人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

サン・ラ - ライヴ・アット・ザ・ジーバス 

サン・ラ - ライヴ・アット・ザ・ジーバス (Atlantic, 1975)
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サン・ラ Sun Ra and his Intergalactic Research Arkestra - ライヴ・アット・ザ・ジーバス Live in Paris at The Gibus (Atlantic France, 1975) : https://youtu.be/1P_J9iOWbTw
Recorded Live at The Club Gibus, Paris, between 12 to 19, October 1973
Released by Atlantic Records France, Atlantic 40 540, 1975
Reissued by Hurricane Records, S538-40540, 2003
Engendered by Hubert Lemaire, Jean Claude Chabin
Executive-Produced by Michel Salou
Assistance Produced by Olivier Zdrzalik
Produced, All written and arranged by Sun Ra expect as noted.
(Side A)
A1. Spontaneous Simplicity - 4:00
A2. Lights On A Satellite - 5:25
A3. Ombre Monde #2 (The Shadow World) - 12:15
(Side B)
B1. King Porter Stomp (Jelly Roll Morton) - 2:50
B2. Salutations From The Universe - 14:53
B3. Calling Planet Earth - 1:22
[ Sun Ra and his Intergalactic Research Arkestra ]
Sun Ra - piano, organ, electric vibraphone, space instruments, mini-moog synthesizer, vocal
Akh Tal Ebah, Kwame Hadi - trumpet, fluegelhorn
Marshall Allen - alto saxophone, flute, oboe, piccolo
Danny Davis - alto saxophone, flute, alto clarinet
John Gilmore - tenor saxophone, drums
Danny Ray Thompson - baritone saxophone, flute
James Jacson - bassoon, flute, percussion
Eloe Omoe - bass clarinet, flute
Ronnie Boykins - bass
Alzo Wright - cello, viola, percussion
Thomas Hunter - drums 
Odun, Shahib - percussion, conga
Aralamon Hazoume - percussion, balafon (vibraphone), dance
Math Samba - percussion, dance, fire eater
June Tyson, Judith Holton, Cheryl Banks, Ruth Wright - space-ethnic voices, dance

(Reissued Hurricane "Live in Paris at The Gibus" LP Liner Cover)
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 アトランティック・レコーズのフランス支社でのみ発売され、並みいるサン・ラ生前リリースのライヴ盤の中でもほとんど注目されていないのが本作です。1973年のサン・ラ・アーケストラ作品はサン・ラ生前に発売されたスタジオ盤は『Pathways to Unknown Worlds』(Impulse!, 1975)のみで、やはりインパルス!レコーズ用にレコーディングされたスタジオ盤『Cymbals』(増補版『Cymbals Sessions』)『Crystal Spears』(この2作は1972年初夏録音か1973年春録音に推定録音年が分かれています)、『Pathways~』の後に録音されたと推定される『Friendly Love』はいずれもサン・ラ没後の発掘発売までお蔵入りアルバムになっており、またアーケストラの自主レーベル・サターンからリリースされた『Celebration For Dial Times』は1973年録音か1974年録音・発売か解明されていません。他に1973年のスタジオ録音の発掘は『Untitled Recordings』(Transparency, 2008)に数曲収録されていますが、これは1973年録音から1985年録音にまで渡るプライヴェート録音集なので、まとまった1973年録音のスタジオ盤ではありません。この年のスタジオ録音は長い間未発表に終わることになったので、レコーズ発売が少なかった(前年1972年録音のスタジオ盤『Astro Black』『Discipline 27-II』『Space is The Place』の発売はありましたが)代わりに、アーケストラは頻繁にライヴ活動を行っていました。のちに発掘された『What Planet Is This?』(Leo, 2006)は1973年7月6日収録の発掘ライヴの快作でしたが、前年1972年(発掘ライヴ『Life is Splendid』)の出演に続いて1973年9月9日(または10日)のアン・アーバー・ブルース&ジャズ・フェスティヴァルの出演を収録した『Outer Space Employment Agency』(Alive/Total Energy, 1999)は当時ラジオ放送された音源で、これも充実した発掘ライヴです。同作はYouTubeにアップされておらずリンクつきで詳細にご紹介できないのは残念ですが、サン・ラ・アーケストラは9月にはフランスから始まる、1970年秋、1971年秋に続く三度目のヨーロッパ・ツアーに出発しました。残されている発掘音源でそのうちもっとも日付の早いのは『The Universe Sent Me(The Lost Reel Collection #5)』(Transparency, 2008)に1972年7月のニューヨークのライヴ3曲とカップリングされた1973年9月8日のパリ公演からの4曲ですが、さて9月8日にパリにいたサン・ラ・アーケストラが9月9日(または10日)にはミシガン州のフェスティヴァルに出演して、今回ご紹介する『Live in Paris at The Gibus』は10月12日~19日の間のパリのクラブ出演のライヴ収録というのは、いくら土星人のバンドとはいえデータの整合性がありません。各種音楽データ・サイトや発掘・再発リリースCDでは上記のようになっており、またサン・ラ・アーケストラが9月にはフランス公演をしていたのは確からしいので、アーケストラ公式サイトでは『Outer Space Employment Agency』を収録日未詳としています。前年のアン・アーバー・フェスティヴァル公演が9月に行われたとしても、『Outer Space Employment Agency』収録はヨーロッパ・ツアー以前の1973年7月か8月に行われたとするのが一応妥当と思われます。
 
 1973年後半のサン・ラ・アーケストラは経済的に困窮状態に陥っていたとされ、それはこの年録音の新作が次々お蔵入りしたからでもありますが、秋のヨーロッパ・ツアーは経済状態の回復を目指した窮地のドサ廻りでもありました。1970年夏の最初のフランス・ツアー時にフランスのBYGレーベルにスタジオ録音『Solar Myth Approach Vol.1』『Vol.2』を売りつけ、1970年秋のヨーロッパ・ツアー時にはイギリスのBlack Lion社に1968年のライヴ録音『Picture of Infinity』を売りつけ、ツアー中の収録のライヴ録音『Nuits de la Fondation Maeght, Volume I』『Volume II』(邦題『宇宙探求』)をフランスの Shandarレーベルに 、西ドイツでのライヴ録音『It's After the End of the World』(邦題『世界の終焉』)をドイツ・ポリドール/MPSレーベルに売りつけたのは結果的にバンドの収入にもアーケストラの国際的認知にもつながることになります。また1971年秋のヨーロッパ・ツアーでは寄る先々の国の放送局にライヴ音源を売りつけ、イギリスのFreedom社に予定されていたツアー最後の11月のデンマークのライヴ音源『Calling Planet Earth』を売りつけて、その現地調達資金で念願のエジプト・ツアーを12月に敢行します。エジプト・ツアーは各地のクラブ出演やテレビ出演で3週間あまりに渡って続けられ、この時のライヴ録音が'60年代初の全編ライヴの名盤『ナッシング・イズ(Nothing Is...)』(ESP, 1966)や『宇宙探求』や『世界の終焉』を継ぐサン・ラのライヴの金字塔、アーケストラの自主レーベルSaturnからリリースされたエジプト三部作(『Horizon』『Nidhamu』『Live in Egypt(Dark Myth Equation Visitation)』)になります。アトランティック・レコーズのフランス支社でのみリリースされた本作『Live in Paris at The Gibus』は、9月~10月に渡る1973年秋のヨーロッパ・ツアー終盤にパリのクラブ「ジーバス」で収録され、これを売り渡して帰国費用に充てたものでした。当時サン・ラはABCレコーズ傘下のインパルス!レーベル契約中だったので発売は2年後の1975年になり、しかもフランス盤しか発売されなかったために本作は注目を集めなかったのですが、これがなかなかの秀作で、サン・ラ没後に1973年度の発掘ライヴ音源は次々陽の目を見ることになりますが、それらのライヴが主催者録音やラジオ放送音源であったとしてもアルバム化を前提としていないものなのに較べて、本作は録音スタッフはフランス現地のアトランティック側であってもサン・ラ自身がプロデュースしており、明確にアナログLP1枚のアルバムとして制作された作品です。それは選曲にもよく現れており、1973年度のサン・ラの公式ライヴ盤としては屈指の完成度を誇るアルバムになっています。まず本作はアルバム構成がアナログLPフォームのAB面の構成にきっちりと表れています。本作の選曲・曲順はよく考えられ練られたもので、アナログLP時代のアーティストならではの繊細で入念な構成力を痛感させるものになっています。
 
A1. Spontaneous Simplicity - 4:00
A2. Lights On A Satellite - 5:25
A3. Ombre Monde #2 (The Shadow World) - 12:15
B1. King Porter Stomp (Jelly Roll Morton) - 2:50
B2. Salutations From The Universe - 14:53
B3. Calling Planet Earth - 1:22
 
 本作の収録曲、AB面の配曲と曲順は上記の通りで、片面20分前後、AB面で40分と実際のライヴのフルセットよりずっと短いものですが、だからこそAB面がそれぞれ20分前後で起伏を持ち、アルバム全編を聴くとまたA面冒頭から聴き返したくなる、レコード作品としては理想的な凝縮感が実際のライヴとは別に実現されています。本作のA1「Spontaneous Simplicity」はどこか地中海的なワルツで、オープニング曲としては異色ですが、異色のワルツから始まるからこそリスナーには遅れて着いたジャズ・クラブで演奏中の曲から聴き始めたような印象を生んでいます。この曲のサン・ラ生前の初出はライヴ・アルバム『Picture of Infinity』ですが、2014年のリマスター再発で1958年(または1959年)録音のアルバム『The Nubians of Plutonia』の未発表ボーナス・トラックで初演されていたことが判明しました。本作のライヴ・ヴァージョンはマーシャル・アレンのフルート・ソロ、サン・ラのシンセサイザーヴィブラフォンの同時演奏ソロによって決定的ヴァージョンと呼べる出来になっています。
◎Sun Ra & His Arkestra - Spontaneous Simplicity (from the album "The Nubians of Plutonia" sessions previouslyunreleased track, Saturn, 1966/2014) (rec.1958 or 1959) : https://youtu.be/WIkJylYD-PQ
◎Sun Ra & His Arkestra - Spontaneous Simplicity (from the album "Picture of Infinity", Black Lion,1971) (rec.1968) : https://youtu.be/LqVZJfiYOtY
 
 A2「Lights On A Satellite」もライヴ・ヴァージョンはレアな牧歌的バラードで、サックス陣のピッコロ&フルート持ち替えアンサンブルが典型的なサン・ラ節の架空のエキゾチック・ミュージックを奏でています。この曲も1960年録音の『Fate In A Pleasant Mood』、1961年(または1962年)録音の『Art Forms of Dimensions Tomorrow』と、60年代初頭録音のアルバムからの珍しい選曲です。
◎Sun Ra & His Arkestra - Lights On A Satellite (from the album "Fate In A Pleasant Mood", Saturn, 1965) (rec.1960) : https://youtu.be/M-vlvjGNcwk
◎Sun Ra & His Arkestra - Lights On A Satellite (from the album "Art Forms of Dimensions Tomorrow", Saturn, 1965) (rec.1961 or 1962) : https://youtu.be/I3wpzv7ddF4
 
 A3にしてA面のクライマックスとなるのは「Ombre Monde #2」とフランス語タイトルのついた「The Shadow World」で、同曲は1965年録音の名盤『The Magic City』が初出ですが、ライヴでは'60年代中盤から定番曲であり、1976年に発表された1964年のライヴ『Featuring Pharoah Sanders & Black Harold』から『ナッシング・イズ』『宇宙探求』『世界の終焉』と、ライヴ盤のたびに最新アレンジで収録されてきた曲です。本作でもアーケストラの誇る看板テナーサックス奏者ジョン・ギルモアの熱狂的なソロが聴ける、サン・ラの過激フリー・ジャズ路線の名演です。
◎Sun Ra & His Arkestra - The Shadow World (from the album "The Magic City", Saturn, 1966) (rec.1965) : https://youtu.be/Eyv_CRdHPZo
◎Sun Ra & His Arkestra - The Shadow World (from the album "Nothing Is...", ESP, 1966) (rec.1966) : https://youtu.be/LCCSR0tiPRE
 
 B面に移ると、この頃のサン・ラには珍しい(本来サン・ラの専門で、1976年以降本格的に取り組むようになる)古典ジャズの再解釈から始まります。B1「King Porter Stomp」は1910年代~1920年代の創始期のジャズ・ピアニスト、ジェリー・ロール・モートン(生年不詳1885~1894-1941)のオリジナル曲で、チャールズ・ミンガスにもモートンの曲調を模したオリジナル曲「Jelly Roll」がありますが、サン・ラ・アーケストラはミンガスのバンド以上に奔放です。クラシックのオーケストラや白人音楽の吹奏楽では規格外の、縦の線も揃わなければピッチもばらばらの真っ黒けな古典ジャズの世界が再解釈されます。
 
 続くB2「Salutations From The Universe」は15分近くにおよぶ本作だけのオリジナル曲で、32小節サン・ラの説法が披露されると32小節アーケストラ全員の集団即興演奏が応えるコール&レスポンス形式が前半を占め、後半はサン・ラの無伴奏電気オルガンとシンセサイザーの同時演奏ソロになります。ここでのサン・ラのソロは轟音・爆音を越えてノイズの域に達しており、1973年当時シンセサイザーのノイズ使用に踏みこんでいたのはブートレッグの名盤『Long Beach Arena』のキース・エマーソン、ホークウィンドのディック・ミック、旧チェコスロヴァキアで数少ない国家公認バンドのコレギアム・ムジカム(2LPの名盤『Konvergencie』はチェコ・ロックのNo.1アルバムとされています)のマリアン・ヴァルガくらいですが、ここでのサン・ラの前ではロックの過激なシンセサイザー使用など大人と子供以上の格の差があります。B2のコーダ部分にチラッと現れてそのまま終わってしまうのはサン・ラのフリー・ジャズ路線最初期のアルバム『When Sun Comes Out』の代表曲「Calling Planet Earth」ですが、これはライヴ定番曲ながら本作では断片的なコーダとして2分にも満たず終わってしまうので、曲名クレジットがないと判別できません。これは実質的にB2のエンディング部分というだけで、印税を水増しするために楽曲クレジットされたものと思われます。この曲もライヴ定番曲になりましたが、初出以降の再演でもっとも早い時期のテイクは、1971年録音のアルバム『Universe in Blue』のアウトテイクに含まれていることが同作の2014年のリマスター再発で判明しました。本作ではあくまでB2のサン・ラの無伴奏キーボード・ソロのコーダでしかありません。
◎Sun Ra & His Arkestra - Calling Planet Earth (from the album "When Sun Comes Out", Saturn, 1963) (rec.1963) : https://youtu.be/jyzi4OxK1aE
◎Sun Ra & His Arkestra - Calling Planet Earth~They'll Be Back (from the album "Universe in Blue" sessions previouslyunreleased track, Saturn, 1972/2014) (rec.1971) : https://youtu.be/TCK7fjOWa0Y
 
 以上、本作はこのアルバムでしか聴けない古典曲のカヴァーB1と新曲B2を含み、ライヴ盤収録は珍しいA1、A2の決定的ヴァージョンとライヴ定番曲A3の最新アレンジの名演も聴ける充実した選曲・配曲で、実際のライヴでは2時間ほどのセットリストで演奏されたであろうレパートリーから非常に作品性と完成度の高いライヴ盤に仕上げられたもので、インディー・レーベルのHurricane Recordsから2003年にLP・CD再発されたきりなのがもったいない出来映えです。CDにはサターン・レコーズから1973年にリリースされた1972年のスタジオ盤の名盤『Discipline 27-II』から3曲がボーナス・トラックとして収録されていますが、『Discipline 27-II』は個別でも必聴の名盤なので本作に抜粋追加収録される必要はないでしょう。アトランティック・レコーズのフランス支社に版権があるならアメリカのアトランティック本社からリマスターの上メジャー再発されてしかるべき充実したライヴ盤で、それがなされていないということはマスターテープが失われ、LPレコード起こしのインディー盤でしか出せないという事情が推測されます。しかし現在のリマスター技術ならアナログLP起こしでも再リリースする価値が本作には十分あり、本作は未聴のリスナーにはビギナーからマニアまで納得のいくサン・ラのライヴ名盤の一角を占めるだけのアルバムです。こういうアルバムがごろごろあるからサン・ラは全作品がおろそかにできないのです。日本のワーナー/ユニバーサルはオーネット・コールマンやラサーン・ローランド・カークばかりでなく、本作こそ率先して世界初メジャーCD化を実現してほしいものです。

裸のラリーズ Les Rallizes Denudes - ブラインド・ベイビー・ハズ・イッツ・マザーズ・アイズ Blind Baby Has Its Mothers Eyes (Japanese Rock, 2003)

裸のラリーズ - ブラインド・ベイビー・ハズ・イッツ・マザーズ・アイズ (Japanese Rock, 2003)

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裸のラリーズ Les Rallizes Denudes - ブラインド・ベイビー・ハズ・イッツ・マザーズ・アイズ Blind Baby Has Its Mothers Eyes (Japanese Rock, 2003) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nC7GpAU1ty5yh9Nxc6iFa0NW45T_ZFJPo
Recorded in unknown studios, track 1 probably 1983, track 2 probably 1986
Track 3 Recorded 'le 12 mars 1977 a Tachikawa' (立川市民教育会館)
Compilation released by Japanese Rock CD-R JAPANESE ROCKの原点02, 2003
All written by Takashi Mizutani (水谷孝)
(Tracklist)
1. Blind Baby Has Its Mothers Eyes (aka 氷の炎) - 19:11
2. An Aweful Eternitie (aka 残酷な愛) - 18:06
3. The Last One - 17:00

[ 裸のラリーズ Les Rallizes Denudes ]

Mizutani (水谷孝) - lead Guitar, vocals
Track 1, 2 were second guitar, bass, drums unknown.
Nakamura Takeshi (中村武司) - electric guitar (track 3 only)
Hiroshi (楢崎裕史) - bass (track 3 only)
Mimaki Toshirou (三巻俊郎) - drums (track 3 only)

(Compilation Japanese Rock "Blind Baby Has Its Mothers Eyes" CD-R Liner Cover)
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 本作もイギリスのミュージシャン・批評家ジュリアン・コープが日本のロック研究書『ジャップロック・サンプラー(Japrock Sampler)』2007巻末の「ジャップロック・トップ50」で日本のロック名盤12位に選出し、やはり3位を飾った『ヘヴィアー・ザン・ア・デス・イン・ザ・ファミリー Heavier Than A Death In The Family』(Ain't Group Sounds, 1995)とともにコープの絶賛によって広く欧米諸国でイギリス盤がロングセラーになっているアルバムです。『Heavier Than~』は裸のラリーズの3作きりの公式アルバム中『LIVE '77』から選曲・再構成したコンピレーション盤でしたが、本作も全3曲がすでに流出していた音源から編集されたコンピレーション盤であり、代表曲が並びベスト盤的性格を持つ『Heavier Than~』を補うような位置にあるアルバムと言っていいでしょう。『Heavier Than~』のご紹介では成立事情を主に詳述しましたが、本作は『ジャップロック・サンプラー』のジュリアン・コープの評をそのままご紹介してアルバム解説に代えたいと思います。

《BLIND BABY HAS ITS MOTHERS EYES》
(ジャパニーズ・ロック、2003年)
 ディストーションの巨大な板が、この怪物のように直進的なアルバムのあらゆる継ぎ目を覆っている。超モノリス的なベースラインは、ところどころでダブっぽく消え去り、おかげで高音部が、大渦巻きに飲みこまれるのを待つ小舟のようにぐらついている。リード・ギターはこれまでにも増して、耳鳴りのする忘却に華々しくのめりこんでいるようで、水谷は自分の詩神にポスト黙示録的なのっぺらぼうさをもたらそうとするあまり、ハイハットとかき鳴らされるギターがプレイするつなぎのリズムを、意図的に捨て去っている。だがすさまじいアンプの雑音にもかかわらず、楽器の分離はギリギリで聞き取れ、この演奏がスタジオ・テイクであること、そして雑音はあえてのものだということがわかってくるのだ。水谷は80年代はじめ、これらの曲をより短縮化したヴァージョンでライヴ演奏し、80年代なかばから末期にかけてのスタジオ・セッションでも演奏していたことが知られている。圧倒的なパワーを持つオープニングのタイトル・トラックは、それまでにも何度かアルバムに収められていたグループの大作「氷の炎」を大きく改作した80年代ヴァージョンだ。このヴァージョンがまったく異なるベースラインに支えられ、まったく異なるメロディと、まったく異なる唱法で、まったく異なる歌詞をつけて歌われているという事実は、決して驚くにあたらない。トラック2は「An Aweful Eternitie」、またの名を「残酷な愛」という、抑圧されたモンスター。高音も低音もない、よそよそしい、謎めいた作品で、とりとめのない瞑想は、目的地に急ぐそぶりをいっさい見せない。このヴァージョンは10枚組のボックス・セット『STUDIO & SOUNDBOARD 1979-1986』で初登場し、1986年4月にレコーディングされたと言われている。レコードを締めくくるのは、当然のように「The Last One」で、ここにはピンと張りつめた、ハイエナジーな17分ヴァージョンが収められている。
 (翻訳2008年・白夜書房刊。この項全文)

 コープは意図的にか言及していませんが、本作の「The Last One」は公式アルバム『Live '77』のディスク2-3に収められた25分24秒のテイクの「The Last One」を短縮編集したものなのが早くから指摘されており、『Heavier Than A Death In The Family』ではこの曲は未収録でしたから、短縮編集版とはいえ本作でラリーズのライヴでは1969年以来必ず最後に演奏されていた代表曲「The Last One」が聴けることになります。『Heavier Than~』に未収録だった『Live '77』からのもう1曲「夜より深く」は初演時からあまりアレンジの変わらない曲で、やはりコンピレーション盤『December Black Children』に収められていますから、イギリス盤がロングセラーになっている『Heavier Than~』と本作、『December Black Children』の3作で『Live '77』の収録曲全曲が聴けます。本作と『France Demo Tapes』に共通収録されている「氷の炎」はアレンジが似通っていますが、『Heavier Than~』の「氷の炎」とはまったく異なるアレンジです。『Heavier Than~』と『France Demo Tapes』に共通収録されている「夜より深く」もまるで別曲のようにアレンジが異なります。20曲にもレパートリーの満たないラリーズに120枚以上もの発掘音源が出回っているのは演奏されるたびに楽曲が変化していく様子が聴けるからです。

 ちなみに本作がSNS上でどのような評価をされているかあちこち探してみたところ、各種の有名な音楽サイトはともかく、「旦那のCD棚を聴く」という主旨でブログを書いていらっしゃる主婦らしき方の面白い評を見つけました。

「『Blind Baby Has Its Mothers Eyes』Les Rallizes Denude

情報がなさすぎるけど
おそらくフランス人だろう

【感想】
どう考えても雑音です
有難うございます」

 コープさん、日本でも裸のラリーズへの認識はおおむねこんなものなんですよと教えてあげたくなる寸評です。本作の裏ジャケットにも「SEDAKA NO RALLIZES」と誤植されているじゃないですか。

追悼・オナマンのイノマーさん逝去一周忌

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オナニーマシーン - チンチンマンマン (from the album "彼女ボシュー", Loft Record, 2002) : https://youtu.be/f4p73ROKZbE

 日本の誇る21世紀のロックバンド、通称「オナマン」ことオナニーマシーンのヴォーカル、ベーシストのイノマーさんが亡くなって一周忌を過ぎました。結成以来20年の活動を行ってきたオナニーマシーンは解散を表明していませんが、イノマーさんの闘病以来事実上活動休止状態にあり、またリーダーだったイノマーさんの逝去、昨今の情勢によって日本語版ウィキペディアでは「活動期間 : 1999年 - 2019年」とされています。イノマーさん、オナニーマシーンについては、イノマーさん逝去後の日本語版ウィキペディアからそのまま孫引きさせてご紹介に代えさせていただきます。遅ればせながら、故人の冥福を心よりお祈り申しあげます。ちなみに日本語版ウィキペディアには「オナニーマシーン(オナニー機械)」とは晩年の同題エッセイにおける三島由紀夫の造語であることに触れられておりません。一筆つけ加えさせていただく次第です。

イノマー

日本のミュージシャン
(この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。)
 イノマー(1966年11月27日 – 2019年12月19日)は、日本のロックバンド、オナニーマシーンのヴォーカル兼ベース担当。元音楽情報雑誌編集者。特殊分泌家。東京都北区出身。本名猪股昌也(いのまた まさや)。

◎来歴
 駒澤大学法学部卒業後、オリコンに入社。『オリコン・ウィーク The Ichiban』(後の『オリ★スタ』)の編集長に29歳の若さで就任。その後、紙面ではサブカルチャー、あるいはマニアックでエロかつ下品な文体・内容に満ちたコーナー等を担当。紙面において裸体を晒したなどで副編集長に降格。その後も昇進・降格を経験し、最終的には副編集長。音楽雑誌らしくない、その毒に満ちた個性的な記事はオリコンの顔でもあった。オリコン在籍時からラジオ番組などに出演し、他社の出版物である『インディーズ・マガジン』(当時リットー・ミュージック発行)にも寄稿した。長らく猪股をかばい、可愛がっていた小池聰行が死去した2001年に独立。しばらくオリコンに寄稿するも、誌面リニューアルにともない疎遠になる。その後は編集・執筆活動と共に、バンド活動をメインとする。
 AV鑑賞とオナニーが趣味。結婚を2度経験するが、いずれも妻に浮気されて離婚。その後は独身であった。音楽・お笑い関係の飲み友達が多く、その交友関係は広かった。
 2005年にはソフト・オン・デマンド(SODクリエイト)よりAV監督デビュー(タイトルは『素人お嬢さんに色々わがまま言ってオナニーさせてもらいました 〈下北沢編〉 オナニーマシーンイノマー狂い咲きオナニー・ロード』)。常日頃から原稿のネタにしていたAVの中でもソフト・オン・デマンドの大ファンを公言しており、同社よりAV監督デビューのオファーがあったという。その後監督を務めたことはないが、2004年クリスマス・イブに行われたライブの来場者プレゼントDVD(イノマー銀杏BOYZ峯田和伸の対談、演奏)をSODで作成したり、オナニーマシーン初のDVD『裸の大将〜野に咲くバカのように〜』のパッケージデザインをSODの関連会社のSODアートワークスが手がけるなど、交流は続いていた。

◎闘病
 2018年7月に口腔底癌で、余命3年と宣告されたことを公表した。手術前受けた担当医の説明では、舌の3分の2を切除と言われていたが術後、目が覚めたら全部切除されていた。
 2019年7月に口腔底癌が転移し、再発したことを公表した。
 2019年12月19日2時50分、自宅で身内に看取られ死去。53歳没。戒名は「性春昌幸信士」(せいしゅんしょうこうしんじ)である。通夜と葬儀は近親者のみで執り行った。
 イノマーの没後、テレビ東京系のテレビ番組「家、ついて行ってイイですか?」でイノマー事実婚関係にあった夫人が番組の取材に応じ、夫との出会いや闘病生活の様子などについて語った。

◎著書
『ドーテー島』たかだ書房 2002
イノマー&ミネタの「真夜中のふたりごと」』ミネタとの共著 宝島社 2002
『恋のチンチンマンマン』たかだ書房 2004
ふたりごと』ミネタとの共著 たかだ書房 2005
(以上日本語版ウィキペディアより)

オナニーマシーン

日本のバンド
(この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。)
 オナニーマシーンは、日本のパンク・ロックバンド。通称:オナマシ。「ガラスの中年」「全裸の妖精たち」を自称した。

オナニーマシーン
◎出身地 : 日本
◎ジャンル : ハードコア・パンク、青春パンク
◎活動期間 : 1999年 - 2019年
◎レーベル : ソニー・ミュージックエンタテインメント、ロフトレコード
◎公式サイト : オナニーマシーン公式サイト
◎メンバー : オノチン、ガンガン
◎旧メンバー : イノマー

●概要
 1999年12月24日、当時出版社の中堅サラリーマンだったイノマーによって結成された。楽曲の歌詞やタイトルにオナニー・童貞・フェラチオ・ち○こ・ま○こなど下ネタ系統の卑猥な言葉を多用するも、思春期男子の性欲をストレートに表現し青春パンクを確立(性春パンクとも表現される)。また、有名な楽曲や漫画・アニメソングなどをパロディーや替え歌にした楽曲もある(「タマしゃぶれ!!」「オナニーマシーン猛レース」「BOYS BE…」「淫河鉄道69」など)。
 ライブ活動を経て2002年にインディーズでCDデビュー。ライブでの過激なパフォーマンスが有名で、全裸になって演奏し、観客の所に突っ込んだり、オナニーで使ったティッシュなどをばらまいたりしている。このような数々のパフォーマンスにより、出入り禁止になったライブハウスも数多い。
 2003年にサンボマスターとのスプリットアルバムの形でソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEJ)から事実上メジャーデビュー。2004年3月24日にアルバム『女のコ』『パンツの穴』をSMEJから、性的な面で過激な歌詞の楽曲を集めた『片思ひ』をインディーズのロフトレコードから同時リリースし、名実共にメジャーデビューを予定するも、発売直前の3月19日に『片思ひ』の作品の内容にレコード会社が難色を示し、急遽『片思ひ』のみ発売中止となる事件が生じた。SMEJとは契約を解消のうえ『片思ひ』は3ヶ月後に再発。以降インディーズでの活動を続ける。

◎略歴
1999年12月24日、クリスマスイブに結成。
2000年1月より、奇数月の最終土曜日に「ティッシュタイム」という定期ライブイベントを開催する。
2001年3月、デモCD-R『みき17才』をライブ会場にて販売。
2002年4月1日、1stアルバム『恋のABC』をリリースし、ロングセールスを記録。4万枚を売り上げた。
同年の11月27日、2ndアルバム『彼女ボシュー』をリリース。3万枚を売り上げた。
2003年7月24日、サンボマスターとのスプリットアルバム『放課後の性春』をリリース。
同年の9月10日、シーモネーター(現SEAMO)とのコラボレーションシングル『家出/恋のABC』とアナログ盤『恋のチンチンマンマン』を同時リリース。
2004年3月24日、アルバム『女のコ』『パンツの穴』2枚同時発売でソニー・ミュージックエンタテインメントよりメジャーデビュー。
2006年2月14日、ライブアルバム『ティッシュタイム』をリリース。
2006年7月5日、初めてのDVD『裸の大将 〜野に咲くバカのように〜 オナマシ1999〜2006』をリリース。
2007年6月27日、3年ぶりにアルバム『義雄』をリリース。イノマー40歳記念作として、アルバム名、ジャケットともに実の父を起用した。
2008年4月23日、オナニーマシーン初のベストアルバム『オナニー大図鑑』をリリース。
2018年12月5日、20周年記念アルバム『オナニー・グラフィティ』をLOFT RECORDSより発売。
2019年12月19日、ヴォーカルのイノマーが死去。

◎メンバー
オノチン (ギター/ヴォーカル、1962年3月21日 - )
青森県弘前市出身。アルバム『ティッシュタイム』で本名が「おのかつのり(漢字表記:小野勝規)」であることが判明。JET BOYSのメンバーとしても活動中。また、漫画家の山下和美のアシスタントを担当している。
ガンガン (ドラム、1968年1月9日 - )
同じ経緯で本名が「いわもとこうじ(漢字表記:岩本幸治)」であることが判明。

◎元メンバー
イノマー (ヴォーカル/ベース、1966年11月27日 - 2019年12月19日)
本名、猪股昌也。

ディスコグラフィ
◎シングル
「家出/恋のABC」(2003年9月10日)※オナニーマシーン&シーモネーター名義、オリコン173位
「恋のチンチンマンマン」(2003年9月10日)※アナログ 500枚限定
◎アルバム
『恋のABC』(2002年4月1日)※インディーズ
『彼女ボシュー』(2002年11月27日)※インディーズ、オリコン89位
『放課後の性春』(2003年7月24日)※スプリットアルバム オナニーマシーン/サンボマスター名義、オリコン85位
『女のコ』(2004年3月24日)オリコン214位
『パンツの穴』(2004年3月24日)オリコン243位
『片思ひ』(2004年6月30日)※インディーズ、オリコン227位
一度発売中止となった(前述)同アルバムの再発盤。以降はすべてインディーズ販売
ティッシュタイム』(2006年2月14日)※ライブアルバム
『義雄』(2007年6月27日)※実父の名前をつけた3年ぶりのアルバム
『オナニー大図鑑』(2008年4月23日)ベストアルバム
『冤罪』(2016年12月07日)
『オナニー・グラフィティ』(2018年12月5日)
◎DVD
裸の大将 〜野に咲くバカのように〜 オナマシ1999〜2006 (2006年7月5日) 監督:手塚一紀 & イノマー
(以上日本語版ウィキペディアより)

石原吉郎「涙」(遺稿詩集『満月をしも』昭和53年=1978年より)

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◎安野希世野「ちいさなひとつぶ」(TVアニメ『異世界食堂』エンディング・テーマ) MV (アルバム『涙』Flying Dog, 2017) : https://youtu.be/eJ5eOMUmcEY
◎安野希世野「ちいさなひとつぶ」Full Size (Flying Dog, 2017) : https://youtu.be/IHmyGSilVXE

石原吉郎大正4年(1915年)11月11日生~
昭和52年(1977年)11月14日没(享年62歳)
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レストランの片隅で
ひとりこっそりと
食事をしていると
ふいにわけもなく
涙があふれることがある
なぜあふれるのか
たぶん食べるそのことが
むなしいのだ
なぜ「私が」食べなければ
いけないのか
その理由が ふいに
私にわからなくなるのだ
分らないという
ただそのことのために
涙がふいにあふれるのだ

(遺稿詩集『満月をしも』昭和53年=1978年収録)


 石原吉郎(1915-1977)急逝後に生前すでに編纂が終えられ、没後出版になった詩歌集は第7詩集『足利』(昭和52年=1977年12月刊、全39篇)、第8詩集『満月をしも』(昭和53年=1978年2月刊、全47篇)、歌集『北鎌倉』(昭和53年=1978年3月刊、全99首)の3冊ですが、この「涙」は詩集『満月をしも』に収録され、詩集唯一の初出不詳詩篇だったものです。詩集『足利』『満月をしも』はともに昭和50年(1975年)から逝去寸前までの詩作を収めているので、この「涙」は生前未発表作品で最晩年の『満月をしも』編纂時に加えられたか、または書き下ろしされた作品と推定されます。この詩については、石原吉郎の詩人デビュー初期に発表されながらも生前刊行の最後の詩集になった、第6詩集『北條』(昭和50年=1975年4月刊)までの全詩集『石原吉郎全詩集』(昭和51年=1976年5月刊)の「未刊詩集」の部に初めて収録された同人誌発表作品がその注釈になるでしょう。石原吉郎は外語大学卒業・就職を経て24歳でプロテスタントキリスト教宣教師を目指し神学校に再入学した直後から徴兵され、ハルピン従軍時に敗戦を迎えてからは38歳のスターリン逝去による恩赦からの帰国までシベリア抑留兵として過酷な強制労働を送っていた詩人です。キリスト教徒としては23歳の受洗以来晩年まで日本基督教団に籍を置いていた人でした。

 晩年の詩篇「涙」と照応するこの初期詩篇「悪意」は、昭和29年10月発表の初投稿詩から昭和38年(1963年)までの作品を集めた48歳の第1詩集『サンチョ・パンサの帰郷』(昭和38年12月刊)に未収録に終わったのも納得のいく、同時期の初期の佳作「葬式列車」や「自転車にのるクラリモンド」に較べて抽象度・イメージ喚起力ともに弱い作品です。信仰の無力によって信仰を知るとは発想はむしろ厳格なカトリックに近く、またそれを神に訴えるのはユダヤ教カトリックプロテスタントを問わず信仰の形態としてはもっとも悪い、傲慢の罪に当たります。当然神学校入学までした石原吉郎がそれを自覚しないわけはなく、この詩に「異教徒の祈りから」と題辞があるのはその証拠です。神を疑うこと自体が神の実在の証明という認識において、石原吉郎の信仰は曖昧で漠然とした無神論ではなく、西洋の正統的な反神論の系譜を継ぐものです。それゆえに詩としては「悪意」は純粋詩としての昇華を欠き、悩めるクリスチャンの心境告白にとどまります。その点、晩年の詩「涙」は存在の不安という同じテーマを詠みながら、信仰懐疑詩の限定を越えて、より普遍的で具体性のある作品になっています。あえて言えばこの「涙」は必ずしも「食べる」ことから発想される必然はなく「はたらく」「しゃべる」「着がえる」「ねむる」「愛する」など「食べる」に置きかえて「生きる」こと一般の何にでも代入が可能なのですが、ここではやはり食事を選んだのがいちばんはかなく限りある生命の痛覚を突いていて、詩「涙」を哀切な作品にしています。そういえば食事と「涙」を結びつけた歌曲があったのを思いだしたので、その動画を今回の冒頭に掲載しておきました。石原吉郎の詩ともどもご参観いただければ幸いです。

悪意

 異教徒の祈りから

主よ あなたは悪意を
お持ちです
そして 主よ私も
悪意を持っております
人間であることが
そのままに私の悪意です
神であることが
ついにあなたの悪意で
あるように
あなたと私の悪意の他に
もう信ずるものがなくなった
この秩序のなかで
申しぶんのない
善意の嘔吐のなかで
では 永遠にふたつの悪意を
向きあわせて
しまいましょう
あなたがあなたであるために
私があなたに
まぎれないために
あなたの悪意からついに
目をそらさぬために
悪意がいっそう深い
問いであるために
そして またこれらの
たしかな不和のあいだで
やがて灼熱してゆく
星雲のように
さらにたしかな悪意と
恐怖の可能性がありますなら
主よ それを
信仰とお呼び下さい

(同人誌「ロシナンテ」昭和30年=1955年6月)

裸のラリーズ Les Rallizes Denudes - フランス・デモ・テープス France demo tapes (Bamboo, 2016)

裸のラリーズ - フランス・デモ・テープス (Bamboo, 2016)

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裸のラリーズ Les Rallizes Denudes - フランス・デモ・テープス France demo tapes (Bamboo, 2016) : https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_muJJRJpbZHcqksZJwy7HdxR3XS2NBvsf4
Recorded Live at 渋谷・屋根裏, March 23, 1983 (probably)
Originally Compilation Released include in Illegal-Alien Records 10 CD-R "Studio & Soundboard", IAL03, 2004 & Youth Inc. 2CD "The Archives Of Dizastar Sources Vol.5", YOUTH-152, 22012
Original Single-Album "France demo tapes" Released by Seidr Records SEIDR 027(CD-R), 2007
Reissued by Not on Label LP & CD, 2012, Bamboo Records BAMLP7017(LP), BAMCD7017(CD), 2016 & Take It Acid Is Records LSD69009(LP), 2020
All Songs written by 水谷孝
(Side 1)
A1. 夜より深く Strung Out Deeper Than The Night - 6:25
A2. The Last One - 22:04
(Side 2)
B1. 残酷な愛 An Awful Eternity (Cruel Love) - 17:46

[ 裸のラリーズ Les Rallizes Denudes ]

水谷孝 - guitars, vocal
藤井アキラ - rhythm guitar (probably)
Doronco - bass (probably)
野間幸道 - drums (probably)

(Reissued Bamboo "France Demo Tapes" CD Liner Cover & CD Label)
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 1967年に京都で結成されたロック・バンド、裸のラリーズは、1998年の活動停止までの30年間あまりに公式録音を、いずれも自主制作・限定版のオムニバス・アルバム片面(2LP『OZ DAYS LIVE』1973年8月)、フルアルバム3作(『'67-'69 STUDIO et LIVE』『MIZUTANI/Les Rallizes Denudes(1970-1973)』『'77 LIVE(2CD)』のCD3作を1991年8月15日に同時発売)、アート雑誌の付録シングル1枚(1996年9月)、ヒストリー・ヴィデオ1作(1992年9月)しか残していません。その代わりにほとんどのライヴやスタジオ・セッションをバンド自身やファンが録音していた音源が流出して出回り、120タイトル以上のバンド非公認アルバムが国内外でリリースされており、英語版ウィキペディアや欧米諸国の音楽サイトにおいても、もっとも詳細な項目が設けられている日本のロック・バンドとなっています。この『フランス・デモ・テープス(France demo tapes)』も日本で発掘リリースされたバンド非公認のボックス・セットからイギリスで単独アルバムとして発売されたものです。ラリーズのリーダー、水谷孝氏は30年におよぶライヴやスタジオ・セッション、1991年の時点で約500時間分をすべて録音してあったと言われ、関係者を通してその相当分が流出しているので、限定版のみでリリースされた公式アルバムよりも非公認アルバム(ブートレッグ)の方が広く出回っている状態です。この『France demo tapes』は、2016年にイギリスで再発売されたBamboo Records盤LP、CDでは英文解説に加えて日本語訳解説もインサートに記載されており、現在の欧米でのラリーズ評価が反映された解説ですので、アルバム解説にはそれを引用するのがいいでしょう。

「これはひょっとすると限界を超えた史上最高の忘我サイケデリック・ノイズ・ギターの名盤かもしれない。しかるべく謎に包まれた詳細不明の超限定版LP――オフセット印刷のスリーブジャケットには珍しくサングラスをしていない水谷がフィーチャーされ、インサートには不可思議な海辺のカラースナップショットのみ。空前絶後のジャパニーズ・アンダーグウンド・ロックバンド「裸のラリーズ(Les Rallizes Denudes)」による、轟音に歪む愚にもつかぬほど引き伸ばされた2つの楽曲。これまでは、トラックの配列や音源が異なることもある怪しげなCD-Rだけが「フランス・デモテープ」という謎めいたタイトルで出回っていた。演奏は常に1980年代後半のものとされてきた(録音が実際フランスで行われたのかどうかはさておき)が、1983年3月23日に東京で行われたパフォーマンスでまず間違いないだろう。かの幾多の噂に彩られたセッションを巡り膨れ上がった期待に、この見事なまでに途方もないLPがこたえてみせる。「フランス・デモテープ」の両面にまたがる珠玉のヴァージョン。壮大なまでにデフォルメされた2篇の名曲「夜、暗殺者の夜」そして「The Last One」。これは、ラリーズのエンジニアの手によって流出した「Dizastar音源」の一部で「フランス・デモテープ」として知られるトラックの焼き直しではなく、これらのセッションのロング・テイクのようである。」
「「夜、暗殺者の夜」は、ねっとりと引き摺るように遅く重く、水谷はまるでギターというよりは火炎放射器でも操っているかのようだ。耳をつんざくような高音のフィードバックとBonehead張りの極太ファズで他のメンバーをじりじりと焦がす。レコード丸々片面分の長さの「The Last One」は、おそらくラリーズの最高の瞬間で、サイケデリックノイズギターの暴力性を遥かに超えた一曲だ。水谷のプレイはブルドーザーのように攻撃的である。「光束夜」の一枚目のアルバムの金子寿徳のように、容赦のないノイズで重い血まみれのコードを刻んだのち、晦渋さをものともしない即興法で終わりの見えないファズギターソロに突入する。撓むような音の歪みに空気を切り裂くように軋む高音は、高柳昌行や「I Heard Her Call My Name」あたりのルー・リードを超えたどこかにある。」
「こんな音は聴いたことがない。この水谷を聴くと、荒涼たる宇宙に唯一存在するロックのように思えてくる。もし生涯に一枚だけエレキギターのアルバムを手にするとしたら……。」
「諸氏のアルバムコレクションに「超六弦セクション」の一部として、『Sweet Sister Ray』『Call In Question』『Clear To Wonder Time』『Stained Angel Morning』『Pathetique』『Monkey Pockie Boo』の隣に加えてみてはいかがか。」
(デイヴィッド・キーナン from Volcanic Tongue)

「Volcanic Tongue」はイギリスのグラスゴーの老舗レコード店だそうで、デイヴィッド・キーナン氏はその支配人のようです。文中に出てくる「I Heard Her Call My Name」はルー・リードの在籍したヴェルヴェット・アンダーグラウンド1968年のセカンド・アルバム『White Light / White Heat』収録曲ですが、「超六弦セクション」(スーパー・ギター・アルバムという意味でしょう)に本作と並ぶアルバムとして上げられている作品は、
『Sweet Sister Ray』(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド海賊盤・1968年ライヴ録音)
『Call In Question』(高柳昌行New Direction、1994年・1970年録音)
『Clear To Wonder Time』(不詳)
『Stained Angel Morning』(レイ・ラッセル、1973年)
『Pathetique』(Basic House、2017年)
『Monkey Pockie Boo』(ソニー・シャーロック、1970年)
 と、いずれも一癖も二癖もあるアルバムばかりです。うち『Clear To Wonder Time』と『Pathetique』はアーティストがわからず、『Pathetique』(当然チャイコフスキー交響曲『悲愴』ではないでしょう)は2017年にカセット・テープでのみ発売されたBasic Houseの作品のようですが、Bamboo盤の『France Demo Tapes』は2016年リリースなので、キーナン氏が発売前にBasic Houseからデモテープを入手していたか、あるいは別のアルバムかもしれません。『Clear To Wonder Time』は非公式盤(海賊盤)や自主制作盤まで含む各種の総合音楽サイトを調べてもわかりませんでした。

 またキーナン氏の解説には曲目の勘違いがあり、ラリーズの代表曲「夜、暗殺者の夜」は本作には収録されていません。本作が2007年にSeidr RecordsからCD-R発売された時に、「夜、暗殺者の夜」と同一のリフによる「夜より深く」が「夜、暗殺者の夜」と間違ってクレジットされて収録されていたため、キーナン氏の評は「夜より深く」を「夜、暗殺者の夜」と混同したものと思われます。またBamboo盤では「夜より深く」が短縮ヴァージョンで収録され、代わりに18分近い「残酷な愛」が追加収録されているので、キーナン氏の評はSeidr Records版『France demo tapes』への評であり、それがそのままBamboo版の解説に転用されたものと思われます。「残酷な愛」はラリーズの定番ブートレッグ『Blind Baby Has Its Mothers Eyes』に「Blind Baby Has Its Mothers Eyes」(「氷の炎」の'83年版ヴァージョン)、'77年録音の「The Last One」(公式アルバム『'77 LIVE』収録の28分近いテイクを20分に短縮)とともに収録されていた'80年代ラリーズの数少ない新曲のひとつであり、Bamboo版の『France demo tapes』は『Blind Baby Its His Mothers Eyes』からタイトル曲を'83年版「夜より深く」と差し替え、「The Last One」を「夜より深く」「残酷な愛」と同日のライヴ・テイクに差し替えた選曲と見なせます。2003年に初リリースされた『Blind Baby Has Its Mothers Eyes』はイギリスのミュージシャン・音楽批評家、ジュリアン・コープが日本の'50年代~'70年代ロックの研究書『ジャップロックサンプラー』(2007年、翻訳あり)の巻末のジャップロック・アルバム・トップ50選で12位に上げ、やはりコープが3位に上げた『Heavear Than A Death In The Family』(2CDの公式アルバム『'77 Live』から長大な「記憶は遠い」「The Last One」を除き、'73年録音の公式アルバム未収録曲「造花の荒野」のライヴ・テイクを加えて1CDに再編集した1995年初リリースのブートレッグ)とともに、欧米ではもっとも広く流布されているラリーズのアルバムです。Bamboo Recordsの親会社Phoenix Recordsは早くからその2作をイギリスでリリースしてロングセラーにしています。

 そうしたまぎらわしい内容の本作がなぜ何回も異なる会社から再リリースされているかというと、ラリーズ側、水谷孝氏自身がブートレッグの流通を黙認しているからですが、本作は2004年の10CDボックス『Studio & Soundboard』に収められて流出して以来人気のある音源であり、以降単体アルバム『France demo tapes』としてCD、LPでロングセラーになっています。ラリーズは30年におよぶ活動の割に極端にレパートリーの少ないバンドで、約20曲ほどが年代ごとにアレンジを変えて演奏されていました。水谷孝以外のメンバーは流動的だったのと、2時間のライヴでも10曲に満たないくらい1曲の演奏時間が長かったからでもあります。本作収録の3曲もいずれもフェイドアウト編集で、比較的短い「夜より深く」も実際は16分近い演奏時間から抜粋されています。裸のラリーズを聴くリスナーは同一曲でも異なる日のライヴ・テイクなら別物と見なすので、ラリーズの音楽自体は8ビートのロックンロールばかりですが、極端に長いギター・インプロヴィゼーションが行われているために楽曲は即興演奏のための入れ物になっており、リスナーの楽しみ方はビ・バップ以降のモダン・ジャズ~フリー・ジャズに近いのです。キーナン氏が前記の解説で比較しているのも、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを除けばフリー・ジャズや実験的即興音楽のアルバムばかりです。流通している裸のラリーズの非公式アルバム120枚あまりは、20曲ほどのレパートリーがさまざまなスタジオ・セッション、ライヴ録音で埋めつくされている、他のバンドに類を見ないものです。ジミ・ヘンドリックスが現存するほとんどのライヴ録音がファンに求められているように、ラリーズもまた異なるライヴ・テイクであれば聴きたいという熱烈なファンを持っているのです。ラリーズは1991年に公式アルバム3作を同時限定発売したあと1998年の活動休止まで10回程度しかライヴを行っておらず、今後再活動はほとんど望めないと思われるので、流出・発掘された過去のライヴ音源、数少ない未発表スタジオ音源が手を変え品を変え再リリースされているのが現状です。

 なお本作は4人編成のライヴ音源なのに、リズムギターリードギターの2ギター以外のギターがドローン状に鳴っているのが聴こえるのはオーヴァーダビングではなく、オープンチューニングのギター2、3本をアンプの前に立てかけてフィードバック音を鳴らしっぱなしにしてエフェクターペダルで操作している脅威的な複数ギター同時奏法です。これも水谷氏と、水谷氏の盟友・灰野敬二(「ロスト・アラーフ」「不失者」)氏くらいしか行っているギタリストはいないでしょう。灰野敬二は完全なフリー・インプロヴィゼーション=無調性音楽のギタリスト・ヴォーカリストですが、裸のラリーズの場合は1コードや2コードのリフ、せいぜい3~4コードの循環ばかりのロックンロールで、調性音楽のフォーマットでこのフィードバック・ノイズにまみれた演奏をしているところが「究極のサイケデリック・ロック」として欧米諸国の熱烈なリスナーを生んでいます。デイヴィッド・キーナン氏の「この水谷を聴くと、荒涼たる宇宙に唯一存在するロックのように思えてくる」という評言ほど激賞を極めた評価はないでしょう。ラリーズフラワー・トラベリン・バンドと並ぶ日本のロックの最重要バンドとするジュリアン・コープの『ジャップロックサンプラー』を読むと、コープ主宰で世界中のアンダーグラウンド・ロックのレア映像を集めた上映会を開いて最初に裸のラリーズのライヴ映像を上映したところ、観客の大半はラリーズのライヴ映像だけ観て満足して帰ってしまったといいます。「彼らはまっすぐ帰宅してラリーズのライヴ盤コレクションを聴き返したのだろう」と、ラリーズ再評価の先鋒になったコープ自身ですら裸のラリーズの突出した人気に驚嘆したそうです。アルバム1枚45分でたった3曲のこの『France demo tapes』はひたすら水谷孝の鳴らすフィードバック・ギターのノイズにどっぷり浸るにはもっとも適したアルバムで、公式アルバム中の代表作とされる『'77 LIVE』よりも格段に一本調子なだけリスナーの欲求にストレートに応えてくれるのが人気の理由でしょう。ジャケットのぶっ飛んだ目の水谷孝ポートレート、ダッチドールのようなCDレーベルも強烈です。裏ジャケットに「Digitally Remasterd」とあるのにこの凄まじい音質は何事かと呆れる方もいらっしゃるかもしれませんが、一度だけ裸のラリーズのライヴを観たことがある(『ロック画報25/特集・裸のラリーズ』2006年10月刊のライヴ年表によると1981年11月6日、法政大学学館大ホールのイヴェント)筆者の経験では、この『France demo tapes』を密閉型ヘッドホンで、または浴室で鼓膜が破れる限界まで大音量で聴くのと同じような壮絶な轟音がラリーズのライヴでした。全身黒づくめの4人が登場してきて「……ラリーズだ……」と観客の囁き声が起こりました。突然MCもなく演奏が始まり、1曲終わっても拍手一つ起こらないほど観客は金縛りにあっていました。1973年の自主制作オムニバス盤『OZ DAYS LIVE』など当然当時は聴くべくもありませんでしたし、出演時間1時間で演奏曲は3、4曲だったと思いますがあまりの轟音に曲の区別もつきませんでした。ラリーズが当時レコード発売もしていない日本のロック最長寿の伝説的バンドだという知識は「ミュージック・マガジン」あたりで知っていましたし、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやジャックスのアルバムはすでに聴いていましたが、生演奏で聴く未知のラリーズは想像を絶していました。この『France demo tapes』はラリーズの最高傑作とは言えないでしょうし、そもそも演奏に作品性を求めていない裸のラリーズのようなバンドには、公式アルバム・非公式アルバムを通して通常の意味での代表作もなければ最高傑作もないでしょう。通りすがりのアルバムとしてふと事故のように遭遇して、人によっては厄災にしかならない音楽です。「荒涼たる宇宙に唯一存在するロックのように思えてくる」という絶大な激賞もあれば、これを単なる雑音として一顧だにしない酷評まで、本作ほど毀誉褒貶分かれるアルバムはないでしょう。しかも、ラリーズのアルバムは公式・非公式すべて、本質的には本作と変わりはないのです。f:id:hawkrose:20210117091443j:plain

ブッカー・アーヴィン Booker Ervin - ザ・トランス The Trance (Prestige, 1967)

ブッカー・アーヴィン - ザ・トランス (Prestige, 1967)

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ブッカー・アーヴィン Booker Ervin - ザ・トランス The Trance (Prestige, 1967) Full Album
Recorded in Munich, Germany on October 27, 1965
Released by Prestige Records Prestige 7455, 1967
Produced by Don Schlitten
All compositions by Booker Ervin except as indicated
(Side 1)
A1. The Trance : https://youtu.be/i59v_0x5a_0 - 19:39
(Side 2)
B1. Speak Low (Ogden Nash, Kurt Weill) : https://youtu.be/aqNaFhUa8j8 - 15:09
B2. Groovin' at the Jamboree : https://youtu.be/xYxWv1UwfRs - 6:38
Total Time : 41:24

[ Personnel ]

Booker Ervin - tenor saxophone
Jaki Byard - piano
Reggie Workman - bass
Alan Dawson - drums

(Original Prestige "The Trance" LP Liner Cover & Side 1 Label)
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 好きなテナーサックス奏者にブッカー・アーヴィン(1930-1970)を上げる方はつくずくジャズの旨味が分かっていらっしゃる人という気がします。'50年代初頭からジャズ界で名を上げていたソニー・ロリンズハンク・モブレーと同年生まれながらR&B畑から30歳近くになってジャズに進んだ遅咲きだったため、決して二流ではないのに一流というには気がひけるテキサス出身のテナー奏者のアーヴィンは、'50年代末~'60年代のアメリカの黒人ジャズではハード・バップ~ポスト・バップとフリー・ジャズに両足をかけたジャズマンでした。その点でエリック・ドルフィーブッカー・リトルローランド・カークやブルー・ノートの新主流派ジャズマン(ウェイン・ショーター、フレディー・ハバード、ハービー・ハンコックら)と近い位置にいましたが、アーヴィンのスタイルはブルースとR&Bがルーツだったため自然にフリーに接近したもので、同様にテキサスのR&B界からジャズに進出して一気にフリー・ジャズの創世者に上り詰めた同年生まれのオーネット・コールマンほど大胆ではなく、またドルフィーやカーク、ショーターほど規格外の音楽的発想はなく、ブルース色の強さがアーヴィンの演奏を異色な存在にしてもいれば、同時に限界も感じさせるものでした。アーヴィンをジャズ界で第一線のテナー奏者に知らしめたはチャールズ・ミンガスのバンドへの加入で、ミンガスのバンドでは、

◎Jazz Portraits: Mingus in Wonderland (United Artists, 1959)
◎Mingus Ah Um (Columbia, 1959)
◎Mingus Dynasty (Columbia, 1959)
◎Blues & Roots (Atlantic, 1959)
◎Mingus (Candid, 1960)
◎Mingus at Antibes (Atlantic, 1960 / released in 1976)
◎Reincarnation of a Lovebird (Candid, 1960)
◎Oh Yeah (Atlantic, 1961)
◎Tonight at Noon (Atlantic, 1957-61 / released in 1965)
◎Mingus Mingus Mingus Mingus Mingus (Impulse!, 1963)

 などの名盤に参加し、アルバムの成功に貢献しています。当時の黒人ジャズ界にあって突出した名門バンドは、不動のメンバーのモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)を別格とすれば、アート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズマイルス・デイヴィスクインテットチャールズ・ミンガス・ジャズ・ワークショップ、マックス・ローチクインテットホレス・シルヴァークインテットが上がります。ジャッキー・マクリーンはマイルス~ジャズ・メッセンジャーズ~ミンガスと所属バンドを移り、ソニー・ロリンズはマイルス~ローチ、ハンク・モブレーはローチ~シルヴァー・メッセンジャーズ~マイルスと、これらのトップ・バンドの中でメンバーが移り変わっていました。MJQと並んでメンバー・チェンジの少なかったシルヴァー・クインテットを除けばミンガスのバンド・メンバーの人選は独特で、マクリーンとクリフォード・ジョーダン(ローチ~ミンガス)を例外とすればミンガスのバンド・メンバーは個性的すぎて他のバンドにはめったに勧誘されませんでした。『Jazz Portraits: Mingus in Wonderland』『Mingus Ah Um』『Mingus Dynasty』でアーヴィンとともにフロントを勤めたカーティス・ポーター(アルトサックス)もレギュラー参加はミンガスのバンドだけにとどまっています。J・R・モンテローズやエリック・ドルフィーを始めとしてミンガスのバンドのフロントマンはまずマイルスのバンドからは声がかからないようなサックス奏者ばかりでした。ミンガス・バンドの歴代サックス奏者に渋い人気があるのもその強い個性ゆえで、どんなにメンバー・チェンジしてもメッセンジャーズやマイルスからは絶対声がかからなかったであろうブッカー・アーヴィンも、一度その魅力を感じれば全部聴きたくなる、個性に溢れたテナー奏者でした。

 アーヴィンの演奏はブルース色とスウィング感に溢れ、ハード・バップというにはやり過ぎで、フリー・ジャズというにはオーソドックスすぎるものでした。アーヴィン自身が「Down Beat」誌のブラインド・フォールド・テスト(レコード当てクイズ)のインタビューで、アルバート・アイラーの最新作を聴かされて「どのアルバムかわからないけれどアイラーだね。でもこの演奏は好きになれない。アイラーの『Spirits』は良いアルバムで、ちゃんとフォーマットがあった。しかし今のアイラーのフォーマットのない演奏は好きにはなれない」と答えているように、基本的にはビ・バップの演奏フォーマットに忠実な人でした。しかしアーヴィン自身の演奏もフォーマットさえ守れば何でもありで延々アドリブを続けてしまうので、このアルバム『The Trance』では42分ほどの収録時間にA面が20分弱1曲、B面が15分のB1、7分弱のB2と吹いても吹いても止まらない演奏が聴かれます。しかもミュンヘンで本作が録音された1965年10月27日にはアーヴィン、ジャッキー・バイヤード(ピアノ)、レジー・ワークマン(ベース)、アラン・ドウソン(ドラムス)の本作と同じメンバーに先輩テナー奏者デクスター・ゴードンを迎えた2サックスでAB面とも20分あまりにおよぶ各1曲のアルバム『Setting The Pace』も録音されており、1日のセッションでアルバム2枚を完成させているほどです。アーヴィンは1965年にはアメリカ本国のジャズ不況からヨーロッパに渡り、やはりヨーロッパに活動を移していたジャッキー・バイヤード・トリオとデクスター・ゴードンとともにこの日のセッションを行いましたが、アーヴィンの余命はあと5年に迫っていました。チャールズ・ミンガスのバンドで名を上げたジャッキー・バイヤード・トリオはアーヴィンのもっとも好んだリズム・セクションで、かつてのベーシストはリチャード・デイヴィスでしたが1963年の名盤『The Freedom Book』以来のアルバム・タイトル通りリスナーをトランス状態に引きこむような快演が聴かれます。アルバム中唯一のスタンダード曲「Speak Low」はCandidoからのアルバム『That's It !』でもワンホーンで7分にもおよぶテイクを録音していますが、ここでは倍以上の長さです。バイヤード・トリオとの名盤『Freedom Book』はローランド・カークが羨望し、ドラムスがエルヴィン・ジョーンズに変わってカーク+バイヤード・トリオの名盤『Rip, Rig & The Panic』1965が作られたほどですが、バイヤード・トリオのキーマンは「歩くジャズ・ピアノ史」バイヤードもさることながらアラン・ドウソンのシャープなドラムスでした。エルヴィンはジョン・コルトレーン・カルテットを支えたグレートなポリリズム・ドラマーですが、アーヴィンやカークのような乗り乗りのテナー奏者にはストレートな推進力に富んだドウソンのドラムスの方が合っているのです。アーヴィンのプレイはやたら饒舌な割に同じ音型の反復や単なるスケールの昇降が多く、そこらへんのアイディアの単調さもロリンズ、モブレー、ドルフィー、オーネット、カークら一流プレイヤーと比較すると見劣りするのですが、あまり豊富とは言えないアドリブのアイディアでとにかく乗りまくるアーヴィンの演奏が本作では不足感を感じさせないのも、バイヤード、ワークマン、ドウソンのシャープなピアノ・トリオとの相性のおかげです。また技術先進国・西ドイツ録音という環境もこの録音をアメリカ本国録音よりも緊迫感のある音質でとらえています。アーヴィンのアルバムはどれもいいですが、本作はもっとも大胆なプレイが最上の録音で聴ける逸品にして異色作です。アーヴィンのアルバムは10年間で17作(うち共同リーダー作3作)、他に発掘ライヴもありますが、公式リリースのスタジオ盤を録音年順にリストにしておきます。前記のミンガス・バンドへの参加作、またミンガス・バンドでの同僚ホレス・パーラン(ピアノ)への参加作を含めて、どれもダサさすれすれのアーヴィンの魅力満開のアルバムばかりです。

[ Booker Ervin Leader Album Discography]
1960: The Book Cooks (Bethlehem)
1960: Cookin' (Savoy)
1961: That's It ! (Candid)
1963: Exultation ! (Prestige)
1963: Gumbo ! (Prestige) with Pony Poindexter
1963: The Freedom Book (Prestige)
1964: The Song Book (Prestige)
1964: The Blues Book (Prestige)
1964: The Space Book (Prestige)
1965: Groovin' High (Prestige)
1965: The Trance (Prestige)
1965: Setting the Pace (Prestige) with Dexter Gordon
1966: Heavy !!! (Prestige)
1966: Structurally Sound (Pacific Jazz)
1967: Booker 'n' Brass (Pacific Jazz)
1968: The In Between (Blue Note)
1968: Tex Book Tenor (Blue Note)
Back from the Gig (1964–68 / released in 1976) – compiling previously unreleased sessions which were later issued as Horace Parlan's Happy Frame of Mind in 1988 and Ervin's Tex Book Tenor in 2005.

蒲原有明詩集『有明集』(明治41年=1908年)より

(蒲原有明<明治8年=1875年生~昭和27年=1952年没>)
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智慧の相者は我を見て


智慧(ちゑ)の相者(さうじや)は我を見て今日(けふ)し語(かた)らく、
汝(な)が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)惡(あ)しく日曇(ひなぐも)る、
心弱くも人を戀ふおもひの空の
雲、疾風(はやち)、襲(おそ)はぬさきに遁(のが)れよと。

噫(ああ)遁(のが)れよと、嫋(たを)やげる君がほとりを、
緑牧(みどりまき)、草野(くさの)の原のうねりより
なほ柔かき黒髮の綰(わがね)の波を、――
こを如何(いか)に君は聞き判(わ)きたまふらむ。

眼をし閉(とづ)れば打續く沙(いさご)のはてを
黄昏(たそがれ)に頸垂(うなだ)れてゆくもののかげ、
飢ゑてさまよふ獸(けもの)かととがめたまはめ、

その影ぞ君を遁れてゆける身の
乾ける旅に一色(ひといろ)の物憂き姿、――
よしさらば、香(にほひ)の渦輪(うづわ)、彩(あや)の嵐に。

(「文章世界」明治40年6月発表)

月しろ


淀(よど)み流れぬわが胸に憂(うれ)ひ惱みの
浮藻(うきも)こそひろごりわたれ黝(くろ)ずみて、
いつもいぶせき黄昏(たそがれ)の影をやどせる
池水(いけみづ)に映るは暗き古宮(ふるみや)か。

石の階(きざはし)頽(くづ)れ落ち、水際(みぎは)に寂びぬ、
沈みたる快樂(けらく)を誰かまた讃(ほ)めむ、
かつてたどりし佳人(よきひと)の足(あ)の音(と)の歌を
その石になほ慕ひ寄る水の夢。

花の思ひをさながらの祷(いのり)の言葉、
額(ぬか)づきし面(おも)わのかげの滅(き)えがてに
この世ならざる縁(えにし)こそ不思議のちから、

追憶(おもひで)の遠き昔のみ空より
池のこころに懷かしき名殘(なごり)の光、
月しろぞ今もをりをり浮びただよふ。

(「文庫」明治40年6月発表・初出題名「月魂(つきしろ)」)

茉莉花


咽(むせ)び嘆かふわが胸の曇り物憂き
紗(しや)の帳(とばり)しなめきかかげ、かがやかに、
或日は映(うつ)る君が面(おも)、媚(こび)の野にさく
阿芙蓉(あふよう)の萎ぬえ嬌なまめけるその匂ひ。

魂(たま)をも蕩(た)らす私語(ささめき)に誘はれつつも、
われはまた君を擁(いだ)きて泣くなめり、
極祕の愁、夢のわな、――君が腕(かひな)に、
痛ましきわがただむきはとらはれぬ。

また或宵は君見えず、生絹(すずし)の衣(きぬ)の
衣(きぬ)ずれの音のさやさやすずろかに
ただ傳ふのみ、わが心この時裂けつ、

茉莉花(まつりくわ)の夜(よる)の一室(ひとま)の香(か)のかげに
まじれる君が微笑(ほほゑみ)はわがの痍(きず)を
もとめ來て沁(し)みて薫(かを)りぬ、貴(あて)にしみらに。

(「新思潮」明治40年10月発表)


 蒲原 有明(かんばら ありあけ・明治8年=1875年3月15日生~昭和27年=1952年2月3日没)は、東京麹町(現在の千代田区)生まれの日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。イギリスのロマン派詩人D・G・ロセッティに傾倒し、複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として明治30年代の新体詩(文語自由詩)の代表的な詩人となり、第1詩集『草わかば』1902(明治35年)、第2詩集『獨弦哀歌』1903(明治36年)、第3詩集『春鳥集』1905(明治38年)の3詩集は森鴎外の激賞を受けました。ですが最大の達成を示した第4詩集『有明集』1908(明治41年)は技巧の難解さから、口語自由詩運動に移っていた当時の新進詩人たちから一斉に批判され、私生活の問題もあって作品発表は激減してしまいます。改訂版全詩集に新作詩集を加えた『有明詩集』1922(大正11年)以降は旧作の改作に没頭し、改訂版選詩集『有明詩抄』1928(昭和3年)、『蒲原有明詩集』1935(昭和10年)、『定本春鳥集』1947(昭和22年)、『有明全詩抄』1950(昭和25年)に至るまで自作の改作を続けました。1952年(昭和27年)に『有明詩集』以来初めて全詩集の初版内容を復刻した『蒲原有明全詩集』の刊行を許可しましたが、同年、同書の校了前に77歳で逝去しました。萩原朔太郎が終生、有明を明治最高の革新的詩人としてその後継者を自負していたことでも知られています。

 今回は『有明集』全48編・訳詩4編から、詩集巻頭の連作ソネット(14行詩)「豹の血」8篇中、傑作と名高い3篇をご紹介しました。テキストは後年の改稿によらず、『有明集』初版によりました。非常に難解な印象を受けるかもしれませんが「智慧の相者は我を見て」は幻覚下での自問自答の詩、「月しろ」と「茉莉花」は恋愛詩、特に「茉莉花」は今で言う風俗店通いを詠った詩です。この店が阿片窟を兼ねていたことも暗示されており、熱愛する芸妓との薄情で刹那的な愛を頽廃的に格調高い文語詩に詠い上げたアクロバット的な技巧の詩で、文語詩ならではの音韻の豊かさ、余韻の深さでは明治の文語現代詩の究極に達したものでした。「月しろ」の第2連の2行、「石の階(きざはし)頽(くづ)れ落ち、水際(みぎは)に寂びぬ、/沈みたる快樂(けらく)を誰かまた讃(ほ)めむ、」の、「i」音の連続によって凄まじい崩壊感を示す重韻は天才の言語感覚です。この完成度の高さをつき崩すように有明の次の世代の詩人からは口語自由詩の運動が始まったので、有明の詩は日本語実験の究極の達成とともに時代から見捨てられたのです。そうした意味で有明の詩集、特に『春鳥集』と『有明集』は空前絶後の位置を日本の現代詩の中に占めています。

ロックな「冬の散歩道」

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サイモン&ガーファンクル Simon & Garfunkel - 冬の散歩道 A Hazy Shade of Winter (Paul Simon) (Colubia, October 1966) : https://youtu.be/coKMcGqGnPY

 この曲はサイモン&ガーファンクルのサード・アルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム(Parsley, Sage, Rosemary and Thyme)』制作中のセッションで録音され、同アルバムには収録されずシングル独自の楽曲として1966年10月24日に同アルバムと同時発売されたものです。『パセリ・セージ~』は全米アルバム・チャート最高位4位のヒット作になりましたが「冬の散歩道」はシングル・チャート最高位13位にとどまり、『パセリ・セージ~』収録の代表曲「スカボロー・フェア/詠唱(Scarborough Fair/Canticle)」「早く家へ帰りたい(Homeward Bound)」「59番街橋の歌 (フィーリン・グルーヴィー)(The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」「エミリー・エミリー(For Emily, Whenever I May Find Her)」などの方が高い人気を博しました。サイモン&ガーファンクルは次作の映画サウンドトラック・アルバム『卒業-オリジナル・サウンドトラック(The Graduate)』(Colubia, February 1968)を全米アルバム・チャート最高位1位に送りこんだあと、本格的な第四作目のアルバム『ブックエンド(Bookends)』(Colubia, April 1968)を発表、「冬の散歩道」は『卒業-オリジナル・サウンドトラック』収録曲「ミセス・ロビンソン(Mrs. Robinson)」の再録音ヴァージョンとともに『ブックエンド』に収録されました。全米アルバム・チャートでは『卒業-オリジナル・サウンドトラック』の1位を『ブックエンド』が引き継ぐ形で連続7週間の1位になり、また『ブックエンド』はサイモン&ガーファンクル初のイギリスでのNo.1ヒット・アルバムになっています。

 この曲は日本でもCMやドラマ挿入歌(実質的に主題歌)、ザ・バングルスによる1987年のカヴァーの大ヒット(全米2位)などでのちに初発売時を上回るサイモン&ガーファンクルの人気曲になりましたが、サイモン&ガーファンクルといえば美しいメロディーの楽曲、美声のコーラスのフォーク・ロック(しかもボブ・ディランに代表される反体制派ではない、内省的な作風)で抒情的かつ上品なイメージがあり、英米ロックなどビートルズストーンズでもうるさい曲は嫌、という女子中学生・女子高校生のファンが根強くついていたものです。それでなかなか気がつかないのですが、「冬の散歩道」は12弦ギターのリフや頭打ちのリズムに顕著なようにモータウンのアーティストに典型的な'60年代のR&Bのアレンジとリズムをアイディアとした楽曲であり、楽器の音色やニュアンス次第ではもっとハードなR&B系ロック曲になってもおかしくありません。フォー・トップスの「Reach Out I'll Be There」やローリング・ストーンズの「Satisfaction」とリズム構造は同じで、四つ打ちで頭打ちするドラムスはまったく同じです。

 そのようにこの「冬の散歩道」は、もともとアルドン系ソングライターを目指していたというポール・サイモンの職人芸的な作曲が光る楽曲です。黒人音楽を下敷きにしたロックの正統的な発想をしっかり踏まえています。サイモンはのちにアメリカのポップス界ではいち早くレゲエを導入し、'80年代にはアフロ・ビートに着目したワールド・ミュージック指向で大成功を収めますが、黒っぽさのまるでない洗練されたポップスの次元でR&B、フォルクローレ、レゲエ、ワールド・ミュージックをまったく実験性を感じさせず白人ポップスになじませてしまうというのがユダヤ系白人ミュージシャン、サイモンの職人芸でもあれば、種を明かせば非白人音楽の漂白化ではないかと批判されるゆえんにもなっています。ともあれ「冬の散歩道」が初リリース当初よりも年を経るごとに人気曲になったのは曲想とリズム構造にR&Bからの巧妙な換骨奪胎があったからであり、サイモンの才気の大勝利を認めずにはいられません。こういうところがちょっと鼻につく、小憎らしい、ちょこざいなという気もしないではありませんが、サイモンほどの達者さでこれをやってのけたミュージシャンはいないと思うとお手上げするしかないではありませんか。

サン・ラ Sun Ra and His Space Arkestra - ホワット・プラネット・イズ・ディス What Planet is This? (Leo, 2006)

サン・ラ - ホワット・プラネット・イズ・ディス (Leo, 2006)

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サン・ラ Sun Ra and His Space Arkestra - ホワット・プラネット・イズ・ディス What Planet is This? (Leo, 2006) : https://youtu.be/StUnGZ_whX8
Recorded live in New York, July 6, 1973
Originally Released by Leo/Golden Years of New Jazz, GY 24/25 (2CD), 2006
Also Released by Vinyl Lovers 900632 (2LP), Russia, 2009
All written & arranged by Sun Ra, expect as noted.
(CD1)
1-1. Untitled Improvisation - 5:30
1-2. Astro Black - 3:04
1-3. Discipline 27 - 7:29
1-4. Untitled Improvisation - 28:18
1-5. Space is the Place - 10:27
1-6. Enlightenment (Sun Ra, Dotson) - 3:39
1-7. Love in Outer Space - 10:29
(CD 2)
2-1. The Shadow World - 20:42
2-2. Watusa, Egyptian March - 8:54
2-3. Discipline 27-II (incl. What Planet is This? / The Universe Sent me to Converse with You / My Brother the Sun) - 17:39
Total Time 1:56:16

[ Sun Ra and His Space Arkestra ]

Sun Ra - piano, mini-moog, organ, declamation
John Gilmore - tenor sax, percussion, voice
Marshall Allen - alto sax, oboe, flute, percussion, cowbell, voice
Danny Davis - alto sax, flute, percussion, voice
Larry Northington - alto sax, percussion, voice
Eloe Omoe - bass clarinet, bassoon, percussion, voice
Danny Ray Thompson - baritone sax, flute, percussion, voice
Pat Laurdine Patrick - baritone sax, oboe, voice
James Jacson - bassoon, flute, percussion, voice
Akh Tal Ebah - trumpet, fluegelhorn, megaphone, percussion, voice
Kwame Hadi - trumpet, percussion, voice
Dick Griffin, Charles Stephens - trombone, percussion, voice
Hakim Jami - tuba, percussion
Alzo Wright - cello, percussion
Ronnie Boykins - bass
Lex Humphries, Aye Aton - drums
Atakatune - congas, tympani
Odun - congas
Harry Richards - percussion
June Tyson - voice, declamation, percussion, dance
Judith Holton, Ruth Wright, Cheryl Banks - voice, dance

(Original Leo "What Planet is This?" CD Inner Sheet, Liner Cover & Dlsc 1 Label)
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 21人編成のサン・ラ・アーケストラに歌姫ジューン・タイソンを含む4人の女性コーラス&ダンサー隊で行われた本作のコンサートは1973年7月6日のニューヨークというだけで会場不明のようですが、ライヴ収録後33年経った発掘盤としてはなかなかの内容を誇るものです。セットリストも前1972年録音、1973年発売の最新作『Astro Black』のアルバム・タイトル曲を「Saturnian Queen」タイソン妃がアカペラで歌うわくわくするような1曲目から始まり、『Astro Black』同様前1972年録音、1973年発売の最新スタジオ盤『Discipline 27-II』『Space is the Place』からの代表曲に、1971年のライヴ名盤『世界の終焉』に含まれた1966年の名盤『Magic City』からの「The Shadow World」、「Watusa」、この時期のライヴ定番曲「Love in Outer Space」にアーケストラ'50年代最初期からのアンセム的ヴォーカル曲「Enlightenment」もタイソンのリード・ヴォーカルでメンバー全員がコーラスとパーカッションに回って演っている、さらにライヴならではの長尺集団即興曲、パーカッション・アンサンブルも聴ける、と申し分ない選曲と、1973年当時のゴスペル・ファンク色の強い最新アレンジ~サウンドに統一されたアーケストラが聴けます。

 会場(ライヴ主催者)側の録音か、サン・ラ側の録音か不明ですが、主催者側録音だったら会場は判明していたでしょうから観客入りのラジオ放送用ライヴか、サン・ラの自主制作レーベル、サターン用にバンド自身がリリース候補の予備録音をしていたのではないかと思われる、後からミキシングし直したとは思えないバランスのミックスですが、オーディエンス・エアーを抑えてミキサー卓からのサウンドボード録音と推測されるクリアな音質ながら緊張感と臨場感をくっきり捉えた、即時発売されていたらこれもサン・ラの代表的なライヴ名盤に数えられたに違いない見事な発掘ライヴです。

 1-4「Untitled Improvisation」ではサン・ラの暴走する無伴奏シンセサイザー・ソロから雪崩れこむ天才バリトンサックス奏者パット・パトリックのソロやトランペット奏者アカー・タル・エバーのメガフォン・ヴォイス・パフォーマンスも聴け、ベースとドラムスも'60年代アーケストラを支えた豪腕ベーシストのロニー・ボイキンス、重鎮レックス・ハンフリーズとひさびさに'60年代後半のアーケストラを躍進させたかつての中心メンバーが揃っています。特にボイキンスがレギュラーから外れて臨時参加のファミリー・メンバーになってからは、サン・ラのオルガンかサックス陣の強化によるベースレス編成か、パット・パトリックがやむなくエレクトリック・ベースに廻るスタジオ録音やライヴも多かったので、ボイキンスの復帰(とハンフリーズとの強力なコンビネーション)だけでもバンドの音がぐっと締まり、軽やかでありながら重心は低いサウンドの安定感があります。

 おそらくサン・ラとサン・ラ・アーケストラにとっては本作程度の水準のライヴは日常茶飯事で、このくらいならいつでも演れるという自信があってこそ本作もお蔵入りになっていたマスターテープだったのでしょう。実際サン・ラ没後に発掘発売された未発表ライヴ盤は録音状態こそまちまち、未編集による冗長さこそ玉に瑕でこそあれ、ほとんどが本作で聴ける水準に達しています。'70年代~'80年代のサン・ラは50代後半~70代にもなっていたのですが、年間4枚~8枚のアルバム制作・発売は当たり前だったので、本作も発表の時期を逃した1作ということでしょう。さらに生前お蔵入りになったスタジオ録音盤も多く、それらも十分に発表されるだけの内容を誇ります。本作もサン・ラにとってはルーティン・ワークだったでしょうが、並みのミュージシャンにとっては一世一代のパフォーマンスと呼べるほどのアルバムです。まだまだサン・ラには本作と同等以上の未発表音源が埋蔵されていて、毎年のように発掘発売されていると思うと、あまりの無尽蔵な創作力について行けない思いがするほどです。

蒲原有明『春鳥集』明治38年(1905年)より

蒲原有明明治9年(1876年)生~昭和27年(1952年)没
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日のおちぼ


日の落穗(おちぼ)、月のしたたり、
殘りたる、誰(たれ)か味ひ、
こぼれたる、誰かひろひし、
かくて世は過ぎてもゆくか。
あなあはれ、日の階段(きざはし)を、
月の宮――にほひの奧を、
かくて將(は)た蹈(ふ)めりといふか、
たはやすく誰か答へむ。

過ぎ去りて、われ人知らぬ
束の間や、そのひまびまは、
光をば闇に刻みて
音もなく滅えてはゆけど、
やしなひのこれやその露、
美稻(うましね)のたねにこそあれ、――
そを棄てて運命(さだめ)の啓示(さとし)、
星領(し)らす鑰(かぎ)を得むとか。

えしれざる刹那(せつな)のゆくへ
いづこぞと誰か定めむ、
犧牲(にへ)の身を淵にしづめて
いかばかりたづねわぶとも、
底ふかく黒暗(くらやみ)とざし、
ひとつ火(び)の影にも遇はじ。
痛きかな、これをおもへば
古夢(ふるゆめ)の痍(きず)こそ消えね、
永劫(とことは)よ、脊に負ふつばさ、
彩羽(あやは)もてしばしは掩(おほ)へ、
新しきいのちのほとり、
あふれちる雫(しづく)むすばむ。

(初出・明治37年=1904年1月「新聲」)

魂の夜


午後四時まへ――黄(き)なる
冬の日、影うすく
垂れたり、銀行の
戸は今とざしごろ、
あふれし人すでに
去り、この近代(ちかつよ)の
榮(さかえ)の宮は今、
さだめや、戸ざしころ――
いつかは生(せい)の戸も。

かくてぞいやはてに
あき人(びと)、負債(おひめ)ある
身の、足たづたづと
出でゆくそびらより、
黄金(こがね)の音走り
傳へぬ、こは虚(むな)し、
きらめく富(とみ)のうた、
惱みの岸嘲(あざ)み
輝く波のこゑ。

見よ、籍册(ほさつ)の金字(きんじ)――
星なり、運命の
卷々(まき/\)音もなし。
一ぢやう、おひめある
ともがら(われもまた)
償(つぐな)ふたよりなさ、
囚獄(ひとや)の暗やみふかき
死しの墟(つか)、――いかならむ、
嗚呼、その魂(たま)の夜よる。

(初出・明治38年=1905年3月「精華」)

誰かは心伏せざる


煙は鈍(にば)む日に、
映(うつ)りて、くらきむらさき、
ながれぬ、霜の壓(お)す
弓かとひくく撓(たわ)みぬ。

悶(もだ)ゆるけぶり、世の
底なるいぶきか壞(く)ゑくゑ
うづまき去るかなた、
ねびてぞ墜つる日黄(き)なる。

夕ぞらよどむとき、
靜かに、重おもし、すさまじ、
巷(ちまた)を空(むな)ぐるま
まろびてゆくに似たらず。

見よ、今煤すすばめる
「工廠(こうしやう)」いくむねどよみ、
その脊(せ)をめぐらすや
いさ、かの天(あめ)の耀光(えうくわう)。

聖なるちからには
后土(おほつち)とどろき、蒸して
騰(あが)れるゆげには
うるはし花こそこもれ。――

かからむ花はまた
世になし、ひらめくひかり
遽(には)かに窓を洩れ、
強き香(か)照らす束のま。

鳥啼(な)く――ああ鐵槌(つち)の
ひびきよ、かぎろひけぶる
ただなか、戰(たたかひ)の
胸肉(むなじし)刻む聲なり。

誰かはこのほとり
ゆく時こころ伏せざる、――
痍(きず)にか、身に逼(せま)る
道にか、高き御名(みな)にか。

(初出原題「工廠」・明治37年12月「婦人界」、以上3篇詩集『春鳥集』明治38年7月より)


 蒲原有明(1876-1952)の第3詩集『春鳥集』は日本初の象徴主義詩集と名高い作品集ですが、詩集中でももっとも毀誉褒貶を生んだ詩篇「朝なり」に見られる通り自然主義的な題材を多く含む詩集でもあります。詩集巻頭詩「日のおちぼ」は第4詩集『有明集』に連なる内省的抒情詩の形態をとった象徴主義詩ですが、この詩の五七調の柔軟さは藤村、晩翠らやや年長の詩人、また有明のライヴァル的存在だった薄田泣菫の七五調中心の韻律よりも口語自由詩に近い発想によるもので、「日の落穗(おちぼ)、月のしたたり、/殘りたる、誰(たれ)か味ひ、/こぼれたる、誰かひろひし、/かくて世は過ぎてもゆくか。」は有明の詩としてはもっとも平易な語彙と修辞によって優れた音楽性を実現しています。萩原朔太郎は手酌で一杯やりながら「有明はいいな」と有明の詩を愛唱してやまなかったと伝えられますが、師事した白秋以上に有明の詩から萩原朔太郎の詩に直接流れこんだのがこうした有明の詩の音楽性なのは間違いなく、「日の落穗(おちぼ)、月のしたたり、/殘りたる、誰(たれ)か味ひ、」で効いている「i」音の母音韻への鋭さは有明や萩原のような詩人ならではのものです。

 他方『春鳥集』は「朝なり」系統の自然主義象徴詩も含んでいて、夕方から閉店後の夜にかけての銀行を詠った「魂の夜」、やはり夕方から夜のとばりが下りる工場を詠った「誰かは心伏せざる」は具体的な銀行の情景、工場の情景を叙述しながらそれらが詩人の心象風景に転じていく過程を作品化したものです。この2篇は自然主義詩としては「朝なり」よりも対象の把握力のあいまいさによって弱く、また心象風景から象徴詩に展開する必然も弱く、必ずしも成功作とは見なせない、あと一歩のところで焦点を欠いた印象を受ける詩です。「朝なり」がいかに際どいところで成功作になっていたかを思わせる仕上がりで、それは朝の用水路の情景の自然さと銀行、工場といった意欲的ながら作為的な題材の差にもよるでしょう。有明は麹町(千代田区)生まれの都会人でしたが、岡山生まれの泣菫、また長崎生まれの北原白秋兵庫県生まれの三木露風がこなしたような都会的感覚にかけては生まれながらに都会になじんていたようなところがあり、群馬県生まれの萩原朔太郎が想像力の中で都会に焦がれたような熱っぽさよりも水道橋の陸軍工場(現東京ドーム)脇の用水路や銀行、工場といった題材に距離をつかみかねていたと思えるような隔靴掻痒さが残ります。「朝なり」では日常的な用水路の溝水にたまたま上手く鬱積した気分が合致さたのですが、「魂の夜」「誰かは心伏せざる」ではまずテーマありきでそれなりに形をなしたものの、有明自身の心象は題材と必ずしも一致しなかった観があり、結果的にこれらの詩は白秋、露風、また萩原朔太郎らの都会情景の詩の先駆をなしはしたものの、有明の詩としては消化不良気味な意欲作にとどまります。まだ都市をテーマにするには日本の明治の詩は勇み足だったと言うべきで、泣菫は賢明にも多層的な抒情詩の場合は古代や中世、近世と現代との重ね合わせによって「公孫樹下にたちて」や「ああ大和にしあらしかば」「望郷の歌」のように地誌的想像力によって近代的な都市感覚を巧妙に避けたロマン主義詩に力量を発揮していました。有明の本領は「日のおちぼ」のようなより抽象的な心象詩にあり、第4詩集『有明集』で詩集の中心となるのは「日のおちぼ」の延長線上にある幻視者的想像力を働かせた抒情詩です。しかし成功しなかった作品にもその実験性によって働く魅力があり、「朝なり」「魂の夜」「誰かは心伏せざる」の系統によって有明の詩が十全な発展を見せていたらと思わせられもするので、のちの白秋の詩集や萩原朔太郎の詩集には有明の詩では可能性にとどまっていた一面の実現が確かにあることから、有明の試みには十分予見的な働きがあったと認められるものでしょう。また有明は生涯自作の改訂を続けた詩人でしたが、実験的な作品ほど後年の全詩集・選詩集では改訂の度合いも大きくなっています。何よりも有明自身が自作に満足していなかったのが改作過程からはうかがわれ、特に詩集『春鳥集』は数次に渡って全面的に改作を重ねられています。そのあたりも有明という詩人の特異な性格を示すだけに、軽々と結論を出すのがためらわれるのです。