人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ポポル・ヴー Popol Vuh - ヨーガ Yoga (PDU, 1976)

ポポル・ヴー - ヨーガ(PDU, 1976)

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ポポル・ヴー Popol Vuh - ヨーガ Yoga (PDU, 1976) : https://youtu.be/N6Yom735gP8
This album was the results of a session recorded at Studio 70, Munich in 1974, and was never intended to be released as a Popol Vuh release.
Released by PDU Records Pld. SQ 6066, Italy, 1976
(Lato A)
A1. Yoga 1 - 22:10
(Lato B)
B1. Yoga 2 - 18:30

[ Personnel ]

Florian Fricke - Indian Harmonium
Beena Chatterjee - vocals
Al Gromer - Sitar
Pandit Sankha Chatterjee - tabla
Peter Müller - sarangi

(Original PDU "Yoga" LP Liner Cover & Lato A Label)
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 旧西ドイツのクラウトロックを代表するグループのひとつ、ポポル・ヴーは実質的にリーダーのキーボード奏者フローリアン・フリッケ(1944-2001)のソロ・プロジェクトで、メンバーの出入りは少なかったもののレコード制作のみでライヴは行わず、アルバム制作ごとにフリッケと親しいミュージシャンたちが集まる形態で1970年のデビューからフリッケ逝去まで30年もの間活動を続けていましたが、そうした異例の活動を可能にしたのもフリッケが旧貴族階級の大城主で機材も備えた自宅スタジオを持つ富豪であり、かつ親友だった映画監督、ヴェルナー・ヘルツォーク(『アギーレ・神の怒り』など)の映画の専属映画音楽家だからでした。ポポル・ヴーのアルバムはこのブログで初期の数作をご紹介しましたが、今回ご紹介するポポル・ヴー第9作目のアルバム『ヨーガ(Yoga)』は本来ポポル・ヴーの作品として制作されたものではなく、フリッケが友人のつてで在独インド人ミュージシャンたちとセッションした音源を現代インド音楽のアルバムとしてかつての所属レーベルのOhrに提供していたところ、Ohrはこれをドイツ発売はせずフリッケとの契約満了を待ってイタリアのインディー・レーベルに売却し、イタリアのレーベルPDUがポポル・ヴー名義で発売してしまったものです。フリッケはポポル・ヴー名義で23枚のアルバムを残しており、フリッケ逝去後全作品が未発表テイクを加えたリマスター盤CDとして新装発売されましたが、この『Yoga』だけはフリッケの遺志と版権の散佚から再発売を除外されています。しかしPDUレーベルはOhrから本作を版権ごと買い取っていたらしく、このアルバムはアナログLPでは初回プレスのみで廃盤になったものの1992年にフランスのSpalaxレーベルから初再発売・初CD化され、イタリアのHigh Tideレーベルから1993年にCD再発売されたあと再度廃盤になり、フリッケ逝去後の2007年にイタリアのAtlas Eclipticalisレーベルから限定版のCD-R再発売がされています。そうした事情で本作はリリース過程もジャケット(CDジャケットはアナログLPからのピンボケ複写!)もタイトルも内容もうさんくさいためにCD(おそらくマスター・テープ紛失のためアナログLP起こし!)も少数のプレス枚数しか出回っていませんが、同じ理由(さらにCDでは1、2の区切りなしで全1曲40分!)から不人気なので、稀少なアルバムにもかかわらずプレミアどころか中古盤ではこんなの買う客もなかろうと捨て値に近い値段で売られています。私も20年以上前に中古盤店で800円くらいで買いました。

 しかし実際このアルバムを聴いてみると、本来ポポル・ヴー作品として制作されたものではなく、発売後もフリッケがポポル・ヴー作品から除外しているにもかかわらず、本作はエキゾチックでアコースティックな現代インド音楽として聴きごたえのあるキュートでチャーミングなアルバムで、全編で流れるインド人女性ヴォーカルの囁くような歌声にはポポル・ヴーの新旧レギュラー・ヴォーカリストだったディオン・ユン(現代クラシック界の韓国人大作曲家イサン・ユン令嬢)、レナーテ・クラウプ(元アモン・デュールIIの女性ヴォーカリスト)らに劣らない魅力があります。ポポル・ヴー自体も初期2作と映画サウンドトラックではムーグ・シンセサイザーを使用しているもののサード・アルバム『ホシアナ・マントラ(Hosianna Mantra)』以降は後期のアルバムまでずっと独自のアコースティック・アンサンブルが主体のサウンドで一貫しています。本作『Yoga』には作曲者クレジットはなく即興演奏のセッション・アルバムと思われますがフリッケもインド製ハーモニウム(足踏みオルガン)で参加しており、女性ヴォーカルとインド楽器とのアンサンブルによるメディテーショナルな響きは本家ポポル・ヴー作品と並べてもおかしくないものです。再発売CDもフリッケにとっては不本意だったためフランス盤、イタリア盤しかプレスされていない不遇なアルバムですが、本家ポポル・ヴーのアルバムを聴いたことのある人もない人もこの『Yoga』は現代インド音楽とエキゾチックなアコースティック・フォークを融合したなかなかの逸品として愛聴できるのではないでしょうか。アメリカのセヴンス・サンズの『Raga』のような素人芸ではなく、イギリスのマッシュルーム・レーベルのマジック・カーペットなどはモロに本作と同じインド音楽フォーク・ロックですが、出来栄えはこの『Yoga』の方がはるかに上です。本作はイギリスのヴァシュティ・バニヤン、フランスのエマニュエル・パルナン、イタリアのサン・ジュストなどの'70年代の女性ヴォーカル・アシッド・フォークとも親近性のある、この種の音楽が好きな人にはたまらない魅力のある作品です。こういうアルバムがいくらでも埋もれているのが'70年代ユーロ・ロックのそら恐ろしいところです。

 なお参考までにポポル・ヴーの全アルバム・リストを上げておきます。ジュリアン・コープによるドイツのロック研究書『Krautrocksampler』1995にはドイツのロックのベスト・アルバム50選に『Affenstunde』『In Den Garten Pharaos』『Einsjager & Siebenjager』『Hosianna Mantra』(この順)が上げられています。日本語題があるものはフリッケ逝去後のリマスターCDが日本盤でリリースされているものです。また『アギーレ/神の怒り』『ガラスの心』『ノスフェラトゥ』『Fitzcarraldo』『コブラ・ヴェルデ』はそれぞれ同年のヴェルナー・ヘルツォークの同名映画のサウンドトラック盤です。

[ Popol Vuh Album Discography ]
1.『猿の時代』(旧邦題『原始帰母』)Affenstunde (1970)
2.『ファラオの庭にて』In den Garten Pharaos (1971)
3.『ホシアナ・マントラ』Hosianna Mantra (1972)
4.『聖なる賛美(山上の教訓)』Seligpreisung (1973)
5.『一人の狩人と七人の狩人』Einsjager und Siebenjager (1974)
6.『雅歌』Das Hohelied Salomos (1975)
7.『アギーレ/神の怒り』Aguirre (1975)
8.『最後の日、最後の夜』Letzte Tage - Letzte Nachte (1976)
9.『Yoga』(1976)
10.『ガラスの心』Herz aus Glas (1977)
11.『影の兄弟、光の子供達』Bruder des Schattens - Sohne des Lichts (1978)
12.『ノスフェラトゥ』Nosferatu (1978)
13.『魂の夜(タントラの歌)』Die Nacht der Seele (1979)
14.『静謐の時』Sei still, wisse ICH BIN (1981)
15.『Fitzcarraldo』(1982)
16.『アガペー・神の愛』Agape - Agape (1983)
17.『スピリット・オブ・ピース』Spirit of Peace (1985)
18.『コブラ・ヴェルデ』Cobra Verde (1987)
19.『フォー・ユー・アンド・ミー』For You and Me (1991)
20.『シティ・ラーガ』City Raga (1995)
22.『羊飼いの交響曲』Shepherd's Symphony - Hirtensymphonie (1997)
23.『オルフェオのミサ』Messa di Orfeo (1999)

与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」明治37年(1904年)

与謝野晶子明治11年(1878年)12月7日生~
昭和17年(1942年)5月29日没(享年64歳)
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君死にたまふことなかれ

 旅順口攻囲軍の中に在る弟を歎きて

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末(すゑ)に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刄(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺(さかい)の街のあきびとの
旧家(しにせ)を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出いでまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ、
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきのなかに、いたましく、
わが子を召され、家を守(も)り、
安しと聞ける大御代(おほみよ)も
母のしら髪はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻(にひづま)を
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はで別れたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

(「明星」明治37年=1904年9月、合同詩歌集『戀衣』明治38年1月収録)

君死にたまふことなかれ

 (旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)

ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末(すゑ)に生れし君なれば
親のなさけは勝(まさ)りしも、
親は刄(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までを育てしや。

堺(さかい)の街のあきびとの
老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家いへの習ひに無きことを。

君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でませね
互(かたみ)に人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
死ぬるを人の誉(ほまれ)とは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。

ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君(ちゝぎみ)に
おくれたまへる母君(はゝぎみ)は、
歎きのなかに、いたましく、
我子(わがこ)を召され、家を守(も)り、
安しと聞ける大御代(おほみよ)も
母の白髪(しらが)は増さりゆく。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻(にひづま)を
君忘るるや、思へるや。
十月(とつき)も添はで別れたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。

(『晶子詩篇全集』昭和4年=1929年1月刊収録)


 日露戦争(明治37年=1904年勃発~明治38年=1905年終結)時の反戦詩として名高い与謝野(旧姓・鳳)晶子(1878-1942)のこの「君死にたまふことなかれ」は、第一歌集『みだれ髪』(明治34年=1901年8月刊)刊行直後の与謝野鉄幹(1873-1935)との結婚を経て第二歌集『小扇』(明治37年=1904年1月刊)に続く鉄幹との合同詩歌文集『毒草』(明治37年5月刊)を刊行したの鉄幹主宰の詩歌誌「明星」9月刊行号に発表され、当初から賛否両論かまびすしい、大きな反響を呼び、翌明治38年1月刊の山川登美子、増田(茅野)雅子との共同詩歌集『戀衣』に収録されたものです。「明星」発表時にはタイトルは「君死にたまふこと勿れ」で、詩行に句読点はなく、タイトルの表記や句読点の追加を含む多少の表記の変更(初出では「何事ぞ、/君は知らじな」は「何事か/君知るべきや」、「母のしら髪はまさりぬる。」は「母のしら髪はまさりける」となっていました)をされて『戀衣』に収められたのが先に掲げた型です。のち与謝野晶子は短歌以外の詩篇421篇を『晶子詩篇全集』(実業之日本社昭和4年=1929年1月20日刊)にまとめており、後に掲げたのは『晶子詩篇全集』での改稿版です。のちに講談社から『定本與謝野晶子全集』が刊行された際に第九巻『詩集一』(昭和55年=1980年8月刊)・第十巻『詩集二』(昭和55年12月刊)に『晶子詩篇全集』未収録の詩篇239篇が『晶子詩篇全集拾遺』として収められており、歌人としての業績とともに膨大な文語詩・口語詩・散文詩が認められることになりました。

 この詩「君死にたまふことなかれ」は日露戦争に出兵した実弟、宗七の身を案じた反戦詩として名高い作品で、発表時大町桂月が批判し晶子が応酬するなど議論のあった詩であり、当時二児の母でもあった(のち十一児の母になる)晶子は女の身であれば肉親や子供を思い、まことの心情を歌うなら当然ではないかと反論しています。しかしのちに与謝野晶子は、『晶子詩篇全集拾遺』に収録された詩集未収録詩篇では、第一次世界大戦に当たって、

覇王樹と戦争

シヤボテンの樹を眺むれば、
芽が出ようとも思はれぬ
意外な辺が裂け出して、
そして不思議な葉の上へ
新しい葉が伸びてゆく。

ああ戦争も芽である、
突発の芽である、
古い人間を破る
新しい人間の芽である。

シヤボテンの樹を眺むれば、
生血に餓ゑた怖ろしい
刺はりの陣をば張つて居る。
傷つけ合ふが樹の意志か、
いいえ、あくまで生きる為。

ああ今、欧洲の戦争で、
白人の悲壮な血から
自由と美の新芽が
ずつとまた伸びようとして居る。

それから、
ここに日本人と戦つて居る、
日本人の生む芽は何だ。
ここに日本人も戦つて居る。

(大正3年=1914年作)

一九一八年よ

暗い、血なまぐさい世界に
まばゆい、聖い夜明が近づく。
おお、そなたである、
一千九百十八年よ、
わたしが全身を投げ掛けながら
ある限りの熱情と期待を捧げて
この諸手をさし伸べるのは。

そなたは、――絶大の救世主よ――
世界の方向を
幾十万年目に
今はじめて一転させ、
人を野獣から救ひ出して、
我等が直立して歩む所以(ゆゑん)の使命を
今やうやく覚らしめる。

そなたの齎(もたら)すものは
太陽よりも、春よりも、
花よりも、――おお人道主義の年よ――
白金(はくきん)の愛と黄金の叡智である。
狂暴な現在の戦争を
世界の悪の最後とするものは
必定、そなたである。

わたしは三たび
そなたに礼拝を捧げる。
人間の善の歴史は
そなたの手から書かれるであらう、
なぜなら、――ああ恵まれたる年よ、――
過去の路は暗く塞がり、
唯だ、そなたの前のみ輝いて居る。

(大正7年=1918年作)

 と戦争を積極的に文化の更新運動としてとらえており、「君死にたまふことなかれ」が決して反戦思想によるものではなく肉親への心情詩である限界を露呈しています。与謝野晶子大東亜戦争~太平洋戦争勃発の頃には老齢と病苦で寡作になり、戦時中に戦局の激化の前に亡くなりましたが、もし健在に文筆活動を続けていたら戦翼翼賛詩の全盛期に戦争詩の多作を残していた可能性は否定できず、「君死にたまふことなかれ」をそのまま歴史的な反戦詩の古典と受け取れない面が大きいのです。与謝野晶子の全詩業は質量ともに明治~昭和の三代に渡る女性詩人として歌人の余技以上の突出した業績と認められるものですが、少なくともこの詩人は大東亜戦争~太平洋戦争勃発時にすでに反戦詩を発表することはなく、「君死にたまふことなかれ」もまた反戦詩としての積極的な意図からではない、例外的な機会詩的心情詩として書かれたと見られるのが妥当でしょう。

夢の夢

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ジョン・レノン John Lennon - 夢の夢 #9 Dream (Apple, 1975) : https://youtu.be/7zZsKOvXiFo

 ジョン・レノン(1940-1980)にはそのものずばりのクリスマス・ソング「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」もありますが、1971年の同曲はヨーコさんとの共作かつデュエット曲で、ヨーコさんとのデュエット曲ではずば抜けて良い曲ですがクリスマス・ソングのお題に答えた模範回答といった感じもします。今回採り上げた「夢の夢 (#9 Dream)」は1974年9月発表のアルバム『心の壁、愛の橋 (Walls And Bridges)』収録曲で、全米No.1ヒットとなったエルトン・ジョンとデュエットした第1弾シングル曲「真夜中を突っ走れ (Whatever Gets You Thru The Night)」に続いてシングル・カットされ、原題通り?全米第9位のヒット曲になっています。9という数字はジョン・レノン自身が自分のラッキー・ナンバーと考えていたものでした。ビートルズ最後期の「アクロス・ザ・ユニヴァース (Across The Universe)」と似通った雰囲気のこの曲は歌詞には冬も雪も歌われているわけではないのですが、鼻歌のような浮遊感に富んだメロディーにふわっとした歌語、アコースティックなアレンジに包みこむようなストリングス、効果音的に挿入される女性のヴォイス(当時ジョンとヨーコは別々の愛人と別居しており、この声はジョンの愛人だった中国系秘書のメイ・パンの声です)、サビに歌われる造語「ア・バワカワ・ポセ・ポセ」がかもしだす雰囲気は粉雪の中を歩んできて家にたどり着き、暖炉に当たっているようなムードがあります。シングル・カットは1974年12月(アメリカ)、1975年1月(イギリス)で、やはり冬のムードにふさわしい楽曲と判断されたのでしょう。オリジナル曲としては特に名曲でもなくジョンの歌声と冴えたアレンジで忘れられない佳曲になったようなヴァージョンですが、こういう曲がさらりと出来るのが当時のジョンの才能であり、ソロ・アーティストになってからのベスト・アルバムでも本作が必ず収録されているのはこの天才の多彩な作風を示してあまりあります。堂々とした「ハッピー・クリスマス」のように聴き飽きもしません。歌手としてのジョンはもちろんロックンローラーが本領ですが、こういう可愛い曲を残してくれていていたのは心が安らぐ気がします。

2020年・アニメ界の明暗

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ジビエート

(公式Twitterより)

GIBIATE(ジビエート) ジビエート Blu-ray BOX(2枚組)

ジビエート Blu-ray BOX(2枚組)
35,000円(税込)
[数量]

アニメ『GIBIATE(ジビエート)』2020年7月より放送開始!

ジビエート」のBlu-ray BOXが完全受注生産で発売決定!!
受注数に応じて、特典が豪華になる特別企画を実施!
予約受付は11月30日まで!

<予約特別企画>
受注数に応じて、特典が豪華になる特別企画を実施!

■500セットコース
天野喜孝先生書き下ろしジャケットイラスト
・限定ブックレット(天野喜孝氏のキャラクター原案イラストや芹沢直樹先生のモンスターデザインイラスト、アニメの設定資料など60ページの豪華特別版)

■1000セットコース
500セットコースに加え、
・シリアルナンバー入り生原画
・ノンテロップ版オープニング/エンディング映像

■1500セットコース
1000セットコースに加え、
・声優オーディオコメンタリーおよびインタビュー

■2000セットコース
1500セットコースに加え、
・サントラCD(オープニング/エンディングを含む)
・オープニング/エンディングアーティスト特別インタビュー映像

■3000セットコース
2000セットコースに加え、
・発売イベント開催(実施方法については検討中につき、変更になる可能性がございますのであらかじめご了承ください)

<GIBIATE(ジビエート)Blu-ray BOX>

■予約受付期間 2020年8月13日~2020年11月30日(予定)
■発売予定日 2020年12月より発送開始予定
■仕様 アニメ全12話収録Blu-ray Disc2枚組、アニメ書き下ろしジャケットイラスト、ハードケース収納BOX
■金額 ¥35,000(税込)(別途送料)
■発売元 「GIBIATE PROJECT」製作委員会
■販売元 Age Global Networks

◆アニメ放送日時
7月15日~
TOKYO MX:7月15日22:00-22:30
AT-X:7月15日23:00-23:30
BSフジ:7月16日24:00-24:30

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鬼滅の刃

(C)吾峠呼世晴集英社アニプレックスufotable

(Yahoo! 知恵袋より)
鬼滅の刃興行収入について質問です。 前に興行収入がどの会社にどれくらい入るかを書いたネット記事があったのですが見つからなくなってしまいました。 そこで興行収入アニプレックスや製作会社にどれくらい入るかを知ってるかたがいましたら教えてください。

◎ベストアンサー
 もしも映画鬼滅の刃興行収入が350億円だった場合のお金の配分 50% 175億円 全国の各映画館の収入 40% 140億 制作委員会 (制作、広告費等を引いた上で按分) (内訳)18%集英社 18%アニプレ4%ufotable 10% 35億円 配給会社 (内訳)5%東宝 5%アニプレックス らしいです。

(映画.comより)

【コラム/細野真宏の試写室日記】劇場版「鬼滅の刃」のメガヒットで、どの会社に、いくら利益が出るのか?
2020年11月12日 14:00

「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」公開中!

(前文略)

「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は公開24日目で興行収入204億8361万1650円と、超最速で200億円を突破しました。

これは、これまで数々の歴代1位の記録を持っていた「千と千尋の神隠し」でも公開25日目に興行収入100億円だったので、いかに今回の「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が異例なのかが分かると思います。

しかも、公開わずか24日目で見事に「歴代興行収入ランキング5位」にまでなっています。

さて、今回の「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」のメガヒットで配給の東宝の利益が大きく上がるから東宝の株価が上がる、といった記事をよく見かけます。これは間違いとまでは言えないものの、少し違和感があります。

なぜなら、東宝は、「共同配給の1社」に過ぎず、「製作委員会に入っていない」からです。

この辺りの仕組みがキチンと分かるように、今回は「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」のメガヒットでお金の流れはどうなるのか、を解説します。

最初に押さえておきたいのは、映画の上映においては、主に「配給会社」、「興行会社(映画館)」、「製作委員会」が直接、利益を得られます。

まず、基本的には興行収入(チケット代)の半分が映画館に行きます。

もし「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の興行収入が350億円になるまで大ヒットしたとしましょう。

そうなると、175億円が全国の映画館の売り上げになるわけです。

これは、例えば、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で全国の映画館が止まっていた際に、「ミニシアター・エイド基金」が立ち上げられ、2020年4月13日から5月15日までに3億3102万5487円を集めました。

3億円超と大きい金額ですが、参加団体数117劇場・102団体なので、1団体あたりの平均額は306万円となったようです。

しかも、3人に2人が主に「未来チケットコース」という入場券の先払いの形だったので、この306万円が丸々寄付されたわけでもなかったのです。

こうして考えると、今回メガヒットした「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は、窮地に陥っていた全国の映画館にとって救世主的な作品だったと言えると思います。

ちなみに、こういうメガヒット作品が出た時には、その作品の配給会社がどこであろうと、東宝や松竹、東映などの決算報告書に載ることになります。

これはどういうことかと言うと、要は東宝や松竹、東映などは興行会社(シネコンチェーン)も持っているので、自社が配給に関与していなくても、そのメガヒット作品を自社系列の映画館で上映することによって利益を得ることができているためなのです。

つまり、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」のメガヒットによって、東宝だけではなく、松竹、東映なども利益を上げることができるわけです。

では、興行収入350億円のうち、残りの175億円はどうなるのでしょうか?

ここで「配給会社」が出てきます。

まず「配給会社」が175億円のうち20%の35億円を受け取ります。

さらに、今回の配給は、東宝アニプレックスの共同配給なので、通常は半々となり、その場合は東宝の取り分は17.5億円、アニプレックスの取り分は17.5億となります。

つまり、もし「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」が興行収入350億円のメガヒットをしたとしても、冒頭の記事のように東宝が大儲けするわけではなく、あくまで(TOHOシネマズを除くと)東宝の取り分はここまでになるのです。

それでは、残りの140億円はどうなるのでしょう?

ここで「製作委員会」が出てきます。

「製作委員会」とは、作品を作るときに出資をした会社の集合体で、映画がコケてしまえば損失を抱えることになりますが、逆に映画がヒットすれば利益が出ることになるのです。

今回の「製作委員会」は、アニプレックス集英社ufotableの3社となっています。

大まかに言うと、この3社で140億円を分けるのですが、その前に、支出となっている「映画を作った制作費」、「映画を宣伝するための広告費」の清算が必要になります。

「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は、非常に作品のクオリティーが高いので、あくまで想像ですが、制作費は5億円程度と想定されます。

また、広告費は2億円程度と想定されます。

その場合は、利益が133億円となります。(制作費は、アニメーション制作をしたufotableに入ることになります)

さらに、利益の10%にあたる13億円が「制作成功報酬」としてufotableに入ると想定すると、残った利益120億円を製作委員会の出資比率に応じて分けるわけです。

出資比率は、あくまで想像ですが、おそらくアニプレックス45%、集英社45%、ufotable10%と想定されます。

その場合は、アニプレックス54憶円、集英社54億円、ufotable12億円となります。

基本は、このようになりますが、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の場合は、アニプレックスが得意とする入場者プレゼントが今週末から始まるので、この制作費用などは映画館に来た観客への「利益還元」という意味合いを持ちます。

つまり、「アニプレックス54憶円、集英社54億円、ufotable12億円」から、出資比率に基づいて、入場者プレゼントの制作費が引かれていくことになるわけです。

いずれにしても、アニメーション作品を多く手掛ける会社である「アニプレックス」の利益は大きく、「アニプレックス」はソニーの子会社なので、「アニプレックス」の業績がソニーの決算に上方修正をもたらしたのにも納得がいきます。

また、原作本の権利を持っている「集英社」も出版不況が囁かれる今、かなりの大きな利益につながったことが分かります。

そして、アニメーションを実際に作った「ufotable」は、この成功によって、さらに人材育成にもお金をかけることが可能になります。

ufotable」の作品は非常にクオリティーが高いのですが、その原動力になっているのは、エンドクレジットからも分かるのです。

他のアニメーション作品においては、原画はさておき、動画に関しては外注は当然で、東南アジア系に任せている場合も少なくありません。

ところが、「ufotable」の作品の場合は、動画も「ufotable」に所属する人が担当している割合が多く、キチンと人材教育がなされていることがここからも読み取れるのです。

今回のようにクオリティーが非常に高い作品を作った会社がキチンと報われるような仕組みになっていて、今後にも期待できそうな結果になりそうで、作品のファンにとっても映画業界にとっても良い状況が生まれそうです。 (もちろん、原作者にも契約に従って、キチンと利益が行くようになります)

(ABEMA TIMESより)

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』興行収入288億円に 観客動員数は2152万人突破 興行収入1位まであと20億円

ABEMA TIMES12/7, 12:00

 記録的な大ヒットを続ける『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が、10月16日からの全国ロードショーから52日間の興行収入を発表、約288億円になった。また観客動員数は2152万人に到達。興行収入では、歴代1位の『千と千尋の神隠し』(308億円)にあと20億円と迫った。徐々にペースは落ち着いてきたものの、歴代1位の座が確実に迫ってきた。

 「鬼滅の刃」は、週刊少年ジャンプ集英社)に2016年11月から2020年5月まで連載された、吾峠呼世晴氏による人気漫画。主人公の竈門炭治郎をはじめ個性豊かな鬼殺隊の面々と、邪悪な人喰い鬼との戦いが描かれている。2019年に全20局で放送されたTVアニメをきっかけに社会現象的なブームを巻き起こし、コミックスのシリーズ累計発行部数は1億2000万部を突破。コミックス最終23巻は、初版395万部を記録した。

 『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、公開10日間の興行収入が国内史上最速で100億円を突破。その後、24日間で200億円を突破するなど映画史に残る数字を次々と叩き出している。Twitter上では、劇場版の主要キャラクター煉獄杏寿郎にちなんで「#煉獄さんを300億の男にしよう」というハッシュタグが盛り上がり、記録達成にはトレンド入りも必至と見られる。

▼『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』興行成績(公開日10月16日)

公開3日間:興行収入46億2311万7450円、動員数342万493人
公開10日間:興行収入107億5423万2550円、動員数798万3442人
公開17日間:興行収入157億9936万5450円、動員数1189万1254人
公開24日間:興行収入204億8361万1650円、動員数1537万3943人
公開31日間:興行収入 233億4929万1050円、動員数1750万5285人
公開39日間:興行収入 259億1704万3800円、動員数1939万7589人
公開45日間:興行収入 275億1243万8050円、動員数2053万2177人
公開52日間:興行収入 288億4887万5300円、動員数2152万5216人

▼歴代映画興行収入ランキング(興行通信社調べ)

1位『千と千尋の神隠し』(308億円)
2位『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(288億円)
3位『タイタニック』(262億円)
4位『アナと雪の女王』(255億円)
5位『君の名は。』(250.3億円)

▼「鬼滅の刃」主なトピックス

・LiSAが歌う劇場版の主題歌「炎(ほむら)」が各音楽配信サイトのチャートで合計55冠を達成、ストリーミング再生でも史上最速で1億回を突破した。

・2日の衆院予算委員会で、菅義偉首相が「私も『全集中の呼吸』で答弁させていただく」と発言し話題に。

・芸能界を中心にコスプレに挑戦するタレント等が続々と登場。叶姉妹、田村淳、椿鬼奴GACKT、ざわちん、熊田曜子なかやまきんに君手越祐也など。

・「2020ユーキャン新語・流行語大賞」でトップ10入り。

・コミックス最終巻の23巻発売前日、当日には全国紙5紙に全面広告を展開。特に当日は15人のキャラクターが3人ずつ5紙に登場したことで、早朝から新聞を買い集めるファンで売店などに長蛇の列ができた。

・海外でも劇場版の反響は大きく、台湾ではアニメーション映画として興行収入が歴代1位に。また2021年にはアメリカ・カナダ・オランダなどでの上映も決まっている。

ジョン・レノン没後40周年

f:id:hawkrose:20201214090910j:plainジョン・レノン John Lennon - スターティング・オーヴァー (Just Like) Starting Over (John Lennon) (Geffen, 1980) : https://youtu.be/GGl8tHar-Ko

 命日の12月8日を逃しましたが、ちょうど40年前の今頃この曲がジョン・レノン(1940-1980)の急逝を受けて大ヒットしていたのを忘れることはできません。5年ぶりのカムバック・アルバム『Double Fantasy』はジョン・レノンとヨーコ・オノの共作として前月の11月に発表され、シングル「スターティング・オーヴァー」はアルバムより少し早めに先行発売されました。曲調にはロイ・オービソンの数々の名曲ややビーチ・ボーイズの「Don't Worry Baby」との類似が見られます。アルバム発売前にNHK-FMでアルバム収録曲からジョン・レノン分7曲がオン・エアされ、カセットテープに録ってくり返し聴き、シングル盤は発売当日に本厚木の有隣堂の隣にあったレコード店に学校が終わったあとで買いに行きました。アルバムの方は買うのをためらっていました。ラジオでエア・チェックした7曲以外はヨーコさんの曲でしたから。アメリカのビルボードのチャートでは1位のブルース・スプリングスティーン「ハングリー・ハート」がロング・ヒットを続けており、「スターティング・オーヴァー」はトップ3内にとどまっていた記憶があります。殺害事件の訃報を聞いたのはそれから半月も経たない頃でした。下校して家に着き自室のラジオを点けたら報道が流れてきて、茫然自失としてわけがわかりませんでした。まだ父は存命でしたが、父の訃報を聞いたらこんな気持になるんじゃないかと思いました(2年後に母を亡くした時にはそれどころではありませんでしたが)。1980年はジャズではビル・エヴァンスが亡くなった年ですが、春先に予定されていたポール・マッカートニーウィングスの来日公演がポールのマリファナ所持逮捕で流れたりと情けない事件もありましたから、ジョンのカムバックとその直後の殺害事件ほど劇的なクライマックスもありませんでした。2020年、もしジョン・レノンが長らえて年末を迎えて逝去していたら、世間の話題はその功績よりも経済効果ばかりになったでしょう。幸い1980年にはレノン急逝による経済効果などという浅ましい話題は起こりませんでした。40年間で人の心も変わったものです。生誕80周年・没後40周年でジョン・レノンが特に話題になるほどでもなく、今年も間もなく年が代わります。20年、30年、40年刻みで否応なしに風化していくものはあるものです。

悲しき天使

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メリー・ホプキン Mary Hopkin - 悲しき天使(ゾーズ・ワー・ザ・デイズ) Those Were the Days (Boris Fomin, Gene Raskin) (Apple, 1968) : https://youtu.be/9mac-TLucdo

 ビートルズの設立したアップル・レコーズ第一弾アーティストとして1968年8月26日アメリカ、1968年8月30日イギリス、1968年(昭和43年)12月5日日本発売。プロデュースはポール・マッカートニー。イギリスでは9月にチャート1位、アメリカでは11月にチャート2位、日本では1969年2月に1位(17週連続1位のピンキーとキラーズ恋の季節」を抜いて)。当時18歳のメリー・ホプキン(1950-)さんはその後、'70年代イギリスの大プロデューサー、トニー・ヴィスコンティ夫人になっています。特に冬とも関係ない望郷歌の歌詞なのにどこか冬っぽさを感じさせる哀愁メロディーなのはなんでかな、日本で大ヒットしたのが冬だったから冬にオン・エアされることが多いからかな、と特に好きでもない曲なので長年ぼんやり考えていましたが、「走れトロイカ」にもそっくりなこの曲、もともと19世紀末~20世紀初頭のロシア民謡をロシアの音楽家ボリス・フォーミン(1900-1948)が既成の詩人の詩に当てはめて、ユダヤ民謡(クレヅマー)・ジプシー民謡音階にメロディーを整理して歌曲化したのが原曲だそうです。もっとも著作権登録上メリーさんの英国詞ヴァージョンは当初イギリスの作曲家ジーン・ラスキンの作詞作曲とクレジットされて発売され、現在はフォーミンとラスキンがともに作詞作曲者として並記されるようになっているそうです。以上、もっと詳しい解説は日本海版・英国版ウィキペディアに載っていますので、気になる方はそちらをご覧ください。この曲は欧米・南米諸国でも軒並み大ヒットとなり各国語版のカヴァーが続出し、日本語詞でのカヴァー・ヴァージョンもあるので小中学生の頃の朝礼で合唱させられた覚えもあり、たぶんそれも冬の体育館だったりしたのでしょう。この曲はださい、特にリズム・ブレイクして「Those were the~」と歌いだす大サビの全然跳ねないシャッフルのリズムがださいと子供心に恥ずかしさに身もだえしながら嫌々合唱していたものですが、おそらくこの短調のメロディーは人類のDNAに否が応でも染みついたもので、それでなければ全世界的特大ヒットもスタンダード曲化もしていなかったでしょうから恥も外聞もない代物です。トィッギーの推薦でアップル社にスカウトしてプロデュースしたポール・マッカートニーさんもまたとんでもないセンスのミーハーだったことがわかる「天使の歌声」メリーさんの「悲しき天使」、冬の夜長にぜひお聴きください。

冬のラヴ・ソング

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ザ・ドアーズ The Doors - ウインタータイム・ラヴ Wintertime Love (Elektra, 1968) : https://youtu.be/tv4xzDV7SnI
From the album "Waiting For the Sun", Elektra Records EKS-74024, July 3, 1968

 冬のラヴ・ソングというとクリスマス・ソングにかこつけたもの以外には本当に少ないようで、詩歌俳句でも冬の季語を使って恋の句をなすものはごく稀でしょう。春・夏・秋がラヴ・ソングの背景になりやすいのと較べると仕方がないような気もします。この曲「ウインタータイム・ラブ」はザ・ドアーズのサード・アルバム『太陽を待ちながら(Waiting For the Sun、日本盤初発売時の邦題はご覧の通り『日の出を待って』)』のA面5曲目、A面ラストのシングル曲A6「名もなき兵士(The Unknown Soldier)」の前に地味に置かれた2分もない小品で、A4「夏は去り行く(Summer's Almost Gone)」に続いて歌詞内容ではメドレーをなしていますが、ドアーズのあか抜けたセンスを示す愛らしい楽曲です。ドアーズのリーダーはオルガン奏者のレイ・マンザレクで使用楽器はファルファッサ・オルガンかヴォックス・オルガンでしたが、この曲はワルツ・テンポのリズム・アレンジだからかバロック音楽風にヴォックス・オルガンにチェンバロをオーヴァーダビングしており、やはりチェンバロを導入したセカンド・アルバムからのシングル曲「ラブ・ミー・トゥー・タイムズ(Love Me Two Times)」が変形ブルースにバロック音楽風のチェンバロ演奏で異色な効果を出したのとは対照的な成果を果たしています。ドアーズはこのサード・アルバム直後のコンサート・ツアー中に「猥褻で扇情的なパフォーマンス」「警備妨害」の罪状で告訴され、人気絶頂中に公判集結まで1年半あまりのライヴ禁止を強いられてしまうので「ウインタータイム・ラブ」は一度もライヴ演奏されない曲になってしまいましたが、マンザレクはライヴではオルガン以外を使用しなかったのでオルガンのみのライヴ・アレンジによる「ウインタータイム・ラブ」の音源も聴いてみたかったものです。このあっさりした小品が実は大変な難曲かはカヴァーがまず不可能なことでもうかがわれ、アレンジをそのまま模してもコピーかパロディ以上の演奏にはならないでしょう。本物の個性というのは元来そういうものかもしれません。

サン・ラ Sun Ra and his Solar Myth Arkestra - ライフ・イズ・スプレンディド Life is Splendid (Total Energy, 1998)

サン・ラ - ライフ・イズ・スプレンディド (Total Energy, 1998)

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サン・ラ Sun Ra and his Solar Myth Arkestra - ライフ・イズ・スプレンディド Life is Splendid (Total Energy, 1998) : https://youtu.be/OWn27X9cYDU
Recorded live at Ann Arbor Blues and Jazz Festival, Ann Arbor, Michigan. September 10, 1972
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Originally Edit Version Released by Atlantic Records SD 2-502 as the 2LP album "Various Artists - Ann Arbor Blues & Jazz Festival 1972", Side D4.
Released by Total Energy Records NER3026 (CD & LP), 1998
Produced and Supervised by John Sinclair
All written & arranged by Sun Ra.
(Originally Atlantic Edit Version)
D4. Life is Splendid : https://youtu.be/ToZ7RjXKDZ0 - 6:05
(Side 1)
A1. Enlightenment - 2:11
A2. Love in Outer Space - 4:59
A3. Space is the Place/Untitled Improvisation - 13:56
(Side 2)
B1. Discipline 27-II~What Planet is This?~Life is Splendid~Immeasurable - 7:39
B2. Watusi - 7:04
B3. Outer Spaceways Incorporated - 1:48

[ Sun Ra and his Solar Myth Arkestra ]

Sun Ra - organ, Moog-synthesizer
Akh Tal Ebah - trumpet, fluegehorn
Lamont McClamb (Kwame Hadi) - trumpet
Marshall Allen, Danny Davis - alto saxophone, flute
Larry Northington - alto saxophone
John Gilmore - tenor saxophone
Pat Patrick - baritone saxophone
Danny Thompson - baritone saxophone, flute
Leroy Taylor (Eloe Omoe) - bass clarinet
Lex Humphries, Alzo Wright - drums
Stanley Morgan (Atakatune), Russell Branch - conga, percussion
Robert Underwood, Harry Richards -percussion
June Tyson, Judith Holton, Cheryl Banks, Ruth Wrigh - vocal, dance

(Original Total Energy "Life is Splendid" LP Liner Cover)
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 本作はヴァリアス・アーティストによる2枚組オムニバスLP『アン・アーバー・ブルース・アンド・ジャズフェスティバル』として1973年当時日本盤も出ていたサン・ラ・アーケストラも出演した黒人音楽フェスティヴァルからアーケストラの出演分を発掘したもので、オムニバス盤では各アーティストの19曲を収めたD面最後に「Life Is Splendid」として6分5秒だけアーケストラの演奏の編集抜粋が収められていました。このフェスティヴァルは政治活動家のジョン・シンクレアが主宰となって1969年から行われていたもので、当初はロック色・政治色が強かったものが1972年からジャズとブルース中心の黒人音楽フェスティヴァルに性質を変えたもので、サン・ラはほぼ毎年出演しており、翌1973年、翌々年の1974年の出演も発掘発売されています。この1972年のステージではアーケストラはトランペット2人、木管楽器7人、ドラマー2人、コンガ2人、パーカッション2人の16人編成に女性ヴォーカル&ダンサー4人の大編成で出演しており、オムニバス盤では「Discipline 27-II~What Planet is This?~Life is Splendid~Immeasurable」のメドレー・パートが「Life Is Splendid」として編集抜粋されていたのですが、発掘された約38分も欠損があるらしくアーケストラの持ち時間は約1時間だったそうですからほぼ20分が未収録(欠損または短縮)されています。全曲はシームレスのメドレー形式で演奏され、このフェスティヴァルが行われた月にスタジオ録音されたアルバム『Space is the Place』と『Discipline 27-II』の主要曲が演奏されています。いわば名盤『Space is the Place』『Discipline 27-II』がアルバム制作真っ最中のライヴ・ヴァージョンで聴けることから内容は非常に価値が高いのですが、ヴォーカルとパーカッションが前面にミックスされており管楽器の音がオフになっている録音上の不具合があり、ヴォーカル中心にミックスされているために元々の曲にあったブルース、ゴスペル色が強調されており、ジャズのリスナーよりもブルースやファンクのリスナーに強くアピールするサウンドになっているのが特色でもあります。また1972年のサン・ラ・アーケストラの発掘ライヴは数多いのですが、アーケストラ単独ライヴではパーカッション・アンサンブルだけで20分~30分続くようなパートがフェスティヴァル出演の時間的制約もあってスタジオ録音と同等程度にコンパクトに凝縮された演奏になっているのも親しみやすい点でしょう。

 本作の惜しむべくは、正式に大手のアトランティック・レコーズから発売れるためにライヴ収録されていたにしては音質・ミックスともに相当荒っぽいのですが、サン・ラとアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(アート・アンサンブルのステージは独立してライヴ盤『Bap-tizm』として発売されました)以外の出演アーティストはマイルス・デイヴィス、マリオン・ブラウンら数組以外はモダン・ブルース、R&B、ファンク系のアーティストであり、サン・ラもあえて聴衆を意識したブルース~ファンク~ゴスペル色の強い、楽曲単位ではコンパクトなステージ構成で出演したものと思われます。ヴォーカルがオンすぎる荒っぽい録音もビッグバンド・ジャズではなくR&B系の音楽と思えばこのライヴでは納得いくものでしょう。この年6月・8月のニューヨークのジャズ・スポット、スラッグス・サルーンのライヴを発掘した6枚組CD『Live at Slug's Saloon』が1ステージCD3枚・3時間にもおよぶコアなマニア向けの内容なのに対して、本作はむしろビ・バップ系黒人主流ジャズよりもポップスやロックなどの広いリスナーにアピールするライヴ・アルバムになっています。60分のフル・ステージでも十分凝縮された密度の高い演奏だったでしょうから20分の欠損は残念ですが、9月9日と10日のフェスティヴァルで25組あまりものアーティストが出演したそうですから録音体制も万全ではなかったのでしょう。アーケストラのテーマ曲「Enlightenment」の前に長いパーカッション・アンサンブルで客席を沸かせてからステージが始まったと思われますが、その分はサン・ラの前に出演したハウリン・ウルフ(!)の撤収で録音し損ねた可能性が大きそうです。9月10日の大トリがサン・ラなら前日9日のトリはマイルス・デイヴィスだったろうと想像され、1988年の来日公演の野外コンサートでマイルスが大トリ、その前の出番はサン・ラとこの二者が意外なところで接点があり、1972年の時点ですでに音楽性も接近していたことを思うと悩ましくなります。本作は資料的な発掘ライヴ以上に楽しめる好ライヴで、せめて音質・ミックスさえもうちょっと良ければと惜しまれるアルバムです。

1中原中也「冬の長門峡」「渓流」昭和12年(1937年)

中原中也明治40年(1907年)4月29日生~
昭和12年(1937年)10月22日没(享年30歳)、逝去1年前
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冬の長門峡


長門峡(ちやうもんけふ)に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌(く)みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干(らんかん)にこぼれたり。

あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。

(「文學界昭和12年=1937年4月)

渓流


渓流(たにがは)で冷やされたビールは、
青春のやうに悲しかつた。
峰を仰いで僕は、
泣き入るやうに飲んだ。

ビシヨビシヨに濡れて、とれさうになつてゐるレッテルも、
青春のやうに悲しかつた。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云つた。
僕も実は、さう云つたのだが。

湿つた苔も泡立つ水も、
日蔭も岩も悲しかつた。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流の中で冷やされてゐた。

水を透かして瓶の肌へを見てゐると、
僕はもう、此の上歩きたいなぞとは思はなかつた。
独り失敬して、宿に行つて、
女中(ねえさん)と話をした。
 (一九三七・七・五)

(未発表詩稿より)


 青年時代にイギリス留学で古典から最新の現代詩までを徹底的に学んだ西脇順三郎(1894-1982)は「日本人の詩の趣味は悪い。中原中也の詩などちっとも良くない」と放言してはばかりませんでしたが、西脇順三郎の詩集によって現代詩を書き始めた戦後詩人の鮎川信夫(1920-1986)も当初はまた同様の意見を持っていたようです。鮎川が一転して中原中也を高く評価する批評を発表したのが昭和50年(1975年)に刊行された思潮社の『現代詩文庫・中原中也詩集』の解説で、鮎川は同書を編集するとともに長文の巻末解説「中原中也論」を書き下ろし、「二十数年前にはじめて読んだときには、なんとも拙劣で、オッチョコチョイで、いい気な奴だと思い、それを読まされたことに閉口してしまったものであるが、私も変れば変るものである。」と率直に中原の詩を認め、「中原中也は、まだ現代詩の渦中に生きているのである。」と「中原中也論」を結んでいます。この鮎川信夫の「中原中也論」は中原の詩と心情に成心なく向き合った丁寧で理解に富んだ批評で、中原中也詩集は各社の文庫版詩集で出ていますが、鮎川信夫の「中原中也論」を読むためだけでも「現代詩文庫」版を読む価値はあります。鮎川は「中原中也論」冒頭で、

中原中也の詩集を読んだ人なら誰でも気がつくはずだが、どんなバカにでもわかる詩がある反面、どんなに怜悧な人でも、解くことができない詩がある。」
「また、出来、不出来の落差の烈しさという点でも、ちょっと類を見ない詩人である。」

 とし、鮎川が考える中原中也の全詩集からAクラスの詩を6篇、Bクラスの詩を33篇数えあげ、

「その他は、なくもがなと思われたものであった。」
「しかし、こうした分類があまり厳密なものでなかったことは別として、詩人自身が、作の出来、不出来にそれほど拘泥しなかったことを考えると、たいして意味がないかもしれない。」

 と面白い書き出し方をしています。青年時代の鮎川なら40篇ほどの中原中也の詩のタイトルを上げただけで一般的な中原の詩への過大評価を一蹴し、論ずるに値しないと切り捨てたでしょうが、ここでは鮎川自身がかつての中原中也への偏見を洗い流しているのです。そこで鮎川がもっとも紙幅を割いて丁寧に味読しているのが遺稿詩集『在りし日の歌』に収められた中原最晩年の作品「冬の長門峡」で、鮎川自身の中原中也再発見の感動が伝わってくるような名文です。この詩は長男の文也を亡くした後、「八歳の子供程度」と診断されるほどの朦朧とした精神疾患に陥って1か月間精神病院に入院し、退院後の翌々月に発表され、同年10月の急逝(結核性脳膜炎)までに発表された最後から二番目の詩篇に当たります。

「普通ならせいぜい紋切型の抒情詩にしかならないところだが、痩せても枯れても中也は中也で、情緒の本質を忘れてはいない。彼は、蜜柑のように夕陽のイメジを懐中にして帰った。寒い寒い日の小さな収穫だったが、いくらか心が慰められたと言っているのと同じである。目立たないようであるが、「やがても」の「も」に強い臨場感の喜びがこめられており、「こぼれたり」で夕陽が身近くたぐりよせられているのである。」
「この詩の初稿は、「やがて蜜柑の如き夕陽、/欄干に射しそひぬ」であったらしいが、これでは前の四連と同様、単なる叙景にしかならないので、とても決定稿のような効果は得られなかったろう。」

 この指摘はさすがで、中学生の頃から40年あまり詩作を続けてきた鮎川ならではの、詩の書き手だからこその精密な読解です。そして鮎川は、

「「冬の長門峡」に関連して思い出す詩として、『在りし日の歌』に収められていない「渓流」があるが、これもなかなかの秀作である。」

 と「渓流」全文を引いています。ちなみに中原中也が詩友の安原喜弘と長門峡を訪れたのは昭和7年(1932年)3月のことだそうですから、「冬の長門峡」も「渓流」も5年前の思い出を現在に引き寄せて詠った詩です。「渓流」は没後に発見された未発表詩稿ですが、末尾の「(一九三七・七・五)」が創作日だとすると「冬の長門峡」発表から3か月後、逝去3か月半前の作品になります。鮎川は「渓流」について、

「よくもまあ、同じような題材でこれだけ違った詩が書けるものだと感嘆するしかない。無技巧すら完全な技巧の一部と化しているこの詩の場合は、「冬の長門峡」とは詩意識においてもまったく対極をなしている。具体的な体験をまるごと紙の上にぶつけたような、とでも言ったらいいのだろうか。この口語による詩語の動き、率直さ、美しさは無類であり、悲しみが跳ねて躍っているような、それでいてあくまでも透きとおったゆるぎない現在感には、それこそこちらが泣き入りたくなるほどである。」
「そして、最終行で「女中(ねえさん)と話をした。」と書くだけで、泡立つような悲しみをぴたりと抑えてしまっている。その悲しさが、また無類なのだ。このような表現の大手腕を、彼はいったいどこから得てきたのだろうか。」

 と身も蓋もないほどの絶賛を寄せています。これにはかつての「橋上の人」や「繋船ホテルの朝の歌」の思想詩人だった鮎川が、「WHO I AM」を含む『宿恋行』(昭和53年=1978年)の詩人に変貌した自然な人生観の推移を思い合わせられますが、「冬の長門峡」と「渓流」を併せて味読する鮎川が「中原中也論」を「中原中也は、まだ現代詩の渦中に生きているのである。」と結んでいるのは鮎川自身に中原中也の詩が生きているのを確認したということで、これほど愛情と共感のこもった讃辞はめったにないでしょう。55歳になった鮎川氏が息子ほどの年で亡くなった中原中也論を「どんなバカにでもわかる詩がある反面、どんなに怜悧な人でも、解くことができない詩がある。」とわざと知識人ぶった露悪的で傲慢な書き出しから始めたのは、「冬の長門峡」と「渓流」への暖かく優しい理解で結ぶための一種の照れだったのがわかります。また中原中也の詩が鮎川信夫に見事な「中原中也論」を書かせるほどのものだったのは、伝記的興味によらず純粋に文学としての観点によるだけに、学ぶところの大きなものです。

ザ・ファッグス The Fugs - ザ・ファッグス・セカンド・アルバム The Fugs (ESP, 1966)

ザ・ファッグス・セカンド・アルバム (ESP, 1966)

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ザ・ファッグス The Fugs - ザ・ファッグス・セカンド・アルバム The Fugs (ESP, 1966) Full Album : https://youtu.be/OOsSgF18dnk
Recorded at RLA Studios, New York, January and February, 1967
Released by ESP Disk ESP 1028, May 1966
Engineerd by Richard Alderson
Produced by Ed Sanders and Richard Alderson
(Side A)
A1. Frenzy (Ed Sanders) - 2:04
A2. I Want to Know (Charles Olson, Sanders) - 2:00
A3. Skin Flowers (Pete Kearney, Sanders) - 2:20
A4. Group Grope (Sanders) - 3:40
A5. Coming Down (Sanders) - 3:46
A6. Dirty Old Man (Lionel Goldbart, Sanders) - 2:49
(Side B)
B1. Kill for Peace (Tuli Kupferberg) - 2:07
B2. Morning, Morning (Kupferberg) - 2:07
B3. Doin' All Right (Richard Alderson, Ted Berrigan, Lee Crabtree) - 2:37
B4. Virgin Forest (Alderson, Crabtree, Sanders) - 11:17

[ The Fugs ]

Tuli Kupferberg - maracas, tambourine, vocals
Ed Sanders - vocals
Ken Weaver - conga, drums, vocals
Pete Kearney - guitar
Vinny Leary - bass, guitar
John Anderson - bass guitar, vocals
Lee Crabtree - piano, celeste, bells
Betsy Klein – vocals

(Original ESP "The Fugs" LP Liner Cover & Side A Label)
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 ニューヨークの生んだ'60年代の偉大なアンダーグラウンド・ロックのバンド、ファッグスはビート詩人・ジャーナリストのトゥリ・カッファーバーグ(1923-2010)とエド・サンダース(1939-)、ドラムスとパーカッションのケン・ウィーヴァー(1940-)のグループでしたが、セカンド・アルバムの本作は先に『The Village Fugs Sing Ballads of Contemporary Protest, Point of Views, and General Dissatisfaction/The Fugs First Album』(Broadside/Folkways BR304, 1965/ESP 1018, 1966)、後に『Virgin Fugs』(バンド無許可・ESP 1038, 1967)、『Tenderness Junction』(Reprise RS6280, 1968)、『It Crawled Into My Hand, Honest』(Reprise RS6305, 1968)、『The Belle of Avenue A』(Reprise RS6359, 1969)、『Golden Filth (Live at Fillmore East, 1968)』(Reprise RS6396, 1970)と続く全7作でも最高傑作とされるもので、2013年にデイヴィッド・ボウイが音楽誌に発表したエッセイ「レコード・ジャンキーの告白」でも最愛のレコード25枚に唯一上げられているロック(ボウイが同エッセイで選んだアルバムのほとんどはワールド・ミュージックやドキュメンタリー・レコードでした)のアルバムです。本作のライナーノーツはアレン・ギンズバーグ(1926-1997)が書き下ろしており、A2「I Want to Know」はカッファーバーグやギンズバーグ、サンダースの師である大詩人チャールズ・オルソン(1910-1970)が詩の使用を許可しており、おそらくファッグスはすぐ後の1966年8月に2枚組LP『Freak Out !』でデビューするロサンゼルスのフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンジョン、1966年4月に初レコーディングを行っていた(アルバム完成は5月、デビュー作『Velvet Underground & Nico』発売は大幅に遅れて1967年3月)同じニューヨークのヴェルヴェット・アンダーグラウンドと並んでロック史上初めて反体制派前衛アンダーグラウンド・ロックを始めた存在でした。カッファーバーグとサンダースはすでにニューヨークの反体制詩人として名をなしていたアンダーグラウンド・シーンの知識人であり、ウィーヴァーも軍楽隊でマーチング・バンドのドラムス経験がある程度の音楽的には素人集団だったファッグスは、ファースト・アルバムではやはりニューヨークのアンダーグラウンド・シーンで活動していたフォーク・デュオのホリー・モーダル・ラウンダース(スティーヴ・ウェヴァーとピーター・スタンフェル)、さらにラウンダース周辺のミュージシャンたちに力を借りており、このセカンド・アルバムではニューヨークでRLAスタジオを経営していたプロデューサーのリチャード・アルダーソンが招聘したミュージシャン(ギターとベースのヴィニー・リアリー、ベースのジョン・アンダーソンはファースト・アルバムに続く参加)をサポート・メンバーとしています。本作は新興インディー・レーベルの作品としては異例の全米チャート95位を記録し、ESPはデビュー・アルバムの残りテイクをファッグスには無断でまとめて次作『Virgin Fugs』をリリースしますが、ファッグスはワーナー傘下のフランク・シナトラリプリーズ・レコーズに移籍し、引き続きアルダーソンの協力のもとにダン・クーチマー(ギター)、ケン・パイン(ギター、キーボード)、チャールズ・ラーキー(ベース)、ボブ・メイソン(ドラムス)ら一流セッションマンがファッグスのレギュラー・サポート・メンバーとなります。

 音楽的には素人の詩人二人をリーダー兼ヴォーカリストとしたバンドというとせいぜい気の効いた詩の朗読に頼った素人くさい音楽しか作れなさそうですが、カッファーバーグやサンダースの場合は別でした。楽曲こそシンプルなガレージ・ロックや民謡・童謡的なアシッド・フォーク程度ではあるもののヴォーカルが実に様になっており、音楽的な統一性は稀薄な代わりにバンドの演奏がヴォーカル中心にまとまっているため散漫な印象は受けません。デビュー・アルバムの制作は20数曲を4時間で終わらせて選曲したそうですが、ファースト・アルバムではラウンダースの役割が大きく戦前アメリカ流行歌(いわゆる「グッドタイム・ミュージック」)風の曲にひねった歌詞を乗せてダーティーに演奏した作風になっていました。ESPとファッグスの契約は収入配分ではファッグスに不利だったもののESPによる定期コンサート会場と練習場所を確保することを条件としたもので、ファッグスは1作きりの契約として本作の制作契約を結び、このセカンド・アルバムは1966年1月~2月の定期コンサートに平行して当時最新の4トラック・レコーダーと2トラック・レコーダーによるオーヴァーダビングを駆使して4週間をかけて制作されており、演奏はシンプルながら混沌とした分厚いサウンドに仕上がっています。また楽曲も前作のウィーヴァーの名曲「Sun Goddess」、カッファーバーグの名曲「Supergirl」「Carpe Diem」「Nothing」から全10曲中サンダースが6曲を単独または共作で書いており、サンダースの名曲「Frenzy」「Group Grope」、カッファーバーグの名曲「Kill For Peace」「Morning Morning」、サンダースがプロデューサーのアルダーソン、ピアノ奏者のリー・クラブツリーと共作した11分17秒におよぶアルバム最後のミュージック・コンクレート(サウンド・コラージュ)組曲「Virgin Forest」など粒ぞろいです。ファッグスのサンダースとカッファーバーグ、ウィーヴァーはアカデミックな意味での経験を積んだミュージシャンではありませんでしたが音楽センスは優れていたので、プロのミュージシャンのバンドでは思いつかない発想から非商業的反体制前衛ロックを実現した先駆的な存在になりました。その辺りが当時全米各地にあふれ返っていたガレージ・ロックのバンドとは違うので、むしろファッグスは体制批判を旗印にしたパンク・ロックに近く、シニカルでクールなブラック・ユーモアに満ちた点ではパンク以前にパンクとポスト・パンクの両方を兼ねたような挑発性を持っていました。

 デビュー・アルバムの発売前後から活発にライヴ活動を行っていたファッグスは本作制作中のESPによる定期コンサートが話題を呼んでいたためFBIにマークされており、のちにサンダースの調査によってFBIによる調書が発見されました。FBIによる見解は「ザ・ファッグスはニューヨークで活動中の音楽グループであり、ビートニクで自由思想家、フリー・ラヴと麻薬解放を表明しているが、レコードは猥褻物と断定できないため立件保留とするのが妥当であろう」というもので、エド・サンダースは「FBI公認だったぜ!」と欣喜雀躍したそうです。ステージでのファッグスはアルバム収録曲よりももっと過激に観客をアジテーションしていたようですが、ティーン層の観客は少なく観客にインテリ層が多かったことからパフォーマンスもそれほど煽動的なものには映らなかったのでしょう。教養と人生経験のある大人向けのロック(もちろん大人向けの落ちついたポップスでもありません)という点でもファッグスは異色で、ファッグスの支持者や客層は前衛詩人の詩の朗読会を聞きにくるようなややスノビッシュな知識人たちだったということでもあります。ファッグスに先んじてボブ・ディランがいましたが、ディランの場合は若い世代の代弁者としての人気が大きかったので、詩人であるより前にミュージシャンであり、その意味では正統的にブルースマンロックンローラーの系譜から登場した存在でした。ファッグスのロックはポップスやロックのパロディであり、パロディによる詩的挑発であることに意義がありました。ディランやジョン・レノンがステージで観客を煽動したらその煽動はエンタテインナーとしては観客にとっても逸脱行為だったでしょうが、ファッグスの挑発は煽動のパロディであることによって一種の詩的パフォーマンスになっており、アルバム内容もあわせて演劇的趣向としてFBIが光らせる眼もすり抜ける性格のものだったでしょう。表向き自由の国アメリカでこれを取り締まればFBIの側が批判にさらされるようなものなので立件保留とされたです。ファッグスの体制批判はそうしたミュージシャン的発想にとどまらない知的戦略に基づいたものでした。フランク・ザッパマザーズともヴェルヴェット・アンダーグラウンドとも違うファッグスの立ち位置はそこにあります。政治批判を下品なブラック・ユーモアに託したファッグスのステイトメントはアメリカ本国ではデッド・ケネディーズの先駆者とされています

 ザッパ&マザーズやヴェルヴェットはメンバー自身が優れたミュージシャンの集まりだったのですが、ファッグスの場合はパフォーマンス担当のファッグスのメンバー三人にバックバンドがついた形で、普通こうした活動形態のポップスのグループでは音楽は職人的なものになりがちです。ファッグスが一貫して良いアルバムを作れたのは参加ミュージシャンもサンダースやカッファーバーグのコンセプトがレギュラー・バンドに匹敵する高い理解を示しているからで、本作のメンバーはファースト・アルバムの4人からホリー・モーダル・ラウンダースの二人が抜けギターのピート・キーニー、キーボードのリー・クラブツリーが加わった編成ですが、このアルバムだけの編成なのがもったいないほどの一体感があります。特にアルバム最終曲のB4「Virgin Forest」をサンダースやプロデューサーのアルダーソンと共作したクラブツリーの貢献が大きく、1966年5月発売のアルバムにして11分17秒の大作、しかもミュージック・コンクレート(サウンド・コラージュ)を交えた組曲形式なのはザッパやヴェルヴェットに先駆けた試みでした。キャッチーな曲ではサンダースのA1「Frenzy」とカッファーバーグのB1「Kill For Peace」がガレージ・ロックの前衛的解釈でもあればプロト・パンクロック曲としてディランやマザーズ、ヴェルヴェットにもない笑殺的痛快さに満ちており、表現やメッセージは屈折しているのにエモーションはストレートなファッグスならではの良さがあります。リプリーズ移籍後のダン・クーチマーとチャールズ・ラーキーを中心としたバックバンドも良いのですが、リプリーズでの次作『Tenderness Junction』以降はロック・シーンの時世柄サイケデリック・ロックをパロディ化したサウンドに変化し、しかも腕前の達者なメンバーに替わるので割合サイケデリック・ロックそのものに近づいてしまいます。フランク・ザッパマザーズがファッグスのバックバンドに就いたら天下無敵になったかもしれませんが、その場合ファッグスをヴォーカル陣に迎えたザッパの音楽になってしまうと思われ、リプリーズからのアルバムは一段上の力量のバンドがついた分ファッグス本体の個性はやや主流ロックに呑みこまれている感があります。ファッグスが日本であまり聴かれないのは、ファッグスが日本で言えばフォーク・クルセダース(ファッグスより穏健ですが)に相当する位置のバンドであり、フォークルが日本の音楽シーンで異端だったようにファッグスの異端性を理解するのは'60年代半ばのアメリカの音楽シーンについてかなりの理解を要するという事情にもあるかもしれません。フォークルが日本のドメスティックな音楽を裏返して登場したようにファッグスは'60年代アメリカ文化の音楽シーンにおける裏番長的な地位にあり、1985年に復活したファッグスはカッファーバーグ没後の現在もサンダース中心のプロジェクトとして現役活動中です。2017年には大統領官邸(ホワイトハウス)の前で反戦抗議集会パフォーマンスを行ってMVを制作・発表し話題を呼びました。50年以上におよぶ持続的な活動はファッグスの存在が今なおアメリカにおいて支持されていることの証です。その原点として本作はファッグスのステイトメントを示すアルバムです。
◎ザ・ファッグス THE FUGS -「ホワイトハウスの悪魔払い」 "Exorcism of the White House" (2017, Official Video) : https://youtu.be/sRgVXPaEdJs