人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

読書感想文・その他文学

現代詩の起源(12); 北村透谷『楚囚之詩』(ii)

北村透谷(門太郎)・明治元年(1868年)12月29日生~明治27年(1894年)5月16日逝去(縊死自殺、享年25歳)。明治25年=1892年夏(23歳)、同年6月生の長女・英子と。 前回ひとまず北村透谷の処女作である長編詩『楚囚之詩』(明治22年=1889年刊)の全編をご紹介しました…

現代詩の起源(12); 北村透谷『楚囚之詩』(i)

北村透谷(門太郎)・明治元年(1868年)12月29日生~明治27年(1894年)5月16日逝去(縊死自殺、享年25歳)。明治16年頃の肖像写真。 日本の現代詩の起源はどの辺りにあるかは論者の意見も分かれますが、最初の口語体現代小説が二葉亭四迷『浮雲』(明治20年)に当た…

現代詩の起源(11); 立原道造 『萱草に寄す』(iiii)

立原道造(1914-1939)23歳頃(昭和13年=1938年)、数寄屋橋ミュンヘンにて。 第1詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』に見られる立原道造の詩の特色については、前回までで検討してみました。最後に、この詩集の考案と考えられる歌物語的な構成を見ていきたいと思い…

現代詩の起源(11); 立原道造 『萱草に寄す』(iii)

立原道造(1914-1939)23歳頃(昭和13年=1938年)、数寄屋橋ミュンヘンにて。 はじめてのものに ささやかな地異は そのかたみに 灰を降らした この村に ひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに 音立てて 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた その夜 月は明かつた…

現代詩の起源(11); 立原道造 『萱草に寄す』(ii)

立原道造(1914-1939)23歳頃(昭和13年=1938年)、数寄屋橋ミュンヘンにて。 前回は詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』の全編を一度にご紹介しました。この詩集はソネット(14行詩)形式の短詩10編を収めるのみで、総行数は140行しかないことになります。3段組の文学…

現代詩の起源(11); 立原道造 『萱草に寄す』

立原道造(1914-1939)23歳頃(昭和13年=1938年)、数寄屋橋ミュンヘンにて。 このシリーズでは明治30年代末から昭和10年代までほぼ40年間の日本の自由詩形式の詩集を取り上げてきました。すなわち日露戦争(明治37年=1904年~38年=1905年)後の高揚期の日本が昭和…

現代詩の起源(10); 佐藤春夫 『我が一九二二年』

佐藤春夫(明治25年・1892年生~昭和39年・1964年歿)/昭和29年(1954年)創元社『現代日本詩人全集5』著者近影 佐藤春夫は広く知られた作家で、その経歴と業績もウィキペディア等の電子辞書メディアに手際よくまとめられています。大正~昭和にかけてもっとも粋…

現代詩の起源(9); 尾形龜之助『雨になる朝』(iiii)

尾形龜之助(1900.12.12-1942.12.2)/大正12年(1923年)、新興美術集団「MAVO」結成に参加の頃。 今回で尾形亀之助詩集『雨になる朝』は全編をご紹介することになります。尾形亀之助は現代詩でもとりわけ読者に解読不可能性を感じさせる詩人で、解釈以前に茫洋…

現代詩の起源(9); 尾形龜之助『雨になる朝』(iii)

尾形龜之助(1900.12.12-1942.12.2)/大正12年(1923年)、新興美術集団「MAVO」結成に参加の頃。 今回も尾形亀之助の第2詩集『雨になる朝』(昭和4年=1929年)から詩集半ばからの12編をご紹介します。次の第4回で巻末の12編をご紹介するとこの詩集は全編になりま…

現代詩の起源(9); 尾形龜之助『雨になる朝』(ii)

尾形龜之助(1900.12.12-1942.12.2)/大正12年(1923年)、新興美術集団「MAVO」結成に参加の頃。 仙台生まれの詩人・尾形龜之助は明治33年(1900年)生まれ。大正10年(1921年)大学を落第、その後すぐに最初の結婚と上京、裕福な実家からの経済的支援を受けながら…

現代詩の起源(9); 尾形龜之助『雨になる朝』(i)

尾形龜之助(1900.12.12-1942.12.2)/大正12年(1923年)、新興美術集団「MAVO」結成に参加の頃。 仙台生まれの詩人・尾形龜之助は明治33年(1900年)生まれ。大正10年(1921年)大学を落第、その後すぐに最初の結婚と上京、裕福な実家からの経済的支援を受けながら…

現代詩の起源(8); 近藤東『抒情詩娘』(iii)

近藤東(1904.6.24.-1988.10.23.)/創元社『全詩集大成?現代日本詩人全集15』(昭和30年=1955年10月刊)著者近影より 今回ご紹介する巻末の8編で詩集『抒情詩娘』は全編になります。実は4回に分けてご紹介するつもりを、第1回目に代表作「レエニンノ月夜」(詩集…

現代詩の起源(8); 近藤東『抒情詩娘』(ii)

近藤東(1904.6.24.-1988.10.23.)/創元社『全詩集大成?現代日本詩人全集15』(昭和30年=1955年10月刊)著者近影より この詩集は全28編すべてが無題で「★」印で区分されていますが、前回ご紹介した詩集冒頭8編のうち、8編目の「★」が昭和4年(1929年)春に行われ…

現代詩の起源(8); 近藤東『抒情詩娘』(i)

近藤東(1904.6.24.-1988.10.23.)/創元社『全詩集大成 現代日本詩人全集15』(昭和30年=1955年10月刊)著者近影より 近藤東は現代詩誌「詩と詩論」(商業誌規模の同人誌。1928年9月~1931年12月、通巻第14冊。継続誌『文學』1932年3月~1933年6月、通巻第6冊)関…

現代詩の起源(7); 伊東静雄『わがひとに與ふる哀歌』(iiii)

伊東静雄(1906-1953/府立住吉中学校教員時代) 伊東静雄は知名度や愛読者では1歳年少中原中也(1907-1937)、年少ながら伊東がもっとも将来を嘱望していた立原道造(1914-1939)ほど恵まれず、また『ウルトラマリン』の逸見猶吉ほどあからさまに反逆的でもないの…

現代詩の起源(7); 伊東静雄『わがひとに與ふる哀歌』(iii)

伊東静雄(1906-1953/府立住吉中学校教員時代) 前回ご紹介した杉本秀太郎『伊東静雄』(筑摩書房・昭和60年完成)は1冊を費やして『わがひとに與ふる哀歌』全編を注釈に集中しており、同書が講談社文芸文庫で再版されたおり(平成21年)、新たな「あとがき」で著…

現代詩の起源(7); 伊東静雄『わがひとに與ふる哀歌』(ii)

伊東静雄(1906-1953/府立住吉中学校教員時代) 伊東静雄は昭和年代の詩人の中で評価、人気とも相当高い位置に恵まれています。思潮社の「現代詩手帖」別冊『現代詩読本』では第10巻(昭和54年)、同社の「現代詩文庫・近代詩人編」では第15巻の宮澤賢治、第16巻…

現代詩の起源(7); 伊東静雄『わがひとに與ふる哀歌』(i)

伊東静雄(1906-1953/府立住吉中学校教員時代) 伊東静雄は明治40年=1907年生まれの中原中也、逸見猶吉より1歳年長の詩人ですが、中原の作風が昭和2年=1927年頃までには確立し、逸見の画期的な「ウルトラマリン」連作が昭和4年=1929年から始まるのに較べる…

現代詩の起源(6); 逸見猶吉詩集『ウルトラマリン』(iiii)

逸見猶吉(1907-1946)、『全詩集大成・現代詩人全集12』口絵より。昭和3年(1928年)1~2月頃、同年1月開店・経営の神楽坂のバー「ユレカ」にて。 今回で『逸見猶吉詩集』(十字屋書店・昭和23年=1948年)のご紹介は最終回になります。全4回をほぼ均等な分量に分…

現代詩の起源(6); 逸見猶吉詩集『ウルトラマリン』(iii)

逸見猶吉(1907-1946)、『全詩集大成・現代詩人全集12』口絵より。昭和3年(1928年)1~2月頃、同年1月開店・経営の神楽坂のバー「ユレカ」にて。 今回で十字屋書店版『逸見猶吉詩集』からは3回目のご紹介になりますが、詩人生前唯一の合同詩集参加の小詩集『ウ…

現代詩の起源(6); 逸見猶吉詩集『ウルトラマリン』(ii)

逸見猶吉(1907-1949)、『全詩集大成・現代詩人全集12』口絵より。昭和3年(1928年)1~2月頃、同年1月開店・経営の神楽坂のバー「ユレカ」にて。 このシリーズでは逸見猶吉生前に合同詩集に収録された小詩集『ウルトラマリン』(『現代詩人集3』所収/山雅房・昭…

現代詩の起源(6); 逸見猶吉詩集『ウルトラマリン』(i)

逸見猶吉(1907-1949)、『全詩集大成・現代詩人全集12』口絵より。昭和3年(1928年)1~2月頃、同年1月開店・経営の神楽坂のバー「ユレカ」にて。 逸見猶吉の生前に自選詩集としてまとめられたのは合同詩集「現代詩人集3』(昭和15年=1940年7月・山雅房)収録の…

現代詩の起源(5); 山村暮鳥『聖三稜玻璃』(iv)

山村暮鳥(1884-1924)、大正2~4年頃(1913~1915年)、第1詩集『三人の處女』(大正2年)~第2詩集『聖三稜玻璃』成立時。 詩集『聖三稜玻璃』全編はほぼ均等な4部に分かれ、本文中の該当ページに「1915 III-V」「1914 V-」「1914 VII-XII」「1915 I-II」と…

現代詩の起源(5); 山村暮鳥『聖三稜玻璃』(iii)

山村暮鳥(1884-1924)、結核療養のため休職中の最晩年の近影。逝去前年の大正12年=1923年、終焉の地となった茨城県大洗町にて。 詩集『聖三稜玻璃』全編はほぼ均等な4部に分かれ、本文中の該当ページに「1915 III-V」「1914 V-」「1914 VII-XII」「1915 I…

現代詩の起源(5); 山村暮鳥『聖三稜玻璃』(ii)

山村暮鳥(1884-1924)、明治41~42年(1908~1909年)、秋田県聖救主教会伝道師(牧師)として横手町~湯沢町伝道所に赴任中の近影(24~25歳)。 山村暮鳥の第1詩集『三人の處女』は大正2年(1913年)5月に島崎藤村(1872-1943)の序文を巻頭に掲げて刊行されましたが…

現代詩の起源(5); 山村暮鳥『聖三稜玻璃』(i)

山村暮鳥(1884-1924)、大正2~4年頃(1913~1915年)、第1詩集『三人の處女』(大正2年)~第2詩集『聖三稜玻璃』成立時。 前回ご紹介した明治後期の詩人・伊良子清白(1877-1946)の名詩集『孔雀船』(明治39年=1906年)よりわずか10年後の詩集ながら、大正時代の…

荒川洋治「美代子、石を投げなさい」

美代子、石を投げなさい 荒川洋治 宮沢賢治論が ばかに多い 腐るほど多い 研究には都合がいい それだけのことだ その研究も 子供と母親を集める学会も 名前にもたれ 完結した 人の威をもって 自分を誇り 固めることの習性は 日本各地で 傷と痛みのない美学を…

現代詩の起源(4); 伊良子清白『孔雀船』(e)

伊良子清白(1877-1946/『孔雀船』刊行の頃) 今回で伊良子清白の唯一の詩集『孔雀船』は最終回、全18編をご紹介し終えることになります。詩集の配列順の通りにご紹介してきましたが、今回ご紹介する詩集巻末の2編は『孔雀船』でももっとも制作・発表時期の早…

現代詩の起源(4); 伊良子清白『孔雀船』(d)

伊良子清白(1877-1946/『孔雀船』刊行の頃) 生涯に1冊の単行詩集『孔雀船』(明治39年=1906年)しか遺さなかった詩人・伊良子清白は明治30年代に地味な詩誌「文庫」でもさらに地味な存在でしたが、詩集刊行とともに「文庫」からも退いた清白が『孔雀船』だけ…

現代詩の起源(4); 伊良子清白『孔雀船』(c)

伊良子清白(1877-1946/『孔雀船』刊行の頃) 明治30年代に詩誌「文庫」で活動した詩人、伊良子清白は医業を本職とした人で、単行詩集は生涯に明治39年(1906年)の『孔雀船』1冊しか遺しませんでしたが、『孔雀船』だけで明治以降の日本の現代詩史で特筆される…