ
かれらの鼻
あるいはホクロ
あるいは赤い疣あるいは白い瘤
または絆創膏や人面疽がきらいだ
今にも泣き出しそうな教授先生が好きだ
今にも笑い出しそうな将軍閣下がきらいだ
適当な鼓笛隊
正真正銘の提灯行列がきらいだきらいだ
午前十一時にぼくの詩集をぱらぱらめくり
買わずに本屋を出て
与太を書きとばす新聞社の主筆がきらいだ
やきめしは好きだ泣き虫も好きだ建増しはきらいだ
猿や豚は好きだ
指も
(詩集「頭脳の戦争」1962より)
外国語訳どころか、これは他人はおろか本人ですら二度は使えない手法だろう。だがもし岩田宏=翻訳家・小笠原豊樹ならばこれをロシア語、またはアメリカ英語に見事に移植してみせると思われる。それは言語の違いだけ異なったものにはなるだろうが、どの時代のどの国にでも岩田宏に匹敵する詩人がいるとは限らない。その意味で、岩田宏の後継者たる詩人は現代では現れていないだろう。それにあの素晴らしい翻訳の数々も。