人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

衣笠貞之助「狂った一頁」1926

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新感覚派映画連盟・衣笠映画連盟制作、サイレント・B/W、70分(現存版59分)、1926年新宿武蔵野館公開(1975年リバイバル公開、併映「十字路」1928)。
カリガリ博士」のヒットで世界的流行になった表現主義(反リアリズム・実験的)映画だが、作りたくても実験的企画がおいそれとは通らないのは今も昔も同じこと。ただ最近知ったが、当時ヨーロッパ諸国では芸術映画の奨励があり、通常の娯楽映画の半分の興行税で済んだ。どおりで独、仏、北欧は大胆な反商業的映画が相次いだわけだ。

しかし日本ではそうもいかなかった。溝口健二「血と霊」等は残念ながらフィルムが散帙しており、日本の表現主義映画は衣笠貞之助(1896-1982)の独立プロ作品「狂った一頁」「十字路」の2作しか現存しない。この2本も戦後散帙したと思われていたが、1975年に偶然ほぼ同時に発見されたものだ。世界的にもこの発見は注目され、それぞれ'A Page Of Madness''Jujiro'の英題で通っている。
「十字路」はフィルムセンター所蔵とは別のやや短いヴァージョンがDVD化され、「狂った一頁」は岩波ホール所蔵プリントが国内唯一らしく、版権問題(川端康成オリジナル脚本)もあってDVD化が難しいようだ(YouTubeで見られるが)。
田中純一郎「日本映画発達史」ではこの作品にまるまる一章を割いている。よほど映画史的に画期的な作品と位置づけているのがわかる。内容紹介は簡略で、

「老婆が狂人になって気違い病院へ入れられ、その亭主は病院の小間使いになって様々な幻覚に悩まされる、という簡単な筋書を、その頃フランス映画で紹介されたフラッシュバックをさかんに使用して、いわゆる光の交響楽を構成しようとしたもの」

と要約している。筈見恒夫「映画作品辞典」1954はこの作品散帙中の映画辞典だが、別の角度から紹介している。

「精神病院の小使だった老主人公の過去と現在を交錯させた心理描写を当時文壇的に流行した、いわゆる新感覚派手法で描いたもので、ドイツ映画のキャメラの主観的表現に影響を受けている」

ご覧になれば判るが、この作品はドイツ映画「カリガリ博士」1919+「最後の人」1925の模倣作と言ってよい。歴史的には精神病院という記録的な価値がある。「戯言集」や「ドグラ・マグラ」より10年早い。しかも映像なのだ。しかも日本の。