#小説
19世紀末の文学思潮を正確に批判し20世紀に橋渡ししたことで、アンドレ・ジッド(1869~1951)は20世紀のちょうど前半に一種の規範とされる思想家的作家と見なされていました。新潮社版の翻訳全集や日記が配本中にジッドは81歳で逝去しましたが(51年二月)、同…
文学者としてのアンドレ・ジッド(1869~1951)は晩年には評価が定まっていたと言えて、翻訳版の決定版全集は50~51年にかけて刊行された全16巻の『アンドレ・ジイド全集』と、別売された500ページ×5巻に及ぶ『ジイドの日記』50~52年刊で、どちらも新潮社から…
一般に、アメリカ初期自然主義を代表する作家にクレイン、ノリス、ロンドンの三人が上げられます。代表作から作風を検討してみましょう。 1.スティーヴン・クレイン(1871~1900) ・『街の女マギー』1893はアメリカ最初の自然主義小説とされます。ゾラの『居…
ジェイムズ、トゥエインはリアリズムの範疇では語れませんが、ハウエルズやガーランドは作家の力量とは別に時代の文芸思潮を担った功績がありました。彼らの提唱したリアリズム小説という土壌がなければ20世紀にも直結する自然主義小説という現代文学の基礎…
自然主義小説はヨーロッパ文学の発明で、発祥国フランスでは1865~1893年までのほぼ30年間に興隆から衰退までをたどります。 一方アメリカや日本はヨーロッパの文芸思潮の輸入国でした。日本の自然主義小説は1890年代から試作があり、1910年までには日本流の…
ノーベル文学賞作家アンドレ・ジッド(1869~1951)は生前に名声を存分に謳歌した人でした。日本でも第二次大戦前に同時に二社から翻訳版全集が刊行され、終戦間もない昭和20年代にも二種が刊行されています。しかし没後に出た角川書店版全集は全文業から三分…
自然主義小説の発祥国フランスでは、1865年のゴンクール兄弟『ジェルミニー・ラセルトゥー』をもっとも早い作例とすると、エミール・ゾラ「ルーゴン=マッカール双書」(1871~1893)の、特に『居酒屋』~『大地』に当る1877~87年が自然主義小説の最盛期と言…
19世紀末期に、アンドレ・ジッド(1869~1951)はまず詩人ステファヌ・マラルメ門下の象徴主義文学者としてデビューしました。ジッドは、というより出版界ではよくある手口でもありますが、処女作『アンドレ・ワルテルの手記』(1891)を狂死した文学青年の遺稿…
ジッドを明治年間に日本に紹介したのは上田敏と永井荷風ですが、荷風は学生時代に岩波書店版全集30巻揃えて隅から隅まで読んだクチです。正直言って荷風や吉行淳之介、ヘッセやジイド(60年代までの表記)は、青年時代に読んでいると再読した時の風化が激しい…
前回ではアンドレ・ジッド(1869~1951)の小説『鎖を離れたプロメテ』(1898)からプロローグ、そして第一部の「個人道徳に関する記録」の第一章までをご紹介しました。後世のカトリック作家・行動的なユマニスト、さらに禁欲的ゲイ作家といったイメージとは異…
ヨーロッパ文学史『ミメーシス』は全20章のうち18章でようやく小説の時代に入りました。具体的にはスタンダール、バルザック、フローベールです。19章はゴンクール兄弟とゾラが検証され、最終章はヴァージニア・ウルフを主に論じながらプルーストとジョイス…
五月の昼下がり、パリの大通りで、痩せた紳士が太った紳士の落したハンカチを拾って渡しました。太った紳士は一礼して去りかけましたが、ふと振り返ると痩せた紳士にペンと封筒を差し出し、痩せた紳士は請われるままに封筒に宛名を書くと太った紳士に返しま…
前回はアメリカ文学史研究書の紹介で終りましたが、ヨーロッパ文学の表現方法の変遷を論じた大著『ミメーシス』からこの連載は始まっており、同書にはアメリカ文学の項目は含まれていないのも前回の末尾で強調した通りです。ではなぜアメリカ文学という脇道…
D.H.ロレンスは小説家としても時代を築いた人でしたが詩人・エッセイスト、そして批評家としてはそれ以上の業績を残した文人かもしれません。瑞々しい感受性は小説よりも詩やエッセイに凝縮され、また小説を強靭なものにしている批評意識は批評そのものにい…
どのような文学運動でもそれを生み出した時代思潮抜きには読み解くのが困難です。例えばフランス・ロマン主義についても歴史的出自を探るならば、出発点はルネッサンス期のユマニスムまで行き着く。しかしユマニスムとロマン主義が直結するものでないなら、…
今回も概括ゆえの省略や飛躍が避けられませんが、ご寛恕ください。 メディアとして考えると、詩歌はまず口承文学として出発し、宗教儀式由来の典礼劇や共同体の祭典劇から独立して演劇と結びつき、文学としての戯曲が成立したとされます。その段階ですでにプ…
さて、前回では「ミメーシス」の作者・作品選択に困惑された方もいらっしゃるかと思います。スタンダール、バルザック、フローベールを取り上げた第十八章以降なら、と具体的なご指摘もいただきました。 実はこの本、巻末に人名・作品目次はありますが各章に…
ドイツの文学史家エーリヒ・アウエルバッハ(1892-1957)の代表的著作「ミメーシス」46は邦訳では「ヨーロッパ文学における現実描写」と副題がつけられているように(ミメーシスとは『表象』という意味)邦訳で上下巻1000ページを20章に分けて、ヨーロッパ文学の…
つい一週間前に梶井基次郎『桜の樹の下には』(昭和3年)と、同作から想を得たという坂口安吾作品を紹介した。少年時代は圧倒的に梶井作品の印象が強かったが、老境も近いと安吾作品に断然軍配を上げる。精緻で静的な梶井に対して安吾は粗雑で躍動的。梶井は概…
梶井基次郎(1901-1932)は大坂生まれの作家。生涯病身、永年の結核療養の末に早逝。独身、無職。著作は短編集「檸檬」一冊。没後に全集が4次に渡り刊行され、古典的作家の評価は揺るぎない。『桜の樹の下には』は1928年発表の小品。引用中省略箇所は(……)で表…
階段から転落した後遺症で今日も腰痛がまだひどかったせいか、天候が良いからつい洗濯物して激しく後悔(腰痛時には避けるべき)、少し駅前一周の買い物しただけでも疲労がひどく、底冷えするので日没間もなく早めの夕食とったら体が少しは暖まり、同時に眠気…
前回までは、アメリカ小説の古典的価値はなかなか評価の定まらない、いわば世界文学のエアポケットであると解説した。ガートルード・スタインの「アメリカ人の成り立ち」は、プルーストやジョイスよりも早く、分量的にも「失われた時を求めて」よりは短いが…
今回も神話もの。待機の他に無益な労役がテーマになっている。 * 『ポセイドン』 ポセイドンは机に向って計算していた。すべての海洋を管理することは果しない苦労だった。助手を使おうと思えば、人はいくらでもいた。実際、彼は大勢の助手を使っていた。だ…
今回はやや長いので、2/3ほどに圧縮した。傑作。 * 『掟の門』 掟の門前には一人の番人が立っていた。田舎から来た男がこの番人を訪ねて、門の中へ通してほしいと頼んだ。だが番人は、今は駄目だ、と言う。男は考え込み、やがて、後になれば通してくれるのか…
これから再録するのは8か月前の記事。アメリカ本国では中学生ならみんな一度は読む話、ポオの「黒猫」やO.ヘンリーの「最後の一葉」並みに誰もが知る短篇小説とのこと。ならばさぞかし著名作家かと思うのだが、作者はこの一篇のみで名をとどめる凡庸な娯楽小…
以前に墨彩画家・エッセイストの佐伯和子(1935-・広島生れ)の作品はご紹介したことがあった。今回話の取っ掛かりにご紹介する現代思想史研究家・江口幹(1931-・岩手生れ)はそのご主人で、佐伯和子はぼくの父方の伯母だから義理の伯父、ということになる。パ…
年賀状を書き投函、12月27日。来年のため宛名の面をコピーする。昨年~今年の年末年始は精神病棟だった。病院以外は年賀状だけの往来。肉親すら交際を絶っている。病院2・教会1・肉親親類縁者4・恩人4・友人4、計15通。減ったな、とも思うし、まだそんなに、…
先に2回を掲載して、辻潤の生涯とその人物像には興味を持ってもらえることがわかった。確かに辻に匹敵するような窮死作家はただ一篇の長篇私小説「根津権現裏」1922(新潮文庫で復刊)で名を残す藤沢清造(1889-1932、公園で凍死)くらいだが、詩人の石川善助は…
第一回は辻潤という人を生涯のいくつかの節目から概略にすることができたと思う。ただしエピソードによって語れるのは主に他人との係りだけになる。 ぼくがもっとも興味を引かれたのは辻の死かも知れない。妻・野枝の出奔後(そして関東大震災に乗じた官憲に…
日本のダダイストとして知られる辻潤(つじ・じゅん/1884-1944・浅草生れ)には思い入れが強すぎ、書く前から気が乗らない。 いま辻潤に興味を持つわずかな人は、 (1)妻・伊藤野枝がアナーキスト・大杉栄の元へ走った事件か(1916年。瀬戸内晴美が「美は乱調に…