人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

永井荷風訳ボードレール詩集

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『死のよろこび』
 シャアル・ボオドレエル
 永井荷風

蝸牛匍ひまはる泥土(ぬかるみ)に、
われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。
安らかにやがてわれ老いさらばひし骨を埋め、
水底に鱶の沈む如忘却の淵に眠るべし。

われ遺書を憎み墳墓をにくむ。
死して徒に人の涙を請わんより、
生きながらにして吾寧ろ鴉をまねぎ、
汚れたる脊髄の端々をついばましめん。

ああ蛆蟲よ、眼なく耳なき暗黒の友、
汝が為めに腐敗の子、放蕩の哲学者、
よろこべる無頼の死人は来れり。

われ亡骸にためらふ事なく食入りて、
死の中に死し、魂失せし古びし肉に、
蛆虫よ、われに問え。猶(なお)も悩みのありやなしやと。
 (訳詩集「珊瑚集」1913=大正2年より)

 日本文学のなかでもっともボードレール(フランス1821-1867・写真上)に近づいたのは詩人のなかにはなく、小説家・永井荷風(1879-1959・東京生れ)ということになるだろう。深い人間不信、社会への憎悪。戦時中には一切作品発表せず敗戦まで密かに執筆活動を続け、戦後に一挙に発表された新作でブームを巻き起こし、79歳の孤独死の時には有り余るほどの貯蓄があったという。スター作家に返り咲いてからは浅草の楽屋裏の常連も楽しんだ(写真下。ジミの「エレクトリック・レディ・ランド」LP時代のジャケットではない)。
 荷風の家系は高級官僚、ボードレールは軍人家で共に裕福だった。ボードレールは相続約2億円を2年で使い果たして娼婦のヒモになった。詩集「悪の華」初版は1857年刊行。同年生れの小説家ギュスターヴ・フローベールボヴァリー夫人」もこの年刊行。現代文学の始まりだ。だが共に風俗紊乱罪で起訴され、フローベール無罪・ボードレール有罪になる。1861年に発禁対象詩篇を削除し、ほぼ倍に増補した「悪の華」再版刊行。以後ボードレールは死の前々年まで散文詩とエッセイを書き続けたが、晩年2年間は40代半ばの若さで廃人同様だったという。
さて、ボードレールの訳詩は数多いが荷風訳はもっとも早く、かつ引き締まった迫力をもつものだ。文語体だが用語も文脈も現代口語訳以上に真髄を伝える。「珊瑚集」巻頭にしたくらいだから自信もあったのだろう。さすがだ。